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約束の場所で待ってる

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 紅茶を飲みながら、ゆっくりと雑誌を眺めて過ごす休日は久しぶりだった。

 クリスマス特集のページには、幻想的に輝くイルミネーションの数々が紹介されている。

 クリスマスはもう来週だ。
 一緒に過ごしたい人はたったひとりなのに、それも叶わない。

 人生って、思うようにならない。

 蓮を忘れなきゃいけないのに、気づくといつも彼のことばかり考えてる。出会わなければよかったのにって思えないから、尚更つらい。

 ソファーにもたれて、目を閉じる。ひざの上の雑誌がパタンと音を立てて閉じたとき、ハッと上体を起こした。

「加奈江から電話があったんだった」

 昨夜は残業で電話に出られなくて、すっかり忘れていた。

 テーブルの上のスマホを手に取り、電話をかけようとして、ちゅうちょした。

 もう夕方だ。晃さんと一緒にいるだろうし、休日に電話は迷惑かもしれない。

 メールにしようと思い立って、『電話出れなくてごめんねー。なんだったー?』と送ると、すぐに既読になり、待つ間もなく電話がかかってきた。

「もしもし、佳澄ー? ごめんね。メールじゃなくて、直接話したかったから」
「こっちこそ、すぐに連絡できなくてごめんね」
「いま、晃、コンビニ行ってくるって出ていったから、ちょうどよかった」
「晃さんと、何かあったの?」
「うん……、それがさ」

 加奈江は言葉を濁す。

「あのこと?」

 晃さんは加奈江との子どもがほしいと望んでた。彼女はその気がなくて、約束が違うと不満そうにしていたけれど、何か進展があったのだろうか。

「佳澄にはいろいろグチ聞いてもらったけどさー」
「うん」
「私と晃ね」
「うん」
「入籍することにしたの」
「えっ!」

 驚くと、加奈江は声を漏らして、そっと笑った。

 その、ふんわりとした温かみのある優しい息づかいに、胸が熱くなった。加奈江、晃さんとの子どもを生む決心をしたんだと思って。

「驚いた?」
「驚く、驚くよー。入籍するって、事実婚は解消ってことだよね?」
「うん、そう。子どもができたら今の生活は絶対続けられないんだから、さんざん話し合ったよ。だって、入籍したら全部終わりだよ?」
「全部終わりってー」
「そうだよ。冗談なく、終わり。晃にさ、私が築き上げてきたもの壊してまで、私の人生に関わる覚悟あるのかって聞いたら、今よりもっといい人生にしてやる! ってたんか切るからさ」

 全部終わりだなんて、衝撃的な言葉を使うわりに、電話越しでも照れくさそうにしてるのがわかるぐらい、彼女の声が明るい。

「わあ、なんかすごくいいね。旦那さま、ほんとにいい人」
「ばかみたいにいい人だよね。私じゃなくても幸せになれた人だって思うけどさ、私も晃との新しい人生、歩むのも悪くないと思って」
「うんうん。幸せになってね、今よりももっと」
「言われなくてもなるからね。意地でも幸せになるんだから」
「その、言い方。加奈江らしい」

 くすくす笑っていると、「あっ」と急に加奈江は声をあげた。

「あ、ねー、紀子と最近連絡取ってる?」
「紀子? うん。先週、メールしたよー。最近忙しくしてたから、ちょっとやりとりするぐらいなんだけど」
「そうなんだー。佳澄に電話した後、紀子にもメールしたんだよね。すぐに既読になったんだけど、返事がなくて。紀子も忙しいのかな」
「そうだね。忙しいと思う。今夜か、明日にでも連絡あるかもね」

 さらりとそう、加奈江には声かけたけれど、内心は穏やかじゃなかった。

「そっか。忙しいんだ。結局、入籍するんだって、あきれたかなって思っちゃって」
「紀子に限って、それはないよ。ただメールする時間ないだけだって」
「メールするのも、結構時間取られるもんね。お姑さんの前じゃ、スマホ触ってるのも遠慮しちゃいそうだしね」

 加奈江はまだ、紀子が別居したのを知らないみたい。

「もう少し待ってみたら?」
「そうだね。そうする。あ……、晃、戻ってきたかも」
「また近いうちに会おっか」
「オッケー。じゃあ、ごめん、切るね」
「うん、またね」
「またね」

 すぐに切れたスマホを見下ろして、メールボックスを開く。

 紀子と最後に連絡したのは、いつだっただろう。

『実家で暮らすことになったよ。駿がインフルエンザにかかっちゃって、ここのところ、ずっと実家暮らしだったから』

 このメールをもらったのは、先週の月曜日だった。

 ああ、そうだ。駿くんが元気になったからメールしてくれたんだった。仕事を少し休んでたから、がんばって働くって連絡がきたあとは、やりとりをしていない。

 すぐに紀子に電話をした。

 彼女は忙しくても、何かしら返事をくれる。加奈江が入籍すると聞いて、何も返信をしないなんておかしい。

 何かあったんじゃないか。

 いやな予感は、つながった電話から聞こえた声で、確信に変わった。

「佳澄ちゃん?」
「はい、佳澄です。おばさん、紀子は?」

 私はつとめて冷静に尋ねた。電話に出た紀子のお母さんの声は、あきらかに動揺していた。

「それが、紀子、昨日の夜からいないのよ」
「いないって?」

 紀子はいま、実家に暮らしてるはずだ。帰るアパートはもうないはず。

「駿ちゃんと出かけるって出ていったきり……。携帯電話も家に置きっぱなしで。あちらのお宅には電話できないでしょう? 今夜も帰ってこなかったら、佳澄ちゃんに電話しようと思ってたの」
「警察には?」
「まだ連絡してないわ。もしかしたら、ひょっこり帰ってくるんじゃないかと思って。……やっぱり、警察に電話した方がいいかしら?」

 後半の言葉は、私に向けられたものではないようだった。電話の奥にいる紀子のお父さんに向けられたものだろう。

「紀子の行きそうなところは探してみたんですか?」
「行きそうなところって言ってもね、仲良くしてるいとこぐらいしか。まだ電話はしてないんだけど」
「わかりました。思い当たる場所に連絡して、聞いてみてください。私も探してみます。あと、警察にも」

 はやる胸をおさえて、そう言う。

「そ、そうね。電話してみるわ。ありがとう、佳澄ちゃん」
「じゃあ、何かわかったら連絡ください」

 電話を切るとすぐ、コートをつかんでアパートを飛び出した。

「佳澄さんっ」

 階段を駆け降り、駅に向かおうとしたとき、どこからか声がした。

 唐突に目の前に現れた青年に驚いて、息をのむ。

「蓮くん……」
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