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約束の場所で待ってる

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 紀子の実家に到着すると、連絡を受けていたおばさんが玄関を飛び出してきた。

 半泣きで、どこに行ってたんだとか、連絡ぐらいしなさいとか、さんざん怒ったけれど、最後には紀子を抱きしめて、「おかえりなさい」と言った。

 その響きがどことなく物悲しかった。紀子の帰る家は、ご両親の家になったのだ。

 彼女が離婚したという現実を、目のあたりにするとは思ってなかった。そのぐらい、お似合いの夫婦だと思っていたのに、結婚とはわからないものだ。

 離婚して傷ついた彼女は、結婚を決めた加奈江にかける言葉を見つけられなくて、メールの返信をしなかったのかもしれない。

 加奈江には私から連絡しておこう。時期が来たら、紀子から連絡してくれるだろうから。

 紀子が家の中に入っていくと、おばさんに何度もお礼を言われた。夜ご飯を食べていきなさいと誘われたけれど、紀子も駿くんも疲れてるだろうからと、私と蓮は早々に家を後にした。

「蓮くん、ごめんね。せっかくの休みだったのに付き合わせちゃって」

 地下鉄に乗り込み、空いてる席に並んで腰かけると、ようやく息がつけた。

「友だち、見つかってよかったね」
「蓮くんのおかげ。本当にあの公園にいたから、びっくりしちゃった」
「俺も」

 蓮はくすっと笑う。彼も予想があたって驚いたのだろう。

「あ、蓮くん、なんでうちのアパートの前にいたの? どっかに行く予定だった?」
「佳澄さんに会いに行ったんだよ」

 蓮はあきれ顔をする。

「……そうだったの」

 気まずくて、前方に視線を移す。ガラス窓に映り込む彼は、首を横に向けて私を見ていた。

「見合い、したんだってね」
「知ってたの」
「うわさで聞いただけ。総務の人じゃなかったみたいだね」

 蓮は知ってるんだろう。三浦さんとお見合いしたこと。

「全然知らなかったの。お会いして初めて、お相手が三浦さんだって知ったの」
「ふーん。受けるの?」
「部長の紹介だから、お断りしにくいし」
「付き合ってみるんだ?」
「まだ決めてないんだけど……」

 プロポーズをお受けするって言ったら、蓮とは完全に縁が切れてしまう。そう思ったら、歯切れが悪くなってしまった。

「三浦さんって、いい人だよね」

 無感動に蓮はそう言って、立ち上がった。乗り換えの駅に着いたみたい。

 地下鉄を降りて、彼の背中を追う。電車を乗り換えたら、混み合っていて、私たちは無言になった。

 最寄り駅に到着しても、黙っていた。

 黙ってても、蓮とはこれで終わるんだ。そう気づいて顔を上げたら、彼も私を見下ろしていた。

「なに?」
「もうすぐ、クリスマスだね」

 深刻そうな表情をしてるから、何を言うのかと身構えたけど、なんだ、そんなこと? と拍子抜けした。

「そうだね」

 あいづちを打つようにうなずいて、蓮の暮らすマンションのある方へ向かって並んで歩いた。

「クリスマス、一緒に過ごそうよ」

 いつもの軽い口調で、蓮は言う。

「だめだよ」

 会えばまた、私たちは抱き合ってしまうだろう。蓮はそれを狙っていて、私はもうそれを拒みたいのに。

「見合い、迷ってるならいいじゃん」
「それとこれは別」
「なに、別って」

 足を止めた蓮を振り返ると、彼はポケットに入れていた手を出して、私の前に立った。

 その、あらたまった生真面目な表情とただずまいに戸惑う。

「佳澄さんと一緒にいたいんだ」

 真摯なまなざしに息をのみ、目をそらす。

「クリスマスは約束があるの」
「三浦さんと会うの?」
「……そう。私、もう蓮くんと会えないよ」
「どうして?」

 それは愚問じゃないのか。誰がどう見たって、私たちの関係はおかしいだろう。

「恋人がいたら、今までの関係、続けられるわけないよ」
「俺たちは今、誰とも付き合ってない」
「私はお見合いしたの。蓮くんにはわからないケジメかもしれないけど」

 付き合ってるとか付き合ってないとか関係なく、蓮は複数の女性と関係がもてる。不倫関係になったって気にしないのかもしれない。

 でも、私は違う。蓮にそういうふうに扱われたくないと思ってる。

 私を抱いた翌日に、蓮は奈緒さんを呼び出した。そのことにきっと私は傷ついてる。

 蓮に不満をぶちまけてしまいたい気がしたけど、飲み込んだ。

 私は蓮の彼女じゃない。怒る理由もない。

「あの日、後悔したんだ」

 蓮はぽつりとつぶやく。

「目が覚めたら、佳澄さんがいなかった。チャイムが鳴って、あわてて出たら奈緒がいた」

 蓮も、私と同じ日に立ち止まってるみたいに、あの日にこだわるのだ。

「奈緒さんを呼び出したの、後悔したの?」
「呼び出した? 違うよ」
「うそ。だって奈緒さんは……」
「奈緒がそう言った?」

 私は押し黙り、顔を背けた。

 奈緒さんのことで、蓮ともめたくなかった。
 今はどうであれ、かつて彼女は愛された過去があり、私は愛されてなかったなんて、あきらかにしたくなかった。

「佳澄さん、聞いて。あの日、本当はちゃんと言うつもりだった。それなのに、起きたら佳澄さんがいなくて」
「何を言うつもりだったっていうの?」
「佳澄さんが好きです」

 目を大きく見開いた。それは、唐突な告白だった。

 絶句する私を頼りなげに見つめる蓮は、長いまつげを揺らした。

「俺じゃ、だめですか?」
「急に、何言って……」
「急じゃない。ずっと好きだったから」
「そんなの、うそ」

 愛なんていらないって言ったのは、蓮だったじゃないか。

 何が本当で、何がうそかもわからなくなるぐらい、どこまでもうそをつき続けて生きていくというのか。

「クリスマス、ジウで待ってる。絶対、来て」

 ジウ?

 蓮と出会った日に一緒に訪れた居酒屋。クリスマスを恋人同士が過ごすにはじゅうぶんな、おしゃれなお店。

 でも私はその日、三浦さんと会う約束をしてる。

「行けない」
「それでも、待ってるから」

 蓮は一方的にそう言うと、アパートまで送るからと背を向けて歩き出した。

 その背中は私の言葉を拒絶していて、声をかけることができなかった。
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