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ろまん亭の人々
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ろまん亭を訪れてみようと思ったのは、今は亡き父をしのんでとか、父の経営していた喫茶店に興味がわいたとか、そういうことでは全然なくて、ただ単に、半年前に別れた彼が会いに来ると連絡を寄越したからだった。
元彼と会いたくなかった私は、すぐに逃げ出してしまおうと思った。今さら、話し合うことなんて何もない。離れていた半年で、あきれるほどに大好きだった彼への思いは、あとかたもなく消えていた。
そうは言っても、逃げ場所なんて簡単に思い浮かばなかった。私の活動範囲は、だいたい元彼も周知していて、どこへ行っても見つかるような気がしたのだ。
そして、唐突にろまん亭のことを思い出した。ちょうど一週間前、父の一周忌を終えたら、ろまん亭は売却しようかと、祖父から相談を受けていたからだった。
両親は、私が生まれてすぐに離婚した。私は母に引き取られ、母の実家で祖父母と暮らしてきた。
父とはずっと疎遠で、いないのが当たり前だったから、父が亡くなったと聞かされても、ああそうなんだ、と思ったぐらいで、ありたいていに言えば、父がどう生きてきたのか知りたいという気持ちもいっさいなかった。
だから、ろまん亭へ行こうと決めたのは、ちょうどいい隠れ家になるという打算的な思いだけだったし、売却するなら一度は見ておかないといけないなという漠然とした思いからだけだった。
電車を乗り継いで、観光地へやってきた。日曜日ということもあってか、駅前の商店街は混雑していた。帰りに寄ってみよう、なんて、観光地へ来たとき特有の高揚感を覚えながら、タクシーに乗った。
「ろまん亭?」
行き先を告げると、老齢のタクシー運転手はけげんそうにそう言った。
「たきざわ夕市美術館のそばにあるんですけど」
「ああ、永朔さんのろまん亭ね。もうあそこ、閉まっちゃってるよ、お客さん」
「いいんです。近くに用事があるだけだから」
近くねぇ。あの辺りには何もないよ。
運転手はそう言いたげな表情を引っ込めて、タクシーを発進させた。
ろまん亭は、観光地にあるけれど、きっと地元の人しか利用しないような喫茶店なんだろう。タクシーが山あいの道をグングンと登っていくにつれ、その思いは強くなった。
「たきざわさんの美術館なら、この道の先を右に行ったとこにあるから」
タクシーを降りるとき、運転手は親切にそう教えてくれると、やはり、本当にここでいいのかい? と言った表情を見せたが、私が頭をさげると、Uターンして来た道を戻っていった。
山道の途中に、ろまん亭はあった。
周囲には、たきざわ夕市美術館の大きな看板と、数軒の家が立ち並んでいる。
改めて、私はろまん亭を眺めた。
ふらっと観光客が立ち寄るかもしれない。そう思わせるにはじゅうぶんな、レトロでおしゃれな店がまえの入り口には、『ろまん亭』と、達筆な文字で彫られた木造看板が立て掛けられている。
以前は店先にかけられていたものだろう。今は店主を失った店へ誰も寄せ付けない門番のように、ドアをふさぐように置かれている。
入り口には張り紙があった。都合によりお休みしています、という短い文面で、多くを語らない無骨な案内にも見えた。
父はそっけない人だったのだろうか。そう思って、すぐにその考えを否定した。この張り紙は父が書いたものじゃない。
じゃあ、誰が?
祖父だろうか。いや、祖父の書く文字はすんなりときれいなもので、祖母は柔らかみのある上品な文字を書く。それに、常に穏やかで優しい祖父母なら、もっと丁寧な案内書きを用意するだろうと思った。
そんな風に思いを巡らせていると、誰もいないはずのろまん亭のドアが唐突に開いた。
「えっ!」
驚きの声をあげると、ドアの隙間から顔だけのぞかせた青年が申し訳なさそうに眉をさげる。
「すみません。諸事情により、しばらく休みなんです。こちらへはタクシーで? 美術館まで行けばバスが出てるんですけど……」
辺りを見回して、足になりそうな車がないと気づいた彼は、さらに申し訳なさそうに言う。ろまん亭をめざしてやってきた観光客と勘違いしてるんだろう。
青年は外へ出てくると、たきざわ夕市美術館に続く山道を指さして、「歩いて20分ぐらいかな。タクシー呼んでもいいけど、かえって時間がかかるかも」と口ごもるようにつぶやく。
このままでは、観光客と間違われたまま追い返されそうだと思い、私は言う。
「ろまん亭の方ですか?」
「あっ、俺はバイトで。店の片付けに来てるだけで、営業はできないんですよ」
バイト?
うそを言ってるようには思えないけど、大学生には見えない。私より年上そうだし、ろまん亭が休業してから半年経ってる。その間、彼は無職のまま、ろまん亭の管理をしてるんだろうか。
考えれば考えるほど、ふに落ちない。祖父にもっと詳しくろまん亭の現状を聞いてくるんだったと後悔する。
「あの……私、白石望って言います」
悩んで、私は名乗った。
「白石望……。のぞみ……さん?」
私の名前をかみしめるようにつぶやいた彼は、少々驚いたように目を開いた。
私の名前は聞いたことがあるみたい。父が亡くなってから、祖父は何度かろまん亭を訪れていたようだったし、祖父から聞いたのかもしれない。
「はい。野垣永朔の娘って言ったら、わかりますか?」
「聞いてます。白石陽三さんから」
陽三は、私の祖父だ。とすると、彼は祖父に頼まれて、ろまん亭の管理を任されてるのかもしれない。
「すみません。突然来ちゃって」
「来るって知らせてくれたら、駅まで迎えに行ったのに。……あ、俺は滝沢陽仁って言います。はたちの時からだから……、9年ここでバイトしてます」
「29歳っ?」
思わず、すっとんきょうな声をあげてしまった。大学生っぽくはないと思ってたけど、29歳になってもアルバイト生活してるなんて、どんな人なんだろう。
ろまん亭のバイト以外にも何かしてる人なんだろうか。それとも、何かを夢見て、夢に向かって努力してる最中とか……。
夢、か。と思う。
私にだって昔は夢があったけど、追いかけるのはやめてしまった。あきらめて、事務職に就いた。そして、会社に出入りしていた取引先に勤める営業の元彼と出会った。
出会ったときからお互いに惹かれたんだと思う。何度か会社以外の場所で会うようになって、いつの間にか恋人関係になっていた。このまま付き合っていたら、結婚するんだろうって思ってた。
なのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。夢も恋も、中途半端に消えてしまった。
「29歳に見えないってよく言われる」
彼はおかしそうに目を細めた。歳より若く見える人だとは思う。
「私も。26歳のわりに落ち着いてるねって」
「しっかり者なんだね。今日はひとりで来たんだよね。ここへ来たのは、はじめて?」
元彼と会いたくなかった私は、すぐに逃げ出してしまおうと思った。今さら、話し合うことなんて何もない。離れていた半年で、あきれるほどに大好きだった彼への思いは、あとかたもなく消えていた。
そうは言っても、逃げ場所なんて簡単に思い浮かばなかった。私の活動範囲は、だいたい元彼も周知していて、どこへ行っても見つかるような気がしたのだ。
そして、唐突にろまん亭のことを思い出した。ちょうど一週間前、父の一周忌を終えたら、ろまん亭は売却しようかと、祖父から相談を受けていたからだった。
両親は、私が生まれてすぐに離婚した。私は母に引き取られ、母の実家で祖父母と暮らしてきた。
父とはずっと疎遠で、いないのが当たり前だったから、父が亡くなったと聞かされても、ああそうなんだ、と思ったぐらいで、ありたいていに言えば、父がどう生きてきたのか知りたいという気持ちもいっさいなかった。
だから、ろまん亭へ行こうと決めたのは、ちょうどいい隠れ家になるという打算的な思いだけだったし、売却するなら一度は見ておかないといけないなという漠然とした思いからだけだった。
電車を乗り継いで、観光地へやってきた。日曜日ということもあってか、駅前の商店街は混雑していた。帰りに寄ってみよう、なんて、観光地へ来たとき特有の高揚感を覚えながら、タクシーに乗った。
「ろまん亭?」
行き先を告げると、老齢のタクシー運転手はけげんそうにそう言った。
「たきざわ夕市美術館のそばにあるんですけど」
「ああ、永朔さんのろまん亭ね。もうあそこ、閉まっちゃってるよ、お客さん」
「いいんです。近くに用事があるだけだから」
近くねぇ。あの辺りには何もないよ。
運転手はそう言いたげな表情を引っ込めて、タクシーを発進させた。
ろまん亭は、観光地にあるけれど、きっと地元の人しか利用しないような喫茶店なんだろう。タクシーが山あいの道をグングンと登っていくにつれ、その思いは強くなった。
「たきざわさんの美術館なら、この道の先を右に行ったとこにあるから」
タクシーを降りるとき、運転手は親切にそう教えてくれると、やはり、本当にここでいいのかい? と言った表情を見せたが、私が頭をさげると、Uターンして来た道を戻っていった。
山道の途中に、ろまん亭はあった。
周囲には、たきざわ夕市美術館の大きな看板と、数軒の家が立ち並んでいる。
改めて、私はろまん亭を眺めた。
ふらっと観光客が立ち寄るかもしれない。そう思わせるにはじゅうぶんな、レトロでおしゃれな店がまえの入り口には、『ろまん亭』と、達筆な文字で彫られた木造看板が立て掛けられている。
以前は店先にかけられていたものだろう。今は店主を失った店へ誰も寄せ付けない門番のように、ドアをふさぐように置かれている。
入り口には張り紙があった。都合によりお休みしています、という短い文面で、多くを語らない無骨な案内にも見えた。
父はそっけない人だったのだろうか。そう思って、すぐにその考えを否定した。この張り紙は父が書いたものじゃない。
じゃあ、誰が?
祖父だろうか。いや、祖父の書く文字はすんなりときれいなもので、祖母は柔らかみのある上品な文字を書く。それに、常に穏やかで優しい祖父母なら、もっと丁寧な案内書きを用意するだろうと思った。
そんな風に思いを巡らせていると、誰もいないはずのろまん亭のドアが唐突に開いた。
「えっ!」
驚きの声をあげると、ドアの隙間から顔だけのぞかせた青年が申し訳なさそうに眉をさげる。
「すみません。諸事情により、しばらく休みなんです。こちらへはタクシーで? 美術館まで行けばバスが出てるんですけど……」
辺りを見回して、足になりそうな車がないと気づいた彼は、さらに申し訳なさそうに言う。ろまん亭をめざしてやってきた観光客と勘違いしてるんだろう。
青年は外へ出てくると、たきざわ夕市美術館に続く山道を指さして、「歩いて20分ぐらいかな。タクシー呼んでもいいけど、かえって時間がかかるかも」と口ごもるようにつぶやく。
このままでは、観光客と間違われたまま追い返されそうだと思い、私は言う。
「ろまん亭の方ですか?」
「あっ、俺はバイトで。店の片付けに来てるだけで、営業はできないんですよ」
バイト?
うそを言ってるようには思えないけど、大学生には見えない。私より年上そうだし、ろまん亭が休業してから半年経ってる。その間、彼は無職のまま、ろまん亭の管理をしてるんだろうか。
考えれば考えるほど、ふに落ちない。祖父にもっと詳しくろまん亭の現状を聞いてくるんだったと後悔する。
「あの……私、白石望って言います」
悩んで、私は名乗った。
「白石望……。のぞみ……さん?」
私の名前をかみしめるようにつぶやいた彼は、少々驚いたように目を開いた。
私の名前は聞いたことがあるみたい。父が亡くなってから、祖父は何度かろまん亭を訪れていたようだったし、祖父から聞いたのかもしれない。
「はい。野垣永朔の娘って言ったら、わかりますか?」
「聞いてます。白石陽三さんから」
陽三は、私の祖父だ。とすると、彼は祖父に頼まれて、ろまん亭の管理を任されてるのかもしれない。
「すみません。突然来ちゃって」
「来るって知らせてくれたら、駅まで迎えに行ったのに。……あ、俺は滝沢陽仁って言います。はたちの時からだから……、9年ここでバイトしてます」
「29歳っ?」
思わず、すっとんきょうな声をあげてしまった。大学生っぽくはないと思ってたけど、29歳になってもアルバイト生活してるなんて、どんな人なんだろう。
ろまん亭のバイト以外にも何かしてる人なんだろうか。それとも、何かを夢見て、夢に向かって努力してる最中とか……。
夢、か。と思う。
私にだって昔は夢があったけど、追いかけるのはやめてしまった。あきらめて、事務職に就いた。そして、会社に出入りしていた取引先に勤める営業の元彼と出会った。
出会ったときからお互いに惹かれたんだと思う。何度か会社以外の場所で会うようになって、いつの間にか恋人関係になっていた。このまま付き合っていたら、結婚するんだろうって思ってた。
なのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。夢も恋も、中途半端に消えてしまった。
「29歳に見えないってよく言われる」
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