7 / 26
消えた夢の軌跡
3
しおりを挟む
*
父の家は素っ気ないほど片付き、生活感を失っていた。
平屋の中古住宅を購入し、水回りは改装したらしく、キッチンやバスルームだけは比較的新しい。つづみさんが荷物を運び込んでくれたのは、庭に面した縁側のある和室で、柱や障子は生活していた痕跡の残る古びたものだった。
たたみに正座して、キャリーバッグを開くと、小屋から出てきた弦さんが、私に気づいて一目散に駆けてきた。どうやら、弦さんの首につながるリードは、縁側まで届くちょうどいい長さに調整されてるみたい。
「弦さん、お久しぶり」
頭をなでると、なんとも愛らしく目を細める。父の気配を私から感じ取ってるとしたら、少しだけ奇妙な気分になる。
父とは会ったことも話したこともない。だけど、私は確かに野垣永朔の娘なのだとも思う。
「ねー、弦さん。お父さんはいつもここに座って、何してた?」
すり切れた縁側の一部に腰かけて、ふと顔をあげると、青空が私を見下ろしていた。庭に高い木はなく、視界を遮るものは何もない。空の景観を邪魔しないよう、あえて殺風景な庭にしてるんじゃないかと思うぐらい、視界いっばいに空が広がっている。
「永朔さんはいつも、夜になると縁側に出てきて、月を見てたよ」
隣の家との境界線にある、壊れた柵からひょっこり現れたつづみさんが、弦さんの代わりに返事をする。
「月?」
「娘さんの名前知ったとき、ああそうかって気づいた」
「娘さんって、私のこと?」
そう、ってうなずいた彼は、手に持っていた白い紙を広げた。それは、学生時代によくお世話になった、書き初め用の半紙だった。
「朔弦望……」
半紙には、立派な文字で三文字だけ書かれている。
「永朔さんの、朔。弦さんの弦。望ちゃんの望。月にまつわる漢字だろ?」
「え……」
「知らない?」
彼は私の隣に腰をおろすと、書き初めを私のひざの上に乗せた。
「朔は1日目の月の新月。弦は上弦、下弦の月の弦。望は、光り輝く満月。永朔さんと望ちゃんは会えなくてもつながってたんだなってさ」
「つながってる」
陽仁さんも言っていた。空はつながってるんだよって。違う場所にいても、違う人生を歩んでいても、私たちはいつもつながっていたというのだろうか。
「月を見ながら、望ちゃんを思ってたのかなぁ」
つづみさんは空を見上げてそう言う。
「お父さんが私を?」
想像がつかない。会いたいなんて連絡をもらったこともなかったのに。
「望ちゃんにとって永朔さんはきれいごとでは済まされない男かもしれないけどさ、俺から見たら、そういう家族の形もあるんだなって思うよ」
「つづみさんのご家族は?」
「いるよ。元気にしてる。俺の活動には無関心だけどな」
にやっと、つづみさんは笑う。悲しみを隠したみたいな笑顔だった。
「あっ、つづみさんって、すっごく有名な書道家さんなんですねっ。全然知らなくて、めちゃくちゃ失礼なことを言っちゃいました」
「望ちゃんが知らないなら、すっごく有名じゃないよな。望ちゃんは、何かやってみたいの?」
「何か……?」
きょとんとする。
「だってさ、永朔さんに興味なさそうだったのに、週末はこっちに来るっていうから。ろまん亭は売れない芸術家が集まる場所だったりするしさ、望ちゃんもそうかな? って思ったんだよ」
芸術家の集まる場所……。つづみさんはそう、ここは夢に敗れたものがくる場所だと言っていた。つづみさんも、一度は夢に敗れたものだったのだろうか。
「私はそういうつもりじゃ全然なくて。でも……」
優しく私を見下ろすつづみさんと目が合ったら、この人は成功者だけど芸術家だから、私の話を笑わないだろうって、魔がさした。
「でも、陶芸には興味あります」
思わずそう言葉をもらして、どきりとした。ずっと封印していた思いだった。それをなぜ口に出してしまったのか、すぐに後悔して口をつぐんだ。
「へえ、陶芸? じゃあ、いいのがある」
気まずくなる私なんておかまいなしに、つづみさんは軽やかに立ち上がった。
「いいのって……?」
「永朔さんさ、裏に作業場つくってたんだよ。まだ使えると思うな」
「作業場ですか?」
「おいで」
さっさと家の裏手へ行ってしまう彼に驚いて、キャリーバッグからあわててサンダルを取り出し、縁側を降りて追いかけた。
庭の端から小道を通って裏手に出た私は、眼前に広がるスペースを見て、「わあ」と声をあげていた。
最初に目に飛び込んできたのは、ろくろ作業台だった。広いスペースの中央に堂々と置かれたそれは、ひっそりとたたずんでいる。それ以外にも洗い場や作品を置く棚もある。ひとめで、陶芸のできる作業スペースとわかる空間だった。
「なんで、こんな作業場が」
「陶芸やりたいってやつがいたのかもな」
「どういうこと?」
「永朔さんは気に入ったやつの面倒見るの好きだったから。客の中には陶芸家を目指すやつもいただろう」
父は、ろまん亭を訪れる、夢敗れた人の手助けをしてたっていうんだろうか。
「上の山に、窯を貸してくれる家があるらしい。陽仁が詳しいはずだ」
「上の山って、美術館より奥? 陽仁さんには明日会うし、聞いてみようかな」
「やる気になった?」
「あ、……そうじゃなくて。父がどう生きてきたのか、ちょっと興味があるっていうか」
ろまん亭を売却するなら、ふさわしい人物にという選択肢も考えていた。もし、父が気にかけた人物がいて、陶芸のできる環境を整えたなら、その人に交渉してもいいかもしれない。
「興味があるなら、望ちゃんが陶芸やってみたら?」
「そんな気になれなくて」
「そんな気になったらやれば? 別に急ぐもんじゃないしな」
「今さら、どうなるものでもないってわかってますから」
拒絶するように言ってしまって、胸が痛んだ。つづみさんはけげんそうに眉をひそめている。私のためを思って言ってくれたのにこれでは、気を害しただろう。それでも私の心はどこか意固地だった。
彼は書道家として成功できたかもしれないけれど、私は陶芸家になれるわけじゃない。
もう、夢はあきらめたのだ。今さら、何をどうしたって過去は戻ってこない。純粋にいだいていた情熱も、もう戻らない。
父の家は素っ気ないほど片付き、生活感を失っていた。
平屋の中古住宅を購入し、水回りは改装したらしく、キッチンやバスルームだけは比較的新しい。つづみさんが荷物を運び込んでくれたのは、庭に面した縁側のある和室で、柱や障子は生活していた痕跡の残る古びたものだった。
たたみに正座して、キャリーバッグを開くと、小屋から出てきた弦さんが、私に気づいて一目散に駆けてきた。どうやら、弦さんの首につながるリードは、縁側まで届くちょうどいい長さに調整されてるみたい。
「弦さん、お久しぶり」
頭をなでると、なんとも愛らしく目を細める。父の気配を私から感じ取ってるとしたら、少しだけ奇妙な気分になる。
父とは会ったことも話したこともない。だけど、私は確かに野垣永朔の娘なのだとも思う。
「ねー、弦さん。お父さんはいつもここに座って、何してた?」
すり切れた縁側の一部に腰かけて、ふと顔をあげると、青空が私を見下ろしていた。庭に高い木はなく、視界を遮るものは何もない。空の景観を邪魔しないよう、あえて殺風景な庭にしてるんじゃないかと思うぐらい、視界いっばいに空が広がっている。
「永朔さんはいつも、夜になると縁側に出てきて、月を見てたよ」
隣の家との境界線にある、壊れた柵からひょっこり現れたつづみさんが、弦さんの代わりに返事をする。
「月?」
「娘さんの名前知ったとき、ああそうかって気づいた」
「娘さんって、私のこと?」
そう、ってうなずいた彼は、手に持っていた白い紙を広げた。それは、学生時代によくお世話になった、書き初め用の半紙だった。
「朔弦望……」
半紙には、立派な文字で三文字だけ書かれている。
「永朔さんの、朔。弦さんの弦。望ちゃんの望。月にまつわる漢字だろ?」
「え……」
「知らない?」
彼は私の隣に腰をおろすと、書き初めを私のひざの上に乗せた。
「朔は1日目の月の新月。弦は上弦、下弦の月の弦。望は、光り輝く満月。永朔さんと望ちゃんは会えなくてもつながってたんだなってさ」
「つながってる」
陽仁さんも言っていた。空はつながってるんだよって。違う場所にいても、違う人生を歩んでいても、私たちはいつもつながっていたというのだろうか。
「月を見ながら、望ちゃんを思ってたのかなぁ」
つづみさんは空を見上げてそう言う。
「お父さんが私を?」
想像がつかない。会いたいなんて連絡をもらったこともなかったのに。
「望ちゃんにとって永朔さんはきれいごとでは済まされない男かもしれないけどさ、俺から見たら、そういう家族の形もあるんだなって思うよ」
「つづみさんのご家族は?」
「いるよ。元気にしてる。俺の活動には無関心だけどな」
にやっと、つづみさんは笑う。悲しみを隠したみたいな笑顔だった。
「あっ、つづみさんって、すっごく有名な書道家さんなんですねっ。全然知らなくて、めちゃくちゃ失礼なことを言っちゃいました」
「望ちゃんが知らないなら、すっごく有名じゃないよな。望ちゃんは、何かやってみたいの?」
「何か……?」
きょとんとする。
「だってさ、永朔さんに興味なさそうだったのに、週末はこっちに来るっていうから。ろまん亭は売れない芸術家が集まる場所だったりするしさ、望ちゃんもそうかな? って思ったんだよ」
芸術家の集まる場所……。つづみさんはそう、ここは夢に敗れたものがくる場所だと言っていた。つづみさんも、一度は夢に敗れたものだったのだろうか。
「私はそういうつもりじゃ全然なくて。でも……」
優しく私を見下ろすつづみさんと目が合ったら、この人は成功者だけど芸術家だから、私の話を笑わないだろうって、魔がさした。
「でも、陶芸には興味あります」
思わずそう言葉をもらして、どきりとした。ずっと封印していた思いだった。それをなぜ口に出してしまったのか、すぐに後悔して口をつぐんだ。
「へえ、陶芸? じゃあ、いいのがある」
気まずくなる私なんておかまいなしに、つづみさんは軽やかに立ち上がった。
「いいのって……?」
「永朔さんさ、裏に作業場つくってたんだよ。まだ使えると思うな」
「作業場ですか?」
「おいで」
さっさと家の裏手へ行ってしまう彼に驚いて、キャリーバッグからあわててサンダルを取り出し、縁側を降りて追いかけた。
庭の端から小道を通って裏手に出た私は、眼前に広がるスペースを見て、「わあ」と声をあげていた。
最初に目に飛び込んできたのは、ろくろ作業台だった。広いスペースの中央に堂々と置かれたそれは、ひっそりとたたずんでいる。それ以外にも洗い場や作品を置く棚もある。ひとめで、陶芸のできる作業スペースとわかる空間だった。
「なんで、こんな作業場が」
「陶芸やりたいってやつがいたのかもな」
「どういうこと?」
「永朔さんは気に入ったやつの面倒見るの好きだったから。客の中には陶芸家を目指すやつもいただろう」
父は、ろまん亭を訪れる、夢敗れた人の手助けをしてたっていうんだろうか。
「上の山に、窯を貸してくれる家があるらしい。陽仁が詳しいはずだ」
「上の山って、美術館より奥? 陽仁さんには明日会うし、聞いてみようかな」
「やる気になった?」
「あ、……そうじゃなくて。父がどう生きてきたのか、ちょっと興味があるっていうか」
ろまん亭を売却するなら、ふさわしい人物にという選択肢も考えていた。もし、父が気にかけた人物がいて、陶芸のできる環境を整えたなら、その人に交渉してもいいかもしれない。
「興味があるなら、望ちゃんが陶芸やってみたら?」
「そんな気になれなくて」
「そんな気になったらやれば? 別に急ぐもんじゃないしな」
「今さら、どうなるものでもないってわかってますから」
拒絶するように言ってしまって、胸が痛んだ。つづみさんはけげんそうに眉をひそめている。私のためを思って言ってくれたのにこれでは、気を害しただろう。それでも私の心はどこか意固地だった。
彼は書道家として成功できたかもしれないけれど、私は陶芸家になれるわけじゃない。
もう、夢はあきらめたのだ。今さら、何をどうしたって過去は戻ってこない。純粋にいだいていた情熱も、もう戻らない。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
Husband's secret (夫の秘密)
設楽理沙
ライト文芸
果たして・・
秘密などあったのだろうか!
むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ
10秒~30秒?
何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。
❦ イラストはAI生成画像 自作
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
一億円の花嫁
藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。
父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。
もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。
「きっと、素晴らしい旅になる」
ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが……
幸か不幸か!?
思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。
※エブリスタさまにも掲載
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる