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消えた夢の軌跡
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父の家は素っ気ないほど片付き、生活感を失っていた。
平屋の中古住宅を購入し、水回りは改装したらしく、キッチンやバスルームだけは比較的新しい。つづみさんが荷物を運び込んでくれたのは、庭に面した縁側のある和室で、柱や障子は生活していた痕跡の残る古びたものだった。
たたみに正座して、キャリーバッグを開くと、小屋から出てきた弦さんが、私に気づいて一目散に駆けてきた。どうやら、弦さんの首につながるリードは、縁側まで届くちょうどいい長さに調整されてるみたい。
「弦さん、お久しぶり」
頭をなでると、なんとも愛らしく目を細める。父の気配を私から感じ取ってるとしたら、少しだけ奇妙な気分になる。
父とは会ったことも話したこともない。だけど、私は確かに野垣永朔の娘なのだとも思う。
「ねー、弦さん。お父さんはいつもここに座って、何してた?」
すり切れた縁側の一部に腰かけて、ふと顔をあげると、青空が私を見下ろしていた。庭に高い木はなく、視界を遮るものは何もない。空の景観を邪魔しないよう、あえて殺風景な庭にしてるんじゃないかと思うぐらい、視界いっばいに空が広がっている。
「永朔さんはいつも、夜になると縁側に出てきて、月を見てたよ」
隣の家との境界線にある、壊れた柵からひょっこり現れたつづみさんが、弦さんの代わりに返事をする。
「月?」
「娘さんの名前知ったとき、ああそうかって気づいた」
「娘さんって、私のこと?」
そう、ってうなずいた彼は、手に持っていた白い紙を広げた。それは、学生時代によくお世話になった、書き初め用の半紙だった。
「朔弦望……」
半紙には、立派な文字で三文字だけ書かれている。
「永朔さんの、朔。弦さんの弦。望ちゃんの望。月にまつわる漢字だろ?」
「え……」
「知らない?」
彼は私の隣に腰をおろすと、書き初めを私のひざの上に乗せた。
「朔は1日目の月の新月。弦は上弦、下弦の月の弦。望は、光り輝く満月。永朔さんと望ちゃんは会えなくてもつながってたんだなってさ」
「つながってる」
陽仁さんも言っていた。空はつながってるんだよって。違う場所にいても、違う人生を歩んでいても、私たちはいつもつながっていたというのだろうか。
「月を見ながら、望ちゃんを思ってたのかなぁ」
つづみさんは空を見上げてそう言う。
「お父さんが私を?」
想像がつかない。会いたいなんて連絡をもらったこともなかったのに。
「望ちゃんにとって永朔さんはきれいごとでは済まされない男かもしれないけどさ、俺から見たら、そういう家族の形もあるんだなって思うよ」
「つづみさんのご家族は?」
「いるよ。元気にしてる。俺の活動には無関心だけどな」
にやっと、つづみさんは笑う。悲しみを隠したみたいな笑顔だった。
「あっ、つづみさんって、すっごく有名な書道家さんなんですねっ。全然知らなくて、めちゃくちゃ失礼なことを言っちゃいました」
「望ちゃんが知らないなら、すっごく有名じゃないよな。望ちゃんは、何かやってみたいの?」
「何か……?」
きょとんとする。
「だってさ、永朔さんに興味なさそうだったのに、週末はこっちに来るっていうから。ろまん亭は売れない芸術家が集まる場所だったりするしさ、望ちゃんもそうかな? って思ったんだよ」
芸術家の集まる場所……。つづみさんはそう、ここは夢に敗れたものがくる場所だと言っていた。つづみさんも、一度は夢に敗れたものだったのだろうか。
「私はそういうつもりじゃ全然なくて。でも……」
優しく私を見下ろすつづみさんと目が合ったら、この人は成功者だけど芸術家だから、私の話を笑わないだろうって、魔がさした。
「でも、陶芸には興味あります」
思わずそう言葉をもらして、どきりとした。ずっと封印していた思いだった。それをなぜ口に出してしまったのか、すぐに後悔して口をつぐんだ。
「へえ、陶芸? じゃあ、いいのがある」
気まずくなる私なんておかまいなしに、つづみさんは軽やかに立ち上がった。
「いいのって……?」
「永朔さんさ、裏に作業場つくってたんだよ。まだ使えると思うな」
「作業場ですか?」
「おいで」
さっさと家の裏手へ行ってしまう彼に驚いて、キャリーバッグからあわててサンダルを取り出し、縁側を降りて追いかけた。
庭の端から小道を通って裏手に出た私は、眼前に広がるスペースを見て、「わあ」と声をあげていた。
最初に目に飛び込んできたのは、ろくろ作業台だった。広いスペースの中央に堂々と置かれたそれは、ひっそりとたたずんでいる。それ以外にも洗い場や作品を置く棚もある。ひとめで、陶芸のできる作業スペースとわかる空間だった。
「なんで、こんな作業場が」
「陶芸やりたいってやつがいたのかもな」
「どういうこと?」
「永朔さんは気に入ったやつの面倒見るの好きだったから。客の中には陶芸家を目指すやつもいただろう」
父は、ろまん亭を訪れる、夢敗れた人の手助けをしてたっていうんだろうか。
「上の山に、窯を貸してくれる家があるらしい。陽仁が詳しいはずだ」
「上の山って、美術館より奥? 陽仁さんには明日会うし、聞いてみようかな」
「やる気になった?」
「あ、……そうじゃなくて。父がどう生きてきたのか、ちょっと興味があるっていうか」
ろまん亭を売却するなら、ふさわしい人物にという選択肢も考えていた。もし、父が気にかけた人物がいて、陶芸のできる環境を整えたなら、その人に交渉してもいいかもしれない。
「興味があるなら、望ちゃんが陶芸やってみたら?」
「そんな気になれなくて」
「そんな気になったらやれば? 別に急ぐもんじゃないしな」
「今さら、どうなるものでもないってわかってますから」
拒絶するように言ってしまって、胸が痛んだ。つづみさんはけげんそうに眉をひそめている。私のためを思って言ってくれたのにこれでは、気を害しただろう。それでも私の心はどこか意固地だった。
彼は書道家として成功できたかもしれないけれど、私は陶芸家になれるわけじゃない。
もう、夢はあきらめたのだ。今さら、何をどうしたって過去は戻ってこない。純粋にいだいていた情熱も、もう戻らない。
父の家は素っ気ないほど片付き、生活感を失っていた。
平屋の中古住宅を購入し、水回りは改装したらしく、キッチンやバスルームだけは比較的新しい。つづみさんが荷物を運び込んでくれたのは、庭に面した縁側のある和室で、柱や障子は生活していた痕跡の残る古びたものだった。
たたみに正座して、キャリーバッグを開くと、小屋から出てきた弦さんが、私に気づいて一目散に駆けてきた。どうやら、弦さんの首につながるリードは、縁側まで届くちょうどいい長さに調整されてるみたい。
「弦さん、お久しぶり」
頭をなでると、なんとも愛らしく目を細める。父の気配を私から感じ取ってるとしたら、少しだけ奇妙な気分になる。
父とは会ったことも話したこともない。だけど、私は確かに野垣永朔の娘なのだとも思う。
「ねー、弦さん。お父さんはいつもここに座って、何してた?」
すり切れた縁側の一部に腰かけて、ふと顔をあげると、青空が私を見下ろしていた。庭に高い木はなく、視界を遮るものは何もない。空の景観を邪魔しないよう、あえて殺風景な庭にしてるんじゃないかと思うぐらい、視界いっばいに空が広がっている。
「永朔さんはいつも、夜になると縁側に出てきて、月を見てたよ」
隣の家との境界線にある、壊れた柵からひょっこり現れたつづみさんが、弦さんの代わりに返事をする。
「月?」
「娘さんの名前知ったとき、ああそうかって気づいた」
「娘さんって、私のこと?」
そう、ってうなずいた彼は、手に持っていた白い紙を広げた。それは、学生時代によくお世話になった、書き初め用の半紙だった。
「朔弦望……」
半紙には、立派な文字で三文字だけ書かれている。
「永朔さんの、朔。弦さんの弦。望ちゃんの望。月にまつわる漢字だろ?」
「え……」
「知らない?」
彼は私の隣に腰をおろすと、書き初めを私のひざの上に乗せた。
「朔は1日目の月の新月。弦は上弦、下弦の月の弦。望は、光り輝く満月。永朔さんと望ちゃんは会えなくてもつながってたんだなってさ」
「つながってる」
陽仁さんも言っていた。空はつながってるんだよって。違う場所にいても、違う人生を歩んでいても、私たちはいつもつながっていたというのだろうか。
「月を見ながら、望ちゃんを思ってたのかなぁ」
つづみさんは空を見上げてそう言う。
「お父さんが私を?」
想像がつかない。会いたいなんて連絡をもらったこともなかったのに。
「望ちゃんにとって永朔さんはきれいごとでは済まされない男かもしれないけどさ、俺から見たら、そういう家族の形もあるんだなって思うよ」
「つづみさんのご家族は?」
「いるよ。元気にしてる。俺の活動には無関心だけどな」
にやっと、つづみさんは笑う。悲しみを隠したみたいな笑顔だった。
「あっ、つづみさんって、すっごく有名な書道家さんなんですねっ。全然知らなくて、めちゃくちゃ失礼なことを言っちゃいました」
「望ちゃんが知らないなら、すっごく有名じゃないよな。望ちゃんは、何かやってみたいの?」
「何か……?」
きょとんとする。
「だってさ、永朔さんに興味なさそうだったのに、週末はこっちに来るっていうから。ろまん亭は売れない芸術家が集まる場所だったりするしさ、望ちゃんもそうかな? って思ったんだよ」
芸術家の集まる場所……。つづみさんはそう、ここは夢に敗れたものがくる場所だと言っていた。つづみさんも、一度は夢に敗れたものだったのだろうか。
「私はそういうつもりじゃ全然なくて。でも……」
優しく私を見下ろすつづみさんと目が合ったら、この人は成功者だけど芸術家だから、私の話を笑わないだろうって、魔がさした。
「でも、陶芸には興味あります」
思わずそう言葉をもらして、どきりとした。ずっと封印していた思いだった。それをなぜ口に出してしまったのか、すぐに後悔して口をつぐんだ。
「へえ、陶芸? じゃあ、いいのがある」
気まずくなる私なんておかまいなしに、つづみさんは軽やかに立ち上がった。
「いいのって……?」
「永朔さんさ、裏に作業場つくってたんだよ。まだ使えると思うな」
「作業場ですか?」
「おいで」
さっさと家の裏手へ行ってしまう彼に驚いて、キャリーバッグからあわててサンダルを取り出し、縁側を降りて追いかけた。
庭の端から小道を通って裏手に出た私は、眼前に広がるスペースを見て、「わあ」と声をあげていた。
最初に目に飛び込んできたのは、ろくろ作業台だった。広いスペースの中央に堂々と置かれたそれは、ひっそりとたたずんでいる。それ以外にも洗い場や作品を置く棚もある。ひとめで、陶芸のできる作業スペースとわかる空間だった。
「なんで、こんな作業場が」
「陶芸やりたいってやつがいたのかもな」
「どういうこと?」
「永朔さんは気に入ったやつの面倒見るの好きだったから。客の中には陶芸家を目指すやつもいただろう」
父は、ろまん亭を訪れる、夢敗れた人の手助けをしてたっていうんだろうか。
「上の山に、窯を貸してくれる家があるらしい。陽仁が詳しいはずだ」
「上の山って、美術館より奥? 陽仁さんには明日会うし、聞いてみようかな」
「やる気になった?」
「あ、……そうじゃなくて。父がどう生きてきたのか、ちょっと興味があるっていうか」
ろまん亭を売却するなら、ふさわしい人物にという選択肢も考えていた。もし、父が気にかけた人物がいて、陶芸のできる環境を整えたなら、その人に交渉してもいいかもしれない。
「興味があるなら、望ちゃんが陶芸やってみたら?」
「そんな気になれなくて」
「そんな気になったらやれば? 別に急ぐもんじゃないしな」
「今さら、どうなるものでもないってわかってますから」
拒絶するように言ってしまって、胸が痛んだ。つづみさんはけげんそうに眉をひそめている。私のためを思って言ってくれたのにこれでは、気を害しただろう。それでも私の心はどこか意固地だった。
彼は書道家として成功できたかもしれないけれど、私は陶芸家になれるわけじゃない。
もう、夢はあきらめたのだ。今さら、何をどうしたって過去は戻ってこない。純粋にいだいていた情熱も、もう戻らない。
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