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消えた夢の軌跡
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翌朝、朝早くから迎えにきたつづみさんと一緒に弦さんのさんぽへ出かけた。
起きたばかりで化粧もしておらず、あわててジーンズを履いてセーターをかぶり、ハンガーに引っ掛けていたトレンチコートを羽織った。スニーカーを履きながら玄関を出ると、急いで取りつくろったちぐはぐな格好を見た彼は、「陽仁に見せれるの?」と笑った。
なんで陽仁さん? ときょとんとする私に、「期待値は低い方がいいよなぁ」と、また意味不明なこと言って、彼は弦さんのリードを引いて歩き出した。
「陽仁さんがどうかしたんですか?」
どうにも気になって、彼を追いかけて尋ねる。
「気づいてないの?」
「気づくって?」
「望ちゃんが毎週くるって知って、陽仁喜んでたよ。あれは、惚れたなって俺ならわかる」
「は……?」
「望ちゃん、かわいいからなぁ。ひとめぼれかもな」
何をいきなり。何がどうなってそうなるのか。陽仁さんは親切にしてくれるけど、恋愛感情なんて皆無だろう。
「彼氏いるの?」
「いないですけど……」
「陽仁もフリーだよ。でもモテるからなぁ、はやいうちに手は打っておいた方がいい」
「手を打つってなんですか。勘違いですっ」
「俺はかなり勘がいいんだけどね」
自信家なつづみさんは快活に笑うけど、無責任だ。陽仁さんに会ったとき、どんな顔をしたらいいかわからなくなりそう。私に好意があるなんて、あり得ないって思ってるけど。
「勘なんて外れることもありますよ」
不機嫌に言うと、彼はますますおかしそうに目を細めて、隣を歩く弦さんを見下ろす。
「陽仁はいいやつだよなぁ。なぁ、弦さん」
弦さんに何を言うんだかと思うけど、心なしかうなずいたように見えるから、ますます戸惑ってしまった。
つづみさんがそう言ったからか、もしかしたら私の中で陽仁さんにいい感情があったからかわからないけれど、お昼を過ぎて陽仁さんが私を迎えにきたとき、いつも以上に緊張してしまった。
「じゃあ、今から養鶏場に行こうか。そんなに時間かからないから、3時までには帰れると思うよ」
腕時計を確認して、陽仁さんはろまん亭の駐車場に停めた車へ向かう。
仕事でもないのに親切にしてくれるのは、私が永朔の娘だからだろう。それ以上の感情なんてなさそうな、あけすけな笑顔を見たら、つづみさんは考えすぎだと思う。陽仁さんはただ、いい人なのだ。心配になっちゃうぐらい、誰にでも親切な人なんだろう。
「あの、時間があるなら、見てみたい場所があるんです」
思い切って、切り出してみた。優しい彼なら、少しぐらい予定が変更になっても快諾してくれる気がしたのだ。
「見てみたい場所って?」
「窯です。陶芸の。うちの裏庭に陶芸の作業場があるんですけど、乾燥作業までしかできない感じになってて。絵付けしたり、焼き締めたりはほかの場所でお願いしてるんだろうって、つづみさんから聞いたんです」
「ああ、そうだね。村井さんちの窯を借りてたと思う」
彼はすぐに思い当たったようだった。
「村井さんっていう方なんですね。お宅は山の上の方って聞きました」
「これから行く養鶏場の近くだよ。寄ってみようか。ろまん亭の常連さんだし、望ちゃんが顔見せたら喜ぶと思う」
「父は私の話をお客さんにしてましたか?」
「親しい人や、昔からの知り合いには話してたんじゃないかな。村井さんは大地主だし、何かと詳しいよ」
「そういう方ならお会いしたいです。連れていってもらえますか?」
もしかしたら、父が自宅に陶芸の作業場を作るきっかけになった話が聞けるかもしれない。そう思ってお願いすると、陽仁さんは「もちろん」と言って、助手席のドアを開けてくれた。
「陶芸に興味あるの?」
シートベルトを締めると、車を発進させながら陽仁さんが尋ねてきた。
車は駐車場を出て、ゆっくりと坂道をのぼり始める。彼の運転はとても丁寧だった。彼は仕草や言葉ひとつで、私を安心させてくれる何かを持っている。
「太陽の受け皿、覚えてますか?」
「レプリカの話?」
「はい、そうです。中学生のときにたきざわ美術館で見たって言いましたよね」
「そう言ってたね」
彼は言葉少なにあいづちを打つ。
太陽の受け皿は、人間国宝真乃屋和雄の作品だ。彼の名を世に知らしめた作品と言っても過言ではない。そのぐらい、あの作品には力強さと繊細さの両方をそなえた、素晴らしい感性が満ちあふれている。
「私、あの作品を見て、陶芸をやってみたいって思ったんです」
その強い思いは、思いがけない衝動だった。
父を知らず、母は仕事ばかりで留守がちで、祖父母に大切に育てられた私は、平坦な毎日を送っていた。
何かをやってみたいなんてあんまり思ったことはなくて、私が陶芸をやりたいと強情を言ったときは、祖父母も驚いていたぐらいだった。
「そうなんだね。それで、どうしたの?」
「工芸高校を受験しました。私の成績では無理だって言われたんですけど、一生懸命勉強して合格しました」
「がんばったんだね。今も、陶芸続けてるの?」
私が通っていた中学から、県立の工芸高校に入学した生徒はいなかった。先生も難しいだろうと言ったけれど、合格したと知ったときは本当にうれしかった。
私も、太陽の受け皿のような作品を作ってみたいって本気で思っていたから。
「今は……やってません」
「材料そろえるのも大変そうだよね」
「そうじゃなくて、やめたんです。全然思うようなものが作れなくて、いやになっちゃったんです」
希望にあふれていた高校時代の私は、すっかり消えていなくなってしまった。
そう吐き出したら、「そう」と陽仁さんは小さく息を漏らした。気まずそうな空気が流れて、反省する。こんな話、聞きたくなかっただろう。
「今は事務の仕事をしていて、陶芸とは無縁な生活してます。これからもずっと、陶芸をやるつもりはないです」
あんなに好きだった陶芸を、いつから嫌いになってしまったんだろう。
「望ちゃんはそう決めたんだね」
「すみません。情けない話しちゃって」
「いいよ。聞いたのは俺だし」
陶芸に興味はないと答えるだけでよかった。いつも口に出してから反省する。言わなきゃよかったって。でもきっと、心のどこかで聞いてもらいたい思いがあるから話すのだと思う。
「また話したくなったら話してよ」
しばらくして、沈黙する私に彼はそう言って、「さあ、着いた」と長い塀のある家の前で車を停めた。
翌朝、朝早くから迎えにきたつづみさんと一緒に弦さんのさんぽへ出かけた。
起きたばかりで化粧もしておらず、あわててジーンズを履いてセーターをかぶり、ハンガーに引っ掛けていたトレンチコートを羽織った。スニーカーを履きながら玄関を出ると、急いで取りつくろったちぐはぐな格好を見た彼は、「陽仁に見せれるの?」と笑った。
なんで陽仁さん? ときょとんとする私に、「期待値は低い方がいいよなぁ」と、また意味不明なこと言って、彼は弦さんのリードを引いて歩き出した。
「陽仁さんがどうかしたんですか?」
どうにも気になって、彼を追いかけて尋ねる。
「気づいてないの?」
「気づくって?」
「望ちゃんが毎週くるって知って、陽仁喜んでたよ。あれは、惚れたなって俺ならわかる」
「は……?」
「望ちゃん、かわいいからなぁ。ひとめぼれかもな」
何をいきなり。何がどうなってそうなるのか。陽仁さんは親切にしてくれるけど、恋愛感情なんて皆無だろう。
「彼氏いるの?」
「いないですけど……」
「陽仁もフリーだよ。でもモテるからなぁ、はやいうちに手は打っておいた方がいい」
「手を打つってなんですか。勘違いですっ」
「俺はかなり勘がいいんだけどね」
自信家なつづみさんは快活に笑うけど、無責任だ。陽仁さんに会ったとき、どんな顔をしたらいいかわからなくなりそう。私に好意があるなんて、あり得ないって思ってるけど。
「勘なんて外れることもありますよ」
不機嫌に言うと、彼はますますおかしそうに目を細めて、隣を歩く弦さんを見下ろす。
「陽仁はいいやつだよなぁ。なぁ、弦さん」
弦さんに何を言うんだかと思うけど、心なしかうなずいたように見えるから、ますます戸惑ってしまった。
つづみさんがそう言ったからか、もしかしたら私の中で陽仁さんにいい感情があったからかわからないけれど、お昼を過ぎて陽仁さんが私を迎えにきたとき、いつも以上に緊張してしまった。
「じゃあ、今から養鶏場に行こうか。そんなに時間かからないから、3時までには帰れると思うよ」
腕時計を確認して、陽仁さんはろまん亭の駐車場に停めた車へ向かう。
仕事でもないのに親切にしてくれるのは、私が永朔の娘だからだろう。それ以上の感情なんてなさそうな、あけすけな笑顔を見たら、つづみさんは考えすぎだと思う。陽仁さんはただ、いい人なのだ。心配になっちゃうぐらい、誰にでも親切な人なんだろう。
「あの、時間があるなら、見てみたい場所があるんです」
思い切って、切り出してみた。優しい彼なら、少しぐらい予定が変更になっても快諾してくれる気がしたのだ。
「見てみたい場所って?」
「窯です。陶芸の。うちの裏庭に陶芸の作業場があるんですけど、乾燥作業までしかできない感じになってて。絵付けしたり、焼き締めたりはほかの場所でお願いしてるんだろうって、つづみさんから聞いたんです」
「ああ、そうだね。村井さんちの窯を借りてたと思う」
彼はすぐに思い当たったようだった。
「村井さんっていう方なんですね。お宅は山の上の方って聞きました」
「これから行く養鶏場の近くだよ。寄ってみようか。ろまん亭の常連さんだし、望ちゃんが顔見せたら喜ぶと思う」
「父は私の話をお客さんにしてましたか?」
「親しい人や、昔からの知り合いには話してたんじゃないかな。村井さんは大地主だし、何かと詳しいよ」
「そういう方ならお会いしたいです。連れていってもらえますか?」
もしかしたら、父が自宅に陶芸の作業場を作るきっかけになった話が聞けるかもしれない。そう思ってお願いすると、陽仁さんは「もちろん」と言って、助手席のドアを開けてくれた。
「陶芸に興味あるの?」
シートベルトを締めると、車を発進させながら陽仁さんが尋ねてきた。
車は駐車場を出て、ゆっくりと坂道をのぼり始める。彼の運転はとても丁寧だった。彼は仕草や言葉ひとつで、私を安心させてくれる何かを持っている。
「太陽の受け皿、覚えてますか?」
「レプリカの話?」
「はい、そうです。中学生のときにたきざわ美術館で見たって言いましたよね」
「そう言ってたね」
彼は言葉少なにあいづちを打つ。
太陽の受け皿は、人間国宝真乃屋和雄の作品だ。彼の名を世に知らしめた作品と言っても過言ではない。そのぐらい、あの作品には力強さと繊細さの両方をそなえた、素晴らしい感性が満ちあふれている。
「私、あの作品を見て、陶芸をやってみたいって思ったんです」
その強い思いは、思いがけない衝動だった。
父を知らず、母は仕事ばかりで留守がちで、祖父母に大切に育てられた私は、平坦な毎日を送っていた。
何かをやってみたいなんてあんまり思ったことはなくて、私が陶芸をやりたいと強情を言ったときは、祖父母も驚いていたぐらいだった。
「そうなんだね。それで、どうしたの?」
「工芸高校を受験しました。私の成績では無理だって言われたんですけど、一生懸命勉強して合格しました」
「がんばったんだね。今も、陶芸続けてるの?」
私が通っていた中学から、県立の工芸高校に入学した生徒はいなかった。先生も難しいだろうと言ったけれど、合格したと知ったときは本当にうれしかった。
私も、太陽の受け皿のような作品を作ってみたいって本気で思っていたから。
「今は……やってません」
「材料そろえるのも大変そうだよね」
「そうじゃなくて、やめたんです。全然思うようなものが作れなくて、いやになっちゃったんです」
希望にあふれていた高校時代の私は、すっかり消えていなくなってしまった。
そう吐き出したら、「そう」と陽仁さんは小さく息を漏らした。気まずそうな空気が流れて、反省する。こんな話、聞きたくなかっただろう。
「今は事務の仕事をしていて、陶芸とは無縁な生活してます。これからもずっと、陶芸をやるつもりはないです」
あんなに好きだった陶芸を、いつから嫌いになってしまったんだろう。
「望ちゃんはそう決めたんだね」
「すみません。情けない話しちゃって」
「いいよ。聞いたのは俺だし」
陶芸に興味はないと答えるだけでよかった。いつも口に出してから反省する。言わなきゃよかったって。でもきっと、心のどこかで聞いてもらいたい思いがあるから話すのだと思う。
「また話したくなったら話してよ」
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