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消えた夢の軌跡
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ちょっと待ってて、と運転席を降りていった陽仁さんは、軽い足取りで門の中へ入っていく。
門と言っても、立派な門があるわけではなく、塀の切れ間に角材が埋めてあるだけの、来客の受け入れにひどくオープンな入り口だった。
私も車を降りて、中をのぞいてみた。ひたすら広い敷地の一角に二階建ての家があり、家庭菜園というにはやや広めの畑と、雑然とした花壇にはところどころ花が植わっており、空いてるスペースに農具が気ままに置かれている。どうぞご勝手に、と言われてるみたいな自由さの感じられるお宅だった。
しばらくすると、陽仁さんは一人の男の人を連れて戻ってきた。父と同じぐらいの年齢だろうか、白髪まじりの男性で、すぐに大地主の村井さんだろうと察した。
「望ちゃん、こちらが村井さん。望ちゃんの話したら、会ってみたかったって。なんでも聞いてってさ」
陽仁さんに紹介されて、村井さんに「はじめまして」とあいさつし、突然の訪問を詫びると、「永朔さんに似てるなぁ」と彼は間延びした声を上げた。
父とは遺影ではじめて対面した。すごく似てるとは思わなかったけど、やっぱり私は父似なのだろう。
「陶芸の窯なら、裏にあるよ。見てみる?」
畑仕事中だったのだろうか。つなぎの作業着姿の村井さんは、汚れた軍手を持った手で、敷地の奥を指さす。
「はい、ぜひ」
早速私たちは案内されて、裏手へ回った。想像以上に広いお宅のようで、裏山の手前にアトリエらしき建物があった。
入り口とは違って、アトリエの周囲にはレンガの小道や、洋風の鉢が置かれていて、ずいぶんとおしゃれな庭になっている。アトリエの中に入っていく村井さんについていくと、すぐに窯は見つかった。小ぶりのガス窯を使ってるみたいだった。
「どなたが陶芸されてるんですか?」
「娘がね。土いじりは気持ちが落ち着くって、趣味程度にやってるよ」
「趣味で……」
私は趣味でもやりたくなくなってしまった。いつか、やりたくなる日が来るだろうか。そう考えてみるけれど、想像もつかない。
「娘ももう30過ぎたから。ようやく孫が小学生になってね、学校行ってる間に作っては、週末にマルシェっていうのに出してるよ」
「すごいですね」
「すごいのかはわからんけどね、いろいろやってるみたいだね」
「すごいですよ」
私は趣味すら手放してしまった。どこか他人事でいる私と、そんな風に陶芸に向き合えるなんてと羨ましがる私が交錯する。
「窯、使うなら娘に話しておくよ。遠慮なく使って」
「あっ、その話なんですけど、ひとつうかがってもいいですか?」
どうぞ、とうなずく村井さんに、ここへ来た本来の目的を尋ねてみる。
「父の家に陶芸の作業場があるんです。どうしてあるのか、ご存知ですか?」
「知ってるよ。もう、何年前だったか忘れちまったけどな、永朔さんがどうしても陶芸をうちでやりたいんだって相談に来てね」
「どうしても、ですか。何か理由があったんでしょうか」
「陶芸家になりたい青年がいたみたいだよ」
つづみさんの話していた通りだろうか。ろまん亭を訪れる夢敗れた者たちの手助けをするために、父は骨を折っていたという。
「父はその方の夢を叶えてあげたかったんですか?」
「夢なんてたいそうな話じゃないよ。でもなぁ、永朔さんはもっと大事なものを取り戻してほしかったのかもなぁ」
「大事なもの……?」
「趣味でもいいから、陶芸を続けてほしかったんだろう」
遠い目をする村井さんは懐かしそうに、ちょっと笑んだ。
「結局、永朔さんがマグカップを一つ作っただけだったね」
「父がマグカップを?」
「うちの娘が教えてね。なかなかの力作だって、喜んでたのは覚えてる」
陶芸家を目指した青年があの作業場を使う日は来ず、父がマグカップを作っただけだなんて。そのときの父はどんな気持ちだったのだろう。
私は父を何も知らない。遺影を見たとき、温厚で優しそうな人だとは思ったけど、それだけで性格なんてわからない。
青年に思いが届かないと知ったとき、がっかりしただろうか。悔しかっただろうか。それとも、最初から期待してなくて、残念に思っただけだろうか。
「あのっ、その方って、どなたかわかりますか?」
会ってみたいと思った、その青年に。
私と同じで、陶芸家を志し、道半ばで挫折した人かもしれない。もう二度と、陶芸なんてやらないって決めた人かもしれない。それでも、会いたいって強く思った。
太陽の受け皿をはじめて見たときのような衝動が私の中にわき起こるのを感じている。
普段は思慮深いのに、ときどき思い立つと見境なく行動するね、とよく祖父に笑われたんだった。
周りが見えなくなるところは、宏美に似てるね、と。母の宏美もこうと決めたら突っ走るタイプだと。離婚は早計で、永朔さんには悪いことをしたと祖父は私に言って聞かせたんだった。
だから今でも、父には無関心でも、嫌悪感なく生きてこられたのかもしれない。
「……さあ。誰のことだか」
しばらく思案して、村井さんは首をひねった。
「思い出したら、教えていただけませんか?」
「そんなに知りたいのかい?」
「はいっ。お会いして、話がしてみたいんです」
前のめりになる私に驚いた村井さんは、隣にいる陽仁さんを見上げて苦笑いした。
一方的に会いたいと騒ぐ私に困惑して、陽仁さんに助けを求めたみたいだった。
「望ちゃん、そろそろ行こうか。もうすぐ、約束の時間になるから」
彼は袖を軽く引き上げて腕時計を確認し、村井さんに「ありがとうございました」と頭を下げた。
私が失礼なことを言い出す前に切り上げたみたいだった。危険人物と思われたんだろうか。ちょっと恥ずかしくなる。
「窯、使いたかったらいつでも来て」
車へ戻っていく陽仁さんを追いかけながら、後ろ髪ひかれる思いで振り返る私に、村井さんはそう言ってゆっくりと手を振った。
車に乗り込んで、陽仁さんがエンジンをかけたとき、村井さんは門の前まで出てきた。わざわざお見送りしてくれるのだろう。
「あ、村井さんって、大地主さんなんですよね」
「ん?」
何を言い出すのかと、陽仁さんはふしぎそうにする。
「すみません。ちょっとごめんなさいっ」
「あっ、望ちゃん?」
シートベルトをはずして、外へ飛び出す。陽仁さんは少しあきれた様子だったけど、私はそのまま村井さんのもとへ駆け寄った。
「村井さんっ、すみません。もう一つ、ご相談があって」
「忙しいねぇ、なんだい?」
村井さんはおかしそうに笑う。
「ろまん亭のことなんですけど。まだあんまり公にしたくない話で」
「どんな?」
「まだ悩み中なんですけど、父の一周忌を無事に終えたら売却しようかって、祖父と話をしてるんです」
少々驚いたように、彼は眉をあげた。
「ここへ来て、陽仁さんや……お隣の方とお話して、父がどれほどろまん亭を大切にしてたかはわかってるつもりです。お客さんもろまん亭の再開を楽しみにしてくれてるって聞いて、売却するなら、ろまん亭を大切にしてくれる方にって思いもあります」
村井さんは何度かうなずいて聞いてくれる。思いだけでは、私にろまん亭の管理は難しいってこともわかってくれてるだろう。
「父が家に陶芸の作業場を作るぐらいだから、父はその方にすごく肩入れしてたんじゃないかって思うんです」
その青年は、父にとって特別な人だったんじゃないか。そう思えてならない。
「その青年になら、ろまん亭を任せられるって考えてるんだね?」
「はい。もう、陶芸なんて関わりたくないって思ってるならあきらめるつもりですけど、もしかしたら本心はやめたくないって思ってるかもしれないし、一度お会いして話してみたいんです」
まるで私のことみたいだ。陶芸なんて、と思いながら、実はまだあきらめきれないでいる、未練がましい私の。
「村井さんはこの辺りに詳しいってお聞きしました。そんなに昔の話じゃなさそうだし、その方のこと知ってる人が、村井さんならわかるんじゃないかと思って」
無理なお願いをしてると思う。でも、大地主なら顔も広いし、いろんなうわさ話も入ってくるだろう。頼れる人は、村井さん以外にいない。
「その人のこと知ってそうな方、ご存知ないですか?」
「そうだねぇ。知ってることなんて、そうないね。その青年も……近くにいるかもしれないし、遠くにいるかもしれないねぇ」
やはり青年の所在に心当たりがないのか、村井さんはそうぽつりとつぶやいた。
門と言っても、立派な門があるわけではなく、塀の切れ間に角材が埋めてあるだけの、来客の受け入れにひどくオープンな入り口だった。
私も車を降りて、中をのぞいてみた。ひたすら広い敷地の一角に二階建ての家があり、家庭菜園というにはやや広めの畑と、雑然とした花壇にはところどころ花が植わっており、空いてるスペースに農具が気ままに置かれている。どうぞご勝手に、と言われてるみたいな自由さの感じられるお宅だった。
しばらくすると、陽仁さんは一人の男の人を連れて戻ってきた。父と同じぐらいの年齢だろうか、白髪まじりの男性で、すぐに大地主の村井さんだろうと察した。
「望ちゃん、こちらが村井さん。望ちゃんの話したら、会ってみたかったって。なんでも聞いてってさ」
陽仁さんに紹介されて、村井さんに「はじめまして」とあいさつし、突然の訪問を詫びると、「永朔さんに似てるなぁ」と彼は間延びした声を上げた。
父とは遺影ではじめて対面した。すごく似てるとは思わなかったけど、やっぱり私は父似なのだろう。
「陶芸の窯なら、裏にあるよ。見てみる?」
畑仕事中だったのだろうか。つなぎの作業着姿の村井さんは、汚れた軍手を持った手で、敷地の奥を指さす。
「はい、ぜひ」
早速私たちは案内されて、裏手へ回った。想像以上に広いお宅のようで、裏山の手前にアトリエらしき建物があった。
入り口とは違って、アトリエの周囲にはレンガの小道や、洋風の鉢が置かれていて、ずいぶんとおしゃれな庭になっている。アトリエの中に入っていく村井さんについていくと、すぐに窯は見つかった。小ぶりのガス窯を使ってるみたいだった。
「どなたが陶芸されてるんですか?」
「娘がね。土いじりは気持ちが落ち着くって、趣味程度にやってるよ」
「趣味で……」
私は趣味でもやりたくなくなってしまった。いつか、やりたくなる日が来るだろうか。そう考えてみるけれど、想像もつかない。
「娘ももう30過ぎたから。ようやく孫が小学生になってね、学校行ってる間に作っては、週末にマルシェっていうのに出してるよ」
「すごいですね」
「すごいのかはわからんけどね、いろいろやってるみたいだね」
「すごいですよ」
私は趣味すら手放してしまった。どこか他人事でいる私と、そんな風に陶芸に向き合えるなんてと羨ましがる私が交錯する。
「窯、使うなら娘に話しておくよ。遠慮なく使って」
「あっ、その話なんですけど、ひとつうかがってもいいですか?」
どうぞ、とうなずく村井さんに、ここへ来た本来の目的を尋ねてみる。
「父の家に陶芸の作業場があるんです。どうしてあるのか、ご存知ですか?」
「知ってるよ。もう、何年前だったか忘れちまったけどな、永朔さんがどうしても陶芸をうちでやりたいんだって相談に来てね」
「どうしても、ですか。何か理由があったんでしょうか」
「陶芸家になりたい青年がいたみたいだよ」
つづみさんの話していた通りだろうか。ろまん亭を訪れる夢敗れた者たちの手助けをするために、父は骨を折っていたという。
「父はその方の夢を叶えてあげたかったんですか?」
「夢なんてたいそうな話じゃないよ。でもなぁ、永朔さんはもっと大事なものを取り戻してほしかったのかもなぁ」
「大事なもの……?」
「趣味でもいいから、陶芸を続けてほしかったんだろう」
遠い目をする村井さんは懐かしそうに、ちょっと笑んだ。
「結局、永朔さんがマグカップを一つ作っただけだったね」
「父がマグカップを?」
「うちの娘が教えてね。なかなかの力作だって、喜んでたのは覚えてる」
陶芸家を目指した青年があの作業場を使う日は来ず、父がマグカップを作っただけだなんて。そのときの父はどんな気持ちだったのだろう。
私は父を何も知らない。遺影を見たとき、温厚で優しそうな人だとは思ったけど、それだけで性格なんてわからない。
青年に思いが届かないと知ったとき、がっかりしただろうか。悔しかっただろうか。それとも、最初から期待してなくて、残念に思っただけだろうか。
「あのっ、その方って、どなたかわかりますか?」
会ってみたいと思った、その青年に。
私と同じで、陶芸家を志し、道半ばで挫折した人かもしれない。もう二度と、陶芸なんてやらないって決めた人かもしれない。それでも、会いたいって強く思った。
太陽の受け皿をはじめて見たときのような衝動が私の中にわき起こるのを感じている。
普段は思慮深いのに、ときどき思い立つと見境なく行動するね、とよく祖父に笑われたんだった。
周りが見えなくなるところは、宏美に似てるね、と。母の宏美もこうと決めたら突っ走るタイプだと。離婚は早計で、永朔さんには悪いことをしたと祖父は私に言って聞かせたんだった。
だから今でも、父には無関心でも、嫌悪感なく生きてこられたのかもしれない。
「……さあ。誰のことだか」
しばらく思案して、村井さんは首をひねった。
「思い出したら、教えていただけませんか?」
「そんなに知りたいのかい?」
「はいっ。お会いして、話がしてみたいんです」
前のめりになる私に驚いた村井さんは、隣にいる陽仁さんを見上げて苦笑いした。
一方的に会いたいと騒ぐ私に困惑して、陽仁さんに助けを求めたみたいだった。
「望ちゃん、そろそろ行こうか。もうすぐ、約束の時間になるから」
彼は袖を軽く引き上げて腕時計を確認し、村井さんに「ありがとうございました」と頭を下げた。
私が失礼なことを言い出す前に切り上げたみたいだった。危険人物と思われたんだろうか。ちょっと恥ずかしくなる。
「窯、使いたかったらいつでも来て」
車へ戻っていく陽仁さんを追いかけながら、後ろ髪ひかれる思いで振り返る私に、村井さんはそう言ってゆっくりと手を振った。
車に乗り込んで、陽仁さんがエンジンをかけたとき、村井さんは門の前まで出てきた。わざわざお見送りしてくれるのだろう。
「あ、村井さんって、大地主さんなんですよね」
「ん?」
何を言い出すのかと、陽仁さんはふしぎそうにする。
「すみません。ちょっとごめんなさいっ」
「あっ、望ちゃん?」
シートベルトをはずして、外へ飛び出す。陽仁さんは少しあきれた様子だったけど、私はそのまま村井さんのもとへ駆け寄った。
「村井さんっ、すみません。もう一つ、ご相談があって」
「忙しいねぇ、なんだい?」
村井さんはおかしそうに笑う。
「ろまん亭のことなんですけど。まだあんまり公にしたくない話で」
「どんな?」
「まだ悩み中なんですけど、父の一周忌を無事に終えたら売却しようかって、祖父と話をしてるんです」
少々驚いたように、彼は眉をあげた。
「ここへ来て、陽仁さんや……お隣の方とお話して、父がどれほどろまん亭を大切にしてたかはわかってるつもりです。お客さんもろまん亭の再開を楽しみにしてくれてるって聞いて、売却するなら、ろまん亭を大切にしてくれる方にって思いもあります」
村井さんは何度かうなずいて聞いてくれる。思いだけでは、私にろまん亭の管理は難しいってこともわかってくれてるだろう。
「父が家に陶芸の作業場を作るぐらいだから、父はその方にすごく肩入れしてたんじゃないかって思うんです」
その青年は、父にとって特別な人だったんじゃないか。そう思えてならない。
「その青年になら、ろまん亭を任せられるって考えてるんだね?」
「はい。もう、陶芸なんて関わりたくないって思ってるならあきらめるつもりですけど、もしかしたら本心はやめたくないって思ってるかもしれないし、一度お会いして話してみたいんです」
まるで私のことみたいだ。陶芸なんて、と思いながら、実はまだあきらめきれないでいる、未練がましい私の。
「村井さんはこの辺りに詳しいってお聞きしました。そんなに昔の話じゃなさそうだし、その方のこと知ってる人が、村井さんならわかるんじゃないかと思って」
無理なお願いをしてると思う。でも、大地主なら顔も広いし、いろんなうわさ話も入ってくるだろう。頼れる人は、村井さん以外にいない。
「その人のこと知ってそうな方、ご存知ないですか?」
「そうだねぇ。知ってることなんて、そうないね。その青年も……近くにいるかもしれないし、遠くにいるかもしれないねぇ」
やはり青年の所在に心当たりがないのか、村井さんはそうぽつりとつぶやいた。
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