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守りたい人と生まれる疑惑
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ふと集中力が切れてノートパソコンから顔をあげたとき、鳩時計がホッホーと鳴く。そろそろ来るだろう。11時30分になると、ろまん亭は忙しくなる。
キッチンに入ってお湯を沸かし、あらかじめ作っておいたサンドイッチをカウンターに乗せると、ろまん亭のドアに人影が映った。
父のレシピは扱いやすい食材や調味料ばかりで、どれもひと手間かかっているけど手早くできるものが多かった。だから、毎日食べても飽きない家庭料理のような親しみやすさがあるのだろう。
その味につられて、今日も彼はやってくるのだ。
「あれ? 陽仁はまだか」
「ちょっと遅れるかもって」
そうメールが入ったのは、1時間ほど前だったか。
「ふーん。あの女と会ってるのかもな」
つづみさんは面白くなさそうにそう言って、彼が定位置にしてるカウンター席についた。
「果歩さん来てるんですか?」
「赤い車が坂をのぼってったよ」
「そうなんですか」
まだ果歩さんはあきらめてないのだろう。はやく真乃屋和雄が目覚めて、自ら飛び降りたと証言してくれないと困ったことになるって言ってたけれど、状況が変わらないのかもしれない。だからって、陽仁さんの作品を盗作した事実を公表するのも、かなりのリスクがあると思う。そのリスクを負ってでも、公表したい理由ってなんだろう。
「望ちゃん、仕事?」
つづみさんはスクリーンセーバーの動くノートパソコンを指差して、画面をのぞき込む。しゃぼん玉がくるくると飛び回るのを、小さな子どもみたいに目で追ってるからおかしい。
「はい。本当は今日出勤だったんですけど、父のことで手続きが大変だって話したら、持ち帰り仕事になりました」
「大変だな」
あまりにも興味なさそうにつぶやくから、淹れたてのコーヒーを差し出すと、案の定、すぐに彼の興味はパソコンから離れた。
「不動産屋には行ったのか?」
「午後から行ってきます。駅前にある不動産屋さんなんですけど、ろまん亭を開業するときに父もお世話になってたみたいです」
「ああ、あそこか」
つづみさんの家を扱っていたのも同じ不動産屋で、すぐにわかったみたい。
「陽仁と行くのか?」
「陽仁さんには言ってないです。話す気になれなくて」
「そうか。賛成も反対もしないと思うけどな」
それはつづみさんも一緒だろう。
「決まってから話します」
「ま、そうだな。陽仁のやつ、最近、様子がおかしいしな」
「おかしいって?」
「あの女が来てからどう見ても変だろ。元気がないっていうかな」
陽仁さんはもともと物静かな人で、元気いっぱいなイメージはないけれど、毎日会ってるつづみさんがそういうのだからそうなのだろう。果歩さんの申し出に疲れてるのかもしれない。
果歩さんが何度も来るのは、陽仁さんが盗作の件を公表したくないって思ってるからなんだろうけど、本当のところはどうなんだろう。少しは揺らいでるから、彼女もしつこく足を運ぶのだろうか。
「まだ好きなんでしょうか」
「あ?」
「本当に嫌なら、しつこくされても会わないでしょう?」
陽仁さんは私とは違うんだろうか。私は前の彼から逃げ出して、ここへ来た。逃げグセのある私と同等に考えるのは間違ってるのかもしれないけれど。
「俺だったら願い下げだけどな」
「弦さんが嫌ってるからですか?」
ちょっと笑ってしまうが、つづみさんは大真面目にうなずく。
「普通は引くだろ。陽仁がおとなしいのをいいことに好き放題だ。自分のことしか考えてねぇーんだよ、あの手の女は」
「彼女には彼女の正義があるのかも」
果歩さんだって困ってるから陽仁さんを頼るのだろう。彼だって、彼女を突き離せないでいる。ふたりはそういう関係なのかと思うと複雑だ。複雑だと感じるのも複雑だけれど、きっともう私の気持ちに目をそらしてはいけないところまで来てるのだろうと思う。
「望ちゃんは分かりたがり屋だな」
「え? 分かりたがり……?」
「分からず屋の対義語だ」
「なんですか、それ」
ぽかんとすると、つづみさんは目尻をさげておかしそうにククッと笑った。
「俺は好きだよ、望ちゃんのこと」
「え、は?」
「ほとんど知らないやつのために心を砕くなんてめんどくさいことやるやつは好きだよ。やっぱり、望ちゃんは永朔さんの娘なんだなって思うよ。そういうので救われるやつは少なからずいる」
「……お父さんはそういう人でしたか?」
つづみさんは穏やかな目をして優しくうなずいた。ふとした時に色っぽくなる彼にはどきりとする。無精ひげをそって、髪をさっぱりと切りそろえたら、とんでもなくカッコいいのではないだろうか。
「永朔さんともう少し長くいたかったよ」
「私も、会ってみたかったかもしれません」
あまり実感がわかないから、変な言い回しになってしまった。
「永朔さんはどうして一番大切にしなきゃいけない望ちゃんに会わずにいたのかなぁ」
「会ったら、何かが壊れる気がしたのかもしれないですね」
「何かを壊すかもしれないって思ったのかもな」
「もうわかりませんね、父の気持ちは」
「そうだな。わかんねぇことがあるのも楽しいさ」
つづみさんは楽観的で羨ましい。さて、と彼が立ち上がる。帰るのだろう。腹が満たされれば満足な人だ。
カウンターを出て、入り口のドアを開けると駐車場に人が立っていた。彼は身じろぎもしないでじっと地面を見つめている。思いつめた横顔に不安が募って、迷わず声をかけていた。
「陽仁さんっ」
彼はハッと肩を揺らしてこちらを見る。戸惑うように素早く交互に視線を動かした彼は、ぎこちない笑顔を浮かべて、やがてゆっくりと私たちの方へと近づいてきた。
ふと集中力が切れてノートパソコンから顔をあげたとき、鳩時計がホッホーと鳴く。そろそろ来るだろう。11時30分になると、ろまん亭は忙しくなる。
キッチンに入ってお湯を沸かし、あらかじめ作っておいたサンドイッチをカウンターに乗せると、ろまん亭のドアに人影が映った。
父のレシピは扱いやすい食材や調味料ばかりで、どれもひと手間かかっているけど手早くできるものが多かった。だから、毎日食べても飽きない家庭料理のような親しみやすさがあるのだろう。
その味につられて、今日も彼はやってくるのだ。
「あれ? 陽仁はまだか」
「ちょっと遅れるかもって」
そうメールが入ったのは、1時間ほど前だったか。
「ふーん。あの女と会ってるのかもな」
つづみさんは面白くなさそうにそう言って、彼が定位置にしてるカウンター席についた。
「果歩さん来てるんですか?」
「赤い車が坂をのぼってったよ」
「そうなんですか」
まだ果歩さんはあきらめてないのだろう。はやく真乃屋和雄が目覚めて、自ら飛び降りたと証言してくれないと困ったことになるって言ってたけれど、状況が変わらないのかもしれない。だからって、陽仁さんの作品を盗作した事実を公表するのも、かなりのリスクがあると思う。そのリスクを負ってでも、公表したい理由ってなんだろう。
「望ちゃん、仕事?」
つづみさんはスクリーンセーバーの動くノートパソコンを指差して、画面をのぞき込む。しゃぼん玉がくるくると飛び回るのを、小さな子どもみたいに目で追ってるからおかしい。
「はい。本当は今日出勤だったんですけど、父のことで手続きが大変だって話したら、持ち帰り仕事になりました」
「大変だな」
あまりにも興味なさそうにつぶやくから、淹れたてのコーヒーを差し出すと、案の定、すぐに彼の興味はパソコンから離れた。
「不動産屋には行ったのか?」
「午後から行ってきます。駅前にある不動産屋さんなんですけど、ろまん亭を開業するときに父もお世話になってたみたいです」
「ああ、あそこか」
つづみさんの家を扱っていたのも同じ不動産屋で、すぐにわかったみたい。
「陽仁と行くのか?」
「陽仁さんには言ってないです。話す気になれなくて」
「そうか。賛成も反対もしないと思うけどな」
それはつづみさんも一緒だろう。
「決まってから話します」
「ま、そうだな。陽仁のやつ、最近、様子がおかしいしな」
「おかしいって?」
「あの女が来てからどう見ても変だろ。元気がないっていうかな」
陽仁さんはもともと物静かな人で、元気いっぱいなイメージはないけれど、毎日会ってるつづみさんがそういうのだからそうなのだろう。果歩さんの申し出に疲れてるのかもしれない。
果歩さんが何度も来るのは、陽仁さんが盗作の件を公表したくないって思ってるからなんだろうけど、本当のところはどうなんだろう。少しは揺らいでるから、彼女もしつこく足を運ぶのだろうか。
「まだ好きなんでしょうか」
「あ?」
「本当に嫌なら、しつこくされても会わないでしょう?」
陽仁さんは私とは違うんだろうか。私は前の彼から逃げ出して、ここへ来た。逃げグセのある私と同等に考えるのは間違ってるのかもしれないけれど。
「俺だったら願い下げだけどな」
「弦さんが嫌ってるからですか?」
ちょっと笑ってしまうが、つづみさんは大真面目にうなずく。
「普通は引くだろ。陽仁がおとなしいのをいいことに好き放題だ。自分のことしか考えてねぇーんだよ、あの手の女は」
「彼女には彼女の正義があるのかも」
果歩さんだって困ってるから陽仁さんを頼るのだろう。彼だって、彼女を突き離せないでいる。ふたりはそういう関係なのかと思うと複雑だ。複雑だと感じるのも複雑だけれど、きっともう私の気持ちに目をそらしてはいけないところまで来てるのだろうと思う。
「望ちゃんは分かりたがり屋だな」
「え? 分かりたがり……?」
「分からず屋の対義語だ」
「なんですか、それ」
ぽかんとすると、つづみさんは目尻をさげておかしそうにククッと笑った。
「俺は好きだよ、望ちゃんのこと」
「え、は?」
「ほとんど知らないやつのために心を砕くなんてめんどくさいことやるやつは好きだよ。やっぱり、望ちゃんは永朔さんの娘なんだなって思うよ。そういうので救われるやつは少なからずいる」
「……お父さんはそういう人でしたか?」
つづみさんは穏やかな目をして優しくうなずいた。ふとした時に色っぽくなる彼にはどきりとする。無精ひげをそって、髪をさっぱりと切りそろえたら、とんでもなくカッコいいのではないだろうか。
「永朔さんともう少し長くいたかったよ」
「私も、会ってみたかったかもしれません」
あまり実感がわかないから、変な言い回しになってしまった。
「永朔さんはどうして一番大切にしなきゃいけない望ちゃんに会わずにいたのかなぁ」
「会ったら、何かが壊れる気がしたのかもしれないですね」
「何かを壊すかもしれないって思ったのかもな」
「もうわかりませんね、父の気持ちは」
「そうだな。わかんねぇことがあるのも楽しいさ」
つづみさんは楽観的で羨ましい。さて、と彼が立ち上がる。帰るのだろう。腹が満たされれば満足な人だ。
カウンターを出て、入り口のドアを開けると駐車場に人が立っていた。彼は身じろぎもしないでじっと地面を見つめている。思いつめた横顔に不安が募って、迷わず声をかけていた。
「陽仁さんっ」
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