月夢亭へようこそ

水城ひさぎ

文字の大きさ
20 / 26
守りたい人と生まれる疑惑

1

しおりを挟む
***


 ふと集中力が切れてノートパソコンから顔をあげたとき、鳩時計がホッホーと鳴く。そろそろ来るだろう。11時30分になると、ろまん亭は忙しくなる。

 キッチンに入ってお湯を沸かし、あらかじめ作っておいたサンドイッチをカウンターに乗せると、ろまん亭のドアに人影が映った。

 父のレシピは扱いやすい食材や調味料ばかりで、どれもひと手間かかっているけど手早くできるものが多かった。だから、毎日食べても飽きない家庭料理のような親しみやすさがあるのだろう。

 その味につられて、今日も彼はやってくるのだ。

「あれ? 陽仁はまだか」
「ちょっと遅れるかもって」

 そうメールが入ったのは、1時間ほど前だったか。

「ふーん。あの女と会ってるのかもな」

 つづみさんは面白くなさそうにそう言って、彼が定位置にしてるカウンター席についた。

「果歩さん来てるんですか?」
「赤い車が坂をのぼってったよ」
「そうなんですか」

 まだ果歩さんはあきらめてないのだろう。はやく真乃屋和雄が目覚めて、自ら飛び降りたと証言してくれないと困ったことになるって言ってたけれど、状況が変わらないのかもしれない。だからって、陽仁さんの作品を盗作した事実を公表するのも、かなりのリスクがあると思う。そのリスクを負ってでも、公表したい理由ってなんだろう。

「望ちゃん、仕事?」

 つづみさんはスクリーンセーバーの動くノートパソコンを指差して、画面をのぞき込む。しゃぼん玉がくるくると飛び回るのを、小さな子どもみたいに目で追ってるからおかしい。

「はい。本当は今日出勤だったんですけど、父のことで手続きが大変だって話したら、持ち帰り仕事になりました」
「大変だな」

 あまりにも興味なさそうにつぶやくから、淹れたてのコーヒーを差し出すと、案の定、すぐに彼の興味はパソコンから離れた。

「不動産屋には行ったのか?」
「午後から行ってきます。駅前にある不動産屋さんなんですけど、ろまん亭を開業するときに父もお世話になってたみたいです」
「ああ、あそこか」

 つづみさんの家を扱っていたのも同じ不動産屋で、すぐにわかったみたい。

「陽仁と行くのか?」
「陽仁さんには言ってないです。話す気になれなくて」
「そうか。賛成も反対もしないと思うけどな」

 それはつづみさんも一緒だろう。

「決まってから話します」
「ま、そうだな。陽仁のやつ、最近、様子がおかしいしな」
「おかしいって?」
「あの女が来てからどう見ても変だろ。元気がないっていうかな」

 陽仁さんはもともと物静かな人で、元気いっぱいなイメージはないけれど、毎日会ってるつづみさんがそういうのだからそうなのだろう。果歩さんの申し出に疲れてるのかもしれない。

 果歩さんが何度も来るのは、陽仁さんが盗作の件を公表したくないって思ってるからなんだろうけど、本当のところはどうなんだろう。少しは揺らいでるから、彼女もしつこく足を運ぶのだろうか。

「まだ好きなんでしょうか」
「あ?」
「本当に嫌なら、しつこくされても会わないでしょう?」

 陽仁さんは私とは違うんだろうか。私は前の彼から逃げ出して、ここへ来た。逃げグセのある私と同等に考えるのは間違ってるのかもしれないけれど。

「俺だったら願い下げだけどな」
「弦さんが嫌ってるからですか?」

 ちょっと笑ってしまうが、つづみさんは大真面目にうなずく。

「普通は引くだろ。陽仁がおとなしいのをいいことに好き放題だ。自分のことしか考えてねぇーんだよ、あの手の女は」
「彼女には彼女の正義があるのかも」

 果歩さんだって困ってるから陽仁さんを頼るのだろう。彼だって、彼女を突き離せないでいる。ふたりはそういう関係なのかと思うと複雑だ。複雑だと感じるのも複雑だけれど、きっともう私の気持ちに目をそらしてはいけないところまで来てるのだろうと思う。

「望ちゃんは分かりたがり屋だな」
「え? 分かりたがり……?」
「分からず屋の対義語だ」
「なんですか、それ」

 ぽかんとすると、つづみさんは目尻をさげておかしそうにククッと笑った。

「俺は好きだよ、望ちゃんのこと」
「え、は?」
「ほとんど知らないやつのために心を砕くなんてめんどくさいことやるやつは好きだよ。やっぱり、望ちゃんは永朔さんの娘なんだなって思うよ。そういうので救われるやつは少なからずいる」
「……お父さんはそういう人でしたか?」

 つづみさんは穏やかな目をして優しくうなずいた。ふとした時に色っぽくなる彼にはどきりとする。無精ひげをそって、髪をさっぱりと切りそろえたら、とんでもなくカッコいいのではないだろうか。

「永朔さんともう少し長くいたかったよ」
「私も、会ってみたかったかもしれません」

 あまり実感がわかないから、変な言い回しになってしまった。

「永朔さんはどうして一番大切にしなきゃいけない望ちゃんに会わずにいたのかなぁ」
「会ったら、何かが壊れる気がしたのかもしれないですね」
「何かを壊すかもしれないって思ったのかもな」
「もうわかりませんね、父の気持ちは」
「そうだな。わかんねぇことがあるのも楽しいさ」

 つづみさんは楽観的で羨ましい。さて、と彼が立ち上がる。帰るのだろう。腹が満たされれば満足な人だ。

 カウンターを出て、入り口のドアを開けると駐車場に人が立っていた。彼は身じろぎもしないでじっと地面を見つめている。思いつめた横顔に不安が募って、迷わず声をかけていた。

「陽仁さんっ」

 彼はハッと肩を揺らしてこちらを見る。戸惑うように素早く交互に視線を動かした彼は、ぎこちない笑顔を浮かべて、やがてゆっくりと私たちの方へと近づいてきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

永遠の十七歳なんて、呪いに決まってる

鷹 綾
恋愛
永遠の十七歳―― それは祝福ではなく、三百年続く“呪い”だった。 公には「名門イソファガス家の孫娘」として知られる少女キクコ。 だがその正体は、歴史の裏側で幾度も国を救ってきた不老の元聖女であり、 王家すら真実を知らぬ“生きた時代遺産”。 政治も権力も、面倒ごとは大嫌い。 紅茶と読書に囲まれた静かな余生(?)を望んでいたキクコだったが―― 魔王討伐後、王位継承問題に巻き込まれたことをきっかけに、 まさかの王位継承権十七位という事実が発覚する。 「……私が女王? 冗談じゃないわ」 回避策として動いたはずが、 誕生した新国王アルフェリットから、なぜか突然の求婚。 しかも彼は、 幼少期に命を救われた“恩人”がキクコであることを覚えていた―― 年を取らぬ姿のままで。 永遠に老いない少女と、 彼女の真実を問わず選んだ自分ファーストな若き王。 王妃になどなる気はない。 けれど、逃げ続けることももうできない。 これは、 歴史の影に生きてきた少女が、 はじめて「誰かの隣」を選ぶかもしれない物語。 ざまぁも陰謀も押し付けない。 それでも―― この国で一番、誰よりも“強い”のは彼女だった。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。

ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」 その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。

処理中です...