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守りたい人と生まれる疑惑
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「ずっと待ってたんですか?」
寒空の下でどれほど待ってたんだろう。開いてないと思ったんだろうか。そんなはずはないけれど。それとも、ひとりで考えたいことがあったのだろうか。果歩さんに関わる悩みなら、聞いても話してくれないかもしれない。
「もうお昼食べた?」
もやもやした気分の私の質問には答えないで、陽仁さんはつづみさんへ視線を向けて尋ねた。
「ああ、食った。望ちゃんの料理の腕はどんどん上がるな。未来永劫食ってたいよ」
大げさな、と思うけれど、「つづみさんなら大丈夫だよ」と陽仁さんは弱々しく笑う。本当に、元気がないみたい。
「陽仁も食ってこいよ。食って寝りゃ、大概のことはどうでもよくなる」
「大概のことならね」
陽仁さんはくすりと笑って、「じゃあ、帰るわ」と手を振って立ち去るつづみさんを見送った。
「寒いですよね。あったかいコーヒーいれますね」
「ありがとう。今日はこっちに来れたんだね。仕事だって言ってなかった?」
「休みにしてもらったんですけど、仕事のお持ち帰りです。行ったり来たりも大変だから、はやく落ち着いてって言われちゃいましたけど」
「ずっとこっちにいたらいいのに」
ろまん亭のドアを引く私の背中に、ぽつりと投げかけるように彼は言う。
「え?」
驚いて振り返ると、彼は私の代わりにドアを押して大きく開いてくれた。
「その方が、つづみさんも喜ぶかなって思って」
「えっと……、あっ、陽仁さん、つづみさんの食事作るの面倒で、私に任せようとしてません?」
「そうじゃないよ」
くすくす笑う彼を見てると、いつも通りみたいで、ちょっとだけ安堵する。
「今日は特製サンドイッチです。ふわふわたまごが上手にできて、前より自信作です」
すぐにあたたかいコーヒーとサンドイッチを用意して、カウンターに並んで腰かけると、彼はふしぎそうに私の目の前のサンドイッチを眺めた。
「まだ食べてなかったの?」
「はい。陽仁さんが来てからって思って。あ、気にしないでください。私が待っていたかっただけですから」
「そっか」
ふっとほほえんで、彼はサンドイッチを口に運ぶ。おいしいって言ってくれるだろうか。じぃーと横顔を見つめていると、彼は照れくさそうに笑う。
「そんなに見られてると落ち着かないよ。望ちゃんも食べて。おいしいから」
「おいしいですか? よかった。明日はグラタン作ってみますね。失敗したら違うメニューになっちゃうかもしれないですけど」
「明日は来れないかもしれないからいいよ。つづみさんと食べてよ」
「用事があるんですか?」
陽仁さんはしばらくテーブルをにらむようにして沈黙していたが、スッと顔を上げると、何もない真正面を見つめてつぶやいた。
「ニュース、見た?」
「まだ見てないです。テレビないし、今日はずっと仕事してて。どんなニュースですか?」
「知らないならいいんだ」
首を横にふり、マグカップに指を伸ばす。その手は震えていた。
真乃屋和雄に何かあったのだろうか。
なぜだか、とっさにそう思って、気づいたら手を重ねていた。熱を奪われたみたいに冷たい指に驚いて、そっと手のひらに包み込む。小刻みに震えていた指が次第に落ち着いていく。
「あっ、ごめんなさいっ」
困ったようにこちらを見る陽仁さんに気づいて、パッと手を離そうとしたとき、追いかけるように伸びてきた長い指が、私の指をからめとる。
どきりとした。指先から伝わってしまうんじゃないかと心配するぐらい、急に激しく心音が鳴り出して、私の身体は硬直してしまった。
「望ちゃんはつづみさんが好きだよね」
「えっ?」
テーブルに押し付けられるように倒された私の手のひらに、優しく重なる彼の手はしっかりしていて大きかった。かつて、素晴らしい芸術作品を生み出していたその手は、繊細でありながら雄々しくて、芸術家である前に、彼はひとりの男性なのだと意識してしまう。
「つづみさんも」
「えっ、ち、違いますっ」
びっくりして声をあげると、陽仁さんは頼りなげに眉をさげた。
「聞くつもりはなかったんだけど、さっき、聞いたんだ。ごめん」
「さっきって、さっきですかっ?」
聞かれてたんだ。全然気づかなかった。それで、遠慮して駐車場で待ってたんだろう。恥ずかしさのあまり、ほおが熱を持つ。
「つづみさんが誰かを好きになるなんて珍しいよ」
「ご、誤解です。あれは、ひとりの人間として好きって言ってくれたようなもので。なんて言ったらいいんだろう。……ああ、そうです。弦さんを好きって言ってるのと同じぐらいの好きなんです」
「じゃあ、すごく好きだね」
「そうじゃなくて……」
途方にくれる私を、彼は愉快げに見つめている。たぶん、誤解は解けたと思う。
「望ちゃんがつづみさんを好きなのは知ってたけど、お互いになんだと思ってさ」
「知ってたってなんですか。……あっ、もしかして、つづみさんの習字ですか?」
つづみさんが、『好きです』なんてデカデカと書いた習字を部屋に貼り付けてるから誤解したのだろう。
「あれも、つづみさんの習字が好きですって言っただけなんです。上手ですねって言っただけなんですよ」
「なんだ、そうなんだ」
「誤解する余地なんてないです」
「じゃあ、別に好きな人がいたりするの?」
ひょいっと顔をのぞき込まれて、ますますほおは上気していった。
間近で見る彼の瞳はとても澄んでいた。まつげも長くて、目鼻立ちも整っていて、彼自身がたきざわ夕市の作り出した芸術作品のひとつなのだと思い知らされるような美しさがある。
指と指が交互に重なってきて、彼の顔がさらに近づくから、思いきりうつむいた。キスされるかと思ってしまった。何を自意識過剰になってるんだろう。そんな大胆なことするような人じゃないのに。
「い、いないです。……まだ」
「まだなんだ」
彼はそっと笑う。
「変な風に思わないでください」
「だったら、もうちょっとだけこうしててよ」
そう言って、陽仁さんは私の手を優しく握りしめた。
寒空の下でどれほど待ってたんだろう。開いてないと思ったんだろうか。そんなはずはないけれど。それとも、ひとりで考えたいことがあったのだろうか。果歩さんに関わる悩みなら、聞いても話してくれないかもしれない。
「もうお昼食べた?」
もやもやした気分の私の質問には答えないで、陽仁さんはつづみさんへ視線を向けて尋ねた。
「ああ、食った。望ちゃんの料理の腕はどんどん上がるな。未来永劫食ってたいよ」
大げさな、と思うけれど、「つづみさんなら大丈夫だよ」と陽仁さんは弱々しく笑う。本当に、元気がないみたい。
「陽仁も食ってこいよ。食って寝りゃ、大概のことはどうでもよくなる」
「大概のことならね」
陽仁さんはくすりと笑って、「じゃあ、帰るわ」と手を振って立ち去るつづみさんを見送った。
「寒いですよね。あったかいコーヒーいれますね」
「ありがとう。今日はこっちに来れたんだね。仕事だって言ってなかった?」
「休みにしてもらったんですけど、仕事のお持ち帰りです。行ったり来たりも大変だから、はやく落ち着いてって言われちゃいましたけど」
「ずっとこっちにいたらいいのに」
ろまん亭のドアを引く私の背中に、ぽつりと投げかけるように彼は言う。
「え?」
驚いて振り返ると、彼は私の代わりにドアを押して大きく開いてくれた。
「その方が、つづみさんも喜ぶかなって思って」
「えっと……、あっ、陽仁さん、つづみさんの食事作るの面倒で、私に任せようとしてません?」
「そうじゃないよ」
くすくす笑う彼を見てると、いつも通りみたいで、ちょっとだけ安堵する。
「今日は特製サンドイッチです。ふわふわたまごが上手にできて、前より自信作です」
すぐにあたたかいコーヒーとサンドイッチを用意して、カウンターに並んで腰かけると、彼はふしぎそうに私の目の前のサンドイッチを眺めた。
「まだ食べてなかったの?」
「はい。陽仁さんが来てからって思って。あ、気にしないでください。私が待っていたかっただけですから」
「そっか」
ふっとほほえんで、彼はサンドイッチを口に運ぶ。おいしいって言ってくれるだろうか。じぃーと横顔を見つめていると、彼は照れくさそうに笑う。
「そんなに見られてると落ち着かないよ。望ちゃんも食べて。おいしいから」
「おいしいですか? よかった。明日はグラタン作ってみますね。失敗したら違うメニューになっちゃうかもしれないですけど」
「明日は来れないかもしれないからいいよ。つづみさんと食べてよ」
「用事があるんですか?」
陽仁さんはしばらくテーブルをにらむようにして沈黙していたが、スッと顔を上げると、何もない真正面を見つめてつぶやいた。
「ニュース、見た?」
「まだ見てないです。テレビないし、今日はずっと仕事してて。どんなニュースですか?」
「知らないならいいんだ」
首を横にふり、マグカップに指を伸ばす。その手は震えていた。
真乃屋和雄に何かあったのだろうか。
なぜだか、とっさにそう思って、気づいたら手を重ねていた。熱を奪われたみたいに冷たい指に驚いて、そっと手のひらに包み込む。小刻みに震えていた指が次第に落ち着いていく。
「あっ、ごめんなさいっ」
困ったようにこちらを見る陽仁さんに気づいて、パッと手を離そうとしたとき、追いかけるように伸びてきた長い指が、私の指をからめとる。
どきりとした。指先から伝わってしまうんじゃないかと心配するぐらい、急に激しく心音が鳴り出して、私の身体は硬直してしまった。
「望ちゃんはつづみさんが好きだよね」
「えっ?」
テーブルに押し付けられるように倒された私の手のひらに、優しく重なる彼の手はしっかりしていて大きかった。かつて、素晴らしい芸術作品を生み出していたその手は、繊細でありながら雄々しくて、芸術家である前に、彼はひとりの男性なのだと意識してしまう。
「つづみさんも」
「えっ、ち、違いますっ」
びっくりして声をあげると、陽仁さんは頼りなげに眉をさげた。
「聞くつもりはなかったんだけど、さっき、聞いたんだ。ごめん」
「さっきって、さっきですかっ?」
聞かれてたんだ。全然気づかなかった。それで、遠慮して駐車場で待ってたんだろう。恥ずかしさのあまり、ほおが熱を持つ。
「つづみさんが誰かを好きになるなんて珍しいよ」
「ご、誤解です。あれは、ひとりの人間として好きって言ってくれたようなもので。なんて言ったらいいんだろう。……ああ、そうです。弦さんを好きって言ってるのと同じぐらいの好きなんです」
「じゃあ、すごく好きだね」
「そうじゃなくて……」
途方にくれる私を、彼は愉快げに見つめている。たぶん、誤解は解けたと思う。
「望ちゃんがつづみさんを好きなのは知ってたけど、お互いになんだと思ってさ」
「知ってたってなんですか。……あっ、もしかして、つづみさんの習字ですか?」
つづみさんが、『好きです』なんてデカデカと書いた習字を部屋に貼り付けてるから誤解したのだろう。
「あれも、つづみさんの習字が好きですって言っただけなんです。上手ですねって言っただけなんですよ」
「なんだ、そうなんだ」
「誤解する余地なんてないです」
「じゃあ、別に好きな人がいたりするの?」
ひょいっと顔をのぞき込まれて、ますますほおは上気していった。
間近で見る彼の瞳はとても澄んでいた。まつげも長くて、目鼻立ちも整っていて、彼自身がたきざわ夕市の作り出した芸術作品のひとつなのだと思い知らされるような美しさがある。
指と指が交互に重なってきて、彼の顔がさらに近づくから、思いきりうつむいた。キスされるかと思ってしまった。何を自意識過剰になってるんだろう。そんな大胆なことするような人じゃないのに。
「い、いないです。……まだ」
「まだなんだ」
彼はそっと笑う。
「変な風に思わないでください」
「だったら、もうちょっとだけこうしててよ」
そう言って、陽仁さんは私の手を優しく握りしめた。
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