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告白
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しおりを挟むアパートから徒歩で15分のところにあるレストラン『こもれび』に着いたときには、約束の時間を少し過ぎていた。
子どもの頃から知っているレトロな雰囲気のおしゃれなレストランは、住宅街の一角にひっそりとたたずんでいる。
高校時代の私は、いつか、このレストランの常連客になるのだと、別世界へ導いてくれそうな外観の洋館に憧れていた。まさか、離婚を経験した29歳に、高校時代の友人と集まって、つかの間のひとときを過ごす場所になるとは思ってもいなかっただろう。
いつも座る窓際の席に目を移すと、小寺啓介が、合図を送るように軽く手を挙げる。
心をなごませる魔法のような笑顔を見せる彼は、芹奈と同じく、高校時代の同級生だ。当時はクラスメイトのひとりでしかなかったが、一年前に地元へ帰ってきたとき、芹奈の紹介で再会し、気づけば、月に一度は一緒に食事をする仲になっていた。
「遅くなっちゃった。ごめんね」
両手を合わせて謝ると、啓介の向かいに座る。
アパートから徒歩圏内にある駅前の旅行代理店に勤務しているから、なんとか間に合うと思っていたが、郵便物に気を取られていたのもあって遅れてしまった。
「残業?」
店長のおすすめメニューのオムライスを二つ注文してくれる啓介が、そう尋ねてくる。
「今日ね、ひとり体調不良で休みだったから」
「最近、せき風邪が流行ってるよな」
「そうなの? あ、ねぇ、芹奈からメールきた?」
「ちょっと前に来たよ。ギリギリまで悩んだけど、やっぱり行けそうにないってさ。ゆっくり休むように言っておいたよ」
「芹奈も風邪かな? でも、時々、体調崩すよね。大丈夫かなぁ」
「そうだね」
啓介は穏やかな笑顔のまま、うなずく。
芹奈の体調は心配しているが、彼はいつも余計な詮索はしない。そういう誠実さを感じるところに私はどこか安心していて、好ましく思っている。
将司の不倫が原因で地元に帰ってきたことを素直に話せたのは、彼の持つ優しい雰囲気に安心できたからだろう。
「ひとりでも休まれると大変だよな? 10月の異動で人員削減されたって言ってたし」
啓介が話を戻す。
「ほんとそうなの。29歳で独身の私はバリキャリだって思われてるみたい」
嘆くと、彼はそっとおかしそうに笑う。
私とは流れる時間軸が違うみたいな、彼のまとう空気感に癒されながら、私たちは自然に会話を紡いでいく。
「実際、どうなの? 仕事一筋でやっていきたい感じ?」
「今はね、それしかないって感じだし」
一年前まで描いていた夢は、すべて消えてしまった。あのまま将司と結婚生活を続けていたら、今とは違う未来があっただろうけど、それでもやっぱり、彼を許すことができなかったのだから仕方ない。
「結婚は考えないのか? 祥子ぐらい美人だったら、その気になればすぐに相手は見つかるよ」
「芹奈もそう言ってくれるんだけど、あんまり想像できないの。結婚どころか、恋愛だって無縁だよ」
「そっか」
申し訳なさそうな顔をする啓介は、オムライスをスプーンですくう。
彼はいつもデミグラスソースのオムライスを注文する。一度好きになったものは飽きないからという理由で、こもれびの名物メニューをこよなく愛している。
好きな女の人のことも、啓介なら飽きずに愛し続けるんだろうか。
そんなふうに薄ぼんやり考えていると、彼が無言でこちらを見つめてくる。
何? と首をかしげると、彼はなんでもないと首を振る。それがなんだかおかしくて、そっと笑むと、彼も同じように笑む。元警察官とは思えない温和な物腰だ。
「啓介は仕事どうなの? ライターの仕事、忙しい?」
啓介は大学卒業後、警察官になったと聞いた。しかし、数年で退職。今は雑誌のライターをしている。
「おかげさまで順調だよ」
「先月の記事、読んだよ。『カルミア』って、医療系の雑誌なんだね」
「読んでくれたんだ?」
意外そうに眉をあげる。私が啓介の仕事に興味を持つなんて思ってなかったみたいだ。
「在宅介護の話だったね」
「いつも介護関係の記事を書いてるんだ。去年亡くなった祖父がずっと寝たきりでさ。親の苦労見て、いろいろ調べてるうちに仕事につながったって感じだよ」
「前にもそう言ってたね。だから、警察官やめたんだっけ?」
「それもあるけど、向いてなかったからさ」
「それはなんか、わかる」
高校時代の啓介は、足が速くて体育が得意ではあったけど、基本的には教室で黙々と読書する文学少年だったように思う。
くすっと笑うと、彼もやはりむじゃきな笑顔を見せる。
考えてみれば、ふたりきりで会うのは初めてかもしれない。いつも芹奈がいて、彼女中心に会話が進むから、私たちがこうして共鳴し合うように笑うのは、きっと珍しい。
ひっきりなしにおしゃべりしなくても、黙って食べるオムライスも、何も味気なくない。落ち着いた時間を過ごしていると実感できるのは、啓介と過ごす時間が居心地いいからだろう。
離婚を決断するのは苦しかったけど、選択は間違ってなかったと思えるのも、彼のおかげかもしれない。
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