プラトニックな事実婚から始めませんか?

水城ひさぎ

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マドンナ

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「啓介、疲れたよね。今ね、ソファーの掃除終わったから座っていいよ」

 引っ越し業者の見送りに出ていた啓介が戻ってくると、私はリビングの床にひざをついたまま、そう声をかける。

「祥子は?」
「食器の準備を少しと、あとはお風呂と寝室の片付けだけするね。今日、困らないだけのことはやらなきゃ」
「じゃあ、俺もやるよ。終わったら、コーヒーでも飲もう」
「うん、ありがとう」

 そうと決まれば、早速、目の前にあるダンボールからマグカップとお茶わんに箸、数枚のお皿を取り出し、テーブルの上に乗せる。すると、それらを啓介がキッチンまで運んでくれる。

「コーヒー、ここに置いておくね」

 インスタントのコーヒーをカウンターの上に乗せ、食器を洗い始める啓介の隣に移動する。

「私、お風呂掃除してこようかな」
「それは俺がやるよ。寝室は頼んでいいか? ベッドだけ置いてあるから」
「うん。じゃあ、食器洗うの一緒にやってから」

 泡だらけのマグカップを受け取り、水道水ですすぐ。

 こうやって並んで食器を洗うのは、なんだかくすぐったい。将司とだったら、絶対にできなかったことで、私はこんなふうに誰かと過ごしたかったんだなって思う。

「食洗機、あるといいよな」
「便利だよね」
「祥子の手、いつも綺麗だなぁって見てたから」
「手荒れ、気にしてくれてるの? 甘やかされてるみたい」

 くすっと笑いながら箸を受け取ると、するりと手が重なる。泡だらけの指がなめらかに組み合わさって、どきっとして啓介を見れば、彼もこちらを見てる。

「甘やかしたいよ。祥子は一人で頑張ってる感じするから」

 見つめ合うと、抱きしめられたい気持ちが湧いてくる。日ごとに、啓介に惹かれていくみたい。

「……あっ、これで最後だよね。お風呂掃除、お願い」
「まだダメだよな、そりゃあ」

 わざとらしくがっかりした彼は、おどけるように肩をすくめると、掃除道具の入ったバケツを持ってリビングを出ていく。

 からっぽになった手のひらを眺めて、ちょっと息をつき、リビングを見回す。

 リビングからは、部屋につながる扉がふたつある。ひと部屋が寝室で、もうひと部屋が衣装部屋を兼ねた私の部屋。リビングを出ると、バスルームの向かいにもうひと部屋あって、そこは啓介の仕事部屋になる。

 洗い物を終えるとキッチンを出て、寝室の扉を開く。

 寝室だけは一緒がいいと彼が譲らないから、ふたつのベッドが運び込まれている。私の持っていたシングルベッドと同じものを彼も購入した。

 おそろいのふたつのベッドは隙間を開けて置かれている。きっと、これが今の心の距離。いつか、ベッドを寄せ合う日は来るのだろうか。

 掃除機をかけて、シーツを敷き、出窓にお気に入りの照明を置く。そのままベッドに腰かけていると、扉が開いて啓介が顔を出す。

「風呂掃除、終わったよ。こっちも終わった?」
「あ、うん。ありがとう」

 立ち上がると、啓介が寝室に入ってくる。

「ベッド、くっつけてもいいか?」
「えっ!」
「なんかさ、手の届く距離にいてほしいっていうか」
「ど、どうして?」

 戸惑う私に、啓介はやけにまじめな顔をして言う。

「祥子が泣かないように」
「……啓介」

 啓介にはわかってしまうんだろうか。もう吹っ切れているつもりでも、将司の裏切りで傷ついた自分を思い出して泣いてしまう日があることを。

 うつむくと、彼が私の顔をのぞき込んでくる。

「嫌なことを思い出す夜は、朝までずっとそばにいるからさ。俺ができるのはそんなことぐらいだし、頼ってほしいって思ってる」
「めんどくさくない?」
「そんなわけないだろ? それ以外の意味はないしさ、安心してよ」
「それ以外って……」
「弱ってるところにつけ込むつもりはないよ」

 うっすらと笑む彼がやけに艶っぽく見えて、どきりとする。

「そんなふうに疑ってないよっ。啓介が大変なときには、私もそばにいてあげたいし。それに変な意味なんてないから」

 あわてて否定したのは、妙な期待をした自分を隠そうとしたからかもしれない。こちらから一線を越えるのが怖いから、啓介から越えてきてほしいって、期待を。

「変な意味でなぐさめてくれてもいいけどさ」

 赤くなる私に啓介はそっと笑うと、ベッドに手をかけ、ぴたりとふたつのベッドを合わせた。
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