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目撃
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小さなバーは、駅裏の薄暗い通りにぽつんと存在していた。隠れ家という言葉が似合う目立たない入り口に、柔らかいオレンジ色のネオンが仄かに光っている。そのアルファベットのネオンにはコモンと書かれている。
中へ入ってみようか。もし、啓介と綾が一緒にいたら、その場で問い詰めればいい。彼女には二度と会いたくないと思っていたが、啓介を取り戻すためには仕方のないことだ。泣きわめき、怒り狂う彼女の姿を見れば、将司のときのように、啓介だって目が覚めるはず。
入り口の扉に手をかけたとき、扉の奥で男の人の話し声が聞こえた。誰かが出てくるようだ。あわてて、店横の路地に身を隠す。
ほどなくして、扉が開く。出てきたのは、啓介だった。そして、扉がゆっくり閉まる音がする。
ひとり……なんだろうか。
しかし、啓介が立ち去る気配はない。店の前で誰かを待ってるのかもしれない。そう思ったとき、軽やかな足音が近づいてくるのに気づいた。
目の前を若い女が通り過ぎていく。その姿を見ただけで、胸が激しく上下する。綾だった。
「ごめんなさいっ。違うお店がいいって、わがまま言ったりして」
「いや、俺はどこでもいいから。あ、あと、これ。ハンカチ返すよ。ずっと借りててごめん」
啓介はいつもと変わらない穏やかな口調でそう言う。
綾を迷惑がってる様子はない。胸がチクリと痛んだのは、もしかしたら、仕方なく彼女に会いにきたんじゃないかって、心のどこかにそう信じたい気持ちがあったからだろう。
「全然いいですよー。あー、すっごくかわいい袋に入ってますね。もしかして、彼女さんが?」
「洗濯もしてあるから」
「優しい彼女さんなんですね?」
空々しい。綾は啓介の彼女が私だって知ってるはずだ。引っ越しの日、啓介と一緒にいるところを見ているのだから。
「そうだな」
「私と一緒にいるって知ったら、嫉妬されちゃうかも」
啓介は、ははっ、と笑うと、「行こうか」と歩き出す。
きっと、綾の行きたい店で飲むのだろう。追いかけようか。そう思うけど、なかなか足が動かない。さっきまでは問い詰める気でいた。それなのに、奮起していたその気持ちが一瞬にして消えてしまったかのように力が入らない。
ハンカチを返すだけなら飲みにまで行く必要はない。ハンカチはただの口実で、啓介は綾に会いたかったのだ。それも、私には内緒で。私の離婚理由を知ってる啓介なら、不安にさせないように誰と出かけるかは教えてくれるはず。それをしないのは、綾と会うことが私を不安にさせる行為だと自覚しているからだ。
ふたりの姿が見えなくなると、私は反対の道を進んだ。マンションにはすぐに帰りたくない。ううん。もうずっと帰りたくないかもしれない。
啓介の顔を見たら泣いてしまいそうだし、責めてしまうかもしれない。体の関係を持たなくても愛は育めるなんて、勝手な思いで私はずっと彼を拒んできた。浮気されたって仕方のない態度を取ってきた。それでも、彼が私を好きでいてくれると思っていたのは、甘えだった。
気づくと、駅前通りの外れに来ていた。小さなバーを見つけると、引き寄せられるように扉を開く。
店内のカウンター席には、一人で来店したのだろう男性客の姿がぽつぽつと見えるだけ。まるで、お好きな席にどうぞ、と言わないばかりの爽やかな笑顔を見せるマスターに促されるように、入り口近くの席に座り、ビールとつまみを注文する。
これからどうしたらいいだろう。途方にくれながらも、芹奈のことを思い出す。心配しながら連絡を待ってくれているだろう。電話しなきゃと思うけど、力が入らなかった。
小さなバーは、駅裏の薄暗い通りにぽつんと存在していた。隠れ家という言葉が似合う目立たない入り口に、柔らかいオレンジ色のネオンが仄かに光っている。そのアルファベットのネオンにはコモンと書かれている。
中へ入ってみようか。もし、啓介と綾が一緒にいたら、その場で問い詰めればいい。彼女には二度と会いたくないと思っていたが、啓介を取り戻すためには仕方のないことだ。泣きわめき、怒り狂う彼女の姿を見れば、将司のときのように、啓介だって目が覚めるはず。
入り口の扉に手をかけたとき、扉の奥で男の人の話し声が聞こえた。誰かが出てくるようだ。あわてて、店横の路地に身を隠す。
ほどなくして、扉が開く。出てきたのは、啓介だった。そして、扉がゆっくり閉まる音がする。
ひとり……なんだろうか。
しかし、啓介が立ち去る気配はない。店の前で誰かを待ってるのかもしれない。そう思ったとき、軽やかな足音が近づいてくるのに気づいた。
目の前を若い女が通り過ぎていく。その姿を見ただけで、胸が激しく上下する。綾だった。
「ごめんなさいっ。違うお店がいいって、わがまま言ったりして」
「いや、俺はどこでもいいから。あ、あと、これ。ハンカチ返すよ。ずっと借りててごめん」
啓介はいつもと変わらない穏やかな口調でそう言う。
綾を迷惑がってる様子はない。胸がチクリと痛んだのは、もしかしたら、仕方なく彼女に会いにきたんじゃないかって、心のどこかにそう信じたい気持ちがあったからだろう。
「全然いいですよー。あー、すっごくかわいい袋に入ってますね。もしかして、彼女さんが?」
「洗濯もしてあるから」
「優しい彼女さんなんですね?」
空々しい。綾は啓介の彼女が私だって知ってるはずだ。引っ越しの日、啓介と一緒にいるところを見ているのだから。
「そうだな」
「私と一緒にいるって知ったら、嫉妬されちゃうかも」
啓介は、ははっ、と笑うと、「行こうか」と歩き出す。
きっと、綾の行きたい店で飲むのだろう。追いかけようか。そう思うけど、なかなか足が動かない。さっきまでは問い詰める気でいた。それなのに、奮起していたその気持ちが一瞬にして消えてしまったかのように力が入らない。
ハンカチを返すだけなら飲みにまで行く必要はない。ハンカチはただの口実で、啓介は綾に会いたかったのだ。それも、私には内緒で。私の離婚理由を知ってる啓介なら、不安にさせないように誰と出かけるかは教えてくれるはず。それをしないのは、綾と会うことが私を不安にさせる行為だと自覚しているからだ。
ふたりの姿が見えなくなると、私は反対の道を進んだ。マンションにはすぐに帰りたくない。ううん。もうずっと帰りたくないかもしれない。
啓介の顔を見たら泣いてしまいそうだし、責めてしまうかもしれない。体の関係を持たなくても愛は育めるなんて、勝手な思いで私はずっと彼を拒んできた。浮気されたって仕方のない態度を取ってきた。それでも、彼が私を好きでいてくれると思っていたのは、甘えだった。
気づくと、駅前通りの外れに来ていた。小さなバーを見つけると、引き寄せられるように扉を開く。
店内のカウンター席には、一人で来店したのだろう男性客の姿がぽつぽつと見えるだけ。まるで、お好きな席にどうぞ、と言わないばかりの爽やかな笑顔を見せるマスターに促されるように、入り口近くの席に座り、ビールとつまみを注文する。
これからどうしたらいいだろう。途方にくれながらも、芹奈のことを思い出す。心配しながら連絡を待ってくれているだろう。電話しなきゃと思うけど、力が入らなかった。
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