プラトニックな事実婚から始めませんか?

水城ひさぎ

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償い

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「もう連れてきています」

 驚いて、啓介を見る。

 綾が来てる? 手が震えて、ぎゅっとこぶしを握ると、優しく重なってくる彼の手に包み込まれる。

「いま、誠也さんが店の前に着いたって連絡くれたから」
「誠也さんがどうして?」
「俺が綾を駅に呼び出して、誠也さんにここへ連れてきてもらうように頼んだんだよ」

 啓介がそう言ったとき、入り口の扉がゆっくりと開く。

「なんで、私がここにっ」

 綾の不満げな声とともに、店内に誠也さんが姿を現す。

「ちょっと遅くなった。どうしてもコモンは嫌だってごねるから」
「いえ、今ちょうど、健一さんに話したところですから」
「健一……」

 扉の向こうでそう声がして、誠也さんの後ろから茶髪の女が顔を出す。

 吉川綾は私に気づくと、露骨に嫌な顔をした。しかし、逃げ出す気配はない。気まずいからって、逃げるような女ではなかった。むしろ、挑むような目つきで私をにらんだあと、急にか弱い表情になって啓介に駆け寄る。

「啓介さんっ、どういうこと? 私、啓介さんが会いたいっていうから来たのに」
「大事な話があってさ、聞いてもらいたいんだ」
「啓介さんの頼みなら」

 そう言って、啓介の腕に触れようとするのを、彼は軽くかわして、身を引く。綾は不服そうにしたが、健一さんがカウンターから出てくるとそちらに目をやり、ほおを引きつらせた。

「俺を覚えてるんだね」

 健一さんはそっぽを向く綾の前に手紙を突き出す。

「この手紙、綾が書いたんだよね」
「だったら、何? あの女が私にひどいことしたから、許さないって言っただけ」

 被害者は自分だと、彼女は私を指差す。

「結婚がだめになった話は聞いたよ。不倫が原因らしいね。祥子さんを逆恨みするってことは、綾はまた、俺以外の男と不倫したんだね。別れるときに、もうしないって約束したのに」
「それはだって……、彼があの女と結婚してるなんて知らなかったから」

 言い訳する綾に、健一さんはあからさまなあきれ顔を見せる。

「嘘をつくところも変わってないね。俺ももしかしたら、変わってないのかもな。綾との生活を優先させて、美里に嘘ばかりついてた昔と何も」
「私、嘘なんて……」
「俺は綾を恨んでるよ。自分のことも、もちろん恨んでる。どうしてあのとき、綾に気のある素振りを見せられて、その気になったんだろうって後悔ばかりだ」
「やめてよ。誘ってきたのは、あんたじゃない。私、まだ学生だったのに……」
「そうやって、これから先も嘘をついて生きていくのか? 結婚なんてだめになってよかったじゃないか。俺に感謝した方がいい」

 綾は眉をひそめて、無感情に淡々と話す彼をにらみつける。

「どうして、あんたに感謝なんか……」
「綾の婚約者に不倫の事実を知らせたのは、俺だよ。俺は不幸なままなのに、綾だけ幸せになるなんて悔しかったんだ」
「うそ……っ」
「不倫の証拠は今でも持ってるよ」
「脅すの?」
「持ってるよって言ってるだけだよ。綾が誰かを不幸にしようとしてるときは、少しだけ紛失するかもしれないけどね」
「ひどいっ。キスの写真もベッドの写真も、あんたが全部勝手に撮ったんじゃないっ。私は嫌だって言ったのに。怖くて逆らえない私を好き放題にしたのは、あんたなのにっ」

 綾は健一さんの持つ手紙を奪い取ると、ビリビリに破いて床へ落とし、靴で踏みにじる。

「なんで私ばっかり……」
「私ばっかり、不幸?」

 そう言ったのは、啓介だった。綾は泣き出しそうな顔をして、彼にすがりつく。

「啓介さんならわかってくれるでしょう? 私、啓介さんに言ったもの。ちゃんと彼女さんと別れてから付き合いたいって」
「不倫は人を不幸にするよな」

 綾の言葉を無視して、啓介は息をつく。

「啓介さんまでやめてよ、そんな話」
「そうやって逃げても、また繰り返す。自分が今、幸せじゃないって思うならそれは、自分の行いが自分に返ってきただけだよ。君がしなきゃいけないのは、恨むことじゃなくて、結婚しようとまで考えてくれた彼氏に誠心誠意の謝罪と、自分はもう二度と不倫なんてしないって誓うことじゃないかな」
「謝罪なら何度だってした。でも、だめだって。なんでもするから許してって言ったのに、許してくれなかった」
「相手が受け入れてくれるかどうかは別問題だよ。君は謝るしかできないんだ。相手に何かを求める権利なんて何もない。たくさんの人を傷つけ、それだけのことをしたんだって自覚しないといけないよ」
「そんな話、聞きたくないっ」
「正論は、耳に痛いよね」

 取り乱す綾を見て、啓介は柔らかな笑みを浮かべるが、すぐに真顔になって、きっぱりと言う。

「金輪際、俺の周囲に近づかないでほしい。俺が大切に思うすべての人の前に、二度と姿を見せないでくれ」
「なんで……、なんでいつも私ばっかり責められるのっ! 啓介さんを信じてたのにっ」

 綾はそう叫ぶと、周囲の視線におびえた様子でコモンを飛び出していく。

「また来るかな」

 啓介が苦笑いすると、誠也さんが彼の背中を叩く。

「大丈夫さ、ああいうタイプはすぐに別の男を見つけるよ」
「それならいいですけど」

 疲れた顔をした啓介は、床に散らばった紙くずを拾う健一さんを振り返る。

「綾に誤解させたままで大丈夫ですか?」
「啓介くんもそのつもりで、ここに綾を呼んだんだろう? 本当のことを話したところで、綾が納得するはずないし、無意味に美里を危険にさらす必要はないよ」
「正直、どうしようか迷っていたんです」
「啓介くんも優しいよね。誰も傷つけずに解決できるならよかったんだろうけど。もとはといえば、美里が復讐したのは俺のせいだからね、こんなことぐらいで俺の罪が償えたなんて思ってないよ」
「すみません」
「なんで、啓介くんが謝る? さあ、もうこれで終わりにしよう。今夜はみんなで楽しい話をしようか」

 そう言うと、健一さんはカウンターに立ち、すっきりとした笑顔を見せた。
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