太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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那波と輝を繋ぐ悲憤

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 ギンガムチェックのテーブルクロスの上には、みたらしだんご、たこ焼き、五平餅、そして、那波の淹れてくれた紅茶が並ぶ。

 食べきれない綿菓子は、花を生けるようにグラスに立てられているが、だいぶしぼんでしまっていた。

 那波はどれも口にしないまま、窓辺に立って外を眺めている。
 彼女が食べないから、俺は紅茶を飲むだけだが、このまま沈黙しているわけにもいかなくて、勇気を出して声をかけた。

「樋野先輩の入部の件、どうなったんだろう。飛流さんは何か聞いてる?」
「ええ、入部は無理だそうよ。安藤先生に断られたって言っていたわ」
「そうなんだ」

 安堵する。

「木梨くん、やけに嬉しそうな顔するのね」

 思わずゆるんだ頬に気づかれたようだ。だが、俺の心の中までは見抜かれてはいない。

 那波は首を傾げてテーブルに近づくと、向かい側に腰を下ろした。

「もし留年したら入部するから、入部希望は取り下げないって言ってたわ」
「留年? 留年するなんてことあるのかな」
「ないわ」

 やけにはっきりと断言する。留年しないと信じているということか。

「飛流さん、気分悪くしないで欲しいんだけど、樋野先輩が持ってるものって何か聞いてもいいかな。飛流さんが探してたものって何かなって思ってさ」

 二人のことに干渉するなんて、那波は嫌がるだろう。しかし、気になるから仕方ない。

 那波はますます首を傾げる。俺を理解できないんだろう。

「どうして気を悪くするだなんて思うの? 木梨くんは尋ねたいことを尋ねただけなのだから、気を悪くする必要なんてないわ。もしそういう気持ちになることがあるなら、答えないだけよ」
「つまり、答えたくない?」
「そんなこと言ってないわ。ただ、理解できないとは思うの。それを話すことで今の関係が壊れてしまうなら話すべきではないとも思ってるわ」
「それは……」

 壊れてしまうような関係があると那波は思ってくれているということだ。

 進展した関係性が壊れるかもしれないが、知らなければこれ以上親密になることはないとも思えて、俺は真っ直ぐに那波を見つめた。

「何を聞いても飛流さんから離れたりしないよ。信じられないかもしれないけど、俺はそう言うしかない。それでも話して欲しい」

 那波は俺の心内を探ろうとしているのか、しばらく沈黙していた。
 俺は那波から目を離さなかった。そうすることでしか、本気の気持ちの伝え方を知らない。

「離れてもいいのよ、木梨くん……」
「え……」
「むしろその方がいいのよ。だからというわけでもないけれど、話すわ」

 那波は俺との関係を絶ちたいと思っている。ふとそう思えて眉をひそめた時、彼女は思いもよらぬことを言った。

「ずっと探していたの。私にも芽依にもない唯一の感情。……話したでしょう? 私たちには怒りがないと。怒りの感情はなくても生きていけるわ。でも、元通りにはなれない」
「怒り? 樋野先輩が持ってるっていうのは?」
「私の怒りよ」

 眉をひそめたままの俺に、那波は少し悲しげな目を向ける。

「理解できないだろうとは思っても、それを目の当たりにすると、悲しくなるのね……」
「……ごめん、ちょっとよくわからなくて」
「無理もないわ」

 那波は悲しげに小さな息を吐く。

 怒りという目に見えない感情を輝が持ってると言われても、理解の示しようがない。
 だが、那波は最初から俺には理解できないとわかっていたのだから、これは俺の問題だ。

「飛流さんや芽依の感情に偏りがあるのはわかってるよ。でもさ、それは育った環境によるっていうか。そういうことで伸びない感情があるんだろうって思ってた。芽依はいつも明るいけど泣いたりもするし、飛流さんだって楽しいって思うこともあるだろう? だからそれと同じで、腹が立つことがあっても、どう怒ったらいいかわからないってことだと俺は思ってる」
「……そう」

 那波は口をつぐむ。失望の目が俺を見つめる。

 違うのか。俺の中に焦りが生まれる。

「間違ってるなら教えてほしい。きっと理解するから」

 那波を理解したい。
 その思いだけは確かだ。この気持ちだけは彼女にわかってもらいたい。その一心が俺を突き動かす。

「……木梨くんは一生懸命なのね。私も、これでも懸命に調べたのよ。祖母はこのまま生きる道を望んでくれたけど、祖父は今のままでは誰も幸せにはなれないって言ったから」

 立ち上がる那波を無言で見守る。

「だから探したの。あの日に壊れてしまった芽依の心を。私の中にどんな感情があるのか。そして芽依にあるもの、ないもの。一つずつ、ずっと探してた」

 本棚から取り出した本を開き、指でなぞっていく那波は小さな息を吐く。そこに書かれているのはきっと、感情の輪だ。

「怒り……、怒りだけ、ないの。私を見る父の目に浮かぶ嫌悪や、母の怯えた目にも、私が覚えるのは悲しみだけ。祖父もそれに気づいてた」
「確か、飛流さんのおじいさんは、怒りだけ飛んだって言ってたんだっけ?」
「そうよ。私には怒りがないの。だとしたら、輝に怒りが飛んでしまったとしか考えられない。あの日、あの時、あの場所にいたのは、芽依と私、そして輝だけだった……」

 意味がわからず、眉をひそめる。しかし、引き下がれない。俺は理解できないことを言葉にして伝えなければ、那波には何も届かないことを知ってる。

「怒りが飛ぶものかはわからないけど、そうだったとして。……あの日って?」
「飛んだという表現が正しいのかはわからない。それでも確かなの。……芽依の心はもう限界だった。あの日、芽依は神に祈ったの。必死だった。あの家から逃げ出したくて必死だったの。だから、憐れに思った神はあの子を救うために、あの子に不必要な感情を取り除いたの。取り除かれた感情は行き場をなくし、近くにあった器に身をひそめた……」
「器……? それが、樋野先輩?」
「ええ、人間の体は魂を収めるための器でしかないでしょう? 芽依を救うためなら、器はなんでも良かったのよ」

 全く理解できない話だ。だが、笑い話にする気は起きなかった。

 江井見一族はいにしえの昔、不思議な力でこの地を統治していた。それはただの迷信だけど、神がかり的な力がこの世に存在しないとは言えなくて。

「じゃあ、飛流さんの感情は? 飛流さんの怒りも、先輩に……?」

 意味がわからない。理解ができない。けれど、那波の深い悲しみの目を見つめていたら、彼女の言葉すべてを信じられる気がした。

「私はただの器。もともと持っていた感情なんて何一つないわ」
「ないって……」
「私が怖い?」
「え……?」
「怖いわよね……」

 那波の周囲は悲しみに満ちていて、俺が何を言っても受け入れない壁のようなものがあるように思える。

「……樋野先輩も、何もない器だった?」

 輝も同類だろうか。だから二人は分かり合えるのか。

「彼は違うわ」
「違う?」
「彼は怒りを受け入れただけ」
「じゃあ……、怒りはどこに」

 そう問う俺の前で、那波はそっとあげた細くて白い手で左目を覆った。

「左目……に?」

 まさか、と息を飲む。
 しかし誰も、輝の左目を見たことがない。ただひとり、那波をのぞいて。

「確証はないの。でもきっと、って思ってる。芽依の喜びや悲しみ、不安、輝の怒りがそろった時、芽依は本来の芽依になれるわ」
「本来の? 本来あるべき場所にすべての感情が戻る?」
「ええ、感情は魂でしょ? 分散した魂はあるべき場所に戻るべきだと思うわ。ようやくよ、木梨くん。あなたのおかげで、ずっと探していた答えが見つかったの」

 那波は悲しげにまばたきをするが、なぜだか清々しさを見せているようにも思える。

「飛流さん、……俺、気になってるんだけど、飛流さんは最初、樋野先輩の持ってるものは、『私の怒り』だって言ったんだ。私のじゃなくて、芽依の、だよな」

 那波は答えない。尋ねるのは俺の自由だ。そして、答えないのは彼女の自由。

「もしさ、もし飛流さんの感情が芽依に戻ったら、飛流さんはどうなるのかな……?」

 とても現実的とは言えないおかしな話で、心配はただの徒労だと脳は理解している。それなのに、さっきから焦りで高鳴る俺の胸は、不安で張り裂けそうだ。

「私は元の私に戻るだけよ、木梨くん。だから何も心配はいらないの」
「元の私って……なんだよ」

 不安はおさまらない。だけどもう、那波は何も答える気はないようだ。

 また窓辺へと移動すると、彼女は俺を拒絶するような背を見せて、いつまでもジッと外を眺めていた。
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