太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

文字の大きさ
41 / 60
那波の生まれた場所

11

しおりを挟む



 着替えを済ませて控え室から出ると、弓道場の入り口に鍵をかけた那波がこちらへ向かってくるところだった。

 輝と芽依は今頃、客間だろう。
 二人の気配はすっかりない。
 那波は俺に話があると言ったが、このまま客間へ向かうだろうか。
 彼女と二人きりになる時間はいつでもあるのに、なぜだか客間へ行くのは後回しにしたい気持ちになる。

 俺は那波と合流し、並んで歩いた。
 回廊にはさやさやと落ち着いた風が吹いていく。ここは絶えず穏やかで、優しい時間が流れているようだ。

「飛流さん、少し話せるかな?」

 勇気を出して言ってみる。輝の言う通り、俺には少しの勇気が足りないのだ。

「ええ、大丈夫よ。私も木梨くんに見てもらいたい場所があるの。今から案内するわ」

 那波も俺に話があると言った。見てもらいたい場所というのは、その話と関係があるのだろう。

 那波は回廊にあるテラスへ到着すると、芝生の敷き詰められた石畳の道を歩んでいく。

「綺麗に手入れされてるね。よく行く場所?」

 石畳が終わると、木々の茂る小道を進む。人が入らない場所ならば、けもの道になってもおかしくないような道だ。

 知っている人しか入らない道。だけどきちんと整えられた清らかな道だ。

「いいえ、あれから一度も行ってないわ」
「あれからって?」
「母が行くなと言うの、だから。もう10年ぐらいになるわ」
「10年ぶりに来るんだ?」

 なぜ今日行こうと思ったのだろう、しかも俺を連れて。

 その疑問を口にする前に、道はいきなり開け、見晴らしの良い空間が目の前に広がった。

「着いたわ」
「見てもらいたい場所って……」
「ええ、前に話したこと覚えてるかしら」

 那波は広場の奥にある厳かな建物へ向かっていき、鳥居の手前で足を止めて振り返った。

「ここが江井見家が代々守り続けている影見神社よ」
「どんな願いも叶えてくれる神が祀られてるっていう?」

 息を飲んで神社を見上げる俺に、那波はなぜだか悲しげに小さくうなずいた。

「立派な神社だね」

 そう言いながら那波に歩み寄る。

 屋敷からそれほど大した距離は歩いていないが、神社の奥にある木々の隙間からは開発されたばかりの住宅が見下ろせて、広大な土地に神社が建てられているのがわかる。

 江井見家も俺からしたら立派な屋敷だが、神社の建つ全ての土地を含めると、裏山の一部を間借りさせてもらっているという印象を受ける。

 江井見家は神に最も近い場所で見守られている一族なのだろう。

「どうしてここに俺を?」
「木梨くんならわかってもらえるんじゃないかと思ったの」

 那波はそう言って、鳥居をくぐる。

「神の存在?」
「そうね……。それもあるかもしれないわ」
「俺は、どうかな。信じてないわけじゃないけど、実際に目にしたことがあるわけじゃないから、信じてるとも言えないかな。でもさ、こうやって社を前にすると緊張したり、神棚にだって礼をするし、心のどこかでは信じてるとは思うよ。心のよりどころっていうのかな……。俺の場合は都合のいい時だけ神頼みとかしたりするんだけど」

 情けないけど、と俺は苦笑いするが、那波は真面目に俺の話に耳を傾けている。

「御神体は鏡よ。見てみる?」
「あ、いや、いいよ。バチがあたりそうだ……、って、そう思うのは、やっぱり神を信じてるからかな」
「バチ……。そうね、そうかもしれないわ。私、小さな頃はよくこの中へ入ったの。御神体に触れたから、バチがあたったのかもしれないわね」
「中へ入った?」

 意外と活発な幼少期を過ごしたのだろうか。
 那波は部屋から出ないで読書ばかりしているような印象があるから余計に驚く。

「落ち着いたの。だって父も母も、中にまでは私を探しに来ないから」
「隠れ家にしてたってこと?」

 子供時代は大人に内緒の秘密基地に憧れたものだ。

「両親が怖かったのよ。一緒にいたくなかった……。それだけね、きっと」

 鳥居の柱に触れ、那波は沈痛の面持ちで息を吐く。

「厳しいご両親だった?」

 以前芽依から聞かされた話を不意に思い出す。
 彼女は両親が厳しく、時には子育てについていさかいを起こすことがあったと言っていた。
 厳しかったのは、那波に対しても同じだったのだろうか。

「ええ、とても。父の理想から外れた行為をすると叱られたわ。普段はとても優しいのに、そういう時は人が変わったみたいに怒るの。祖父が仲介に入るぐらいひどく叱られたこともあったわ」
「親の理想通りに生きるのは、難しいよね。つらかったよね……、飛流さん」

 だから、この神社へ逃げ込んだ。小さな体を震わせて、薄暗い本殿に身を隠す姿は痛々しかっただろう。

「ずっと……、ずっと、父の嫌いな私なんていなくなればいいって思ってたわ」

 辛そうに胸に手を当てる那波はうつむく。
 俺が救える気持ちは過去のもので、もうここにはない。かける言葉が見つからず、俺は迷いながら言う。

「……芽依に相談はしなかった?」

 少なからず同じ立場だったはずの双子の姉に相談はしなかったのだろうか。
 それとも、二人で神社に逃げ込んでいたのだろうか。

 那波がゆっくり顔を上げた。頼りなく、切ない目をして俺を見つめる。覇気のないその瞳に映るのは悲しみだけだ。

「出来ないわ……。だってあの子は私だもの」
「え……?」

 思いがけない言葉に戸惑う。

「違うわね……、私があの子なのかしら」

 那波は物憂げに首を傾げる。

 悲しみに押しつぶされて消えてしまいそうだ。言いたくないことを口にした。そんな風に見える。

「飛流さん、無理に話さなくても大丈夫だよ。全てを正直に話す必要なんてどこにもない」
「聞いて欲しいの。黙ったままでいたら、あなたを騙すみたい」
「騙されててもかまわないよ。そんな辛そうな飛流さんを見たいわけじゃない」
「やっぱり優しいのね、木梨くん。その優しさは誰のためなのかしらって思うの。自分のため? 私のため? それとも……、芽依のため?」
「え……芽依? なんで?」

 なぜ今、芽依の名が出るのかわからず眉をひそめる。

「私と芽依は、双子じゃないのよ」

 なんと答えたらいいのかわからない。
 見た目も性格も全く違う二人だ。双子じゃないと言われたら、やっぱりそうか、と納得できるほど。

「私はね……、木梨くん……」

 鳥居の柱を撫でるように手を滑らせた那波は、俺をじっと見つめる。
 俺も彼女の目を見つめ返す。今できることはそれだけだ。

「私はここで生まれたのよ」
「ここ……?」
「ええ。あの時は自分でも何が起きたのかわからなかった。気がついたら芽依が隣にいて、彼女が泣いていたからわけもわからず必死に抱きしめてた。変ねって思いながら。夢かしらって思いながら……」
「飛流さん……、もう、もう話さなくていいよ」

 那波は髪に指をうずめ、過去を思い出しながら苦しげに頭を抱える。

「おかしいわよね……。自分で自分を抱きしめているなんて。すぐに御神体に駆け寄ったわ。鏡に映る自分を目にして驚いたの。だってずっと私が大事にしていた人形の顔が映ってたんだから……」

 震える声で言った那波は、ぼう然とする俺と目を合わせると、絶望するように両手で顔を覆った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~

國樹田 樹
恋愛
心に傷を抱えた大人達の、最後の恋。 桜の季節。二十七歳のお局OL、白沢茜(しろさわあかね)はいつも面倒な仕事を回してくる「能面課長」本庄に頭を悩ませていた。 休憩時間のベルが鳴ると決まって呼び止められ、雑用を言いつけられるのである。 そして誰も居なくなった食堂で、離れた席に座る本庄と食事する事になるのだ。 けれどある日、その本庄課長と苦手な地下倉庫で二人きりになり、能面と呼ばれるほど表情の無い彼の意外な一面を知ることに。次の日にはまさかの食事に誘われて―――? 無表情な顔の裏に隠されていた優しさと激情に、茜は癒やされ絆され、翻弄されていく。 ※他投稿サイトにも掲載しています。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

処理中です...