太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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すれ違う祈り

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***


 今でも夢なんじゃないかと思うことがある。

 朝目覚め、鏡を見るまでは、あの時、御神体の鏡に映った自分がすべて幻で、昨日の出来事までも夢の世界の出来事だったのではないかと。

 しかし、鏡の前に立つ度に、現実を突きつけられた。
 白い頬に手を触れさせれば、鏡の中のナミもそうした。
 制服を着て部屋を出れば、私であるはずの芽依が迎えに現れた。
 そうして過ごしてきたこの十年間、私はまぎれもなく飛流那波だった。

「飛流さん……」

 鳥居の側にうずくまった私に駆け寄る凪は、おそるおそる肩に触れた。
 彼の手からわずかな震えが振動となって伝わってくる。

 怖いだろう。私の存在を不快に感じただろう。

 凪も私をバケモノだというだろうか。それは言われても当然のことだ。だが苦しい。逃げ出したい。凪にだけは嫌われたくない。私の頭の中はその言葉ばかりを繰り返している。

 しかし話さずにはいられなかった。
 彼を好きになったと気付いた時に、私は私である飛流芽依として、彼に愛されたいと望んでしまったから。

 手のひらから顔を上げた私を見て、凪はホッと息を吐く。私が泣いている、とでも思ったようだ。

 怖くないのかしら……?と、意外に思う私の前で、凪は慌てながら鞄の中を探り出す。そうして取り出したのは、一枚の写真だった。

「人形って……、これのこと?」
「なぜこれを木梨くんが?」

 私は写真を受け取る。
 それは私がまだ飛流芽依として幸せに暮らしていた頃の家族写真。
 優しい笑顔の両親に囲まれて、ナミの人形を抱く私。
 これは祖父に撮ってもらったものだ。

 十年前のあの日、芽依と私は手をつないで両親と祖父母のいる屋敷へ戻った。
 芽依が不思議と私の存在をすんなりと理解してくれ、一緒に暮らそうと言ってくれたからだ。

 しかし、両親は違った。
 父は私を一目見るなり恐怖に怯えた目をして、母は悲鳴をあげて気を失った。

 芽依と祖父母だけは私を受け入れてくれ、飛流那波として生きていく道を作ってくれた。

 それから母は写真をすべて焼き捨てた。私を拒む父には、自分たちが厳しくし過ぎた報いだと祖父が叱咤した。

 仕方なく両親は私を受け入れたが、私は目を合わせることすらしてくれない両親から離れ、祖父の元で育てられた。

「芽依がおじいさんにもらったそうだよ。返そうと思って今日は持ってきたんだ。大切な写真だよね? 飛流さん」
「……芽依は一度もそんなこと言わなかったわ」

 写真を胸に当てる。
 父は厳しく、出来の悪い私を疎ましく思っている時もあったけれど、この時は、今よりも遥かに幸せだったのだ。

 私の身に起きたことは、父のというより、それに気付けなかった私が招いた報いではないだろうか。

「大切にしてたんだ? その人形」

 そう言って、凪は私の隣に腰を下ろす。ちょっと驚く。凪はまったく私を恐れていない。

「え……、ええ、そう。一目で気に入ったの、だから」
「嘉木野ナミって子を模した人形だっていうのは知ってた?」
「ええ……、知っていたわ。嘉木野さんの娘さんなの。彼女……、亡くなってるのよ。だから両親は反対したの。新しい人形を嘉木野さんは作ってくれると言ったけど、私はどうしてもこの子がいいって駄々をこねて譲ってもらったの。でもなぜ? 木梨くんはなぜそれを知っているの?」

 珍しくこの辺りで雪が降った日、私は両親と一緒に祖父が懇意にしている人形作家の嘉木野氏の工房を訪れた。

 工房にはいくつかの完成した人形が飾られていて、金髪や赤髪、栗色の変わった色の髪を持つ人形の中に、ひときわ目立つ黒髪の人形があった。

 心惹かれる人形はないかと嘉木野氏に尋ねられ、私は真っ先にその人形を指さした。
 運命の出会いだったのかもしれない。こうなる日が来ることを予見したかのように、私はすぐに嘉木野ナミの人形に惹かれた。

 その場では両親は何も言わなかったが、自宅に戻った後、あの人形は嘉木野氏の亡くなった娘さんそっくりに作られた人形で、嘉木野氏が大切にしているものだから無理を言ってはいけないと諭された。

 幼かった私は、無分別にあの人形でなければ嫌だと言って両親を困らせた。
 今思えば、不必要に執着した私は何かに囚われていたのかもしれない。

 そんな遠い過去の出来事を、なぜか凪が知っている。
 首を傾げて凪を見上げると、彼は頼りなく眉を下げる。

「噂で聞いただけだよ、俺は。いろんな偶然が重なって知っただけ。でもさ、全部芽依が仕組んだのかもなって思ったりもする」
「芽依が? なぜ」
「飛流さんをなんとかしたいって気持ちが芽依にあるからだよ。今のままじゃ良くないってことぐらい、誰だってわかることだよ」
「……芽依はずっと私のことが嫌いだと思ってたわ」

 だから私のために何かをしてくれるなんて期待はなかった。家族写真を凪に渡して、私のことを彼にわからせようとしたなんて思いもよらない。

「そんなことないよ。誰よりも飛流さんのことを大事に思ってる理解者じゃないかな」

 凪の言葉に自然とうなずく。

「そうね……、今はそう思ってるわ。でもそう思えるようになったのは最近よ」
「どうして嫌いだなんて?」
「私、あの日願ったのよ。父と母が私のことでもめていて……、すごく嫌な気持ちになって。両親が喧嘩するのは、いつも私のことでなの。私なんていなくなればいいって思った。だからここで願ったの。無我夢中で願ったのよ。両親の嫌いな私を追い出してって。……神は願いを叶えてくれたのね、きっと。芽依の感情を、ナミと分かち合わせたの。ナミの人形に飛んだ私のすべては、芽依がいらないと思ったすべての私なのよ」

 私が嫌いな自分を飛流芽依の中から追い出したのに、芽依に戻りたいと望んだ私を受け入れてくれた彼女を意外に思った。

 彼女は私が嫌いだったのに。
 私も両親を苦しめる彼女の存在を疎ましく思っていたのに。
 神にそれを望み、招いた結果は、さらに両親を苦しめるものとなった。

 このままでいいはずはない。

 私は両親が嫌いな自分を抱えながら、飛流芽依として生きていかなければならない。それはごく当たり前の、自然な生き方だ。

「それにね……」

 私は両手を広げ、その手のひらを見つめる。

「芽依が私を嫌いだって思ったのにはもう一つ理由があるの」
「どんな理由?」

 凪は静かに尋ねる。私にすべてを吐き出させようとしているかのようだ。

「芽依はすぐに人形の中の私が自分であることに気づいて、何のためらいもなく一緒に暮らそうって笑顔を見せてくれたの。そして、私のことをいつも人形に語りかけていたように、ナミと呼んでくれた。ナミ、ずっと一緒にいようね……、ナミ、ずっと離れたらダメよって。私を飛流ナミとして生きていくことを許してくれたのに、私にはくれなかった……」
「くれなかった? 何を?」
「人としてのぬくもり……、涙……、芽依は意地悪よ」
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