太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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すれ違う祈り

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 冷たい両手に顔をうずめる。悲しいのに、涙を流したことは一度もなくて。

 ぬくもりがあれば、涙を流すことができたら、今よりもっと人としての人生を謳歌できたかもしれない。

「人として生きることを……、芽依は許さないのよ。バケモノだと言われた時、そう、思ったわ」
「考えすぎだよ。飛流さんの話からすると、ただ単に芽依は自分がいらないものを追い出しただけだよね。体温と涙は芽依にとって必要なものだった。そういうことじゃないかな」
「だったらどうして……」

 喉が詰まる。そんな私を見て、凪が眉を寄せる。私は苦しい顔をしているだろうか。だけどそれを知らせるための涙は流れない。苦しいのに。すごく苦しいのにわかってもらえない。

「だったらどうして、私はチーズケーキが好きなのかしら」
「え?」
「どうしてバレエが好きなのかしら……」
「飛流さん……」
「飛流芽依だった頃の私は、チーズケーキが嫌いだったのかしら。母に勧められて始めたバレエを嫌々頑張っていたのかしら。そんな風に思ったことはなかったけど、心の底では嫌いだったのかしら」
「……つまり好きだったものを分けてくれたなら、なぜ体温や涙は分けてくれなかったのかと思ってる?」
「芽依が私を嫌いだから……、よね。そう思ってたわ」

 芽依に戻りたいと望んだ私を受け入れた彼女を目にした時、その思いは間違いだったのかと思った。
 チーズケーキもバレエも、ただ単に嫌いだった。そういうことだろう。

「それなのに、母はいつもチーズケーキを買ってくるの。私を喜ばせようと、せめてもの愛情を見せてくれているのかもしれないけれど、おかしいわよね、本当はチーズケーキなんて嫌いなのに」

 私は立ち上がり、空を見上げた。

 不思議と心が軽い。

 凪にすべてを話したら、私という人間を理解してもらえたんじゃないかなんて思えて。

 この体では、彼の愛を得ることは出来ないけれど、飛流那波に思い残すことは何もなくなった。そう思える。

「戻りましょう、木梨くん。チーズケーキ……、食べたいわ」

 歩き出す私に凪がついてくる気配がない。彼はいつも私を追いかけてくるのに。

 嫌われただろうか。もう関わりたくないと感じただろうか。しかし、すべてを話したことに後悔はなくて。

 振り返ると、凪はまだ鳥居の側に座り込んでいた。

 無表情で凪を見つめる私を、彼はまっすぐに見つめ返してくる。無言で見つめ合う時間はそれほど長くはなかった。

 ざわざわと周囲の木々が揺れて、風で舞い上がる髪を押さえた。目の前でなおも揺れる髪に視線を移す。

 その時だった。凪は不意に立ち上がり、私の前に駆けてきた。その距離が近くて驚く。髪に指をかけたまま彼を見上げる。

 凪はいつも真摯に私に向き合ってくれるけれど、今もそう。とても真剣な眼差しで私を見つめている。

 何を言ってくれるのだろう。今度は私を励ますどんな言葉を投げかけてくれるのだろう。

「飛流さん、俺の話も聞いて欲しいんだ」
「あ……、ええ、そうだったわね。何かしら?」

 すっかり忘れていた。凪も私に話があると言っていたのだった。

「俺、好きな子がいるんだ」

 唐突に凪は言う。私はとっさに身を守ることができなくて、奇妙に顔を歪ませてしまう。

 そんな話聞きたくないのだ。素直な思いがおびえとして私の表情に表れたのか、凪はちょっと苦しげに笑う。

「突然困るよね……」

 後悔するように凪は髪を撫で下ろし、うつむく。

「そうね……、困るというより、それを私に話されてもどうすることも出来ないわ」
「でも聞くことはできる?」

 いつだって私はそう言っていた。どうにかすることはできなくても、話を聞くことはできると。

 だから私は逃げ出さずに、彼の話に耳を傾けなければならない。

「ええ、聞くわ。ただ何も期待しないで欲しいの」

 凪の思いを受け止めるのは、飛流那波であるメイではなく、飛流芽依であるメイだ。
 芽依は凪の思いを私のために受けてくれるだろう。だから彼が私に相談する必要は何もない。

「期待はしたい。期待が少しもないなら、告白したりしない。俺の話を聞いて、考える余地はもらえるって期待はしてる」
「そう……、本当に好きなのね」
「自分でも不思議なんだ。飛流さんの話を聞いても、何の迷いもないんだ」
「怖くないの?」
「怖くない。飛流さんは誰よりも人間らしいよ。悲しみや苦しみがわかるってことはすごく大事なことだよ。だから俺は好きなんだ。飛流さんが好きなんだ」
「え……」

 凪の瞳は純粋で、まっすぐだった。

「高校を卒業しても飛流さんに会いたい。ご両親が飛流さんを家から出したくない理由もわからなくはないけど、これから先ずっと家にいるだけなんておかしいよ。俺も、飛流さんと過ごしていきたい」
「……よく、わからないわ」

 こめかみに手をあてる。混乱している。凪の好きな人は、飛流那波だというのか。思考が追いつかない。

「飛流さんに好きな人がいるのはわかってるよ。だから考えて欲しいって思ってる」
「あなたは芽依が好きなのでしょう?」
「え、……違うよ。芽依の方が可愛いとか……、そんなことも言ったことがあるけど、それは誤解だよ」
「でもあなた、芽依を抱きしめていたわ……」

 凪は大きく目を見開く。

「抱き、って……、そんなことしてない。もしそう見えたことがあるなら、それも誤解だよ。嘘なんてついてないし、からかってもないよ」
「誤解? そんなことあるのかしら」
「飛流さんがそう思ってたなら、全部誤解だよ。信じてもらうしかないけど……」
「あなたが私を好きだなんて、そんなこと……」

 戸惑いで落ち着かなくて、凪に背を向ける。

 どうしたらいいのだろう。
 私の体は冷たくて、喜びの感じ方も知らなくて、顔だって彼の好みではなくて、彼に愛されるものなど何もないのに。

「私の何が好きなの……?」

 両腕で体を抱きしめながら尋ねた。震えている。何のためかわからないが、体の震えが止まらない。

 私の前に回り込む凪が、震える私の肩に手を伸ばす。

「飛流さんの心が好きだよ。飛流さんと話してると楽しいんだ。それだけ? って思うかもしれないけど、一番大事なことだと思う」
「心……?」
「そうだよ。だからずっと一緒にいたいって思ってる」

 凪を見上げたら、優しい彼の瞳と視線が混ざり合う。

「私を抱きしめたいって思ってるの?」

 そう問えば、凪はほんのり赤くなって、「まあ……」と曖昧にうなずく。

「最初はこのまま友達として会ってくれれば嬉しいって思ってるけど、やっぱり……、付き合って欲しいって思ってる」
「……本気なの?」

 凪の手が肩に触れた。
 彼は震える私を労わるような優しい目をするけど、私の体の中には鋭い痛みが駆け抜けていく。

「本気で言っているの?」
「え……」

 私は後ずさった。凪の手から逃れるように。

 私が彼に与えられるのは冷たさだけなのに。彼に抱きしめられて温かいと感じることができるのは私だけなのに。

「複雑だわ……」
「飛流さん、今すぐ返事が欲しいってわけじゃ……」
「いつだって同じよ。私が飛流那波である限り、私は何も変わらないのよ」
「つまり……」

 凪は悲しげに眉をさげる。

 あなたを受け入れられない。そうは言えなくて、私は首を横にふって、彼の言葉を遮った。

「心と体が一致してないのは不便なものね」

 静かにそう言って、目を伏せる。

「あなたが芽依を好きだったら良かったのに……」
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