太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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すれ違う祈り

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***


「輝、……輝っ」

 輝は切り株に被さるように倒れていた。長いまつげが頼りなげに下を向き、額には大粒の汗が浮かぶ。気を失っているようだ。

 辺りには暗雲が立ち込めているが、凪の居場所はおぼろげながら見えている。
 凪を呼んでこよう。そう思って腰を浮かしかけた時、彼に近づく白い影に気づいた。

 芽依だ。

 芽依は凪にスッと歩み寄り、身を寄せる。寄り添う二人のぼんやりとした輪郭に胸がざわつく。芽依が凪に触れている。そう気付いたら、胸が痛む。

 凪に触れないでほしい。

 嫌な気持ちが生まれてくる。こんな気持ちは初めてで……、変な気分だ。

「あ……、那波」

 不意に腕をつかまれた。振り返ると、輝がつらそうに頭を左右に振る。彼は私と目を合わせると奇妙に目をしかめた。

「輝……、あなた……」

 輝の左目に指を伸ばす。その手を彼は止めるようにつかみ、私の顔をじっと見つめる。

「どうした……、那波。なぜそんな顔をしてる?」

 そんな顔とはどんな顔だろう。

 頬に指を触れさせる私の髪に触れてくる輝は、疲れ切った表情で私の顔を覗き込む。

 彼の額には汗が浮かんだままだ。
 熱を帯びた彼の指が私の頬に触れる。悲鳴をあげているかもしれない体を起こしながら、私の心配をしてくれているようだ。

「何があった……?」

 かすれた声が痛々しい。

「芽依が……、木梨くんといるのよ。それだけよ……」

 私から外れた輝の視線が暗雲の中をさまよう。

「どこにいる? 俺には見えないが」
「……私には見えるみたい。風の流れを感じるの」
「そうか。で、芽依と木梨は無事か?」

 私の身に起きる妙な現象を、輝は深く追求する気はないようだ。まるでそれが当たり前のことのように受け入れ、話を進める。

「ええ……、二人で話をしているみたい。何を話してるのかしら……」

 なぜかそんなことが気になる。凪から離れたのは私だけれど、はやく芽依から離れて私のところへ来てほしいと願う気持ちがある。

「気になるのか? 二人のことが」
「……気になるのかしら。よくわからないわ。でもすごく嫌な気持ち……」

 そう言うと、なぜだか輝は薄く笑う。

「嫉妬か。なるほど」
「嫉妬……」
「あんたは芽依に怒ってるんだ。木梨を奪うかもしれない女に嫉妬してる」
「……これが?」

 まだ痛む胸に手を当てる。

 私が私に腹を立てている?
 私は凪に触れられると安心する。その彼が私以外の女の子に触れたりするのは、彼女にも安心感を与えているのではと苦しくなる。これが、嫉妬か。

「つまり」とつぶやいて、輝は自分の左目に手を当てた。

「あんたに怒りが戻ったんだな。だが、あんたはなぜまだ那波のままでいる? なぜまだ冷たいんだ?」

 輝は長い前髪をかきあげながら、私の目を真剣な眼差しで見つめる。その彼の瞳は、まるで違和感を覚えない左右均一のグレイの瞳だった。

「失敗……、したのよ」

 そうつぶやく声は小さくなる。

 芽依は私を拒んだのだ。私の計画に賛成してくれていた彼女が、なぜ急に私を受け入れることを拒否したのか、その理由はわからない。

 ただ私の行動は間違っていると彼女は言った。彼女に戻ろうと願う私の行動は、ただの逃げだと。

「私はただ……、木梨くんに愛してもらえる体が欲しかっただけなの」

 身体を抱きしめる。自分の身体が冷たくて、誰かを不快にさせるものだなんてずっと知らなかった。
 まして、祖父母は私をいつも抱きしめてくれたから、愛する人にまで負担をかけるものだなんて知りもせずに育ったのだ。

「木梨はあんたを拒んだか?」

 輝は諭すように尋ねる。その答えは決まっている。

「……そんなことはないわ」

 いつだって凪は私に優しい。
 大丈夫だと、不安な目をして私を安心させようとする。だからこそ余計に、足りないものを欲する気持ちが膨らんだのだ。

「木梨を信じたらいい。あんたの想いが本物なら、その気持ちはちゃんと伝わるさ」
「でも……、不安なの」

 ぽつりとつぶやく。凪の側にいたいと思えば思うほど、私は臆病になっていく。

「まだそんなこと言ってるの? 那波」

 不意に背中に声がかかる。

「……芽依」

 いつの間に来たのだろう。芽依が目の前まで来て、私の前にしゃがむ。

 彼女の目に宿る光がいつもと違う。
 その違和感が何かわからず戸惑う私を、不穏な表情で輝が引き寄せる。

「那波は守ってもらってばかりね」

 少しばかり剣呑な言い方に、違和感はますます大きくなる。

「あんたに怒りが戻ったように、芽依にも同じことが起きたんだろう」

 耳元でささやく輝の言葉にどきりとする。

「芽依……、あなた、怒っているの?」
「なぜ気づかないの。那波はいつも自分のことばかり思い悩んで、なぜ私の苦しみに気づいてくれなかったの」

 芽依はうなずかない代わりに、私を責めた。

「あなたに苦しむことなんて……」
「ないと思ってた? 那波にも私にも与えられた感情はずっと平等だったじゃない。あなたが気づかなかっただけ。心はいつだって平等だったのに……、それなのに、凪も樋野先輩もあなたを選んだ」
「でも、あなただって学園では……」
「マドンナであることと、ただ一人の女の子として愛されることは全く違うのよ、那波。私はあなたの身代わりでしかないから、何も得られなかった」
「そんなことないわっ。あなたは私じゃない」

 芽依はずっと幸せだったはずだ。
 怒りの感情が欠落した私たちだけれど、芽依の方がずっと……。

「私は私。那波は那波よ。でもね、今の芽依は那波ではないのよ。これからもずっと、那波が芽依になることはないの」
「なぜ……、なぜ私の体を返してくれないの?」
「私だって、あなたのように生きてみたくなったの。悲しい時は悲しいと……、苦しい時は苦しいと、愛する人の前で泣いてみたいわ……」

 見たこともないほどに、芽依は悲しげだ。

「芽依……、あなたには涙があるじゃない。今でもそれは出来るじゃない」
「そう、そうね。今のあなたよりは、私に出来ることはたくさんあるわね。だから返してあげない。完璧なあなたにはどうしたって勝てないから、完璧にはしてあげない」
「なぜそんな意地悪を言うの……?」
「意地悪なのは那波よ。なぜ私を生まれさせたの? 自分だけ助かろうとしたのはあなたじゃない」
「芽依を生まれさせた……?」

 意味がわからなくて眉をひそめる。

「そうよ。私たちがこうなったのは、神の力でもなんでもない。あなた自身の弱さが招いたことよ」
「私の、弱さ……」
「あなたが泣くと、空も泣くの。あなたが笑うと、大気も暖かく微笑むの。あなたは無意識に自然の魂を自在に操るのね。そんなあなたの側にずっといられて、私はそれなりに幸せだったのよ」
「ずっと側にいた……?」

 芽依は私であるはずなのに、なぜかその言い方に引っかかりを覚える。

「あなたは江井見の一族として何不自由なく過ごしていたのに、少しパパやママに叱られたぐらいで逃げ出したの。あなたが那波の体に逃げ込んできたから、芽依の体は空っぽになった。だから行き場を失った私は芽依の体に入るしかなかったのよ」
「え……」
「私はずっとその体の中にいた。あなたが私を追い出したから、私は仕方なくあなたの体に入ったの。私はナミよ。嘉木野ナミ。でももうこの体はあなたに返してあげない。私はこれから飛流芽依として生き続けたいの」
「芽依……、あなたがそんな……ナミだなんて」

 後ろに倒れかかる体を輝が支えてくれる。
 冷たく震える私の体をしっかりと抱きとめてくれる。その輝の腕を、芽依は悲しげに見つめる。

「私は芽依として生きたいの。あなたも芽依に戻りたいのよね。祈りは同じでも、どちらかを選ぶことはできないの。ただ……、せめて、あなたが私に戻りたいなんて思わないように、あなたが欲しいものをあげる」

 そのぐらいの優しさはあるわ……、と芽依はそっと微笑んで、輝から私を引き離すように手を引く。

「あなたの力で願いを叶えてみせて。この体以外、あなたの欲しいものはあげるから……」

 そう言って、芽依は優しく私を抱きしめた。

 いつだってそうだった。私が悲しい時、私が苦しい時、私がつらい時は、いつもナミが側にいてくれた。

 楽しいことがあればナミに話して聞かせた。幸せな時をいつもナミと共有した。私のことを誰よりも理解していたのは、ナミだった。

「芽依……、あなたを苦しめるつもりはなかったのよ」

 芽依の体を抱きしめ返した。
 私はいつも自分のことしか考えてなくて。10年前のあの日だって、あなたはつらいことがなくて幸せね、とナミに話しかけていた。

 ナミの苦しみを何一つ理解できなかった私が犯した罪を、私はこれから先も背負っていかなければならないのだろう。

「ごめんなさい……、ナミ」

 頬に落ちてくるのは大粒の涙か……。

 悲しげに私を見下ろす芽依の頭上から雨がぽつりぽつりと降り出して。それは瞬く間に本降りの雨となり、私たちを激しく打ち始める。

 地面に崩れ落ちる芽依の体とともに私の体も倒れて。その時には周囲を包む暗雲は消え去り、遠くから水たまりを走る足音が聞こえてきた。

「那波っ!」
「木梨くん……」

 凪の足が目の前に見えて、手を伸ばすけれど、それは彼に届く前に力尽き、そのまま意識が遠のいていった。
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