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すれ違う祈り
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***
影見神社にたどり着いた時、那波と芽依はまるで言い争うように向かい合っていた。
事態がすぐには理解できず、視線をずらすと、輝が不穏な眼差しで飛流姉妹を見つめる様子が見えた。
もう遅かったのか。
計画は失敗したのか。
何が起きているのだろう。
様々な思いが一瞬にして脳裏を駆け巡る中、俺は巨大な暗雲に目を見張った。
それは神社の上方から突如現れ、息を飲む間に大きく広がり、広場を真っ暗闇に包み込んでいく。
那波は芽依に向かって夢中に手を伸ばしていた。輝もまた異様な空気に驚いて空を見上げたが、彼女たちは全く気付いていない。
「飛流さんっ!」
俺は叫んだ。
暗雲が下がってくるのだ。まるで飛流姉妹を飲み込もうとするかのように触手を伸ばし、渦を巻いて落ちてくる。
「飛流……」
もう一度名前を呼ぼうとした。その時、那波が俺に気づき、こちらを見た。
その表情に俺の胸は揺さぶられた。那波は何かに傷ついている。悲しみと苦しみに押しつぶされてしまいそうな表情で、俺に救いを求めている。
俺は無我夢中に走り出した。
「那波っ!」
彼女の名を叫んだ。暗雲が彼女に覆い被さり、飲み込もうとする。しかし彼女は動かない。なぜ気づかない。
彼女は周囲の空気に敏感で、不穏な何かを気づかないはずはないのに。
「那波っ、逃げろっ!」
そう叫んだ時、暗雲は那波と芽依を飲み込んだ。
「那波っ!」
俺は暗雲の中に飛び込んだ。そして黒い何かを闇雲にかきわけて進む。
手に触れる空気が不思議と温かい。
俺はハッとする。那波がこの暗雲に気づかない様子だったのは、恐怖を与えるものではないからだろうか。
「……木梨くん」
近くで那波の声がした。
「那波っ、那波……」
「ここよ、木梨くんっ」
不意に闇の中から白い手が現れる。那波の手だ。俺はすぐさまその手をたぐり寄せた。
「那波……、良かった……」
闇から救い出すように姿を現す彼女を抱きしめる。冷たい身体に安堵する。俺の知る那波は、まだ那波のままでいる。
「これは?」
「わからないわ……、でも……」
「神の仕業?」
「わからないけど、計画は失敗するわ」
「失敗? じゃあなんで、こんなことが」
那波は首を横に振る。彼女すら何もわからないのだ。
暗雲は一向に晴れる気配はなく、ただただ俺たちの周りを漂っている。
「何が起きるんだろう」
「あの時もこんな風だったのかしら。私と芽依の願いは決裂したのに、何かを叶えようとしてくれてるのだとしたら……」
「決裂って?」
「ただ一つだけ、私たちが唯一心を一つに願うことがまだ残ってる」
那波は俺の問いに答えることなく、周囲を見回す。彼女には何かが見えるのだろうか。
わずかに俺から離れようとする彼女を抱き寄せる。
「那波、離れたらダメだ」
離れたらまた見失う。もう会えないかもしれないなんて不安は、二度と味わいたくない。
「木梨くん……、でも輝が……」
俺の願いもむなしく、那波は俺の腕からすり抜けて駆け出していった。
「那波っ」
那波を追いかけようとした。しかし彼女の黒いワンピースは見る間に闇に溶け込んで、すぐに見失ってしまう。
方向すらわからない闇の中だが、那波の消えた方向に足を踏み込む。
いくら那波に危害を加えない存在が周囲を取り囲んでいるのだとしても心配だ。
「凪っ」
もう一歩進もうとした時、腕をつかまれた。
振り返ると、白いワンピースの芽依がいる。闇の中、偶然俺を見つけたにしては落ち着いた様子だ。
「芽依、これはいったい……?」
「那波の感情が起こしたことよ。じきに雨が降るわ。あの子が悲しめば、大気は不安定になるの」
俺は眉をひそめる。那波の計画とは別の何かが起きているということだろうか。
「神の仕業じゃないんだ?」
「凪……、本当に神がいると信じてるの?」
少しばかりあきれたような芽依に違和感を覚える。
「信じてるかと言われたら半信半疑だよ。目に見えないものを信じるなんて難しい。でもさ、いないなんて断言もできない」
そう言うと、芽依はそっと息を吐き出して視線を落とした。
「私ね、わざと那波を悲しませてみたのよ」
「え……?」
思いがけない告白に戸惑う。
「だって悔しいじゃない」
「悔しいって?」
「あの子は全部を手に入れようとしてるんだもの。私は必死に今まで自分を殺して生きてきたのに」
「芽依……、突然何を言って……、意味がわからないよ」
「そうしないと生きられない傀儡なのよ、私は。さっきあなたもママから聞いたでしょう?」
「あやつり人形だって話? でもあれは、ご両親の罪の意識がそう思わせてるだけで」
なんでもいうことを聞く、思い通りになる子供。
それが芽依だと彼女の母親は言っていたが、それをあやつり人形だというのは言葉のあやで、子供らしさの少ない子だったと言いたかったのではないかと俺は理解している。
「凪は優しいのね。あの子の言う通り。その優しさ、どうして私に向けられなかったの? 私はあの子より……、誰よりも愛されるように努力して生きてきたのに」
「感情を殺してまで明るく振舞ってたのは、そのため?」
足りない感情はあったのだろう。だが、苦しみや悲しみが理解できなかったわけではない。ただ鈍感になっているふりをしていた。彼女はそう言うのだろうか。
「私はあの子の姿をした、抜け殻の中にいるだけのあやつり人形よ。パパもママも本当の芽依があの子であることに気づいてる。だから早く私なんて消えてしまえばいいと思ってる」
「そんな……、そんなことはないよ。二人とも芽依なんだろ?」
「芽依はあの子だけよ。私は違う。あの子はパパやママから逃げ出して、私という身代わりを用意しただけ。あの子が戻ってきたら、私は消えるの。私の人生はそのために与えられたのだから、それもかまわないと思ってたけど、あの子があんまり幸せそうだから……、ちょっと意地悪してみたくなったの」
後悔するのかどうかはわからないが、芽依は悲しげにまばたきをする。
「……だから傷つけた? そのせいで那波の感情が乱れて、大気まで動かしたって?」
空を見上げる。どこまでも暗い闇が続いている。これは神ではなく、那波の仕業。
芽依の言葉を信じるならば、最初から那波の計画は間違っていたのだ。
気温や湿度なんて関係ない。那波の感情の波が、芽依や那波を生み出した悲しい出来事の始まりだというのか。
「あの子にはそんな不思議な力があるのかもしれないわね。だって神に限りなく近い存在だった江井見一族の末裔だもの」
もはや何が真実なのかわからない。
それでも今の芽依が嘘を言っているようには思えなかった。
信じるか信じないか、ただそれだけが真実を決めることもあるだろう。
俺は芽依を信じてみることにした。目に見えないものよりも、信じられる存在のような気がしたのだ。
「もしそれが本当だったとして、樋野先輩は? 先輩には怒りがあるって……」
「ええ。あの子はパパやママから逃げ出すために芽依の体を捨てて、身を守るために怒りを捨てたの。苛立ちがなければ、パパに刃向かう気持ちも湧かないもの」
「平穏を望んで、今がある? だったら、どうして体が冷たいんだ」
それが原因で、那波はどれほど苦しんできたのか。それは俺の想像を絶するほどの苦しみだったのではないか。
「パパやママを遠ざけるにはちょうど良かったのね、きっと。恋をするなんて、あの時のあの子には想像すらなかった。だから今になって苦しんでる」
「那波はどうする気だろう……」
漠然とした不安が膨らむ。彼女は今、何を望んでいるのだろう。
「あの子……、怒りだけは取り戻すつもりよ。足りないものを集めてるの。私の身体を奪えないから、完璧な自分になるために必死なのよ」
「どうしてこんなことになったんだ……」
最初のきっかけはなんだったのだろう。
友人もおらず、つまらない学生生活を送っていた那波だったが、彼女は高校を卒業したら家に入ることを納得してもいた。
この計画を立て始めたのは、輝の目をどうにかしたいという気持ちからで。
「全部……、あなたのためよ」
芽依は俺の心を見透かす。
「俺のため……」
そうつぶやくと、俺の胸はどくりと音を立てる。
俺はそれに気づいていた。
俺が触れると彼女が悲しむことに。
それでも体が冷たいことは気にしなくていいと言ってきた。
すぐには納得できないかもしれないが、今のままでいいのだと伝えてきたつもりだった。
「でもいらないでしょう? 凪は私の身体なんていらないでしょう? 芽依の身体は私にくれるのよね。約束してくれるなら、私はあの子が欲しいものを返すわ」
芽依は消えたくないのだ。
生を与えられたのは、那波の起こした罪の副産物によるもの。それでもこの10年、芽依として生きてきた彼女には欲が生まれ、死を恐れるまでになっているのだ。
「取引しようって?」
芽依であり、芽依ではない彼女の目を見つめる。彼女は那波の心のカケラから生まれたものかもしれないが、今はもう一人の人間なのだ。
「まるで私が悪みたいな言い方しないで。あの子が弱いから、私が生まれたの。その責任を取るのはあの子よ。……一つぐらい、不幸なことがあってもいいじゃない。それ以上にあの子はたくさんのものに満たされてるんだから」
「俺は……、那波に消えて欲しくないだけだよ。でもそれは俺のエゴで。芽依には芽依の、那波には那波の主張があるんだろうけど、どの選択が正しいかなんて俺が決めることじゃない」
「私の好きなようにしていいのね?」
「那波を傷つけないと約束するなら」
「傷つかない人生なんてないでしょう? 私はあの子に、逃げない人生を歩んで欲しいだけよ」
「芽依は……、強いよ。那波が優しいのは、きっと芽依が守ってきたからだ」
誰をも責められない。その思いが俺にそう言わせた。すると緊迫していた芽依の表情が和らぐ。
正しい道なんてどこにも存在しないのかもしれない。那波のしたことは不幸を増やしたかもしれないが、その中にも幸せなことはあったはずで。
俺は那波に出会えたことに感謝している。それは芽依もまた、同じ気持ちなんじゃないかと思える。
「これからも、あの子を守らせてくれるのね」
芽依は優しく微笑むと、俺の横をすり抜け、闇の中に消えていった。
影見神社にたどり着いた時、那波と芽依はまるで言い争うように向かい合っていた。
事態がすぐには理解できず、視線をずらすと、輝が不穏な眼差しで飛流姉妹を見つめる様子が見えた。
もう遅かったのか。
計画は失敗したのか。
何が起きているのだろう。
様々な思いが一瞬にして脳裏を駆け巡る中、俺は巨大な暗雲に目を見張った。
それは神社の上方から突如現れ、息を飲む間に大きく広がり、広場を真っ暗闇に包み込んでいく。
那波は芽依に向かって夢中に手を伸ばしていた。輝もまた異様な空気に驚いて空を見上げたが、彼女たちは全く気付いていない。
「飛流さんっ!」
俺は叫んだ。
暗雲が下がってくるのだ。まるで飛流姉妹を飲み込もうとするかのように触手を伸ばし、渦を巻いて落ちてくる。
「飛流……」
もう一度名前を呼ぼうとした。その時、那波が俺に気づき、こちらを見た。
その表情に俺の胸は揺さぶられた。那波は何かに傷ついている。悲しみと苦しみに押しつぶされてしまいそうな表情で、俺に救いを求めている。
俺は無我夢中に走り出した。
「那波っ!」
彼女の名を叫んだ。暗雲が彼女に覆い被さり、飲み込もうとする。しかし彼女は動かない。なぜ気づかない。
彼女は周囲の空気に敏感で、不穏な何かを気づかないはずはないのに。
「那波っ、逃げろっ!」
そう叫んだ時、暗雲は那波と芽依を飲み込んだ。
「那波っ!」
俺は暗雲の中に飛び込んだ。そして黒い何かを闇雲にかきわけて進む。
手に触れる空気が不思議と温かい。
俺はハッとする。那波がこの暗雲に気づかない様子だったのは、恐怖を与えるものではないからだろうか。
「……木梨くん」
近くで那波の声がした。
「那波っ、那波……」
「ここよ、木梨くんっ」
不意に闇の中から白い手が現れる。那波の手だ。俺はすぐさまその手をたぐり寄せた。
「那波……、良かった……」
闇から救い出すように姿を現す彼女を抱きしめる。冷たい身体に安堵する。俺の知る那波は、まだ那波のままでいる。
「これは?」
「わからないわ……、でも……」
「神の仕業?」
「わからないけど、計画は失敗するわ」
「失敗? じゃあなんで、こんなことが」
那波は首を横に振る。彼女すら何もわからないのだ。
暗雲は一向に晴れる気配はなく、ただただ俺たちの周りを漂っている。
「何が起きるんだろう」
「あの時もこんな風だったのかしら。私と芽依の願いは決裂したのに、何かを叶えようとしてくれてるのだとしたら……」
「決裂って?」
「ただ一つだけ、私たちが唯一心を一つに願うことがまだ残ってる」
那波は俺の問いに答えることなく、周囲を見回す。彼女には何かが見えるのだろうか。
わずかに俺から離れようとする彼女を抱き寄せる。
「那波、離れたらダメだ」
離れたらまた見失う。もう会えないかもしれないなんて不安は、二度と味わいたくない。
「木梨くん……、でも輝が……」
俺の願いもむなしく、那波は俺の腕からすり抜けて駆け出していった。
「那波っ」
那波を追いかけようとした。しかし彼女の黒いワンピースは見る間に闇に溶け込んで、すぐに見失ってしまう。
方向すらわからない闇の中だが、那波の消えた方向に足を踏み込む。
いくら那波に危害を加えない存在が周囲を取り囲んでいるのだとしても心配だ。
「凪っ」
もう一歩進もうとした時、腕をつかまれた。
振り返ると、白いワンピースの芽依がいる。闇の中、偶然俺を見つけたにしては落ち着いた様子だ。
「芽依、これはいったい……?」
「那波の感情が起こしたことよ。じきに雨が降るわ。あの子が悲しめば、大気は不安定になるの」
俺は眉をひそめる。那波の計画とは別の何かが起きているということだろうか。
「神の仕業じゃないんだ?」
「凪……、本当に神がいると信じてるの?」
少しばかりあきれたような芽依に違和感を覚える。
「信じてるかと言われたら半信半疑だよ。目に見えないものを信じるなんて難しい。でもさ、いないなんて断言もできない」
そう言うと、芽依はそっと息を吐き出して視線を落とした。
「私ね、わざと那波を悲しませてみたのよ」
「え……?」
思いがけない告白に戸惑う。
「だって悔しいじゃない」
「悔しいって?」
「あの子は全部を手に入れようとしてるんだもの。私は必死に今まで自分を殺して生きてきたのに」
「芽依……、突然何を言って……、意味がわからないよ」
「そうしないと生きられない傀儡なのよ、私は。さっきあなたもママから聞いたでしょう?」
「あやつり人形だって話? でもあれは、ご両親の罪の意識がそう思わせてるだけで」
なんでもいうことを聞く、思い通りになる子供。
それが芽依だと彼女の母親は言っていたが、それをあやつり人形だというのは言葉のあやで、子供らしさの少ない子だったと言いたかったのではないかと俺は理解している。
「凪は優しいのね。あの子の言う通り。その優しさ、どうして私に向けられなかったの? 私はあの子より……、誰よりも愛されるように努力して生きてきたのに」
「感情を殺してまで明るく振舞ってたのは、そのため?」
足りない感情はあったのだろう。だが、苦しみや悲しみが理解できなかったわけではない。ただ鈍感になっているふりをしていた。彼女はそう言うのだろうか。
「私はあの子の姿をした、抜け殻の中にいるだけのあやつり人形よ。パパもママも本当の芽依があの子であることに気づいてる。だから早く私なんて消えてしまえばいいと思ってる」
「そんな……、そんなことはないよ。二人とも芽依なんだろ?」
「芽依はあの子だけよ。私は違う。あの子はパパやママから逃げ出して、私という身代わりを用意しただけ。あの子が戻ってきたら、私は消えるの。私の人生はそのために与えられたのだから、それもかまわないと思ってたけど、あの子があんまり幸せそうだから……、ちょっと意地悪してみたくなったの」
後悔するのかどうかはわからないが、芽依は悲しげにまばたきをする。
「……だから傷つけた? そのせいで那波の感情が乱れて、大気まで動かしたって?」
空を見上げる。どこまでも暗い闇が続いている。これは神ではなく、那波の仕業。
芽依の言葉を信じるならば、最初から那波の計画は間違っていたのだ。
気温や湿度なんて関係ない。那波の感情の波が、芽依や那波を生み出した悲しい出来事の始まりだというのか。
「あの子にはそんな不思議な力があるのかもしれないわね。だって神に限りなく近い存在だった江井見一族の末裔だもの」
もはや何が真実なのかわからない。
それでも今の芽依が嘘を言っているようには思えなかった。
信じるか信じないか、ただそれだけが真実を決めることもあるだろう。
俺は芽依を信じてみることにした。目に見えないものよりも、信じられる存在のような気がしたのだ。
「もしそれが本当だったとして、樋野先輩は? 先輩には怒りがあるって……」
「ええ。あの子はパパやママから逃げ出すために芽依の体を捨てて、身を守るために怒りを捨てたの。苛立ちがなければ、パパに刃向かう気持ちも湧かないもの」
「平穏を望んで、今がある? だったら、どうして体が冷たいんだ」
それが原因で、那波はどれほど苦しんできたのか。それは俺の想像を絶するほどの苦しみだったのではないか。
「パパやママを遠ざけるにはちょうど良かったのね、きっと。恋をするなんて、あの時のあの子には想像すらなかった。だから今になって苦しんでる」
「那波はどうする気だろう……」
漠然とした不安が膨らむ。彼女は今、何を望んでいるのだろう。
「あの子……、怒りだけは取り戻すつもりよ。足りないものを集めてるの。私の身体を奪えないから、完璧な自分になるために必死なのよ」
「どうしてこんなことになったんだ……」
最初のきっかけはなんだったのだろう。
友人もおらず、つまらない学生生活を送っていた那波だったが、彼女は高校を卒業したら家に入ることを納得してもいた。
この計画を立て始めたのは、輝の目をどうにかしたいという気持ちからで。
「全部……、あなたのためよ」
芽依は俺の心を見透かす。
「俺のため……」
そうつぶやくと、俺の胸はどくりと音を立てる。
俺はそれに気づいていた。
俺が触れると彼女が悲しむことに。
それでも体が冷たいことは気にしなくていいと言ってきた。
すぐには納得できないかもしれないが、今のままでいいのだと伝えてきたつもりだった。
「でもいらないでしょう? 凪は私の身体なんていらないでしょう? 芽依の身体は私にくれるのよね。約束してくれるなら、私はあの子が欲しいものを返すわ」
芽依は消えたくないのだ。
生を与えられたのは、那波の起こした罪の副産物によるもの。それでもこの10年、芽依として生きてきた彼女には欲が生まれ、死を恐れるまでになっているのだ。
「取引しようって?」
芽依であり、芽依ではない彼女の目を見つめる。彼女は那波の心のカケラから生まれたものかもしれないが、今はもう一人の人間なのだ。
「まるで私が悪みたいな言い方しないで。あの子が弱いから、私が生まれたの。その責任を取るのはあの子よ。……一つぐらい、不幸なことがあってもいいじゃない。それ以上にあの子はたくさんのものに満たされてるんだから」
「俺は……、那波に消えて欲しくないだけだよ。でもそれは俺のエゴで。芽依には芽依の、那波には那波の主張があるんだろうけど、どの選択が正しいかなんて俺が決めることじゃない」
「私の好きなようにしていいのね?」
「那波を傷つけないと約束するなら」
「傷つかない人生なんてないでしょう? 私はあの子に、逃げない人生を歩んで欲しいだけよ」
「芽依は……、強いよ。那波が優しいのは、きっと芽依が守ってきたからだ」
誰をも責められない。その思いが俺にそう言わせた。すると緊迫していた芽依の表情が和らぐ。
正しい道なんてどこにも存在しないのかもしれない。那波のしたことは不幸を増やしたかもしれないが、その中にも幸せなことはあったはずで。
俺は那波に出会えたことに感謝している。それは芽依もまた、同じ気持ちなんじゃないかと思える。
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