太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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すれ違う祈り

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***


「輝はあの日のこと、どのぐらい覚えているの?」

 そう尋ねると、輝は数歩さがり、そこにある切り株の横に立って辺りを見回した。

「確か俺はこの辺りにいたな。もっとも、あの時はここに木があって、隠れるようにあんたを見ていたが」
「なんとなく覚えてるわ。あなたとすれ違った気がするの……。その程度だけれど」
「あの日は珍しく、誰を誘っても裏山へ行くというやつはいなかった。だから仕方なく一人で来たんだ。あんたに会えれば俺はそれで良かった。だからすぐにあんたを捜した」
「私を心配して追いかけてくれたのね」
「暗く沈んだあんたを見たことはあったが、泣いてるのを見たのは初めてだったからな。心配もする」
「ショックだったの……。父と母が私のことで喧嘩していたから」

 両親を困らせる私なんていなくなればいい。
 そう願った私が、今の事態を招いた。その責任は大きく。

「期待値が高いんだろう。それは今でも変わらないはずだ。芽依に戻れば、あんたは昔と同じ思いをする。それでも戻りたいか?」
「……ええ。もしそうなったとしても、木梨くんが……、きっと、私を励ましてくれる」
「そうか。あいつはどんなあんたも、全力で守ろうとするんだろうな。それだけ信頼できる男がいるなら大丈夫だろう」
「大丈夫とはどういう意味かしら」
「この世にしがみついてでも残りたい思いがあるなら、あんたは絶対に消えない。そういうことだ」
「また……、輝にも会えるかしら」
「ああ、会えるさ。できたら、10年前のあの日に戻して欲しいな。そうしたら、次にあんたは必ず俺を好きになるはずだ」

 にやりと笑う輝に、私は手を合わせて言う。

「また輝に会えたら、お友達になりたいわ」
「あんたは……、そういうところがやけに可愛い」

 苦笑いする輝の心がわからなくて。それでも彼を傷つけてはいないのだろうと思えて、私の中に初めて友人と呼べる人が出来たのだろうという温かな思いが生まれてくるのを感じる。

「覚えてるのは、そのぐらいだ。あんたに声をかけようか迷ってるうちに何かが起きたんだ。気づいたら病院にいた」
「輝の体が心配だわ」
「気にするな。身体能力の高さは自分でもわかっている。神は乗り越えられない苦悩は課さないさ」
「そうかしら……」

 輝は私に優しいから、そんなことを言うのだと思った。

「もし俺の身に万が一のことがあったとしても、これまで生きてきた人生の中に、俺の存在意義はあったんだろう。それはあんたも同じだ。悲観するより、前に進もうとするあんたが俺は綺麗だと思う」
「あなたの未来を信じるわ」
「ああ。飛流芽依として生きるあんたの未来も、俺は信じてやるよ」
「祖父はあなたに私を会わせたがっていたのだと思うの。その思いにようやくたどり着いた気がするわ」

 祖父の思いを無駄にしてはいけないだろう。

「前理事長はあんたが芽依として生きる方に賛成だったか?」
「ええ、そう」
「だったら感謝しないとな。俺はあんたに出会えて、結構幸せだぜ。そんなこと言って口説いたら、また木梨凪が目くじら立てて怒るんだろうな」

 輝は愉快げに肩をすくめ、腕時計を確認した。

「そろそろ時間じゃないか? 芽依はどうした?」
「そうね。約束の時間には来るように話しておいたのだけど」

 私は足元に置いたノートを確認した。
 今日は何もかも予定通りだ。気温、湿度、風向……、出来る限りそろえられるすべてがあの日の条件に合致している。

 私はどうなるのだろう。

 不安はある。あの日を取り戻すことが出来たら、私の体は人形に戻り、私の心は芽依に戻る。
 そうなった時、私は今の私のままで存在し続けることが出来るのだろうか。

 凪のことだけは覚えていたい。そう願うのは、欲深だろうか。

 私はノートを鳥居の側に置いて、あの日のようにそこへ腰を下ろした。

 輝も切り株に腰を下ろす。その時だった。遠くから芽依の私を呼ぶ声が聞こえてくる。

「那波ーっ……」

 影見神社の広場へ姿を現した芽依は、私を見つけると大きな声で叫んだ。

「那波っ、凪が……、凪が那波に会いに来てるよっ」

 芽依は可愛らしいフリルのついた白いワンピースを着て、鳥居の前まで駆けてきた。

 向かい合って立てば、10年前のあの日の記憶がよみがえる。
 輝は斜め後方で、切り株から腰を上げてこちらの様子をうかがっている。

 あの日、私たち三人はこうしてここにいた。すべての条件が今、そろったのだ。

「那波っ、凪……、凪はどうするの?」

 呼吸を乱しながら尋ねてくる芽依の手にそっと触れる。

「那波?」
「木梨くんとの約束は三時よ」
「凪は知ってるの?」
「芽依、私ね、嬉しかったのよ」
「那波……?」

 私は芽依の胸に抱かれるように手を伸ばし、彼女に身を寄せてそっと目を閉じた。

「私のために、木梨くんを受け入れてくれるって芽依が言ってくれたこと、本当に嬉しかったのよ」

 嬉しいなんて感情、私には理解できないと思っていたけれど、確かにこの体の中にあったのだと今はわかる。

「あなたには感謝してる」
「那波……、凪は……」
「もう戻りたいの。つらいことがあったからって逃げ出すのは、周りを不幸にするだけだって気付いたから。私は芽依として、生きていくべきだってそう思うから」
「凪は、なんて?」
「次に木梨くんに会う時は、あなたみたいな温かい体で会いたいわ」
「答えになってないよ、那波」
「木梨くんにちゃんと抱きしめてもらいたいの。私も、ちゃんと抱きしめてあげたいって思うの」

 震えながら、恐れや怯えを感じながら触れ合うのは不幸なことだ。例え彼がそれでかまわないと言ってくれたとしても、私の気持ちは納得しない。

「私を……、芽依に戻して……」
「那波……」

 芽依は私の背中に腕を伸ばし、強く抱きしめる。

「那波、私だってあなたが羨ましかったの。おじいさまやおばあさまは那波ばかり大切にして。パパやママは私を可愛がってくれたけど、楽しかった記憶なんて何も残ってないから……」
「芽依……、私たちはいつも同じ気持ちよね?」
「そうだよ、那波。私にも足りないものを返して、那波。ずっとこのままなんて嫌。私はパパやママに愛されたいの」

 手がかからない子供だった芽依にも、空虚な思いがあったのだ。
 問題がないということは、何もないに等しく。ただ漫然と過ごす日々に、両親との思い出もない。

「戻りましょう、芽依」

 あの日のように、芽依は苦しげに眉を寄せて私を抱きしめる。足りないものを補い合うためには、これしか方法がないのだと彼女も理解している。

「芽依」

 芽依の胸に頬を寄せようとしたその時、彼女は私をいきなり突き放した。

「芽依……?」
「那波、凪はどうするの?」

 芽依はまたそれを尋ねる。答えはないのに。凪とのことがどうなるかなんて、私にもわかりはしないのに。

 答えがないことを答えたくない私は無言になる。それは卑怯だろうか。わからないことに対して目を背けていることに変わりはないだろうか。

 私たちは心を、気持ちを合わせなければならない。そうでなければ、この計画に成功はありえないのだ。

 分かり合おう。そう思って芽依に手を伸ばすが、彼女は震える指で私の手をはねのけて叫んだ。

「凪から見たら、私たちはまた逃げ出してるだけじゃないの? 今を捨てて、すべてをなかったことにする未来なんて誰を幸せにするの? 間違ってるんじゃないの、那波。そうじゃないの? ねぇ、那波! 那波っ!」

 なぜ今更、芽依がそんなことを言い出したのか私には理解できなかった。
 ただ距離が離れたことだけはわかった。

 計画は失敗だ。
 芽依は私を拒否したのだ。私が戻ることを彼女が許さないなら、私の居場所は芽依の中にはない。

「芽依……」
「凪を、なぜ信じないの……? 那波」

 信じてないわけではない。
 私はただ、凪に苦痛を与えるのは嫌だと感じていただけだ。

「凪は最初からあなたが好きだったじゃない。たくさんの中から、あなたを選んだんじゃない。それなのになぜ、多くを求めようとするの」

 満たされない思いがなんであるか。

 私は両手で顔を覆う。
 この冷たい手が、他者にどれほどの恐怖を与えたか。

「那波……」
「芽依にはわからないわ! 私の苦しみなんてあなたには理解できない。だから戻りたいと言ってるのに……、あなたには木梨くんの苦しみも理解できないのよ」

 絶望した芽依の顔を初めて見た。
 私の中に喜びが存在していたように、いつも明るく振る舞う彼女の中にも苦しみが存在していたことに息を飲む。
 私はいつも誰かを傷つけてばかりだ。

「芽依……」

 芽依に手を伸ばす。離れないで。そう祈りながら必死に手を伸ばす。
 その時だった。神社の広場に駆け込んできた人影が見えたのは。

「飛流さんっ! 飛流……、那波っ!」

 そして、凪の絶叫が聞こえた。
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