せめて契約に愛を

水城ひさぎ

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キスまでの距離

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「それで? それでどうなったの? 付き合うことにしたの? っていうか、結婚するんだよね。恋人になる前に結婚って、想像つかないけど楽しそう!」
「純ちゃん……、落ち着いて。声大きいよー」
「大丈夫よー。ここ、会社じゃないんだし」

 そうは言うけど、オフィス近くの喫茶店だから、もしかしたら知り合いがいるかもしれない。
 そっと辺りを見回してみる。店内に見知った顔はない。ガラス窓の向こうには、マフラーに顔をうずめるサラリーマンが、足早に通り過ぎる姿が見えた。

 ひとまず安心してはみるものの、純ちゃんの質問攻めは1日では終わらないだろうと思うほどで、まだまだ帰れそうにない。

「でもやっぱり、あのめちゃくちゃカッコいい人がミナトくんだったんだー。考えてみたら、当たり前と言えば当たり前だよね。初対面の相手が結婚前提の交際を申し込んできたら引くしねー」
「う、うん……」
「あの時ちゃんと気づいてたら、話が中途半端にこじれなくて良かったのにね」
「こじれてはないよ。だって、ミナトくんにはお母さんのために結婚しなきゃって気持ちは前からあったし……。ただ私と付き合ってみて、良ければ結婚しようと思ってたんだとは思うけど。それが出来ずにいきなり結婚することになったから不満なだけだと思う」

 だから、終始彼は不機嫌で。私だって、彼なりの最善策を提示してくれたことは、理解できてるけど。

「それは沙耶も同じ気持ちだよね」
「うん……。結婚だよー。一生一緒に暮らすんだよ。そんな簡単に決めていいのかな」
「いいんじゃない? あの結城でしょ。この縁談はすごいことだよー」
「そうかなー。私は平凡な結婚がしたかったけど……」
「それこそ贅沢だよ。大金持ちのイケメンと結婚できるっていうのに、そんなに悩むのは沙耶ぐらいだよ」

 純ちゃんはいつも楽天的だ。そんなところをうらやましく思ったりする。

「でも、湊くんと話してても、結婚するとか……、全然実感わいてこなくて」
「当然だから大丈夫だって。一緒に暮らすんでしょ? 暮らしてるうちに好きになれるって」
「一緒に暮らさなくても大丈夫だって言われたから、それも悩んでるの」
「えーっ?」

 大げさに純ちゃんは驚くけど、私は戸惑うばかりだ。

「お父さんもね、順番が違うんじゃないかってちょっと困ってたし。お母さんは気分が良くないって、昨日はずっと部屋にいたし……。一緒に暮らさなくてもいいなら、それでもいいかなって思ったりもしてるんだー。書類上は夫婦でも、少しずつ湊くんとは恋人みたいになっていけたらいいのかなって……」
「なんか、大変だね」

 純ちゃんはまるで知らない世界の話を聞いたみたいに、他人ごとのようにつぶやくと、両手を添えて頬杖をついた。

「沙耶の気持ち、ちゃんとミナトくんに話した方がいいよ」
「うん……」
「きっとミナトくんはそれでいいって言いそうだけどね」
「純ちゃんもそう思う?」
「沙耶も?」
「うん。湊くんは書類上の夫婦でいられるなら、それでかまわないんだと思う」

 それが、彼なりの最善策なのだから。

「だから、沙耶なのかな?」
「だからって?」
「沙耶はおとなしいから、反論したりしないって思ってるんだよ。そんな風にしか沙耶を扱えないなら、私は反対だなー」
「でも、結婚は私や湊くんの意思とは関係なくすることになるから……」

 お互いにとって不本意な結婚。そんな中で、私たちは模索してる。

「だから悩むんだよね」
「だね……」
「いい縁談だと思うけど、もうちょっと時間があればいいのにね」
「そうだね。でも、仕方ないよ。湊くんは他に縁談がたくさんあるみたいだから、そんなには待ってられないんだよ」
「なんだか羨ましいような話だけど。そうなると、上條家との縁談に固執する意味とかあるのかなーって、変に勘ぐっちゃうね」

 私はちょっと首をかしげる。純ちゃんにそう言われるまで、深く考えようとしたこともない話だ。

「どうなんだろー。どうしても上條病院とのつながりを持ってたいって言うなら、いとこと結婚するだろうし。湊くんもお母さんが上條に固執してるからって言うだけで、あんまり深い意味はないのかもって感じだったし」
「うーん、あんまり考えない方がいいかもね。ほら、凡人には金持ちの考えてることはいくら考えてもわからないって」
「純ちゃんらしい」
「もちろん、沙耶はねっからのお嬢様で、私と一緒にしたらいけないけどね」
「そんなことないよー。結婚しても今まで通り仲良くしてね」

 そう言った時、テーブルの横を通り過ぎようとしていたサラリーマンの足が止まる。

「え? 上條さん、結婚するの?」

 純ちゃんと顔を見合わせた私は、驚きの声を上げた男性を見上げた。

浅田あさだ主任」

 そこには三期上の先輩で、私と同じ総務部に配属している、浅田雄哉ゆうやが立っていた。

「上條さんって、彼氏いたんだ?」

 通路を挟んで、私たちの座る席とは反対側の席が空いていることに気づくと、浅田主任は迷うことなく腰を下ろした。そして、通路に足を投げ出したまま、身を乗り出して尋ねてくる。

「えっと……、彼氏というか」
「浅田主任、彼氏じゃなくて婚約者ですよ、婚約者」

 どう答えたら良いものかと戸惑う私に変わって純ちゃんがそう言うと、「婚約者? 上條さんは本当にお嬢様なんだなー」と、浅田主任は感心した。

「いつ結婚するの? 部署のヤツら、それ知ったらショック受けるだろうなぁ」
「ショック?」
「やっぱり気づいてないの? 上條さんって実はモテてるんだよ。今までは知野さんを差し置いて上條さんに気があるだなんて騒ぐ男性社員はいなかったけど、これからはそうもいかないだろうなぁなんて思ってたとこだよ」
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