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キスまでの距離
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「私と知野先輩では比べものになりません」
「そうでもないよ。いつだったか、部長が言ってたなぁ。上條さんは、入社したばかりの頃の知野さんに似た雰囲気があるって。上條さんも急に化けるかもしれないね」
「化ける?」
「そうそう。上條さんに色気が出たら、他の部署のヤツらも放っておかないだろうなぁ」
浅田主任はにやにやしながら、そう言う。
彼とはあまり話をしたことはなかったけど、やけに親しげに接してくるから、戸惑ってしまう。
「浅田主任の言うとおりだよ、沙耶。自信持ってミナトくんの胸に飛び込んだらいいよー」
「純ちゃんまで……」
純ちゃんは誰とでも仲良くできる性格だから、普段から親しくしているのかもしれない。純ちゃんと浅田主任は似たところがあるのだろう。
「上條さんが結婚かぁ。なんだかワクワクするね」
何をワクワクするのだろうかと思うが、尋ねる前に純ちゃんが話題をそらした。
「そう言えば、浅田主任のところ、来年赤ちゃんが生まれるんですよね。楽しみですね」
「情報通だなぁ。子供が出来たなんて話、部長にしか話してないんだけど」
「そうなんですか? みんな知ってますよ。ね、沙耶」
純ちゃんに話をふられて、目を丸くする。
「私、知らなかった」
「本当? 沙耶ってうといからー」
「浅田主任が結婚してるのも、はじめて知ったかも」
「マジ? 上條さんは全然俺のこと知らないなー」
浅田主任はあきれたように笑うと、「入社した時には結婚してたから仕方ないかな」と息を吐く。
「はやかったんですね、結婚」
純ちゃんが言うと、浅田主任は頬杖をついて、どこか昔を懐かしむ目をする。
「学生結婚だったからね。彼女以外にないと思ったから結婚したんだけど……」
「けど?」
首を傾げる純ちゃんから私に目を移した浅田主任は、首を横に振った。
「もうすぐ結婚するっていう女性の前で話すことはないよ。で、上條さん、結婚式はいつ?」
「まだ具体的なことは……」
と、あいまいな返事をした時、かばんの中でスマホが震えた。浅田主任の質問攻めが始まるのではと警戒する私の、窮地を救うかのようなタイミング。
「結婚式の日取りは決まってないんだ? じゃあ、本当に結婚が決まったのは最近なんだね」
「あ、あの、浅田主任、すみません」
「ん?」
「ちょっと電話に出ていいですか?」
「婚約者? 待たせたらいけないよ」
「……あ、すみません。純ちゃん、ごめんね。ちょっと外で話してくる」
かばんからスマホを取り出しながら言うと、純ちゃんは立ち上がる。
「ミナトくん? だったら私、帰るね。寒いからここで話しなよー」
「じゃあ俺も帰るよ」
と、浅田主任も立ち上がる。
「浅田主任も地下鉄ですかー?」
純ちゃんはそう言うと、浅田主任を先導するように出口へ向かう。
喫茶店を出て行く二人を見送った私は、湊くんの名前が表示されたディスプレイの通話ボタンを押した。
「もしもし、湊くん?」
ちょっと声が震えた。湊くんと電話で話すのははじめてで、耳元で彼の声を聞いたりしたら、慣れないことに緊張するんじゃないかと思ったからだ。
『出るの遅かったな。まだ家じゃないのか?』
しかし、唐突に返ってきた言葉に、それは無用の心配だったと気づく。湊くんは私に対して、照れたり緊張したりすることはないのだ。
なんだかそれもさみしい気がしながら、私は素直に答えた。
「会社近くの喫茶店にいるの」
『そうか。それは都合がいい』
ぶっきらぼうだった湊くんの声音が弾む。やはり電話を待たせたことに対して、あまり快くは思っていなかったようだ。
「湊くんはまだ会社なの?」
『いや、マンションにいるよ。窓の外にちょっといいものが見えたから、沙耶も見にこないかと思って電話したんだ。今から来れるだろ?』
「……行けないことはないけど」
『じゃあ、来いよ。マンションの場所は覚えてるか? わからないなら、喫茶店まで迎えに行くよ』
湊くんは上機嫌に言う。
「え! いいよー」
『そんなに嫌な声出すことないだろ。まったく沙耶は俺を毛嫌いしてるんだな』
「そんなつもりじゃないよ。湊くんに迎えに来てもらうほどの距離じゃないから」
『それが冷たいって言ってるんだよ。まあいいさ。少し酒が入ってるから、今日の俺は寛大だ。気をつけて来いよ』
「あ、うん。たぶん、15分ぐらいで行けると思う」
腕時計を確認して、そう答える。
『へえー』
「へえー?」
『いや、別に』
「変なのー」
『言ったろ。今日の俺はいつもと違って機嫌がいいんだよ』
「酔うとご機嫌になるタイプなんだね。私、湊くんのこと何にも知らないから」
『俺のこと知りたい?』
「少しだけね」
『遠慮するなよ。俺は沙耶のこと、もっと知りたいって思ってるよ』
電話の奥で弾む声はどこまでも明るい。
「……湊くんって、いい人だね」
『いい人か。まあそれも悪くないな。じゃあ、とにかく待ってるからさ』
クスクスと笑う彼は珍しくて。私も自然と笑顔になりながら、「すぐに行くね」と、返事をして電話を切った。
「そうでもないよ。いつだったか、部長が言ってたなぁ。上條さんは、入社したばかりの頃の知野さんに似た雰囲気があるって。上條さんも急に化けるかもしれないね」
「化ける?」
「そうそう。上條さんに色気が出たら、他の部署のヤツらも放っておかないだろうなぁ」
浅田主任はにやにやしながら、そう言う。
彼とはあまり話をしたことはなかったけど、やけに親しげに接してくるから、戸惑ってしまう。
「浅田主任の言うとおりだよ、沙耶。自信持ってミナトくんの胸に飛び込んだらいいよー」
「純ちゃんまで……」
純ちゃんは誰とでも仲良くできる性格だから、普段から親しくしているのかもしれない。純ちゃんと浅田主任は似たところがあるのだろう。
「上條さんが結婚かぁ。なんだかワクワクするね」
何をワクワクするのだろうかと思うが、尋ねる前に純ちゃんが話題をそらした。
「そう言えば、浅田主任のところ、来年赤ちゃんが生まれるんですよね。楽しみですね」
「情報通だなぁ。子供が出来たなんて話、部長にしか話してないんだけど」
「そうなんですか? みんな知ってますよ。ね、沙耶」
純ちゃんに話をふられて、目を丸くする。
「私、知らなかった」
「本当? 沙耶ってうといからー」
「浅田主任が結婚してるのも、はじめて知ったかも」
「マジ? 上條さんは全然俺のこと知らないなー」
浅田主任はあきれたように笑うと、「入社した時には結婚してたから仕方ないかな」と息を吐く。
「はやかったんですね、結婚」
純ちゃんが言うと、浅田主任は頬杖をついて、どこか昔を懐かしむ目をする。
「学生結婚だったからね。彼女以外にないと思ったから結婚したんだけど……」
「けど?」
首を傾げる純ちゃんから私に目を移した浅田主任は、首を横に振った。
「もうすぐ結婚するっていう女性の前で話すことはないよ。で、上條さん、結婚式はいつ?」
「まだ具体的なことは……」
と、あいまいな返事をした時、かばんの中でスマホが震えた。浅田主任の質問攻めが始まるのではと警戒する私の、窮地を救うかのようなタイミング。
「結婚式の日取りは決まってないんだ? じゃあ、本当に結婚が決まったのは最近なんだね」
「あ、あの、浅田主任、すみません」
「ん?」
「ちょっと電話に出ていいですか?」
「婚約者? 待たせたらいけないよ」
「……あ、すみません。純ちゃん、ごめんね。ちょっと外で話してくる」
かばんからスマホを取り出しながら言うと、純ちゃんは立ち上がる。
「ミナトくん? だったら私、帰るね。寒いからここで話しなよー」
「じゃあ俺も帰るよ」
と、浅田主任も立ち上がる。
「浅田主任も地下鉄ですかー?」
純ちゃんはそう言うと、浅田主任を先導するように出口へ向かう。
喫茶店を出て行く二人を見送った私は、湊くんの名前が表示されたディスプレイの通話ボタンを押した。
「もしもし、湊くん?」
ちょっと声が震えた。湊くんと電話で話すのははじめてで、耳元で彼の声を聞いたりしたら、慣れないことに緊張するんじゃないかと思ったからだ。
『出るの遅かったな。まだ家じゃないのか?』
しかし、唐突に返ってきた言葉に、それは無用の心配だったと気づく。湊くんは私に対して、照れたり緊張したりすることはないのだ。
なんだかそれもさみしい気がしながら、私は素直に答えた。
「会社近くの喫茶店にいるの」
『そうか。それは都合がいい』
ぶっきらぼうだった湊くんの声音が弾む。やはり電話を待たせたことに対して、あまり快くは思っていなかったようだ。
「湊くんはまだ会社なの?」
『いや、マンションにいるよ。窓の外にちょっといいものが見えたから、沙耶も見にこないかと思って電話したんだ。今から来れるだろ?』
「……行けないことはないけど」
『じゃあ、来いよ。マンションの場所は覚えてるか? わからないなら、喫茶店まで迎えに行くよ』
湊くんは上機嫌に言う。
「え! いいよー」
『そんなに嫌な声出すことないだろ。まったく沙耶は俺を毛嫌いしてるんだな』
「そんなつもりじゃないよ。湊くんに迎えに来てもらうほどの距離じゃないから」
『それが冷たいって言ってるんだよ。まあいいさ。少し酒が入ってるから、今日の俺は寛大だ。気をつけて来いよ』
「あ、うん。たぶん、15分ぐらいで行けると思う」
腕時計を確認して、そう答える。
『へえー』
「へえー?」
『いや、別に』
「変なのー」
『言ったろ。今日の俺はいつもと違って機嫌がいいんだよ』
「酔うとご機嫌になるタイプなんだね。私、湊くんのこと何にも知らないから」
『俺のこと知りたい?』
「少しだけね」
『遠慮するなよ。俺は沙耶のこと、もっと知りたいって思ってるよ』
電話の奥で弾む声はどこまでも明るい。
「……湊くんって、いい人だね」
『いい人か。まあそれも悪くないな。じゃあ、とにかく待ってるからさ』
クスクスと笑う彼は珍しくて。私も自然と笑顔になりながら、「すぐに行くね」と、返事をして電話を切った。
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