せめて契約に愛を

水城ひさぎ

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キスまでの距離

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***


 ホテルのロビーに入ると、カクテルドレスの若い女性が何人か集まっていた。彼女たちは、ロビーに設置された噴水の方を見て、賑やかな声をあげている。
 他にもグループらしき若い男性や女性の姿があるが、同じクリスマスパーティーの出席者だろう。

 今日のパーティーの主催者は秀人さんだ。両親は出席しないから気楽に楽しんでくれればいいと、湊くんには言われた。だから、若い出席者が多いのだろうと思う。

 私はスマホをクラッチバッグから取り出して、少ししゅん巡した。円華も出席すると言っていた。彼女に到着したと連絡するべきか。それとも、俺の側にずっといるようにと言った湊くんに電話をかけるべきか。

 さんざん迷ったが、円華に電話をかけることにした。円華と一緒にいれば嫌でも目立つだろうし、湊くんもすぐに見つけてくれるだろうと思ったのだ。
 スマホに視線を落とした時、近くにいた女性グループの数人が、悲鳴にも似た黄色い声をあげた。

 何事かと顔をあげると、目の前に長身の青年が立ちはだかる。ネイビーの、細身のネクタイをたどって、青年の顔を見上げるよりも先に、彼の腕が伸びて私の腰を抱いた。

「今日も綺麗だ。君は思うより目立つらしい。すぐにわかったよ」
「み、湊くんっ」

 後ろでさらに悲鳴があがるが、私を引き寄せた湊くんは、そのまま歩き出す。

「君は堂々としていればいい。俺のお飾りにもならない女だなんて噂されたくなければな」

 湊くんはそう言って、不意に私の耳に唇を寄せた。

「まあ、心配いらないだろうけどね」

 耳にかかる彼の吐息や、彼の体から匂う甘い香水にどきりとする。湊くんには慣れたことでも、私にははじめてのことばかりだ。

「湊くん、みんな見てるよ」
「それが?」
「気にならないの?」
「全然。さっきそこの噴水で君を待っていた間、さんざん見世物になってたしな」

 確かに、ロビーにいた女性たちの視線は噴水の方へ向いていた。あれは湊くんに注がれた視線だったのだ。

「湊くんはモテるね」
「否定はしないが、それほどでもないよ。女はみんな、結城の名に寄ってくるだけだ。円華と君を除いてはね」
「そうじゃない恋もあったでしょう?」

 別に知野先輩との恋がそうだったんじゃないかと聞いたわけではないけど、湊くんは奇妙に顔を歪めた。

「終わったことを聞くなよ」
「あ、うん……。でも……」
「気にするな。秀人が円華と結婚することになっていたら、俺だって君と結婚することはなかっただろう。始まらないはずだったものが始まるんだ。俺は満足してるよ」
「満足?」
「そう」

 終わる必要のない恋が、もしかしたらそれで終わったかもしれないのに……?
 どうしてあんなに素敵な知野先輩と別れたんだろう。
 先輩が引き止めておけなかった湊くんを、私が引きつけておける確証なんてないと思う。

「私は自信ないよ……」

 ぽつりとつぶやくと、湊くんは大丈夫だと安心させてくれるわけでもなく、「……そうか」とだけ、つぶやいた。

 湊くんはまっすぐ前を向いて歩いている。
 様々な悩みを抱えていたとしても、それを打ち明けてはくれない人だろう。
 ふとそんな風に感じて、湊くんから離れようとした。

「君と仲睦まじい姿を見せつけるのが、今日の目的だ。自信がなくとも、俺の横にいるんだ」

 私の肩を抱く大きな手に力がこもる。それほど湊くんは、毎度持ち上がる縁談を億劫に感じているのだろうか。だとしたらなぜ、私を選んだのか。
 純ちゃんの言う通り、私は湊くんにとって都合のいい女だからだろうか。

「私だって……、少しぐらい頼りにしてもらいたいって思うよ」
「なんだよ、いきなり。でもまあ、十分頼りにしてるよ。君に再会してから、ずいぶんと自由を手にしてる気がする」
「湊くんは私といることで、いろんな恩恵があるんだね」
「ああ、そうだよ。存在してるだけで俺を救う女は、君だけだよ」

 だから私なの?
 私が上條だから。

 ただそれだけのことで湊くんは自由を手に入れ、私を縛り付けておくのだ。

「束縛されるなら……、お互いを思い合える相手がいいと思う」
「俺は束縛なんてしてないつもりだよ。言っただろ。一緒に暮らすも暮らさないも、君の自由だ。俺たちはまだ再会したばかりで、結婚生活よりも先にしなきゃいけないことが山ほどある」
「しなきゃいけないこと?」

 足を止めると、湊くんは不思議そうに私を振り返り、薄く笑った。

「この間はあっさりと君を帰したが、次はそうもいかないかもしれない。俺たちはもっと情熱的に、親睦を深めないといけないとは思わないかい?」
「……え、その」

 いつも本筋からずれた話をする湊くんは、うつむく私の顔を愉快げに覗き込む。

「今夜また来る?」

 目をあげた先に湊くんの綺麗な顔がある。それだけで胸は音を立てるのに、簡単に頷けるわけはなく。

「そういうことしか考えてないなら行かない」
「なぜ?」
「わからないの?」
「君の考えることなんて幼稚すぎてわからないね。操を立てる相手がいるわけでもないのに、俺の誘いを断わる理由なんてないだろう?」

 湊くんはどこまでも自信家だ。

「私が言いたいのは……っ」
「わかってるさ。好きな男じゃないと嫌なんだろう? 俺たちは最初から順序が違うんだ。君の言うそういうことの後でも、俺たちは真に愛し合えるんじゃないか?」
「私はそうは思わないわ」
「君は真面目だね。ゆだねてしまえば話はもっと簡単になるのにね。プロセスばかりにこだわっていては俺の妻は務まらないよ」
「柔軟性がないとバカにしてるのね」

 腹立たしく思うのに、湊くんは愉快げに眉を下げる。

「まさしくそうさ。どんなことも乗り越えていくためには対応力が必要だ」
「湊くんの言うこともわからないでもないけど、それとこれとでは話が違うわ。なんだか誤魔化されてるだけみたい」
「君は本当に固いね。いつか君の口から抱いて欲しいと言わせてみたいよ」
「……言わないわ、絶対」
「絶対ね。その言葉を撤回する日が来ることを楽しみにしてるよ」

 薄笑いを浮かべたまま、湊くんは私の手を引く。その手は言葉よりも優しくて、温かい気持ちになれる。
 湊くんが心を開いてくれる日が来るなら、彼を愛せる日が来るかもしれない。

 湊くんはもう何も言わないで、私の手を握ったまま、クリスマスパーティーが行なわれる会場へと向かった。
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