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寝室までの距離
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「結婚したっ? 上條くんがぁ?」
いつも冷静沈着な部長が、デスクの前に立つ私を、目を見開いて見上げている。彼は人前で驚く姿を見せたことのない上司である。私の結婚報告は、まるで天変地異だと思ってるみたい。
「いつ?」
「昨日……、です」
「昨日? 昨日上條くんは普段と変わらない様子だったじゃないか」
やはり信じられないのだろう。
確かに、結婚する女子社員というのは幸せオーラが全身から出ていて、結婚すると口にしなくても周囲にはそれとわかるものだろう。
「婚姻届は弁護士を通じて提出したようなので、私は報告を受けただけなんです」
それも今朝。会社へ行く準備をしていたら、電話が鳴り響いた。早朝から何事かと慌てて飛びついた母が、めまいに襲われたように椅子にもたれかかり、私にそう報告したのだ。
「そ、そうか。いや、おめでとう」
半信半疑ながらも、まずはお祝いを言わねばと思ったのだろう。部長はぎこちない笑顔でそう言う。
部長の表情は心から喜んでいるものではないが、それも仕方ない。
部長に「ありがとうございます」と頭を下げる。あまり幸せそうでない私の様子に困惑ぎみの部長は、デスクの上で指を組んだ。
「とすると、慶弔休暇を入れないといけないね。結婚休暇は5日だから……」
「いえ、休暇は必要ありません」
「必要ない? なんでまた」
「お相手の方の都合で。変わるのは住所だけです」
「ああ、そうか。引越しするんだね。それは当然だ」
私の結婚はそれほど予想外のものだったのだろうか。当たり前のことにやたらと感心している。
「結婚はしましたが、業務は今まで通りでお願いします。名前も上條のままで……」
「夫婦別姓?」
そう言ったのは、部長ではなかった。
「結城さんの名前を名乗るのは、何かと大変なんだね」
「浅田主任……」
いつの間にか、部長の席近くに椅子を転がしてきていた浅田主任が、にやにやしながら私を見ている。
「結城さん? 浅田くん、今、結城と言ったかい?」
部長はさっきから、耳を疑う話に驚きを隠せない様子だ。
「そうですよ。上條さんは結城さんと結婚するんですよ。あ、もうしたのか。結城さんと言えば、うちの会長の遠戚でしたよね? 従業員が結城の名前を名乗るのは、何かと不都合があるのかもしれませんね」
「結城グループは巨大だからなー。しかし、上條くんが……。いやぁ、君が結婚なんて信じられない。いやいや、そういうつもりじゃないんだ。上條くんは浮いた噂のない女性社員だからね。いきなり結婚したと聞いて、正直びっくりしてるんだよ」
「それはわかります。気になさらないで下さい」
私は用件は伝えたとばかりに頭を下げた。物言いたげな浅田主任の横を通り、自分のデスクに戻る。
後ろでは部長と浅田主任の噂話が続いている。他の従業員も聞き耳を立てているだろう。そんな中、今度は隣の席の純ちゃんが体を寄せてきた。
「引っ越すんだ? 沙耶」
「う、うん。お母さんが結婚したんだから、一緒に暮らさないのはおかしいって」
「ま、そうだよね。で、いつ? いつから暮らすの? あのめちゃカッコいい人と毎日一緒なんて羨ましいーっ」
純ちゃんは夢見る少女のように目をキラキラさせている。
「たぶんお正月休みに入ってからかな」
「へー、きっとお正月は挨拶回りで大変だね」
「うん。でもね、そうでもないみたい。湊くんのお兄さんの結婚が先だから、私たちの結婚はまだ公にならないと思うの」
「じゃあ、婚約者って感じなんだ? なんかいい響きー」
「うーん、なんか変な感じだよ」
「大丈夫だよ。沙耶はいい奥さんになれるって」
「その実感がないんだけど……」
と言った時、デスクの上に乗っていたスマホのディスプレイがつく。
「あ、噂をすればミナトくんからのメールだね」
「あ、うん」
スマホを手に取りメールを読んだ私は、「えっ!」と叫ぶ。
「どうした?」
「湊くん、今日は仕事休んでマンションにいるんだって」
「で、なに?」
「今ね、お母さんに頼んで荷造りさせてるから、仕事終わったらマンションに来いって……」
「結婚したっ? 上條くんがぁ?」
いつも冷静沈着な部長が、デスクの前に立つ私を、目を見開いて見上げている。彼は人前で驚く姿を見せたことのない上司である。私の結婚報告は、まるで天変地異だと思ってるみたい。
「いつ?」
「昨日……、です」
「昨日? 昨日上條くんは普段と変わらない様子だったじゃないか」
やはり信じられないのだろう。
確かに、結婚する女子社員というのは幸せオーラが全身から出ていて、結婚すると口にしなくても周囲にはそれとわかるものだろう。
「婚姻届は弁護士を通じて提出したようなので、私は報告を受けただけなんです」
それも今朝。会社へ行く準備をしていたら、電話が鳴り響いた。早朝から何事かと慌てて飛びついた母が、めまいに襲われたように椅子にもたれかかり、私にそう報告したのだ。
「そ、そうか。いや、おめでとう」
半信半疑ながらも、まずはお祝いを言わねばと思ったのだろう。部長はぎこちない笑顔でそう言う。
部長の表情は心から喜んでいるものではないが、それも仕方ない。
部長に「ありがとうございます」と頭を下げる。あまり幸せそうでない私の様子に困惑ぎみの部長は、デスクの上で指を組んだ。
「とすると、慶弔休暇を入れないといけないね。結婚休暇は5日だから……」
「いえ、休暇は必要ありません」
「必要ない? なんでまた」
「お相手の方の都合で。変わるのは住所だけです」
「ああ、そうか。引越しするんだね。それは当然だ」
私の結婚はそれほど予想外のものだったのだろうか。当たり前のことにやたらと感心している。
「結婚はしましたが、業務は今まで通りでお願いします。名前も上條のままで……」
「夫婦別姓?」
そう言ったのは、部長ではなかった。
「結城さんの名前を名乗るのは、何かと大変なんだね」
「浅田主任……」
いつの間にか、部長の席近くに椅子を転がしてきていた浅田主任が、にやにやしながら私を見ている。
「結城さん? 浅田くん、今、結城と言ったかい?」
部長はさっきから、耳を疑う話に驚きを隠せない様子だ。
「そうですよ。上條さんは結城さんと結婚するんですよ。あ、もうしたのか。結城さんと言えば、うちの会長の遠戚でしたよね? 従業員が結城の名前を名乗るのは、何かと不都合があるのかもしれませんね」
「結城グループは巨大だからなー。しかし、上條くんが……。いやぁ、君が結婚なんて信じられない。いやいや、そういうつもりじゃないんだ。上條くんは浮いた噂のない女性社員だからね。いきなり結婚したと聞いて、正直びっくりしてるんだよ」
「それはわかります。気になさらないで下さい」
私は用件は伝えたとばかりに頭を下げた。物言いたげな浅田主任の横を通り、自分のデスクに戻る。
後ろでは部長と浅田主任の噂話が続いている。他の従業員も聞き耳を立てているだろう。そんな中、今度は隣の席の純ちゃんが体を寄せてきた。
「引っ越すんだ? 沙耶」
「う、うん。お母さんが結婚したんだから、一緒に暮らさないのはおかしいって」
「ま、そうだよね。で、いつ? いつから暮らすの? あのめちゃカッコいい人と毎日一緒なんて羨ましいーっ」
純ちゃんは夢見る少女のように目をキラキラさせている。
「たぶんお正月休みに入ってからかな」
「へー、きっとお正月は挨拶回りで大変だね」
「うん。でもね、そうでもないみたい。湊くんのお兄さんの結婚が先だから、私たちの結婚はまだ公にならないと思うの」
「じゃあ、婚約者って感じなんだ? なんかいい響きー」
「うーん、なんか変な感じだよ」
「大丈夫だよ。沙耶はいい奥さんになれるって」
「その実感がないんだけど……」
と言った時、デスクの上に乗っていたスマホのディスプレイがつく。
「あ、噂をすればミナトくんからのメールだね」
「あ、うん」
スマホを手に取りメールを読んだ私は、「えっ!」と叫ぶ。
「どうした?」
「湊くん、今日は仕事休んでマンションにいるんだって」
「で、なに?」
「今ね、お母さんに頼んで荷造りさせてるから、仕事終わったらマンションに来いって……」
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