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別離までの距離
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沙耶は上機嫌な笑顔で、今日一日の出来事を話す。
話の中心は、同僚の浅田主任に女の赤ちゃんが生まれたというものだったが、あまり興味がなく、曖昧にうなずきながら聞いていた。
俺の知る以前の浅田は、沙耶にいたずらでもしそうな男だったが、話しぶりからすると、彼女はすっかり彼に気を許しているようだ。
異性の友人は皆無だった沙耶だが、今までは男の方が敬遠していただけで、彼女は案外誰にでもなつくタイプなのかもしれない。浅田だけじゃない。最近は朔の名前もよく口にする。
「あとね、朔くんにもチョコを渡したの」
「へえー、君は奇特だね」
ちょっと興味がわいて返事をすると、沙耶は無邪気に両手を合わせて微笑む。
「純ちゃんと一緒に買ったチョコをあげたの。喜んでくれたかなー?」
「そうだな、たぶんね」
今日の朔はいつもと変わらない様子だったが、喜びを抑えていたと思えなくもない。
「朔くんはチョコが好きなんだって」
「朔の趣味嗜好には興味がないよ」
「でも、今日の湊くんは、朔くんのお話しても怒らないね。これからもしていい?」
「朔と仲良くしろなんて言いださなきゃ聞いてやるよ」
「それは言わないよ。湊くんの自由だもん」
「君は自由すぎて心配だけどね。朔の気持ちを少しは察してやれよ」
「朔くんの気持ち……? やっぱり本音は迷惑だったかな……」
「そんなこと言ってるんじゃないよ」
苦笑いして、しょう然とする沙耶の肩を抱く。
「今夜は一緒に風呂に入る?」
耳に唇を寄せて囁けば、沙耶の身体ははねた。
「え! きゅ、急になに?」
「急じゃないよ。さっきからそのことばっかり考えてた」
「湊くんはいつもそんなことばっかりっ」
「新婚の時なんてそんなものだよ。最近は君のことで頭がいっぱいだよ。これは君の罪だね」
沙耶は戸惑いを口元に浮かべたが、すぐに恥ずかしげに微笑んで、俺の手に指を這わせてくる。
その指の動きは以前よりもしなやかで、思わずどきりとしてしまう。少しずつだが、確実に沙耶は大人の女になっている。
「君に触れたことを後悔しそうだな」
「どうして……?」
「今まで君に見向きもしなかった男たちまで、君の魅力に気づいてしまうからさ」
「私はそんなに魅力的じゃないよ……」
「そうだよ」
「……え」
「だからもっと君に愛情を注がないとね。どんな男も敬遠するほどに、妖艶になってもらいたいね」
沙耶に似合う男は俺しかいないのだと、周囲の男にわからせたいのだと言えば、沙耶は荷が重いと笑う。
「まあ、もともと君は高嶺の花だったけどね」
「どういう意味?」
沙耶は不思議そうに首を傾げる。彼女は本当に気づいていないのだ。高校時代、彼女を遠巻きに見つめていた男たちの視線のことも。
「それは……」
話そうか。俺がどれほど沙耶を切望していたか。得られないと諦めていた君と結婚できた喜びがどれほどのものか。
「沙耶……」
キスできそうなほど近く顔を寄せると、沙耶はちょっと警戒するみたいにあごを引く。
「お風呂は一緒に入らないよ……」
「入るよ、今日は」
肩をそっと抱くと、沙耶は「あ……っ」と大げさに声をあげた。
「ん?」
「湊くん、電話。電話が鳴ってるよ」
「……ん? あ、そうだな」
耳をすますと、いつの間にかクッションの上に乗っていた、マナーモードにしたままのスマホがわずかに震えている音が聞こえた。
「よく気づいたね」
「わかるよー……」
「俺から逃れようと、君はいつも必死だね」
「そんなつもりじゃ」
「じゃあ、風呂に入る準備して待ってろよ」
そう言うと、沙耶は不服そうにしたが、俺が電話に出るのを見て、何も言い返して来なかった。
きっと沙耶は俺の望む通りにするだろう。
満足する俺は、上機嫌に電話に出た。
「もしもし」
「あ、湊くん、急に電話して申し訳ないね」
電話の相手は篭谷先輩だった。唐突に謝罪した先輩は、何かを迷うように沈黙をする。
まだ外にいるのだろうか。電話の奥で、車のクラクションが聞こえた。
「かまいませんよ、何かありましたか?」
「まあ、ちょっと湊くんの耳に入れておいた方が、後々面倒がないかなと思うようなことがあってね」
「面倒ですか」
俺はちらりと沙耶に視線を向ける。物言いたげに俺を見ていた彼女は、目が合うとうつむく。
面倒なら毎日手中にある。今更一つや二つ増えたところで、どうとでもないとも思う。
「どんなことです?」
「いや、もしかしたら俺の勘違いかもしれないんだけどね」
「判断は俺がしますよ」
「まあ、湊くんが単なる疑いを鵜呑みにするとは思ってないけどね、全くの勘違いだったら、彼にも申し訳ない」
先輩はためらいがちにそう切り出す。
「彼?」
「さっきまで残業していて、一緒にいたんだけどね。彼、ちょっと悩みもあるみたいだったんだが」
篭谷先輩は少し間を置く。彼の名を言葉にするためらいがそうさせたのだろうと気づいた俺は、沙耶に目を向けたまま、思いつく名を口にした。
「朔のことですか?」
沙耶は上機嫌な笑顔で、今日一日の出来事を話す。
話の中心は、同僚の浅田主任に女の赤ちゃんが生まれたというものだったが、あまり興味がなく、曖昧にうなずきながら聞いていた。
俺の知る以前の浅田は、沙耶にいたずらでもしそうな男だったが、話しぶりからすると、彼女はすっかり彼に気を許しているようだ。
異性の友人は皆無だった沙耶だが、今までは男の方が敬遠していただけで、彼女は案外誰にでもなつくタイプなのかもしれない。浅田だけじゃない。最近は朔の名前もよく口にする。
「あとね、朔くんにもチョコを渡したの」
「へえー、君は奇特だね」
ちょっと興味がわいて返事をすると、沙耶は無邪気に両手を合わせて微笑む。
「純ちゃんと一緒に買ったチョコをあげたの。喜んでくれたかなー?」
「そうだな、たぶんね」
今日の朔はいつもと変わらない様子だったが、喜びを抑えていたと思えなくもない。
「朔くんはチョコが好きなんだって」
「朔の趣味嗜好には興味がないよ」
「でも、今日の湊くんは、朔くんのお話しても怒らないね。これからもしていい?」
「朔と仲良くしろなんて言いださなきゃ聞いてやるよ」
「それは言わないよ。湊くんの自由だもん」
「君は自由すぎて心配だけどね。朔の気持ちを少しは察してやれよ」
「朔くんの気持ち……? やっぱり本音は迷惑だったかな……」
「そんなこと言ってるんじゃないよ」
苦笑いして、しょう然とする沙耶の肩を抱く。
「今夜は一緒に風呂に入る?」
耳に唇を寄せて囁けば、沙耶の身体ははねた。
「え! きゅ、急になに?」
「急じゃないよ。さっきからそのことばっかり考えてた」
「湊くんはいつもそんなことばっかりっ」
「新婚の時なんてそんなものだよ。最近は君のことで頭がいっぱいだよ。これは君の罪だね」
沙耶は戸惑いを口元に浮かべたが、すぐに恥ずかしげに微笑んで、俺の手に指を這わせてくる。
その指の動きは以前よりもしなやかで、思わずどきりとしてしまう。少しずつだが、確実に沙耶は大人の女になっている。
「君に触れたことを後悔しそうだな」
「どうして……?」
「今まで君に見向きもしなかった男たちまで、君の魅力に気づいてしまうからさ」
「私はそんなに魅力的じゃないよ……」
「そうだよ」
「……え」
「だからもっと君に愛情を注がないとね。どんな男も敬遠するほどに、妖艶になってもらいたいね」
沙耶に似合う男は俺しかいないのだと、周囲の男にわからせたいのだと言えば、沙耶は荷が重いと笑う。
「まあ、もともと君は高嶺の花だったけどね」
「どういう意味?」
沙耶は不思議そうに首を傾げる。彼女は本当に気づいていないのだ。高校時代、彼女を遠巻きに見つめていた男たちの視線のことも。
「それは……」
話そうか。俺がどれほど沙耶を切望していたか。得られないと諦めていた君と結婚できた喜びがどれほどのものか。
「沙耶……」
キスできそうなほど近く顔を寄せると、沙耶はちょっと警戒するみたいにあごを引く。
「お風呂は一緒に入らないよ……」
「入るよ、今日は」
肩をそっと抱くと、沙耶は「あ……っ」と大げさに声をあげた。
「ん?」
「湊くん、電話。電話が鳴ってるよ」
「……ん? あ、そうだな」
耳をすますと、いつの間にかクッションの上に乗っていた、マナーモードにしたままのスマホがわずかに震えている音が聞こえた。
「よく気づいたね」
「わかるよー……」
「俺から逃れようと、君はいつも必死だね」
「そんなつもりじゃ」
「じゃあ、風呂に入る準備して待ってろよ」
そう言うと、沙耶は不服そうにしたが、俺が電話に出るのを見て、何も言い返して来なかった。
きっと沙耶は俺の望む通りにするだろう。
満足する俺は、上機嫌に電話に出た。
「もしもし」
「あ、湊くん、急に電話して申し訳ないね」
電話の相手は篭谷先輩だった。唐突に謝罪した先輩は、何かを迷うように沈黙をする。
まだ外にいるのだろうか。電話の奥で、車のクラクションが聞こえた。
「かまいませんよ、何かありましたか?」
「まあ、ちょっと湊くんの耳に入れておいた方が、後々面倒がないかなと思うようなことがあってね」
「面倒ですか」
俺はちらりと沙耶に視線を向ける。物言いたげに俺を見ていた彼女は、目が合うとうつむく。
面倒なら毎日手中にある。今更一つや二つ増えたところで、どうとでもないとも思う。
「どんなことです?」
「いや、もしかしたら俺の勘違いかもしれないんだけどね」
「判断は俺がしますよ」
「まあ、湊くんが単なる疑いを鵜呑みにするとは思ってないけどね、全くの勘違いだったら、彼にも申し訳ない」
先輩はためらいがちにそう切り出す。
「彼?」
「さっきまで残業していて、一緒にいたんだけどね。彼、ちょっと悩みもあるみたいだったんだが」
篭谷先輩は少し間を置く。彼の名を言葉にするためらいがそうさせたのだろうと気づいた俺は、沙耶に目を向けたまま、思いつく名を口にした。
「朔のことですか?」
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