せめて契約に愛を

水城ひさぎ

文字の大きさ
58 / 119
別離までの距離

12

しおりを挟む



 沙耶は上機嫌な笑顔で、今日一日の出来事を話す。
 話の中心は、同僚の浅田主任に女の赤ちゃんが生まれたというものだったが、あまり興味がなく、曖昧にうなずきながら聞いていた。

 俺の知る以前の浅田は、沙耶にいたずらでもしそうな男だったが、話しぶりからすると、彼女はすっかり彼に気を許しているようだ。

 異性の友人は皆無だった沙耶だが、今までは男の方が敬遠していただけで、彼女は案外誰にでもなつくタイプなのかもしれない。浅田だけじゃない。最近は朔の名前もよく口にする。

「あとね、朔くんにもチョコを渡したの」
「へえー、君は奇特だね」

 ちょっと興味がわいて返事をすると、沙耶は無邪気に両手を合わせて微笑む。

「純ちゃんと一緒に買ったチョコをあげたの。喜んでくれたかなー?」
「そうだな、たぶんね」

 今日の朔はいつもと変わらない様子だったが、喜びを抑えていたと思えなくもない。

「朔くんはチョコが好きなんだって」
「朔の趣味嗜好には興味がないよ」
「でも、今日の湊くんは、朔くんのお話しても怒らないね。これからもしていい?」
「朔と仲良くしろなんて言いださなきゃ聞いてやるよ」
「それは言わないよ。湊くんの自由だもん」
「君は自由すぎて心配だけどね。朔の気持ちを少しは察してやれよ」
「朔くんの気持ち……? やっぱり本音は迷惑だったかな……」
「そんなこと言ってるんじゃないよ」

 苦笑いして、しょう然とする沙耶の肩を抱く。

「今夜は一緒に風呂に入る?」

 耳に唇を寄せて囁けば、沙耶の身体ははねた。

「え! きゅ、急になに?」
「急じゃないよ。さっきからそのことばっかり考えてた」
「湊くんはいつもそんなことばっかりっ」
「新婚の時なんてそんなものだよ。最近は君のことで頭がいっぱいだよ。これは君の罪だね」

 沙耶は戸惑いを口元に浮かべたが、すぐに恥ずかしげに微笑んで、俺の手に指を這わせてくる。
 その指の動きは以前よりもしなやかで、思わずどきりとしてしまう。少しずつだが、確実に沙耶は大人の女になっている。

「君に触れたことを後悔しそうだな」
「どうして……?」
「今まで君に見向きもしなかった男たちまで、君の魅力に気づいてしまうからさ」
「私はそんなに魅力的じゃないよ……」
「そうだよ」
「……え」
「だからもっと君に愛情を注がないとね。どんな男も敬遠するほどに、妖艶になってもらいたいね」

 沙耶に似合う男は俺しかいないのだと、周囲の男にわからせたいのだと言えば、沙耶は荷が重いと笑う。

「まあ、もともと君は高嶺の花だったけどね」
「どういう意味?」

 沙耶は不思議そうに首を傾げる。彼女は本当に気づいていないのだ。高校時代、彼女を遠巻きに見つめていた男たちの視線のことも。

「それは……」

 話そうか。俺がどれほど沙耶を切望していたか。得られないと諦めていた君と結婚できた喜びがどれほどのものか。

「沙耶……」

 キスできそうなほど近く顔を寄せると、沙耶はちょっと警戒するみたいにあごを引く。

「お風呂は一緒に入らないよ……」
「入るよ、今日は」

 肩をそっと抱くと、沙耶は「あ……っ」と大げさに声をあげた。

「ん?」
「湊くん、電話。電話が鳴ってるよ」
「……ん? あ、そうだな」

 耳をすますと、いつの間にかクッションの上に乗っていた、マナーモードにしたままのスマホがわずかに震えている音が聞こえた。

「よく気づいたね」
「わかるよー……」
「俺から逃れようと、君はいつも必死だね」
「そんなつもりじゃ」
「じゃあ、風呂に入る準備して待ってろよ」

 そう言うと、沙耶は不服そうにしたが、俺が電話に出るのを見て、何も言い返して来なかった。
 きっと沙耶は俺の望む通りにするだろう。

 満足する俺は、上機嫌に電話に出た。

「もしもし」
「あ、湊くん、急に電話して申し訳ないね」

 電話の相手は篭谷先輩だった。唐突に謝罪した先輩は、何かを迷うように沈黙をする。

 まだ外にいるのだろうか。電話の奥で、車のクラクションが聞こえた。

「かまいませんよ、何かありましたか?」
「まあ、ちょっと湊くんの耳に入れておいた方が、後々面倒がないかなと思うようなことがあってね」
「面倒ですか」

 俺はちらりと沙耶に視線を向ける。物言いたげに俺を見ていた彼女は、目が合うとうつむく。

 面倒なら毎日手中にある。今更一つや二つ増えたところで、どうとでもないとも思う。

「どんなことです?」
「いや、もしかしたら俺の勘違いかもしれないんだけどね」
「判断は俺がしますよ」
「まあ、湊くんが単なる疑いを鵜呑みにするとは思ってないけどね、全くの勘違いだったら、彼にも申し訳ない」

 先輩はためらいがちにそう切り出す。

「彼?」
「さっきまで残業していて、一緒にいたんだけどね。彼、ちょっと悩みもあるみたいだったんだが」

 篭谷先輩は少し間を置く。彼の名を言葉にするためらいがそうさせたのだろうと気づいた俺は、沙耶に目を向けたまま、思いつく名を口にした。

「朔のことですか?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...