76 / 119
別離までの距離
30
しおりを挟む
そんなことをしても、湊くんのお父さんとの大切な思い出を減らしてしまうだけで、誤解が解けた時には後悔しか残らないのではないかと思った。
しかし、この気持ちをどう話したらいいのかと悩むうちに、お母さんはまたため息を吐き出した。
「湊さんと沙耶さんが婚姻届を出していないことは、秀人さんから聞いたわ。その理由も」
「そうですか……」
「沙耶さん……、怒らないで。お父さんがこんなことをしたのは、私のせいだわ。あなたたちを憎んでのことではないの」
「私は怒ってないですし、誰のせいだとも思ってないです」
湊くんもまた、結果的に結婚していなかったことを喜んでいたし、私たちは普通の恋人として、結婚までの道のりを歩んでいこうと決めることも出来た。
それは政略結婚よりも、ずっと幸せな結婚が出来るということではないだろうか。
「私はね、上條家とのつながりが欲しかった時もなかったわけではないの」
お母さんは誤解しないでと、私の手を握って離さない。
「お父さんの会社は順調だったけれど、若い頃のお父さんは、上條病院と提携できたら、もっと多くの命が助けられると奮起していらしたから。私もいつしか秀人さんと円華さんとの結婚を夢見るようになって。秀人さんが小さな頃は、円華さんと結婚するようにと話していた時もあったかもしれないわ」
「だから、秀人さんが円華と結婚しようって?」
「私がそう思い込ませていたと責められても仕方ないわ。秀人さんも、円華さんのことは気に入っていたようだし、私もその気持ちに反対はなかったわ」
「二人がうまく行かなかったから、今度は私と湊くんを……ですよね」
「それは違うわ」
すぐさま否定したお母さんは、それだけは誤解しないでと強く言う。
「言ったでしょ? 私と雅哉さんを、湊さんと沙耶さんに重ね合わせていたと。そう思うようになったのは、湊さんがあなたを大切に想っていると知った時よ」
それはもう昔のことで、はっきりといつだったかは覚えてないと、お母さんはさらに言う。
「だから、湊さんを応援したいと思ったの。私と雅哉さんの恋は成就しなかったけど、二人で過ごした日々はやはりかけがえのないものだったから、湊さんも想いを馳せた女性と結婚するべきだと思ったから……」
「そのお気持ちを、また誤解されたと?」
「お父さんは私が雅哉さんに固執していると思ったのかもしれないわ。だからこんなことをして、私に上條を諦めさせようとするなんて。私はただ湊さんの気持ちを応援していただけなのに」
「私が上條でなくても、応援して下さったと?」
「それはもちろんよ。もちろん、そう」
そう力強く言いながら、お母さんは不意に憂い顔をする。
「でももう、ダメなのかしら……」
「ダメ……?」
「お父さんは頑固な方なの。とても実直な方だから、一度決めたことは曲げない強い方」
「私は気にしてないです。理由はどうあれ、湊くんとのことは認めてもらえるように……」
「ダメなの。ダメなのよ、沙耶さん」
「ダメって?」
「湊さんにはもう婚約者がいるの」
「え……」
唐突な言葉に私は息を飲む。
何もかもが湊くんのお父さんの一存で決まっていく結城家のことだ。何を聞かされても驚くことはないのだと知りつつも、やはり私はすべてを受け入れる準備は出来ていなかった。
「湊さんも、いろいろと手を尽くしたようだけれど、お父さんに敵うことはないわ。それは私も同じ」
「婚約者って」
「近いうちに二人を会わせることになっているわ」
「湊くんは承知しないと思います」
お母さんは首を横に振って、ため息をつく。
「それはよくわかっているわ。でもね、沙耶さん。お父さんに認められない結婚はつらいものになると思うわ。それが私のせいだなんて本当に……私もつらいの。理解してほしいなんて、虫が良すぎるわよね。でもわかって。お父さんはもう上條家とのつながりを求めてはいないの。むしろ、年を経るごとに憎しみに変わってしまっているのかもしれない」
「ただの誤解なのに?」
「そうね、誤解ね。でも今更、言葉で示しても、お父さんのかたくなな気持ちは和らがないわ。着物を処分して……、湊さんの気持ちを断ち切らせたら、少しは私の気持ちを理解してくださるかもしれない」
ああ……と私は息を吐く。
湊くんのお母さんはとてもお父さんを愛しているのだ。
その気持ちをわかって欲しくて、態度で示そうとしている。それが例え、正しい方法でなかったとしても、自らの気持ちを優先して、愛する人の心を取り戻そうとしている。
「だからね、沙耶さん」
ずっと握られていた手が離れ、顔をあげた私たちの視線が絡み合う。
それを言葉にする必要がないぐらい、お母さんの思いは痛いほど伝わってくる。
「だから沙耶さん、湊さんのことはすべてなかったことにして」
その言葉はズシンと心にのしかかる。
自らの身体を抱きしめた。湊くんに触れられた記憶はまだここにある。彼に愛された日々をなかったことにするなんて、そんなこと出来るはずはないのに。
「お願い、沙耶さん。湊さんと別れて……、別れてください」
深く頭を下げたお母さんが頭を上げることはなかった。
それはまるで、私に選択の余地はないのだと示しているようだった。
しかし、この気持ちをどう話したらいいのかと悩むうちに、お母さんはまたため息を吐き出した。
「湊さんと沙耶さんが婚姻届を出していないことは、秀人さんから聞いたわ。その理由も」
「そうですか……」
「沙耶さん……、怒らないで。お父さんがこんなことをしたのは、私のせいだわ。あなたたちを憎んでのことではないの」
「私は怒ってないですし、誰のせいだとも思ってないです」
湊くんもまた、結果的に結婚していなかったことを喜んでいたし、私たちは普通の恋人として、結婚までの道のりを歩んでいこうと決めることも出来た。
それは政略結婚よりも、ずっと幸せな結婚が出来るということではないだろうか。
「私はね、上條家とのつながりが欲しかった時もなかったわけではないの」
お母さんは誤解しないでと、私の手を握って離さない。
「お父さんの会社は順調だったけれど、若い頃のお父さんは、上條病院と提携できたら、もっと多くの命が助けられると奮起していらしたから。私もいつしか秀人さんと円華さんとの結婚を夢見るようになって。秀人さんが小さな頃は、円華さんと結婚するようにと話していた時もあったかもしれないわ」
「だから、秀人さんが円華と結婚しようって?」
「私がそう思い込ませていたと責められても仕方ないわ。秀人さんも、円華さんのことは気に入っていたようだし、私もその気持ちに反対はなかったわ」
「二人がうまく行かなかったから、今度は私と湊くんを……ですよね」
「それは違うわ」
すぐさま否定したお母さんは、それだけは誤解しないでと強く言う。
「言ったでしょ? 私と雅哉さんを、湊さんと沙耶さんに重ね合わせていたと。そう思うようになったのは、湊さんがあなたを大切に想っていると知った時よ」
それはもう昔のことで、はっきりといつだったかは覚えてないと、お母さんはさらに言う。
「だから、湊さんを応援したいと思ったの。私と雅哉さんの恋は成就しなかったけど、二人で過ごした日々はやはりかけがえのないものだったから、湊さんも想いを馳せた女性と結婚するべきだと思ったから……」
「そのお気持ちを、また誤解されたと?」
「お父さんは私が雅哉さんに固執していると思ったのかもしれないわ。だからこんなことをして、私に上條を諦めさせようとするなんて。私はただ湊さんの気持ちを応援していただけなのに」
「私が上條でなくても、応援して下さったと?」
「それはもちろんよ。もちろん、そう」
そう力強く言いながら、お母さんは不意に憂い顔をする。
「でももう、ダメなのかしら……」
「ダメ……?」
「お父さんは頑固な方なの。とても実直な方だから、一度決めたことは曲げない強い方」
「私は気にしてないです。理由はどうあれ、湊くんとのことは認めてもらえるように……」
「ダメなの。ダメなのよ、沙耶さん」
「ダメって?」
「湊さんにはもう婚約者がいるの」
「え……」
唐突な言葉に私は息を飲む。
何もかもが湊くんのお父さんの一存で決まっていく結城家のことだ。何を聞かされても驚くことはないのだと知りつつも、やはり私はすべてを受け入れる準備は出来ていなかった。
「湊さんも、いろいろと手を尽くしたようだけれど、お父さんに敵うことはないわ。それは私も同じ」
「婚約者って」
「近いうちに二人を会わせることになっているわ」
「湊くんは承知しないと思います」
お母さんは首を横に振って、ため息をつく。
「それはよくわかっているわ。でもね、沙耶さん。お父さんに認められない結婚はつらいものになると思うわ。それが私のせいだなんて本当に……私もつらいの。理解してほしいなんて、虫が良すぎるわよね。でもわかって。お父さんはもう上條家とのつながりを求めてはいないの。むしろ、年を経るごとに憎しみに変わってしまっているのかもしれない」
「ただの誤解なのに?」
「そうね、誤解ね。でも今更、言葉で示しても、お父さんのかたくなな気持ちは和らがないわ。着物を処分して……、湊さんの気持ちを断ち切らせたら、少しは私の気持ちを理解してくださるかもしれない」
ああ……と私は息を吐く。
湊くんのお母さんはとてもお父さんを愛しているのだ。
その気持ちをわかって欲しくて、態度で示そうとしている。それが例え、正しい方法でなかったとしても、自らの気持ちを優先して、愛する人の心を取り戻そうとしている。
「だからね、沙耶さん」
ずっと握られていた手が離れ、顔をあげた私たちの視線が絡み合う。
それを言葉にする必要がないぐらい、お母さんの思いは痛いほど伝わってくる。
「だから沙耶さん、湊さんのことはすべてなかったことにして」
その言葉はズシンと心にのしかかる。
自らの身体を抱きしめた。湊くんに触れられた記憶はまだここにある。彼に愛された日々をなかったことにするなんて、そんなこと出来るはずはないのに。
「お願い、沙耶さん。湊さんと別れて……、別れてください」
深く頭を下げたお母さんが頭を上げることはなかった。
それはまるで、私に選択の余地はないのだと示しているようだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる