たとえ一緒になれなくても

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たとえ一緒になれなくても

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 夏也も何気に振り返り、私の腕をつかむ郁さんを見て、眉をひそめた。

「話ならここで」

 郁さんもまた、夏也をまっすぐ見つめたまま、そう言った。

 ほんの少しの沈黙後、

「そういうこと」

 と、夏也は皮肉げに笑った。

「茉莉に手を出した男? 結婚ちらつかせて、そそのかした男?」

 上司が聞いてあきれる、と夏也は辛らつな言葉を吐いた。

「結果がすべてだからね、なんとでも言ってくれ」

 いつもの調子で、郁さんは飄々と答える。

「なるほど。じゃあ言わせてもらう。これ以上、茉莉にちょっかいかけるのやめてくれないか」
「なぜ君の命令を聞かなきゃいけない?」
「ずいぶんと余裕だけどさ、茉莉がやらせてくれたからってうぬぼれるなよ。気の迷いだってあるだろ」
「その言い方は気に入らない。きっかけはどうあれ、彼女はもう俺と付き合ってる」

 夏也のほおがひくついた。

「まじでヤったのかよ」

 ぽつりとつぶやかれた言葉は私の胸をえぐる。

 郁さんとの幸せな時間は夏也に対する裏切り行為だった。でも私にとっては、やっぱり大切な時間だった。

 うつむく私の肩を大きな手が包む。

 目の前で揺れるネクタイは郁さんのものじゃない。

「茉莉、本気じゃないんだろ? 俺も悪いところはあったから許すよ。だから戻ってこい」
「戻るなんて……、できない」
「結婚したいだけならこいつじゃなくてもいいんだろ? 俺だっていいんだろ?」
「俺だって……?」

 顔をあげたら、夏也が苦しげに眉を寄せたまま、うなずく。

「茉莉と結婚する。別れるぐらいなら、結婚したい。やっぱり茉莉じゃねぇと、俺……」

 この何週間か、夏也は悩んでくれていたのだろうか。

 結婚したいなんて言葉、夏也の口から聞ける日が来るとは思っていなかった。

「夏也……」

 夏也の腕に手をかける。

「茉莉。戻ってきてくれるんだな」

 夏也の嬉しそうな表情に胸が痛む。

「なんで、今さらそんなこと言うの?」
「茉莉……?」

 夏也の腕を押して突き放す。

 ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

 ずっと言ってほしかった言葉をもらったのに、ほんの少しも嬉しくないなんて。
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