甘い生活に取り憑かれてます

水城ひさぎ

文字の大きさ
32 / 84
第二話 御影家には秘密がありました

12

しおりを挟む



 意識ははっきりしている。それでも身体が動かない。指を意識的に動かそうとするが、指先に尖がった石が触れる感触がわずかにするのみで、手を握ることもできない。

「御影さん、大丈夫ですかっ? あ、あー、困ったな。どうしたら……、ん? 家に連れていけって?」

 あわてふためく彰人さんのひとりごとが、次第にミカンとの会話になるのがわかる。

「すみません、御影さん。ちょっと失礼しますね」

 うなずくこともできない私の顔をのぞき込む彰人さんは、ひどく申し訳なさそうな顔をしている。
 すると、背中とひざの下に腕が差し込まれて、ふわっと身体が持ち上がる。

 彰人さんに抱き上げられている、と気づいたときには風を切り、坂をぐんぐん降りていくのがわかった。

「良かったっ、御影さんだ」

 息を弾ませる彰人さんの口元に笑みが浮かぶ。

「御影さんっ、すみません。奥さまが急に倒れられてっ」

 どうすることもできずにグレイの空と彰人さんの顔を下から見上げる私の耳に、私を落ち着かせる声が聞こえる。

「千鶴さん……」

 すぐに駆けてくる下駄の音がする。

「お願いします、御影さん。どうされたのか、全然わからなくて」

 困惑する彰人さんの腕から別の腕へと私の身体は移動する。とてつもない安堵が全身を包む。
 私はこの腕が好きだ。誠さんに触れられているときが、唯一安らげる。

「わぁ、千鶴ちゃん、大丈夫かよ」

 誠さんの背後から春樹さんの声が飛んでくる。
 春樹さんも一緒にいたようだ。もう大丈夫。そう思った途端に、意識がわずかに遠のいた。



 すぐに意識は戻ってきたようだった。まぶたをあげると、見慣れた居間で横になっていた。目の前には、心配そうに私の顔をのぞき込む誠さんと春樹さんがいる。

「千鶴さん、動けますか?」

 誠さんに促されて、指を動かしてみる。驚くほどにすんなりと動く。たたみに手をついて上体を起こすと、身体からブランケットが落ちる。

「あー、良かった、千鶴ちゃんっ」

 苦しげだった表情に安堵を浮かべる誠さんを押しのけて、春樹さんが私に抱きついてこようとする。
 あっ、と思ったときには誠さんの腕が私を包み込み、彼はちょっとだけ不服そうに春樹さんをにらみつけていた。

「わ、その顔っ!」

 口に手をあてて、春樹さんはぷっと吹き出す。

「嫉妬深いよなー、兄貴は。重たい。重たいぜぇ、その愛情。さっきだって、男に抱かれてる千鶴ちゃんを見たときの兄貴の顔っていったらなかったぜ」
「静かにしないか、春樹」

 ぴしゃりと誠さんは叱りつけて、ふんっと口をつぐむ春樹さんの見守る中、優しく話しかけてくれる。

「どうしてあの青年と一緒だったのか、話してくれますね? 千鶴さん」

 何をどう説明したらいいのかわからなくて黙り込む。沈黙してしまう私を頼りなげに見つめる誠さんに罪悪感を覚えてしまう。

「千鶴ちゃんだって隠したいことの一つや二つあるよなぁ」

 春樹さんがにやにやしながら横やりを入れる。

「隠したいわけではなくて……、何から話したらいいのか」

 そう答えると、誠さんは質問を変える。

「あの青年は誰です?」
「やっぱり誠さんもご存知なかったんですね。あの方は藤沢さんです。藤沢彰人さん。私たちのことは、その、それなりに有名なようで、藤沢さんはご存知のようでした」
「ああ、彼が」

 先日話題になった彰人さんのことはすぐに思い出したのだろう。誠さんはうなずく。

「夏乃さんのことを知るためには藤沢さんの協力も必要です。いずれ会わなければならないとは思っていましたが、早計でしたね」
「いえ、私は夏乃さんのことで藤沢さんに会っていたわけではないんです」
「というと?」

 また私は口をつぐんでしまう。
 池上こと、という人物を探していると言えば、誠さんは進んで協力してくれるだろう。
 だけどそのためには七二郎さんの話をしなければいけない。それは到底理解してもらえない話のような気がした。

「話せないことは無理には聞きませんが、藤沢彰人さんは少なくとも夏乃さんの死の理由を知っている方です。危ない目に合ってはいけませんから、不用意に会ってはいけませんよ」
「秋帆さんが言ってたこと、気にされてるんですか? 藤沢さんが夏乃さんを殺したって」
「調査中です」

 私のことは知りたがるのに、誠さんは何も教えてくれる気はないよう。

「藤沢さんはとても良い方のように見えました」

 反発するようなことを言ってしまったかもしれない。誠さんの片方の眉がぴくりとあがる。

「見た目で判断できる問題ではありませんよ」
「それだけじゃないです。初めて会うというのにとても親切で、ミカンも藤沢さんを警戒しませんでした」
「それだけのことのように聞こえます」

 涼やかに私を見つめる誠さんの視線にどきりとする。怒っている。私の軽率な言動が彼には理解できないのだろう。
 思い返せば、私は誠さんに従うばかりで、自分の意見を話したことはあまりない。
 誠さんがいなければ生きられない私に、いったいどれほどの自由が与えられているのだろうと、ぽっかりと胸に穴が空いたような気持ちになる。

「藤沢さんは信じられると思っています」
「初対面の男を簡単に信じるなどと言ってはいけません」

 池上ことのことを知るためには彰人さんを頼るしかないと、今はすがるものがない。
 池上秋帆は快活な女性だった。もしかしたら来客かもしれない私に見向きもしなかった。それに彰人さんに対する態度。それを知らないから、誠さんはそんな風に彰人さんを悪く言うのだと思った。

「とにかく私は夏乃さんのことを調べているわけではありません。これからも藤沢さんには会います。誠さんには迷惑かけませんから」

 私の手を握る誠さんの手を突き放した。
 冷ややかに私を見つめる誠さんと目を合わせたら、背中にひやりとするものが走る。

「迷惑はかかっています。それは誰よりも千鶴さんご自身がわかっているでしょう」
「……」

 じわりと目に涙が浮かぶ。次第ににじむ誠さんの表情が悲しげで、私はいつも彼の重荷になっているとまざまざと思い知らされる。

「私だって好きで迷惑かけてるわけじゃありません」

 ぎゅっとブランケットを握りしめる。

 私が気を失い、寒くないようにと彼が用意してくれたブランケットにどれほどの愛情が込められているのか。
 夫婦になってしまうと特別な愛情があたりまえの愛情になってしまう。あたりまえと思ってはいけないのに。そんなことにも私は気づけていなかった。

「私はこんな体質です。わかっていて結婚したのは誠さんです。お嫌なら今すぐ追い出してください」

 正座して、誠さんの前でこうべを垂れた。ぽたぽたと落ちる涙がブランケットに染み込んでいく。

 こんな話をしたいわけではなかった。
 誠さんに迷惑かけたくなくて。自分の言動には責任をもてる女性になりたくて。誠さんの名に恥じない立派な妻になりたかった。

「お互い、頭を冷やしましょう」

 スッと誠さんが立ち上がる。そのまま足袋を履いた足が居間を立ち去る。

「あ、おいっ、兄貴」

 顔を上げると、春樹さんと目が合った。
 金髪をくしゃくしゃっとかき混ぜて、私に何か言いかけた春樹さんは、結局何も言わずに誠さんを追いかけていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜 あやめ
恋愛
✨ 第6回comicoお題チャレンジ『空』受賞作 阿須加家のお嬢様である結月は、親に虐げられていた。裕福でありながら自由はなく、まるで人形のように生きる日々… だが、そんな結月の元に、新しく執事がやってくる。背が高く整った顔立ちをした彼は、まさに非の打ち所のない完璧な執事。 だが、その執事の正体は、なんと結月の『恋人』だった。レオが執事になって戻ってきたのは、結月を救うため。だけど、そんなレオの記憶を、結月は全て失っていた。 これは、記憶をなくしたお嬢様と、恋人に忘れられてしまった執事が、二度目の恋を始める話。 「お嬢様、私を愛してください」 「……え?」 好きだとバレたら即刻解雇の屋敷の中、レオの愛は、再び、結月に届くのか? 一度結ばれたはずの二人が、今度は立場を変えて恋をする。溺愛執事×箱入りお嬢様の甘く切ない純愛ストーリー。 ✣✣✣ カクヨムにて完結済みです。 この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。 ※第6回comicoお題チャレンジ『空』の受賞作ですが、著作などの権利は全て戻ってきております。

密室に二人閉じ込められたら?

水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる
恋愛
世継ぎの王女アリスには完璧な婚約者がいる。侯爵家次男のグラシアンだ。容姿端麗・文武両道。名声を求めず、穏やかで他人に優しい。アリスにも紳士的に対応する。だが、完璧すぎる婚約者にかえって不信を覚えたアリスは、彼の本性を探るため侯爵家にメイドとして潜入する。2022eロマンスロイヤル大賞、コミック原作賞を受賞しました。

処理中です...