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第二話 御影家には秘密がありました

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「ミカン、杉野さんちに行くわけじゃないのよ。お留守番してて」

 下駄を履こうとすると、玄関ポーチに降りてきたミカンが小さな手で下駄をひっかく。
 誠さんが防寒用にと買ってくれた下駄には可愛らしいファーがついており、ミカンのツメに引っかかってしまう。

「もう、ミカン」

 しゃがんで、裏返しになった下駄をひっくり返すと、愛くるしいまん丸の目が私の顔をのぞき込む。

「だから……」
「よいではないか、連れてゆけば」

 誠さんも春樹さんも出かけている。私とミカン以外、誰もいないはずの家の中に響いた男の声に驚いて、え?っと顔をあげる。

「七二郎さんっ」

 昨日と同じ着物姿の七二郎さんが玄関に立っている。
 寒くないのだろうかとつい心配したくなるほど粗末な着物を身につけているが、その容貌は身なりをカバーするほど端整なもの。

 無精ひげを剃って、誠さんの着物を召したら素敵な紳士になりそうだと思いながら、幽霊なのだから着替えなどできないだろうとも考えていると、七二郎さんは裸足で玄関ポーチへ降りてきた。

「わしも参ろう」
「参るって、七二郎さんも池上さんちへ?」
「あたりまえじゃ」

 そう言って、玄関の戸を開けることなくスーッと消えてしまうから、私はあわてて下駄箱の上にあるハーネスをつかむ。

 待ってましたとばかりに、パタパタと勢いよくしっぽを振るミカンを落ち着かせながらハーネスをつけ、私も玄関を出る。
 急いで門を飛び出した時には、すでに七二郎さんは黒石城へ続く坂道を登り始めていた。

 ミカンも彼を追うように走り出す。ピンっと張るハーネスにあわてて、下駄をカラカラ鳴らしながら私も走るが、消えては現れるを繰り返す七二郎さんには到底追いつかない。

「待って、ミカンっ。急がなくても大丈夫だから」

 坂道の途中で足をとめ、息を整える私をミカンは不服そうに振り返るが、私が歩き出すのを待っていてくれる。
 髪が崩れていないか確認してふたたび歩き出すと、ミカンは足元に舞い戻ってくる。

 先日誠さんと歩いたゆるい坂道をしばらく登ると、わかれ道で七二郎さんは待っていた。
 右へ進むと八枝さんのお宅がある。ミカンはすぐにそちらへ進もうとするが、ハーネスをしっかり握って引きとめる。

「この先には何があるのじゃ?」

 興味深げに右手の道へ入ろうとする七二郎さんも引き止めて、帰りに八枝さんのお宅に寄るからと、嫌がるミカンをなだめる。

「七二郎さんもそんなに自由に歩き回れるのでしたら私の手など必要ないでしょう?」

 ため息をついて言うが、「そういう問題ではないのじゃ。な?」と、ミカンに同意を求める七二郎さんにますますあきれる。

「行きましょう。池上さんちはこの先です」
「知っておる」

 堂々と胸を張る七二郎さんは口の減らない人だと思いながら、ふたたびまっすぐ坂道をのぼった。

 少し進んだ先に、大きな門が現れる。門に見合う大きさの立派な表札には、〝池上〟の文字がある。
 私の後ろに立つ七二郎さんは、その門をじっと見上げている。

 門は比較的新しく、七二郎さんが生きた時代のものではないだろう。それでも彼は何を思うのか悟らせない表情で門を見つめ続けている。

「何かありますか?」
「うむ。懐かしく思うてな」

 七二郎さんは力強くうなずく。

「何度かここへ?」
「ああ、何度も。何度も。……一度もこの家のものは、ことに会わせてはくれなかったが」

 不意にさみしげにまぶたを伏せる七二郎さんを見たら胸が痛くなる。

「ことさんに会えるといいですね」

 励ますように言うと、七二郎さんは思いがけずムッとする。

「何を悠長なことを言っておる。絶対に会うんじゃ。ことはわしを待って泣いておる」
「あ、すみません。そうですね。なんとか、ことさんの手がかりを探しましょう」

 力む七二郎さんにほとほと困り果てながらそう言って、立派な門を見上げる。インターフォンもついていない門で、扉に触れていいのかもわからない。

 来客を拒むような扉におそるおそる近づく。誠さんすら交流をもたない池上家を突然訪ねても門前払いだろう。
 早く早くと焦らせる七二郎さんをなだめながらどうしようかと悩んでいると、後ろから声をかけられた。

「何かご用ですか?」

 それは先日、八枝さんのお宅を訪れたときに聞いた声のようで、ハッとして振り返る。
 品の良いベージュのセーターを着た青年がミカンの側に立っている。買い物に出かけていたのだろうか。彼は風呂敷に包んだ一升瓶を下げている。

 青年はミカンに気づくとひざを折ってしゃがみ、彼女の頭をひとなでした。

「藤沢さんですか?」

 青年に近づきながら問うと、彼は少々驚いた様子で顔をあげ、ゆっくりとうなずいた。

「あなたは御影……、えっと、御影誠さんの奥さまですね」

 どうやら青年は私のことを知っているようだった。

「はい。御影千鶴と言います」
「ああ、そうでした。千鶴さんですね。良妻とのお噂はよく。俺は藤沢彰人です。縁あって池上家で居候をしています。今日はお一人でこちらへ?」

 私はちらりと右手を見上げる。七二郎さんは興味津々に彰人さんを見つめている。しかし、彰人さんには七二郎さんが見えていないようだ。

「はい。人探しをしているんです」
「人探しですか。ご主人の専売特許でしょう?」

 そう言って、彰人さんはくすくす笑うが、すぐに生真面目になる。

「どなたをお探しですか?」
「池上ことさんという方なんです」
「池上こと?……そのような名前の方は住んでおりませんが」

 彰人さんは困惑する。

「何年も昔の方だと思うんです。もしかしたら、何十年……何百年かも」

 思わず声が小さくなる。彰人さんが奇異な目を向けてくるから余計に。

「何百年? それはすぐにはわからない話ですね。まず、どうしてそのようなことを知りたいのか、話していただけますか?」

 至極まっとうなことを問う彰人さんにどう話したらいいものかと迷って七二郎さんを見上げると、彼は門の方を見ていた。
 すると、両開きの門の片側が、ギギギと音を立てて細く開く。

 誰か出てくるのだと無言で見守る私の目に飛び込んできたのは、色白で細面だけれどとても元気そうな少女だった。

「騒がしいと思ったら彰人だったの。ちっとも戻らないからお父さまがご立腹よ」
「秋帆お嬢さま、申し訳ございません」
「謝るならお父さまにしてちょうだい」

 少女は私のことなど気に留めない様子で、深く頭をさげる彰人さんを侮蔑したあと、扉の奥に姿を隠してしまった。

「すみません。先ほどの話はまた……」

 困り切った様子で眉をさげる彰人さんの目が驚いたように見開く。
 私は胸を抑えてうずくまった。胸が痛い。声にならない声が口からもれて、砂利の上に手をつく。

 苦しくて目をぎゅっと閉じた。秋帆と呼ばれた少女の顔がまぶたの裏にちらつく。彼女の純粋な笑顔、はにかむ顔。見たこともないいろんな笑顔が走馬灯のように流れていく。

 砂利の上に崩れ落ち、青い空が見えたとき、「御影さんっ!」と彰人さんの叫ぶ声が聞こえた。
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