甘い生活に取り憑かれてます

水城ひさぎ

文字の大きさ
35 / 84
第二話 御影家には秘密がありました

15

しおりを挟む



「ほんとうに、仲のいいこと。御影さんと千鶴ちゃんのようね」
「あんなにベタベタしていますか」

 庭先でじゃれつくミカンとマヨイくんを眺めながら小さく苦笑いすると、八枝さんはくすりと笑う。

「幸せそうでなによりね」
「ええ。千鶴さんがうちで働きたいとやってきた時はまさか結婚することになるとは思いませんでしたが」
「惹かれ合うものが最初からあったのでしょう。そうでなければ、あんなに可愛らしくて若い子を引き受けたりしないでしょうに」
「やましい気持ちは微塵もありませんでしたよ」

 千鶴さんの名誉のためとそう言えば、わかっているわと八枝さんは笑って、話をそらす。

「それはそうと、春樹くんの方はどう?」

 八枝さんが春樹のことを口にするなんて珍しい。気にしてはいたのだろうが、俺に直接尋ねるのは何年ぶりだろう。

「あいかわらずのマイペースです。千鶴さんがいてくれるので家にも頻繁に帰ってきますし、前よりも安心しています」
「そう。それは良かったわね。千鶴ちゃんのおかげね」

「ええ」と、俺は湯のみを手に取り、温かな緑茶を口にする。八枝さんと二人きりでのんびり話をするのも久しぶりだ。

 なぜ今日ここを訪れたのか、それすら忘れてしまいそうになるほど穏やかだ。それは八枝さんも感じていたのだろう。ふと、俺に尋ねる。

「ところで、今日は何をしにいらしたの?」

 俺は居住まいを正し、同様に神妙になる八枝さんと向き合う。

「実はマヨイくんのことなんですが」
「あら、マヨイ?」

 違う話だと思っていたのだろうか、八枝さんは拍子抜けしたように肩の力を抜く。

「はい。八枝さんのお話では、マヨイくんは半年前にここへ迷い込んだとか」
「ええ、そう。朝起きたらね、庭先にちょこんと座っていたのよ。あんまり綺麗な猫ちゃんだから飼い猫だろうとは思って池上さんに相談したんだけれどね、探しても飼い主は見つからないんじゃないかしらって言われて」
「池上さんに相談を?」
「池上さんの奥様ぐらいしか相談する人もいなくて。御影さんにお願いすれば良かったかしらね」

 ふふっと笑う八枝さんの雰囲気からすれば、マヨイくんのことはそれほど深刻なものではなかったのだろう。

「そのマヨイくんですが、どうやら一年前に夏乃さんの手によって天目神社へ捨てられたようなんです」
「まあ。そうなの? でもなぜ?」
「理由はわかりませんが、もともとマヨイくんは夏乃さんの飼い猫のようです。八枝さんのところへ姿を現わすまでの半年間、マヨイくんはどこにいたのでしょうか」

 八枝さんは首をかしげ、しばらく考え込む。しかしすぐに諦めたのか、首を振る。

「池上さんの奥様はマヨイのこと知らないとおっしゃっていたし、……そうねー、今思えば、私に飼うように仕向けていたかもしれないわね。ごめんなさいね、何もわからないわ」
「ではあと一つだけ。マヨイくんの名前は迷い子だから名付けたと言っていましたがそれは本当ですか?」
「ええ、そうよ。かわいい迷い子ね、って声をかけるたびに、あの子、振り返ってしっぽを振るの。だから」
「そうですか。ありがとうございます」

 名前を呼ばれたような気がして喜んだマヨイくんに、八枝さんが与えた名前は真実の名だった。
 偶然だったとはいえ、マヨイくんは幸運で、愛されていた猫だったのだろうと思う。

「きっと夏乃さんは感謝していますよ」
「そうだといいわね。もっとはやく気づいていたらお返しできていたのに。それは残念よ」
「池上さんの奥様が知らないと言ったのですから、夏乃さんは名乗りでなかったでしょう」
「そうねー。きっと真実はマヨイだけが知っているのね。私を選んでくれたのだとしたら嬉しいわね」

 疲れたのか、いつの間にかミカンとマヨイくんは陽の当たる縁側へやってきていた。毛布の上に乗って身を寄せ合って丸くなるのを見れば、マヨイくんは望んでここへ来たのかもしれないとさえ思える。

「では、今日はこれで」

 ひざを立てて立ち上がろうとすると、八枝さんは微妙な表情をして俺を見上げる。

「何か?」
「あ、いいえ。マヨイのことだけ聞きに来たのかしらと思って」
「と言いますと?」

 ふたたび座り直すと、八枝さんは急須を持ち上げ、おもむろに湯のみへ緑茶を足す。

「藤沢彰人さんのことを調べてるのかと思っていたわ」
「なぜそう思われましたか」
「彰人さんが千鶴ちゃんと何かあったようだから」

 遠慮がちに八枝さんは言うが、小さな村の出来事だ、うわさは尾ひれがついて、良くないものとして広がっているのかもしれない。

「それも池上さんの奥様から聞きましたか」

 微妙に表情を崩すから、肯定したようなものだ。

「ご心配するようなことは何もありませんが、千鶴さんには軽率なことをしないよう話しておきました」
「それならいいけれど、彰人さんには注意した方がいいわ。いろいろと噂のある方だから」

 その噂というのも、池上さんの奥様から聞いたことなのだろうが、八枝さんが珍しく忠告してくることには興味がわいた。

「どんな噂があるんですか?」

 八枝さんは気まずそうに口元を歪めるが、隠そうとはしなかった。

「池上さんにはね、三人お子さんが見えるのよ」
「三人? 夏乃さんと秋帆さん以外にもお子さんが?」
「ええ、池上さんにはね、春臣はるおみくんっていう、夏乃ちゃんたちのお兄さんがいたの」

 いたの、という言い方は引っかかる。

「春臣という方は今どこに?」
「亡くなってるわ。はたちの時にバイク事故を起こしてね。生きていれば彰人さんと同じ24歳よ」
「そんなことがありましたか」
「池上さんは特に秘密主義だから、御影さんが知らなくても仕方ないことよ。当時、春臣くんは東京の大学へ通っていて一人暮らししていたし」

 この小さな村で噂を立てないでいられるというのもすごいことだ。池上家は何かを隠すことに慣れている、そして長けているのかもしれない。

「そのことと、藤沢さんに何か関係があるんですか?」
「身代わりなのよ、彰人さんは」
「穏やかな言い方ではありませんね」
「少なくとも彰人さんはそう思っているんじゃないかしら。春臣くんが亡くなった後ここへ連れてこられて、自由のない生活をしているようだから」

 池上家の居候の藤沢彰人にはそんな事情があったのか。息子である春臣の身代わりではあるが、その扱いはとうてい息子のそれとは違う待遇だろう。

「池上さんを恨んでいますか」
「そこまではわからないけれど、快くは思ってないでしょう。小夜さんは彰人さんを認めていないと聞くし、それに……」

 八枝さんは躊躇するように言葉を濁す。

「そこまで話したんですから教えてください」
「ええ、そうね。御影さんに隠すことも、隠すつもりも何もないわ」

 そう言って、八枝さんはため息とともに吐き出す。

「池上さんのご主人はね、利発な秋帆ちゃんがとてもお気に入りなの。だからいずれは秋帆ちゃんに全財産の相続を考えてるみたい。それは夏乃ちゃんが生きていた頃からそうよ」
「それが真実だとすると、夏乃さんが秋帆さんを憎んでいたとしても、彰人さんが池上家を快く思う話ではないのでは?」
「ああ、いけない。言葉が足りなかったわね。彰人さんと夏乃ちゃんは婚約していたのよ。結婚しても財産が入らない。彰人さんは秋帆ちゃんと結婚するために夏乃ちゃんを殺したんじゃないか。そんな噂があるそうよ」

 閉ざされた池上家から聞こえてくる噂というのは、池上家の中でひそやかにささやかれる真実ではないか。

 八枝さんは苦々しくそう言って、俺と目を合わせると悲しげにまばたきをした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

密室に二人閉じ込められたら?

水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?

婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる
恋愛
世継ぎの王女アリスには完璧な婚約者がいる。侯爵家次男のグラシアンだ。容姿端麗・文武両道。名声を求めず、穏やかで他人に優しい。アリスにも紳士的に対応する。だが、完璧すぎる婚約者にかえって不信を覚えたアリスは、彼の本性を探るため侯爵家にメイドとして潜入する。2022eロマンスロイヤル大賞、コミック原作賞を受賞しました。

イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。

楠ノ木雫
恋愛
 蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

処理中です...