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寄り添う心に新たな出会い
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女の人は店員に何やらお願いしている。視線の先を追うと、入り口にベビーカーがあるようだった。
辺りを見回す。ベビーカーが置けるような席は、ほとんどない。私が席を変わった方が良さそうだ。
店員も、こちらに目を向ける。私はすばやく立ち上がり、「どうぞ」と声をかけた。
「お客さま、すみませんっ。あちらのお客さまのベビーカーを置かせてもらえますか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「申し訳ありません。前の席へお願いします」
手早く、ふきんと水の入ったグラスを前の席に移動した店員は、すぐにベビーカーを運んできた。
赤ちゃんを抱いた女の人は、席を移った私の前まで来ると、少々引きつった笑顔を見せて頭を下げた。申し訳ない気持ちと、緊張がないまぜになったような表情だった。
私は笑顔で頭を下げ、彼女が席に着くのを見送ったあと、店員の差し出す紅茶を受け取った。
後ろの席で、女の人はホットミルクとアメリカンを注文した。どうやら、連れがいるらしい。店員も、水のグラスをふたつ運んでくる。
ほどなくして、今度は若い男の人が姿を見せた。店内を見回し、私の奥へ目を向けると笑顔になって、「すみれちゃんっ」と言って、私の横を素通りする。
「ごめん、遅くなって。病院の会計って、なんであんなに待ち時間あるんだろうな」
「ううん、全然待ってないよ。いま、座ったところ」
どうやら、ふたりは診察を終えて、喫茶店に来たようだ。
「ねー、颯太くん、そちらの方に席を変わってもらったの」
すみれと呼ばれた女の人は、ささやくように言う。私に聞こえないようにと配慮したつもりだろうが、ふたりの様子は手に取るように伝わってきた。
「えっ、そうなんだ。お礼、言った方がいいか?」
そう確認しながらも、すぐさま立ち上がったのだろう。いすがきしむ音がする。
紅茶カップをおろして振り返ると、颯太という名の青年はすでに頭をさげていた。
「すみませんでした。わざわざ、席、変わってもらったみたいで」
「いえ、大したことではありませんから」
私も頭をさげる。すぐに姿勢を戻そうとするが、頭をあげた颯太は私の顔を見るなり、「あっ」と声をあげた。
ちょっと驚くと、彼はあわてて言う。
「突然、すみません。もしかして、綾城堂の綾城さんですか?」
「はい。失礼ですが、どこかでお会いしたことがありましたでしょうか?」
知らない人に声をかけられるのは珍しくない。綾城家は名家で、一方的に知っている人も多い。尋ね返す私に、彼は気まずそうに言う。
「あー、いえいえ。さっき、病院で、看護師さんがあなたを『綾城さん』って呼んでたので。もしかして、綾城さんって、綾城堂の綾城さんかなと思ってたんです。立ち聞きしてたみたいで、すみません」
「綾城堂のご利用の方でしたか。存じ上げませんで、失礼しました」
「いやいや、違うんです。妻が以前から華道をやってみたいって言ってまして、近くで習える場所がないかなって調べてたんですよ」
なー、すみれちゃん。と、颯太はすみれに話しかける。彼女はけげんそうにしていたが、頭を下げるようにうなずいた。
「それで、綾城堂をご存知で。ありがとうございます」
「一度、体験に行きたいなって思ってるうちに子どもができて、なかなか行けなかったんですよ。華道教室って、体験できましたよね?」
どうやら、彼らの教室への興味は尽きていないらしい。体験希望の方は大歓迎だ。
「ええ、華道は毎週金曜日です。体験ご希望の場合は、事前にお電話をいただけましたら。お子さんはご一緒で大丈夫ですよ。……ごめんなさい。今は案内のパンフレットを持っておりませんので、詳細はホームページでお調べください」
「あー、全然大丈夫ですよ。まだ子どもも生まれたばっかりなので、妻と相談して、お邪魔させてもらいます」
「はい、お待ちしております」
「すみません、急に。ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます」
私はすみれに視線を移し、にっこりと微笑みかけて頭をさげた。
彼女は不安そうにこちらを見ていたが、ますます申し訳なさそうに眉を寄せ、颯太の腕に「ご迷惑よ」と触れながら、小さく頭をさげた。
上品で大人しい奥さんと、明るくて社交的な旦那さんみたい。仲が良くて、ちょっとだけ羨ましい。
夫妻の注文した飲み物が運ばれてくる。私はもう一度、軽く会釈して前を向くと、ふたたび紅茶カップを持ち上げた。
辺りを見回す。ベビーカーが置けるような席は、ほとんどない。私が席を変わった方が良さそうだ。
店員も、こちらに目を向ける。私はすばやく立ち上がり、「どうぞ」と声をかけた。
「お客さま、すみませんっ。あちらのお客さまのベビーカーを置かせてもらえますか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「申し訳ありません。前の席へお願いします」
手早く、ふきんと水の入ったグラスを前の席に移動した店員は、すぐにベビーカーを運んできた。
赤ちゃんを抱いた女の人は、席を移った私の前まで来ると、少々引きつった笑顔を見せて頭を下げた。申し訳ない気持ちと、緊張がないまぜになったような表情だった。
私は笑顔で頭を下げ、彼女が席に着くのを見送ったあと、店員の差し出す紅茶を受け取った。
後ろの席で、女の人はホットミルクとアメリカンを注文した。どうやら、連れがいるらしい。店員も、水のグラスをふたつ運んでくる。
ほどなくして、今度は若い男の人が姿を見せた。店内を見回し、私の奥へ目を向けると笑顔になって、「すみれちゃんっ」と言って、私の横を素通りする。
「ごめん、遅くなって。病院の会計って、なんであんなに待ち時間あるんだろうな」
「ううん、全然待ってないよ。いま、座ったところ」
どうやら、ふたりは診察を終えて、喫茶店に来たようだ。
「ねー、颯太くん、そちらの方に席を変わってもらったの」
すみれと呼ばれた女の人は、ささやくように言う。私に聞こえないようにと配慮したつもりだろうが、ふたりの様子は手に取るように伝わってきた。
「えっ、そうなんだ。お礼、言った方がいいか?」
そう確認しながらも、すぐさま立ち上がったのだろう。いすがきしむ音がする。
紅茶カップをおろして振り返ると、颯太という名の青年はすでに頭をさげていた。
「すみませんでした。わざわざ、席、変わってもらったみたいで」
「いえ、大したことではありませんから」
私も頭をさげる。すぐに姿勢を戻そうとするが、頭をあげた颯太は私の顔を見るなり、「あっ」と声をあげた。
ちょっと驚くと、彼はあわてて言う。
「突然、すみません。もしかして、綾城堂の綾城さんですか?」
「はい。失礼ですが、どこかでお会いしたことがありましたでしょうか?」
知らない人に声をかけられるのは珍しくない。綾城家は名家で、一方的に知っている人も多い。尋ね返す私に、彼は気まずそうに言う。
「あー、いえいえ。さっき、病院で、看護師さんがあなたを『綾城さん』って呼んでたので。もしかして、綾城さんって、綾城堂の綾城さんかなと思ってたんです。立ち聞きしてたみたいで、すみません」
「綾城堂のご利用の方でしたか。存じ上げませんで、失礼しました」
「いやいや、違うんです。妻が以前から華道をやってみたいって言ってまして、近くで習える場所がないかなって調べてたんですよ」
なー、すみれちゃん。と、颯太はすみれに話しかける。彼女はけげんそうにしていたが、頭を下げるようにうなずいた。
「それで、綾城堂をご存知で。ありがとうございます」
「一度、体験に行きたいなって思ってるうちに子どもができて、なかなか行けなかったんですよ。華道教室って、体験できましたよね?」
どうやら、彼らの教室への興味は尽きていないらしい。体験希望の方は大歓迎だ。
「ええ、華道は毎週金曜日です。体験ご希望の場合は、事前にお電話をいただけましたら。お子さんはご一緒で大丈夫ですよ。……ごめんなさい。今は案内のパンフレットを持っておりませんので、詳細はホームページでお調べください」
「あー、全然大丈夫ですよ。まだ子どもも生まれたばっかりなので、妻と相談して、お邪魔させてもらいます」
「はい、お待ちしております」
「すみません、急に。ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます」
私はすみれに視線を移し、にっこりと微笑みかけて頭をさげた。
彼女は不安そうにこちらを見ていたが、ますます申し訳なさそうに眉を寄せ、颯太の腕に「ご迷惑よ」と触れながら、小さく頭をさげた。
上品で大人しい奥さんと、明るくて社交的な旦那さんみたい。仲が良くて、ちょっとだけ羨ましい。
夫妻の注文した飲み物が運ばれてくる。私はもう一度、軽く会釈して前を向くと、ふたたび紅茶カップを持ち上げた。
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