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ノスタルジックフレーム
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「生きづらい?」
放課後、初めて話しかけてきた矢田雪平くんに驚いて、彼へ視線を向けてしまった。そうしてから、ハッとうつむいた。男の子と話すのは苦手だった。
ううん。女の子でも一緒。同世代の子は苦手だった。人気のある芸能人やアイドルは全然知らない。うまく話に乗れない経験は何度もした。絵画、彫刻、写真など、そういった視覚芸術ばかりに夢中で、同級生の子とは興味を持つものが違う。それに気づいてから、積極的に友だちを作るのはあきらめた。
父は著名な彫刻家で、母は元舞台女優。生まれたときから私たち姉妹は注目されていた。高校に進学したら、芸術に優れた子もいて、好きな世界に住めたと感じられた。しかし、姉は画家への道を歩み始めたが、私には芸術家になれる素質はなくて、中途半端で残念な子だった。
生きづらそうだ、と言われたら、そうかもしれないと思う。
それでも、常に周囲には父の仕事関係の大人がいて、孤独ではなかった。ただ、私は誰かにとって才山省吾の娘という特別な存在であっても、私にとって特別になる人がいなかっただけだ。
「違う? 俺と同じかと思ったよ」
雪平くんは机の上に乗せた腕に伏せるようにしたまま、私の方へ顔を向けてほほえんでいた。
「同じって?」
彼を知らない。何が同じなのだろう。
「君は綺麗だから、話しかけるだけで迷惑かけちゃいそうだってこと」
「どういう意味?」
そういう彼はモデルのように綺麗だった。色白で線が細く、少し色素の薄い瞳や髪にも透明感があふれている。
「俺がこうやって話しかけるだけで、言われちゃいそうだよね。矢田くんは才山さんに気があるんだよ、付き合ってるの? って」
くすくす笑う彼は、下世話な恋愛話をバカにしてるように見えた。その実、そういう会話がないわけではなかった。普段、仲良くしてるわけでもないクラスメイトから、人気のある男の子と付き合ってるの? と何回か尋ねられたことがある。
「どうして男子と女子が話してるだけで恋愛に結びつけるんだろうね。俺は人として君に興味があるだけなのに」
「私に興味があるの?」
ちょっとおかしかった。私より綺麗な彼が、何の取り柄もない私にどんな興味があるんだろうって。
「あるよ。友人でも、恋愛でもなく。ただ君という存在に興味があるんだ。たとえば、澄み切った青空を見ると、心が洗われる気分になる。それと同じで、君を見てるだけで、薄汚い世界にまみれた俺が浄化される気がするんだ。まあ、それをいうと、やっぱり好きなんだ? って言われちゃうかな」
大げさな話をするんだ、とあきれたりもしたけど、やっぱりおかしくて、もう少し彼と話していたいと思った。
雪平くんは親指と人差し指を伸ばして、カメラのファインダーのようにしてかまえると、顔をのぞき込んでくる。まるで、彼にとって私の存在は風景のようだった。
自然の中に生きるものとして、私を愛おしがってくれてるのかもしれない。確かにそれを、恋愛感情ではないと証明するのは難しそうだ。
「誰が好きとか疑われるのめんどくさいから、彼女を作ってみたこともあるんだよ」
「え、そうなの?」
「うん。でもさ、やっぱりそれもめんどくさかった。君はそういうのとは無縁そうだから、ずっと話してみたかったんだ」
だから、今日は勇気を出して話しかけてきた。彼の期待に応えられる存在でいられたかはわからないけれど、私たちが異性として惹かれ合うことはなかった。
友情も愛情も求めない関係が楽だと、彼は言った。
何かを慈しむとき、そこには存在してない下世話な感情を、あたかも存在してるかのように揶揄されるのは苦痛なのだろう。
わかるような気がした。雪平くんは隣の席の男の子なだけで、それ以上でもそれ以下でもない。席替えをしたら、きっともう話さない。
「大人になってまた会うことがあれば、聞きたいことがあるんだ」
彼は唐突にそう言った。
「会うかな?」
数年後、私は何をしてるだろう。芸術家にはなれず、会社員として働いてるだろうか。まだ未来が想像できなくて、私は首を傾げた。
「わからないけどね。でもさ、才山さんは俺が目指す世界に生きてくれてる気がするよ」
「何を目指してるの?」
「カメラマンになるよ。美しいものを撮り続けていきたい。君のように美しい風景を、世界中に探しに行きたいんだ」
「きっと、たくさんあるよ」
誰も見たことのない世界を、雪平くんなら見つけられる気がしてそう言った。
「君に再会できたら必ず話しかけるから、今日みたいに話してよ」
「何が聞きたいの? 未来の私に」
「それは大人になったら聞くよ。今聞いてもわからないことだから」
それから卒業までの間、雪平くんといろんな話をした。将来の夢、未来の構想。彼の未来は希望に満ち満ちていた。だから私も刺激を受けて、デザインの勉強に力を入れるようになった。
高校を卒業して、雪平くんとは離れ離れになったけれど、一緒にいた時間は今でも、記憶の中できらめいている。友情でも愛情でもないものでつながれた私たちは、離れていてもきっと同志だった。その彼が死んだなんて、いまだに信じられないでいる。
「生きづらい?」
放課後、初めて話しかけてきた矢田雪平くんに驚いて、彼へ視線を向けてしまった。そうしてから、ハッとうつむいた。男の子と話すのは苦手だった。
ううん。女の子でも一緒。同世代の子は苦手だった。人気のある芸能人やアイドルは全然知らない。うまく話に乗れない経験は何度もした。絵画、彫刻、写真など、そういった視覚芸術ばかりに夢中で、同級生の子とは興味を持つものが違う。それに気づいてから、積極的に友だちを作るのはあきらめた。
父は著名な彫刻家で、母は元舞台女優。生まれたときから私たち姉妹は注目されていた。高校に進学したら、芸術に優れた子もいて、好きな世界に住めたと感じられた。しかし、姉は画家への道を歩み始めたが、私には芸術家になれる素質はなくて、中途半端で残念な子だった。
生きづらそうだ、と言われたら、そうかもしれないと思う。
それでも、常に周囲には父の仕事関係の大人がいて、孤独ではなかった。ただ、私は誰かにとって才山省吾の娘という特別な存在であっても、私にとって特別になる人がいなかっただけだ。
「違う? 俺と同じかと思ったよ」
雪平くんは机の上に乗せた腕に伏せるようにしたまま、私の方へ顔を向けてほほえんでいた。
「同じって?」
彼を知らない。何が同じなのだろう。
「君は綺麗だから、話しかけるだけで迷惑かけちゃいそうだってこと」
「どういう意味?」
そういう彼はモデルのように綺麗だった。色白で線が細く、少し色素の薄い瞳や髪にも透明感があふれている。
「俺がこうやって話しかけるだけで、言われちゃいそうだよね。矢田くんは才山さんに気があるんだよ、付き合ってるの? って」
くすくす笑う彼は、下世話な恋愛話をバカにしてるように見えた。その実、そういう会話がないわけではなかった。普段、仲良くしてるわけでもないクラスメイトから、人気のある男の子と付き合ってるの? と何回か尋ねられたことがある。
「どうして男子と女子が話してるだけで恋愛に結びつけるんだろうね。俺は人として君に興味があるだけなのに」
「私に興味があるの?」
ちょっとおかしかった。私より綺麗な彼が、何の取り柄もない私にどんな興味があるんだろうって。
「あるよ。友人でも、恋愛でもなく。ただ君という存在に興味があるんだ。たとえば、澄み切った青空を見ると、心が洗われる気分になる。それと同じで、君を見てるだけで、薄汚い世界にまみれた俺が浄化される気がするんだ。まあ、それをいうと、やっぱり好きなんだ? って言われちゃうかな」
大げさな話をするんだ、とあきれたりもしたけど、やっぱりおかしくて、もう少し彼と話していたいと思った。
雪平くんは親指と人差し指を伸ばして、カメラのファインダーのようにしてかまえると、顔をのぞき込んでくる。まるで、彼にとって私の存在は風景のようだった。
自然の中に生きるものとして、私を愛おしがってくれてるのかもしれない。確かにそれを、恋愛感情ではないと証明するのは難しそうだ。
「誰が好きとか疑われるのめんどくさいから、彼女を作ってみたこともあるんだよ」
「え、そうなの?」
「うん。でもさ、やっぱりそれもめんどくさかった。君はそういうのとは無縁そうだから、ずっと話してみたかったんだ」
だから、今日は勇気を出して話しかけてきた。彼の期待に応えられる存在でいられたかはわからないけれど、私たちが異性として惹かれ合うことはなかった。
友情も愛情も求めない関係が楽だと、彼は言った。
何かを慈しむとき、そこには存在してない下世話な感情を、あたかも存在してるかのように揶揄されるのは苦痛なのだろう。
わかるような気がした。雪平くんは隣の席の男の子なだけで、それ以上でもそれ以下でもない。席替えをしたら、きっともう話さない。
「大人になってまた会うことがあれば、聞きたいことがあるんだ」
彼は唐突にそう言った。
「会うかな?」
数年後、私は何をしてるだろう。芸術家にはなれず、会社員として働いてるだろうか。まだ未来が想像できなくて、私は首を傾げた。
「わからないけどね。でもさ、才山さんは俺が目指す世界に生きてくれてる気がするよ」
「何を目指してるの?」
「カメラマンになるよ。美しいものを撮り続けていきたい。君のように美しい風景を、世界中に探しに行きたいんだ」
「きっと、たくさんあるよ」
誰も見たことのない世界を、雪平くんなら見つけられる気がしてそう言った。
「君に再会できたら必ず話しかけるから、今日みたいに話してよ」
「何が聞きたいの? 未来の私に」
「それは大人になったら聞くよ。今聞いてもわからないことだから」
それから卒業までの間、雪平くんといろんな話をした。将来の夢、未来の構想。彼の未来は希望に満ち満ちていた。だから私も刺激を受けて、デザインの勉強に力を入れるようになった。
高校を卒業して、雪平くんとは離れ離れになったけれど、一緒にいた時間は今でも、記憶の中できらめいている。友情でも愛情でもないものでつながれた私たちは、離れていてもきっと同志だった。その彼が死んだなんて、いまだに信じられないでいる。
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