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奇妙なアルバイト

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「巫女になったんだって? 美鈴」

 視聴覚室の見回りに行こうと教室を出た私を、そう言って呼び止めたのは橘安哉だった。

「安哉くん、まだいたの?」

 質問には答えずそう尋ねると、安哉くんは柔和な笑みを浮かべてうなずく。

「また告白された。困るって言ってるんだけどさ」

 嫌味なく彼はそう私に告白する。
 どうやら安哉くんは、彼に告白しようとする女子に呼び出されていたようだ。私に報告する必要などないのだが、彼なりに罪の意識が働いてのことかもしれない。

「安哉くんはモテるのね。もう何度目?」
「そんなのいちいち数えてない。美鈴はどうなの? まさか神様に身を捧げるなんて言わないよね」

 安哉くんは話を戻す。どこからかで私がアルバイトを始めたことを知ったようだ。

「巫女はアルバイトよ。土日だけ行ってるの。両親は神社で働くならって、賛成してくれたわ。数少ない社会経験になるだろうからって」
「美鈴は大学へ行かなくてもかまわない?」
「それは何度も考えたわ。状況が許すなら、大学へ行きたい気持ちもないことはないの」

 淡々と私は言う。許されないことだから、強い希望ではないのだと。
 私はいつだって、親の敷いたレールの上から外れないように生きてる。大学へ行くことは、レールから外れることだってことも知ってる。

「そうだよな。俺もさ、いろいろ考えてるから」
「安哉くんも大変ね」
「俺は別に仕方なくって気持ちでいるわけじゃないから」
「私だってそうよ。そういうものだと受け入れてる」

 そう言うと、安哉くんは少し情けなさそうに眉を下げ、ちょっと笑ってから首を振る。頭の中の何かを振り払ったみたいだ。その何かは、迷い、だろうか。

「……なあ、美鈴。高校生活、どうだった?」
「いきなり何?」
「俺たちさ、親戚として物心つく前から一緒にいたし、ここに入学してからもずっと同じクラスだろ? 離れたことがないからさ、逆にどうだったのかなって思うんだ」
「あまり意識してないかもしれない」
「そういうものだから?」
「そうね」

 安哉くんと常に共にあるのは、息を吸うのと同じぐらい自然で普通のことだった。彼もきっと同じ思いだ。だから、私たちはお互いの思いを確かめたことなどなかった。

「最近さ、堀内白夜とはどう? 視聴覚室の見回り、一緒にしてるんだろう?」

 不意に尋ねてくる。彼との会話の中で白夜くんの名前が出たのは、おそらく初めてではないだろうか。

「何か疑ってるの?」
「あいつと同じクラスにならないようにしてきたんだけどな。やっぱり気にはなる」
「同じクラスにならないようにしてきた?」

 反復する。意外な言葉だったからだ。

「俺の父親が呼結大学の教授だろう? 校長とも懇意にしててさ、はっきり頼むわけじゃないけど、気を遣って俺と美鈴を同じクラスにしてくれてたみたいだ」
「初耳ね」
「白夜のこと、なんとなく俺苦手でさ。記憶はないけど、父親にそれらしいこと話したみたいだ」
「だから、白夜くんと同じクラスになったことがないって言うの?」

 そんなことあるんだろうかと驚きつつも、安哉くんが白夜くんを苦手にする気持ちもわからなくもなかった。

「必然的に美鈴と白夜も同じクラスになったことないよな」
「意識したことはないけど、確かにそうね」
「どうなのかな? 白夜。話したりもするんだろう?」
「口をきいたことはないの」
「え、そうなんだ?」

 あっさり答える私を、彼は意外そうに見つめてくる。正直、拍子抜けしたようだ。

「白夜くん、夜桜さん以外の人と話すのかしら? 想像もつかないわ」
「それは話すよ。白夜もモテるし。いつも周りに女の子がいるよ」
「そんな感じしないわ」
「夜桜さんが寄せ付けないようにしてるんだろう? それに傲慢だからさ、白夜って。好意を寄せてくれてる女の子をひどい振り方するらしいよ」

 眉を寄せる。つまるところ、安哉くんが何を言いたいのかよくわからない。

「安哉くんも断ってるんでしょう? だったら、してることは同じだわ」
「不必要に女の子を傷つけることはないよ」
「少なからず、断られた女の子は傷つくじゃない。期待させないなら、それはそれで優しいんじゃない?」
「白夜の肩を持つんだ?」
「そういうつもりはないけど。正直言うと……」
「正直言うと?」
「興味がないわ」

 私はさっきから途方に暮れているのだ。安哉くんがどんな答えを期待しているのかもわからなくて。

 彼はきょとんとした後、くすくすと笑う。私の答えに満足したみたいだ。

「じゃあ安哉くん、そろそろ行くわ」

 視聴覚室の見回りに行かなくてはいけない。職員室に用事があるからと、先にA棟へ向かった彩斗美と、職員室前で待ち合わせの約束もしている。

 安哉くんに背を向けて歩き出そうとした時、腕を軽くつかまれた。そのまま優しく引かれ、私の体は反転する。
 私の腕をつかんだままの安哉くんは、穏やかに微笑んでいた。私と目を合わせると、わずかな緊張を見せる。彼のこんな表情はあまり見ない。何か重要なことを話そうとしている。そう予感する私に、ゆっくりと息を吐き出して彼は言う。

「いつ結婚しよう? 美鈴」

 とっさに返事ができず、彼から視線をそらす。なぜそらしたのか。私たちはそうするように言われて育ってきた。今更、戸惑うことなどない。
 そう思ったその時、隣の教室のドアが開き、白夜くんが現れる。そして、いつも通り、凄んだ顔つきの白夜くんに追随するように、後ろから夜桜さんが出てきた。
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