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しきたりと願い
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「やっぱり坂の上のカフェに行こうか」
彩斗美と教室で別れた私は、安哉くんと一緒に学校を出て、自宅とは反対方向の坂道を上っていた。
この道は、先日、白夜くんと並んで歩いた道だ。坂の上にある白夜くんの自宅に近いところに、目指すカフェはあるらしい。
「彩斗美さ、驚いてたね。俺とのこと、全然知らないみたいだったな」
安哉くんは苦笑いしながら、そう言う。
「彩斗美も小学校の時からずっと一緒にいたから、私たちが一緒にいること、当たり前のように感じてるんだと思うの」
「そうじゃなくてさ、美鈴が話したりしないのかなって思ってさ」
頼りなく眉を下げる安哉くんは、私が彩斗美に婚約してる話をしてないことを、少し非難しているようにも見える。
「あんまり現実味がなかったのかも。安哉くんと二人で会うことなんてなかったもの」
学校で毎日会うから、デートしたいと思ったことがなかった。普通の恋愛結婚とは違うから、安哉くんに甘えてみたいとも思ったこともなかった。
そのことにずっと違和感を感じることなく、私は過ごしてきた。それなのに、今はどうだろう。こうして彼と歩いていることが妙に落ち着かない。
「……デートに誘っても良かった?」
安哉くんは複雑そうにますます眉を下げる。
安哉くんはデートしたかったのだろうか。もしかしたら、彼は私に遠慮していたのかもしれない。ふと、そんな思いが湧き上がる。
「違うの。……きっと考え方が違うの。安哉くんと結婚するのは決まってたから、恋愛するのとはちょっと違うって、どこかで思ってたの」
「結婚までに……、恋愛する過程は必要ないって思ってたんだ、美鈴は」
失望するように安哉くんは言う。
「必要ないっていうか、考えたこともなかったの」
正直な思いを口にした。
好きになった人と結婚するのとは、何度考えても違うと思う。結婚すると決まってる人を好きになる、それが私に与えられた道で。
クラスメイトから安哉くんとのことを噂されるのを億劫に感じていたのも、もしかしたら、彼を好きになることは必要ないと感じていたことの結果だったかもしれない。
「安哉くんは優しいから、結婚が嫌だとか、そんな風に思ったことはなかったの」
「そっか……」
安哉くんはため息を吐き出す。あきれたのだろう。白夜くんの言うように、私は考えなしだった。結婚をただ受け入れているだけでなく、もっとちゃんと考えて、安哉くんに向き合ってこなければならなかったのだ。
しばらく無言が続いた。安哉くんの横顔は厳しかった。何を考えているのか、今それを聞くのははばかられる気がした。
坂を上りきり、住宅地の一角にあるカフェに到着した。レンガ調の白い外壁が可愛らしいナチュラルなカフェだ。
ガラス張りの店内には、暖かな光が射し込んでいる。無駄なもののないシンプルな店内だが、緑豊かな空間がガラス窓の奥には広がっている。
私たちは窓際の席に座り、安哉くんはジンジャーエールを、私はケーキセットを注文した。
店内には数名の客がいたが、高校生の来客はいない。落ち着いた店内も居心地がいい。ここでなら大切な話もゆっくり出来るだろう。
「なんか、デートしてるみたいだな」
ジンジャーエールをひとくち飲み、安哉くんはようやく笑顔を見せた。
「もっと前からこうして二人で過ごす時間を持てたら良かったんだな、きっと」
「うん……、そうだね。将来のことも、ちゃんと話し合えたかもしれないね」
今になって思う。結婚した後の人生を私は考えたことがあっただろうか。
「美鈴はどう考えてる? 結婚のこと」
穏やかに彼は尋ねる。私の話を聞いてくれるつもりがあるのだとホッとする。彼はどうだろう。私の意見を話すよりも先に彼の気持ちが聞きたいと思う。
「安哉くんは?」
「俺はもちろん、今すぐにでも結婚したいって思うぐらい美鈴のこと考えてるよ」
彼は素直だ。私との結婚を何も疑ったことがないのだろう。
「今はさすがに難しいと思うの。安哉くんは高校卒業したら結婚したいの?」
「率直に言うと、そうだね。美鈴は?」
「私はね、こんなこというと、誤解しちゃうかもしれないけど、私はまだ結婚しなくていいって思ってるの」
「……そうなんだ。まあ、そうだよな。美鈴だってやりたいことあるよな?」
戸惑う安哉くんの目を見たら、彼を傷つけただろうことはわかる。複雑な胸のうちをあらわにした彼は、それでも平静に受け止めてくれる。
「うん、そうなの。アルバイト始めてから、失敗もするけど仕事するの楽しいなって思うし、まだまだ知らないことたくさんあるから、大学へ行って勉強もしたいって思うようになったの」
「美鈴は好奇心旺盛だよな。俺がダメだって言っても貫きそうだな……」
「私ね、しきたりってなんだろうって、考えたりもするの」
以前には考えてもみなかったことだ。一度立ち止まって、それを考えることも大事なんじゃないかと思うようになった。
「そう……」
安哉くんは静かにうなずく。
「私も安哉くんも、ずっとしきたりに縛られてきたよね。何の疑問もなく生きてきたんだと思う。でもね、私、もっと違う風に考えてもいいって思うの」
「……結婚は決まってるものだよ」
「やっぱり坂の上のカフェに行こうか」
彩斗美と教室で別れた私は、安哉くんと一緒に学校を出て、自宅とは反対方向の坂道を上っていた。
この道は、先日、白夜くんと並んで歩いた道だ。坂の上にある白夜くんの自宅に近いところに、目指すカフェはあるらしい。
「彩斗美さ、驚いてたね。俺とのこと、全然知らないみたいだったな」
安哉くんは苦笑いしながら、そう言う。
「彩斗美も小学校の時からずっと一緒にいたから、私たちが一緒にいること、当たり前のように感じてるんだと思うの」
「そうじゃなくてさ、美鈴が話したりしないのかなって思ってさ」
頼りなく眉を下げる安哉くんは、私が彩斗美に婚約してる話をしてないことを、少し非難しているようにも見える。
「あんまり現実味がなかったのかも。安哉くんと二人で会うことなんてなかったもの」
学校で毎日会うから、デートしたいと思ったことがなかった。普通の恋愛結婚とは違うから、安哉くんに甘えてみたいとも思ったこともなかった。
そのことにずっと違和感を感じることなく、私は過ごしてきた。それなのに、今はどうだろう。こうして彼と歩いていることが妙に落ち着かない。
「……デートに誘っても良かった?」
安哉くんは複雑そうにますます眉を下げる。
安哉くんはデートしたかったのだろうか。もしかしたら、彼は私に遠慮していたのかもしれない。ふと、そんな思いが湧き上がる。
「違うの。……きっと考え方が違うの。安哉くんと結婚するのは決まってたから、恋愛するのとはちょっと違うって、どこかで思ってたの」
「結婚までに……、恋愛する過程は必要ないって思ってたんだ、美鈴は」
失望するように安哉くんは言う。
「必要ないっていうか、考えたこともなかったの」
正直な思いを口にした。
好きになった人と結婚するのとは、何度考えても違うと思う。結婚すると決まってる人を好きになる、それが私に与えられた道で。
クラスメイトから安哉くんとのことを噂されるのを億劫に感じていたのも、もしかしたら、彼を好きになることは必要ないと感じていたことの結果だったかもしれない。
「安哉くんは優しいから、結婚が嫌だとか、そんな風に思ったことはなかったの」
「そっか……」
安哉くんはため息を吐き出す。あきれたのだろう。白夜くんの言うように、私は考えなしだった。結婚をただ受け入れているだけでなく、もっとちゃんと考えて、安哉くんに向き合ってこなければならなかったのだ。
しばらく無言が続いた。安哉くんの横顔は厳しかった。何を考えているのか、今それを聞くのははばかられる気がした。
坂を上りきり、住宅地の一角にあるカフェに到着した。レンガ調の白い外壁が可愛らしいナチュラルなカフェだ。
ガラス張りの店内には、暖かな光が射し込んでいる。無駄なもののないシンプルな店内だが、緑豊かな空間がガラス窓の奥には広がっている。
私たちは窓際の席に座り、安哉くんはジンジャーエールを、私はケーキセットを注文した。
店内には数名の客がいたが、高校生の来客はいない。落ち着いた店内も居心地がいい。ここでなら大切な話もゆっくり出来るだろう。
「なんか、デートしてるみたいだな」
ジンジャーエールをひとくち飲み、安哉くんはようやく笑顔を見せた。
「もっと前からこうして二人で過ごす時間を持てたら良かったんだな、きっと」
「うん……、そうだね。将来のことも、ちゃんと話し合えたかもしれないね」
今になって思う。結婚した後の人生を私は考えたことがあっただろうか。
「美鈴はどう考えてる? 結婚のこと」
穏やかに彼は尋ねる。私の話を聞いてくれるつもりがあるのだとホッとする。彼はどうだろう。私の意見を話すよりも先に彼の気持ちが聞きたいと思う。
「安哉くんは?」
「俺はもちろん、今すぐにでも結婚したいって思うぐらい美鈴のこと考えてるよ」
彼は素直だ。私との結婚を何も疑ったことがないのだろう。
「今はさすがに難しいと思うの。安哉くんは高校卒業したら結婚したいの?」
「率直に言うと、そうだね。美鈴は?」
「私はね、こんなこというと、誤解しちゃうかもしれないけど、私はまだ結婚しなくていいって思ってるの」
「……そうなんだ。まあ、そうだよな。美鈴だってやりたいことあるよな?」
戸惑う安哉くんの目を見たら、彼を傷つけただろうことはわかる。複雑な胸のうちをあらわにした彼は、それでも平静に受け止めてくれる。
「うん、そうなの。アルバイト始めてから、失敗もするけど仕事するの楽しいなって思うし、まだまだ知らないことたくさんあるから、大学へ行って勉強もしたいって思うようになったの」
「美鈴は好奇心旺盛だよな。俺がダメだって言っても貫きそうだな……」
「私ね、しきたりってなんだろうって、考えたりもするの」
以前には考えてもみなかったことだ。一度立ち止まって、それを考えることも大事なんじゃないかと思うようになった。
「そう……」
安哉くんは静かにうなずく。
「私も安哉くんも、ずっとしきたりに縛られてきたよね。何の疑問もなく生きてきたんだと思う。でもね、私、もっと違う風に考えてもいいって思うの」
「……結婚は決まってるものだよ」
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