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しきたりと願い
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「おい……、おいっ。おい……、美鈴っ」
遠くから聞こえてきた呼びかけは、次第に焦りが増していく。叫びに近い大声に呼び起こされて、私は重たい頭をゆっくりと持ち上げる。
「おい……、何やってる……っ」
「何って……」
ひらける視界に絶句し、驚愕する。それは、ベッドの上で仰向けになる白夜くんも同じだ。
「な、なに、なんで、私っ」
「いいから、どけっ」
白夜くんの必死な叫び声に反応して、彼の胸に伏せていた私の上半身が飛び上がる。
これはどうしたことだろう。何がどうなっているのか理解できない。
意識を飛ばしていたのは確かだ。どこからか若い女の声が聞こえた。誰かと、問いかけたけれど返事はなく、その後の記憶はない。きっとあのまま気を失った。
そして、目覚めたら、この状況。私は仰向けになる白夜くんの胸に寄り添うように顔を伏せ、すっかり寝入ってしまっていたのだ。
白夜くんがようやく上半身を起こすと、柔軟性の高いベッドの上で私の体は軽く弾む。
彼は怒りのためか、わずかにほおを上気させている。
「ど、どういうつもりだっ」
「どういうって……、違うの。あの無意識で……」
「無意識……?」
顔を引きつらせながら白夜くんは言う。
私より焦る彼を見れば、少し冷静にもなるけど、彼に触れていたぬくもりがまだ手やほおに残っていて、やはり頭の中は混乱している。
「私、話をしてたの。でも、いつの間にか白夜くんが寝ちゃって……」
「俺が寝たから、無意識にベッドに入ってきたっていうのか」
そう言われてしまうとほおが赤らむ。彼と目を合わせたら、気まずさが増す。
「……そうじゃなくて。私、こんなことしたことないの。いくら無意識でも、誰かの……、まして男の子のベッドになんて……」
無実を訴えながら、自分の言葉に恥ずかしくなってしまう。声が小さくなっていき、言葉を発することを諦めた私は、ふと彼の首筋に目を止めた。
「……あ、首」
「首?」
白夜くんはすぐに首筋に手をあてる。私は身を乗り出して彼に近づく。
「何かある……」
もしかしたら首を絞めたあとが?なんて、不安になる。そっと手を離した彼の首筋を覗き込んだ私は、一瞬にして、かあっとほおが赤くなるのを感じた。
「なんだ? 何がある」
「な、なんでもないの」
私は座ったまま後ずさる。白夜くんは奇妙な顔つきで私を見つめていたが、突然ハッとすると私に手を伸ばす。
「おいっ、あぶな……っ」
突然伸ばされた手に驚き、飛び上がった私の体はバランスを失い、後ろにつこうと思った手が空を切る。
ベッドの端まで移動していたのだ。そう気づいた時には私の体は傾いていた。
「美鈴っ」
白夜くんが必死に手を伸ばす。驚きで硬直し、どうすることもできない私の体は、次の瞬間にはベッドの下へと落下していた。
「……いっ……て」
「白夜くん……」
「痛くは、ないか……?」
苦痛に歪む表情で、白夜くんは私の顔を覗き込む。私より何倍もの痛みを感じているはずなのに、私の心配をする。
彼の腕に支えられたまま落下した私の体は、少しの衝撃を受けただけで、痛みはない。
変な人だ。自分のことしか考えてない人じゃなかったのだろうか。どうして私を守ったりしたのだろう。
「ごめんね。白夜くん、大丈夫?」
シャツ越しに彼の腕に触れる。びくりとした彼は、私を支えていた腕を離し、少しばかり目を伏せ、顔を背ける。その拍子に、彼の首筋が私の目の前にさらされる。どうしても目がいく。鎖骨の少し上に赤いあざがある。
「そういえば……」
白夜くんは私の視線を気にするように首筋に手を当て立ち上がり、おもむろに壁面に飾られた鏡へ向かう。
私はあわてて彼に駆け寄り、とっさに腕をつかむ。
「なにも。何もないから大丈夫よ」
「何も? そんなわけないだろう」
白夜くんは少しいらつく。私の手を振りほどいて、鏡へ向かってあごを突き出す。そして、首筋にある赤いあざに気づいた途端、彼の顔は怒りによってか紅潮する。
「……なんだよ、これは」
静かな怒りを秘めた目で私を見つめる彼を見ていられない。とっさに否定する。
「私じゃないわ。私……、そんなことしない」
両手で顔を覆う。彼の首筋にあるものはキスマークだ。恥ずかしい。彼は疑っているけれど、私がつけたものだなんて想像できない。
「美鈴じゃないなんてどうして言い切れる? 自分でやってないなんて言い切れ……、言い切れないんだろ?」
怒りをあらわにしていた白夜くんだったが、ふと私の言葉をそっくりそのまま返した自分に気づき、その瞳に嘲笑を浮かべる。
「へえ。無意識にベッドにもぐり込んで、無意識に、か……」
「だから違うって言ってるじゃないっ」
全身がほてり出す。愉快げに私を見下ろす彼は、やはり意地悪だ。
恥ずかしさのあまりいたたまれなくなって、彼の部屋を飛び出す。
ドアを開いたすぐそこには、お盆にクッキーを乗せた一真が立っていて。にこにことしているだけの彼なのに、今までのことを全部見られていたような気がしてしまう。
私は唇を震わせると、言葉もなくその場を逃げ出していた。
「おい……、おいっ。おい……、美鈴っ」
遠くから聞こえてきた呼びかけは、次第に焦りが増していく。叫びに近い大声に呼び起こされて、私は重たい頭をゆっくりと持ち上げる。
「おい……、何やってる……っ」
「何って……」
ひらける視界に絶句し、驚愕する。それは、ベッドの上で仰向けになる白夜くんも同じだ。
「な、なに、なんで、私っ」
「いいから、どけっ」
白夜くんの必死な叫び声に反応して、彼の胸に伏せていた私の上半身が飛び上がる。
これはどうしたことだろう。何がどうなっているのか理解できない。
意識を飛ばしていたのは確かだ。どこからか若い女の声が聞こえた。誰かと、問いかけたけれど返事はなく、その後の記憶はない。きっとあのまま気を失った。
そして、目覚めたら、この状況。私は仰向けになる白夜くんの胸に寄り添うように顔を伏せ、すっかり寝入ってしまっていたのだ。
白夜くんがようやく上半身を起こすと、柔軟性の高いベッドの上で私の体は軽く弾む。
彼は怒りのためか、わずかにほおを上気させている。
「ど、どういうつもりだっ」
「どういうって……、違うの。あの無意識で……」
「無意識……?」
顔を引きつらせながら白夜くんは言う。
私より焦る彼を見れば、少し冷静にもなるけど、彼に触れていたぬくもりがまだ手やほおに残っていて、やはり頭の中は混乱している。
「私、話をしてたの。でも、いつの間にか白夜くんが寝ちゃって……」
「俺が寝たから、無意識にベッドに入ってきたっていうのか」
そう言われてしまうとほおが赤らむ。彼と目を合わせたら、気まずさが増す。
「……そうじゃなくて。私、こんなことしたことないの。いくら無意識でも、誰かの……、まして男の子のベッドになんて……」
無実を訴えながら、自分の言葉に恥ずかしくなってしまう。声が小さくなっていき、言葉を発することを諦めた私は、ふと彼の首筋に目を止めた。
「……あ、首」
「首?」
白夜くんはすぐに首筋に手をあてる。私は身を乗り出して彼に近づく。
「何かある……」
もしかしたら首を絞めたあとが?なんて、不安になる。そっと手を離した彼の首筋を覗き込んだ私は、一瞬にして、かあっとほおが赤くなるのを感じた。
「なんだ? 何がある」
「な、なんでもないの」
私は座ったまま後ずさる。白夜くんは奇妙な顔つきで私を見つめていたが、突然ハッとすると私に手を伸ばす。
「おいっ、あぶな……っ」
突然伸ばされた手に驚き、飛び上がった私の体はバランスを失い、後ろにつこうと思った手が空を切る。
ベッドの端まで移動していたのだ。そう気づいた時には私の体は傾いていた。
「美鈴っ」
白夜くんが必死に手を伸ばす。驚きで硬直し、どうすることもできない私の体は、次の瞬間にはベッドの下へと落下していた。
「……いっ……て」
「白夜くん……」
「痛くは、ないか……?」
苦痛に歪む表情で、白夜くんは私の顔を覗き込む。私より何倍もの痛みを感じているはずなのに、私の心配をする。
彼の腕に支えられたまま落下した私の体は、少しの衝撃を受けただけで、痛みはない。
変な人だ。自分のことしか考えてない人じゃなかったのだろうか。どうして私を守ったりしたのだろう。
「ごめんね。白夜くん、大丈夫?」
シャツ越しに彼の腕に触れる。びくりとした彼は、私を支えていた腕を離し、少しばかり目を伏せ、顔を背ける。その拍子に、彼の首筋が私の目の前にさらされる。どうしても目がいく。鎖骨の少し上に赤いあざがある。
「そういえば……」
白夜くんは私の視線を気にするように首筋に手を当て立ち上がり、おもむろに壁面に飾られた鏡へ向かう。
私はあわてて彼に駆け寄り、とっさに腕をつかむ。
「なにも。何もないから大丈夫よ」
「何も? そんなわけないだろう」
白夜くんは少しいらつく。私の手を振りほどいて、鏡へ向かってあごを突き出す。そして、首筋にある赤いあざに気づいた途端、彼の顔は怒りによってか紅潮する。
「……なんだよ、これは」
静かな怒りを秘めた目で私を見つめる彼を見ていられない。とっさに否定する。
「私じゃないわ。私……、そんなことしない」
両手で顔を覆う。彼の首筋にあるものはキスマークだ。恥ずかしい。彼は疑っているけれど、私がつけたものだなんて想像できない。
「美鈴じゃないなんてどうして言い切れる? 自分でやってないなんて言い切れ……、言い切れないんだろ?」
怒りをあらわにしていた白夜くんだったが、ふと私の言葉をそっくりそのまま返した自分に気づき、その瞳に嘲笑を浮かべる。
「へえ。無意識にベッドにもぐり込んで、無意識に、か……」
「だから違うって言ってるじゃないっ」
全身がほてり出す。愉快げに私を見下ろす彼は、やはり意地悪だ。
恥ずかしさのあまりいたたまれなくなって、彼の部屋を飛び出す。
ドアを開いたすぐそこには、お盆にクッキーを乗せた一真が立っていて。にこにことしているだけの彼なのに、今までのことを全部見られていたような気がしてしまう。
私は唇を震わせると、言葉もなくその場を逃げ出していた。
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