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しきたりと願い
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ため息が出る。少なくとも彼の目に映る私の人生は、愚かなものなのだ。その愚かな人生に甘んじている私は、もっと愚かに見えるのだろう。
「何をしたらいいのかしら……」
「大学へ行けばいい」
「シンプルね」
「行けばわかることもあるさ。俺は少なくとも呼結高校へ来て学んだことはある」
「小中は公立の学校だったの?」
「ああ、母親の意向だった。ごく普通の家庭に育った母親は、周囲が俺を時追の跡取りとして特別扱いすることに慣れさせたくなかったんだ」
その割には白夜くんはいつも一真を側に置いて、特別扱いを受けることに甘んじているように見える。
母親の思いは伝わらなかったのだろうか、なんて考える私の前で、白夜くんは物憂げに首をかしげる。
「だが、慣れなかった。結局公立でも俺は特別視されていた。ケガをさせたら大変だ。風邪をひいて学校を休めば大げさだ。掃除なんてやらせるな、親が酷い目にあう。そんなくだらないことばかり言われていた。異端児扱いってやつだろう」
「そんなことある?」
「実際にあった。父親の生まれ育った地だ。時追の堀内を知らないものはいない土地柄だったから、余計にだろう」
「だから越してきたの?」
「ああ。一真もいる、母親の故郷に興味があった。父親も呼結高校ならと許した。父親は高校の中でも俺を別格の存在にしておきたかったんだ。そのために世間知らずの集まる私立は有用だった」
「ずいぶんな言い方だわ」
少しばかり不快感が生まれる。しかし、白夜くんは自分が体験し、見聞きしてきたものに対して揺るぎない態度を崩さない。
「美鈴は気づかないかもしれないが、他の学校を知ってる俺からしたら、あの学校は異様だ。狭い世界の狭い範囲の中で互いに競い合い、馴れ合ってる。その証拠に、あいつらは俺に手出しが出来ないでいる」
「それは白夜くんが特別だからよ」
「俺は普通だ」
「あ、ううん、ごめんなさい。私も普通だと思ってるわ。だから、色違いの制服にも違和感があるの。学級委員の仕事をしない白夜くんにも不満だわ。一真に守られてるのはおかしいって……、気を悪くするかもしれないけど、私はそう感じてる」
普通だと感じてるからこそ、白夜くんの立ち位置に不満がある。特別だと言ったのは、それがまかり通っている現実があるからで。
「虚像なんだ、俺は。一真を卒業させずに俺の側に置いたのも、制服を黒にしたのも、父親が作り出したかった虚像のための布石だ。その中でみんなはそれが当たり前だと思い込んでる。違和感を覚えた美鈴は、どっちかと言えば稀だろ?」
「父親が望む息子を白夜くんは演じてるの?」
「演じてるとまでは言わない。俺が傲慢に見えるとしたら、それはそうやって親が育ててきたからだ。高校の中で特別視される俺は、父親の望むものだっただろう。もう両親は満足してるさ。大学ぐらいは自分の望むようにするよ」
白夜くんはいつになく饒舌だった。こんな風に彼と話したことはなく、彼の過去に触れたのも初めてだろう。私の中で、彼に対する思いが変わっていく気がした。
呼結学校以外を知る彼が見てきた世界は、決して美しいものばかりではなかったかもしれない。しかし、自分の人生を生きていきたいと願えるようになった礎であるのは間違いがないのだ。
「私、白夜くんを誤解してたかもしれないわ」
「先入観が崩れたからそう言うのかもしれないが、俺の全てが誤解されてたわけでもないだろう」
彼は冷静だ。だからこそ刺激される。
「私も大学へ行くこと、考えてみるわ。安哉くんもきっと理解してくれると思うの」
「安哉は美鈴がここに来てることは知ってるのか?」
白夜くんは不意にそんなことを尋ねる。安哉くんを気にするなんて珍しい。
「知らないわ。お小遣いがなしになっただなんて言えないもの」
「言えない理由はそれか。まあ、言わない方が賢明だろうな。話したら、あいつは絶対大学へ行くことを許さないさ」
「そんなに理解力ないように見える?」
「理解力とかいう問題じゃない。安哉はそれだけ美鈴を好きだってことだろう」
白夜くんはあきれたように唇の端を下げた後、ティーカップを口元に運んで庭先へと目線を動かした。
それは、もう話すことはない、という彼なりの突き放しだったかもしれない。彼が安哉くんの話題を口にしたのは私を心配してのことだったことに気がついて、彼との沈黙を違和感なく受け入れられる。
私も無言でティーカップを持ち上げ、視界に広がる庭園を眺める。
少し冷たい風が吹くが、それは暖かな陽だまりの中では心地の良いもので、綺麗に咲き乱れる数種のバラは私の気持ちを穏やかにする。
私はこうして白夜くんと一真と一緒に過ごす時間がわりと好きかもしれない、なんて思いが湧きあがるのを感じながら、マドレーヌに手を伸ばした。
「何をしたらいいのかしら……」
「大学へ行けばいい」
「シンプルね」
「行けばわかることもあるさ。俺は少なくとも呼結高校へ来て学んだことはある」
「小中は公立の学校だったの?」
「ああ、母親の意向だった。ごく普通の家庭に育った母親は、周囲が俺を時追の跡取りとして特別扱いすることに慣れさせたくなかったんだ」
その割には白夜くんはいつも一真を側に置いて、特別扱いを受けることに甘んじているように見える。
母親の思いは伝わらなかったのだろうか、なんて考える私の前で、白夜くんは物憂げに首をかしげる。
「だが、慣れなかった。結局公立でも俺は特別視されていた。ケガをさせたら大変だ。風邪をひいて学校を休めば大げさだ。掃除なんてやらせるな、親が酷い目にあう。そんなくだらないことばかり言われていた。異端児扱いってやつだろう」
「そんなことある?」
「実際にあった。父親の生まれ育った地だ。時追の堀内を知らないものはいない土地柄だったから、余計にだろう」
「だから越してきたの?」
「ああ。一真もいる、母親の故郷に興味があった。父親も呼結高校ならと許した。父親は高校の中でも俺を別格の存在にしておきたかったんだ。そのために世間知らずの集まる私立は有用だった」
「ずいぶんな言い方だわ」
少しばかり不快感が生まれる。しかし、白夜くんは自分が体験し、見聞きしてきたものに対して揺るぎない態度を崩さない。
「美鈴は気づかないかもしれないが、他の学校を知ってる俺からしたら、あの学校は異様だ。狭い世界の狭い範囲の中で互いに競い合い、馴れ合ってる。その証拠に、あいつらは俺に手出しが出来ないでいる」
「それは白夜くんが特別だからよ」
「俺は普通だ」
「あ、ううん、ごめんなさい。私も普通だと思ってるわ。だから、色違いの制服にも違和感があるの。学級委員の仕事をしない白夜くんにも不満だわ。一真に守られてるのはおかしいって……、気を悪くするかもしれないけど、私はそう感じてる」
普通だと感じてるからこそ、白夜くんの立ち位置に不満がある。特別だと言ったのは、それがまかり通っている現実があるからで。
「虚像なんだ、俺は。一真を卒業させずに俺の側に置いたのも、制服を黒にしたのも、父親が作り出したかった虚像のための布石だ。その中でみんなはそれが当たり前だと思い込んでる。違和感を覚えた美鈴は、どっちかと言えば稀だろ?」
「父親が望む息子を白夜くんは演じてるの?」
「演じてるとまでは言わない。俺が傲慢に見えるとしたら、それはそうやって親が育ててきたからだ。高校の中で特別視される俺は、父親の望むものだっただろう。もう両親は満足してるさ。大学ぐらいは自分の望むようにするよ」
白夜くんはいつになく饒舌だった。こんな風に彼と話したことはなく、彼の過去に触れたのも初めてだろう。私の中で、彼に対する思いが変わっていく気がした。
呼結学校以外を知る彼が見てきた世界は、決して美しいものばかりではなかったかもしれない。しかし、自分の人生を生きていきたいと願えるようになった礎であるのは間違いがないのだ。
「私、白夜くんを誤解してたかもしれないわ」
「先入観が崩れたからそう言うのかもしれないが、俺の全てが誤解されてたわけでもないだろう」
彼は冷静だ。だからこそ刺激される。
「私も大学へ行くこと、考えてみるわ。安哉くんもきっと理解してくれると思うの」
「安哉は美鈴がここに来てることは知ってるのか?」
白夜くんは不意にそんなことを尋ねる。安哉くんを気にするなんて珍しい。
「知らないわ。お小遣いがなしになっただなんて言えないもの」
「言えない理由はそれか。まあ、言わない方が賢明だろうな。話したら、あいつは絶対大学へ行くことを許さないさ」
「そんなに理解力ないように見える?」
「理解力とかいう問題じゃない。安哉はそれだけ美鈴を好きだってことだろう」
白夜くんはあきれたように唇の端を下げた後、ティーカップを口元に運んで庭先へと目線を動かした。
それは、もう話すことはない、という彼なりの突き放しだったかもしれない。彼が安哉くんの話題を口にしたのは私を心配してのことだったことに気がついて、彼との沈黙を違和感なく受け入れられる。
私も無言でティーカップを持ち上げ、視界に広がる庭園を眺める。
少し冷たい風が吹くが、それは暖かな陽だまりの中では心地の良いもので、綺麗に咲き乱れる数種のバラは私の気持ちを穏やかにする。
私はこうして白夜くんと一真と一緒に過ごす時間がわりと好きかもしれない、なんて思いが湧きあがるのを感じながら、マドレーヌに手を伸ばした。
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