心を切りとるは身を知る雨

水城ひさぎ

文字の大きさ
20 / 46
第二話 名残の夕立

10

しおりを挟む



 未央から電話があったのに気づいたのは、祖母を乗せた車を駐車場に停めたときだった。数分前に2回ほど連続でかかってきている。スマホの画面を見ていると、後部座席から祖母が尋ねてくる。

「しぐれちゃんに何かあったの?」
「あ、いや。しぐれ、家にいないの?」
「フルーツやさんに行ってくるって言ってたよ。何かあるなら、行っておいで」
「またフルーツ買いに行ったのか」

 それなら、切り雨にも出かけただろうか。

 自らドアを開けようとする祖母に気づいて、「ごめん、開けるよ」と、朝晴はあわてて外へ出ると、後部座席のドアを開く。

「悪いねぇ。おばあちゃんは先に入ってるでね」

 ゆっくりと出てきた祖母が、これまたゆっくりとした足取りで玄関へ向かう。片引き戸の前で立ち止まり、曲がった背中をさらに丸めて、小さな手縫いのかばんから鍵を取り出す。

 片引き戸は車椅子でもそのまま通れる広さがあり、祖母はその半分ほどを開けて、中へ入っていく。その後ろ姿を見届けて、未央へ電話をかけ直す。すぐに彼女は出ると、「ごめんなさい」と謝った。

「何かありましたか?」
「あの……、しぐれさん、帰ってますか?」
 
 未央にしては珍しく、歯切れ悪く尋ねてくる。

「いや、まだ帰って……」

 そう言いかけたとき、コンクリートのアプローチにのろのろと入ってくるしぐれが見えた。ひざに大きな荷物を乗せている。

 ああ、そうか。数日前、切り雨にあるバイクの切り絵が気に入ったなら買ってきたらどうだとお小遣いを渡したのだった。

「しぐれ、おかえり。切り雨さんに行ってきたのか?」

 電話をつなげたまま、しぐれに声をかける。

「うん、買ってきた。お金はちゃんと返すからね」
「アルバイト探さないとな」

 目の前で止まったしぐれは、スマホの方へ視線を向ける。通話中だと気づいたのだろうか。無言でうなずくと、スロープをのぼって玄関へ入っていく。

 祖母の家へ引っ越すと決めたとき、車椅子での生活に不自由がないように、昔ながらの家屋を改装した。おかげで、購入予定だった新車はあきらめたが、しぐれはほとんど自力で生活できるようになっている。口達者で人付き合いが好きなしぐれなら、いずれ、仕事も見つかるだろう。そうしたら、気持ちの切り替えができるんじゃないだろうか。

「しぐれ、いま、帰ってきましたよ。どうやら、作品を買わせてもらったみたいで」
「帰ってこられました? よかった。作品が大きかったので、大丈夫かなって心配していたんです」
「それで、わざわざ電話を?」

 すぐに返事がなくて、手持ち無沙汰に空を見上げる。商店街の中でも、切り雨は閉店時間が早い。日没には程遠いような明るい空が広がっているが、もう夕方だ。しぐれは今日も、閉店間際におじゃましたのだろう。

「実は、あの……、しぐれさんを怒らせてしまって」

 ようやく口を開いた未央は、たどたどしくそう言い、消沈するような息をつく。

「怒ってる感じはなかったですよ」

 確かに、ずっと欲しかった作品を買ってきたわりには、浮かれた様子はなかったが。しかし、未央がしぐれを怒らせるとは意外だ。

「明日にでも謝りに行きたいと思ってるんですけど……、それもご迷惑な気がして」
「何かあったんですか?」

 朝晴がそう尋ねると、未央はいきさつをためらいつつ話してくれた。

 思っていたより、深刻な話じゃない。今のしぐれでは、未央の優しさをうまく受け止められなかったのだろう。

「そういうことなら、俺から話をしておきますよ。八坂さんは気にしないでください。しぐれも感情的になることがたまにあるので」
「やっぱり、お会いしない方がいいでしょうか……」

 謝罪の機会を与えたくない。そう言ったように聞こえたのかもしれない。彼女は後悔するような悔しさを言葉尻ににじませる。

「しぐれも言い過ぎたかもしれませんね。落ち着いたころに、ふたりで切り雨におじゃましますよ」
「でも、それでは私の気がおさまらないです」

 落ち込んでいるかと思ったら、待っているだけでは落ち着かないとばかりに主張する。意外と、未央にもがんこな一面があるのかもしれない。

「時薬というじゃないですか。大丈夫ですよ、八坂さん。しぐれだって、本心ではわかってますから」
「井沢さんにまで気をつかわせてしまってごめんなさい。だめですね、私」

 ふたたび、彼女はしょんぼりとした様子で息をつく。コロコロとよく感情の動く人だ。厭世的な雰囲気の彼女だが、実は人間味あふれる人かもしれないと、朝晴はどこか愉快な気分になる。

「八坂さんは本当に優しいんですね。俺は全然いいんですけどね、少しでも悪いなぁって思うなら、いかがです? 今度、一緒にカフェにでも」

 少しおちゃらけたように言うと、未央はあきれるように笑った。よかった。くだらない話で気をまぎらわせてくれそうだ。

「冗談がお上手ですね。ありがとうございます」

 感謝はされど、どうやら、誘いに対する返事はくれないらしい。半分は本心なんだけどな、と朝晴は心の中でごちりながら、電話を切った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...