心を切りとるは身を知る雨

水城ひさぎ

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第二話 名残の夕立

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 未央から電話があったのに気づいたのは、祖母を乗せた車を駐車場に停めたときだった。数分前に2回ほど連続でかかってきている。スマホの画面を見ていると、後部座席から祖母が尋ねてくる。

「しぐれちゃんに何かあったの?」
「あ、いや。しぐれ、家にいないの?」
「フルーツやさんに行ってくるって言ってたよ。何かあるなら、行っておいで」
「またフルーツ買いに行ったのか」

 それなら、切り雨にも出かけただろうか。

 自らドアを開けようとする祖母に気づいて、「ごめん、開けるよ」と、朝晴はあわてて外へ出ると、後部座席のドアを開く。

「悪いねぇ。おばあちゃんは先に入ってるでね」

 ゆっくりと出てきた祖母が、これまたゆっくりとした足取りで玄関へ向かう。片引き戸の前で立ち止まり、曲がった背中をさらに丸めて、小さな手縫いのかばんから鍵を取り出す。

 片引き戸は車椅子でもそのまま通れる広さがあり、祖母はその半分ほどを開けて、中へ入っていく。その後ろ姿を見届けて、未央へ電話をかけ直す。すぐに彼女は出ると、「ごめんなさい」と謝った。

「何かありましたか?」
「あの……、しぐれさん、帰ってますか?」
 
 未央にしては珍しく、歯切れ悪く尋ねてくる。

「いや、まだ帰って……」

 そう言いかけたとき、コンクリートのアプローチにのろのろと入ってくるしぐれが見えた。ひざに大きな荷物を乗せている。

 ああ、そうか。数日前、切り雨にあるバイクの切り絵が気に入ったなら買ってきたらどうだとお小遣いを渡したのだった。

「しぐれ、おかえり。切り雨さんに行ってきたのか?」

 電話をつなげたまま、しぐれに声をかける。

「うん、買ってきた。お金はちゃんと返すからね」
「アルバイト探さないとな」

 目の前で止まったしぐれは、スマホの方へ視線を向ける。通話中だと気づいたのだろうか。無言でうなずくと、スロープをのぼって玄関へ入っていく。

 祖母の家へ引っ越すと決めたとき、車椅子での生活に不自由がないように、昔ながらの家屋を改装した。おかげで、購入予定だった新車はあきらめたが、しぐれはほとんど自力で生活できるようになっている。口達者で人付き合いが好きなしぐれなら、いずれ、仕事も見つかるだろう。そうしたら、気持ちの切り替えができるんじゃないだろうか。

「しぐれ、いま、帰ってきましたよ。どうやら、作品を買わせてもらったみたいで」
「帰ってこられました? よかった。作品が大きかったので、大丈夫かなって心配していたんです」
「それで、わざわざ電話を?」

 すぐに返事がなくて、手持ち無沙汰に空を見上げる。商店街の中でも、切り雨は閉店時間が早い。日没には程遠いような明るい空が広がっているが、もう夕方だ。しぐれは今日も、閉店間際におじゃましたのだろう。

「実は、あの……、しぐれさんを怒らせてしまって」

 ようやく口を開いた未央は、たどたどしくそう言い、消沈するような息をつく。

「怒ってる感じはなかったですよ」

 確かに、ずっと欲しかった作品を買ってきたわりには、浮かれた様子はなかったが。しかし、未央がしぐれを怒らせるとは意外だ。

「明日にでも謝りに行きたいと思ってるんですけど……、それもご迷惑な気がして」
「何かあったんですか?」

 朝晴がそう尋ねると、未央はいきさつをためらいつつ話してくれた。

 思っていたより、深刻な話じゃない。今のしぐれでは、未央の優しさをうまく受け止められなかったのだろう。

「そういうことなら、俺から話をしておきますよ。八坂さんは気にしないでください。しぐれも感情的になることがたまにあるので」
「やっぱり、お会いしない方がいいでしょうか……」

 謝罪の機会を与えたくない。そう言ったように聞こえたのかもしれない。彼女は後悔するような悔しさを言葉尻ににじませる。

「しぐれも言い過ぎたかもしれませんね。落ち着いたころに、ふたりで切り雨におじゃましますよ」
「でも、それでは私の気がおさまらないです」

 落ち込んでいるかと思ったら、待っているだけでは落ち着かないとばかりに主張する。意外と、未央にもがんこな一面があるのかもしれない。

「時薬というじゃないですか。大丈夫ですよ、八坂さん。しぐれだって、本心ではわかってますから」
「井沢さんにまで気をつかわせてしまってごめんなさい。だめですね、私」

 ふたたび、彼女はしょんぼりとした様子で息をつく。コロコロとよく感情の動く人だ。厭世的な雰囲気の彼女だが、実は人間味あふれる人かもしれないと、朝晴はどこか愉快な気分になる。

「八坂さんは本当に優しいんですね。俺は全然いいんですけどね、少しでも悪いなぁって思うなら、いかがです? 今度、一緒にカフェにでも」

 少しおちゃらけたように言うと、未央はあきれるように笑った。よかった。くだらない話で気をまぎらわせてくれそうだ。

「冗談がお上手ですね。ありがとうございます」

 感謝はされど、どうやら、誘いに対する返事はくれないらしい。半分は本心なんだけどな、と朝晴は心の中でごちりながら、電話を切った。
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