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第三話 ほろほろ雨
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関係修復が困難だと決定的になったのは、未央と公平の関係を疑い、部下の女の人に相談したという話を文彦本人から聞いたときだった。
「公平が俺の浮気を心配してるなんて、絶対何かあるって、彼女が言うんだよ」
「だから、私たちを疑ってるの?」
「僕はね、未央を信用してたんだよ。公平の方が未央と年も近いし、話も合うだろうとは思ってたけど、それは考えないようにしてた。僕たちの関係を白紙に戻したいなら、そう言ってほしかったよ」
「私が別れたがってると思ってるの?」
「最近の未央は僕に対してよそよそしいじゃないか」
それは当然だ。浮気しているとわかっているのに、何もないように振る舞う婚約者をどう扱えばいいのか、未央にはわからない。
「裏切ってる自覚はないの?」
「僕が裏切ってるって?」
あくまでも、しらを切る。
「どうして裏切ったの?」
「裏切ってないよ」
「ホテルの部屋にいたでしょう? ふたりで」
それはこの目で見た。言い逃れはできない事実だ。
「彼女が誰にも聞かれたくない相談だって言うからね。実際、業務上、あなたには話せない悩みを抱えているんだよ」
「仕事の話なら、ホテルじゃなくても」
「アドバイスしてただけだよ」
「嘘よね?」
じっと見つめると、文彦は気まずそうに目をそらした。
「実は……少しだけ話すと、彼女、付き合ってた男がいてね。その男に別れてもしつこくされるから、彼氏のふりをしてほしいって頼まれたんだ」
「それは仕事なの?」
「公私混同はしたかもしれない。ただ、重要な職務上の話の流れでそうなって、あの日はホテルへ入っていくところを、その男にわざと見せることにしたんだ」
「流れで、そんなことを引き受けるぐらいの関係だったってことでしょう?」
「少し親しくしすぎてたかもしれないね」
少し反省するような態度を見せたが、いら立ちがおさまらずに気持ちをぶつけた。
「好きなんでしょう?」
「そんなふうに考えたことはない。あの日だって、ホテルには入ったけど、何もしてない」
彼はとっさに首を振った。
「どうしてそんな言い訳が通ると思うの? あの人にそう言われたから? 何もないって言っておけば、私なんかだませるって言われた?」
「彼女はただ別れた男におびえてただけで、俺はアドバイスを……」
「あなたにできるアドバイスなんてないって、なぜ気づかないの?」
「そんなことはないよ。現に、ホテルの一件で、男はもう彼女をあきらめたそうだ」
「どんな男の人だったの?」
「それは知らない。彼女からそう聞かされただけだから」
それを聞いた瞬間、怒りが込み上げた。文彦はその男を見たことがない。最初から、そんな男は存在してないからだ。なぜ、それに気づかないのか。彼女は文彦が欲しかっただけ。自分の手でその望みを叶えるのは悔しい。だけれど、未央はもう、文彦を信じられなくなっていた。
「このことは両親に報告して、婚約は解消します」
文彦はハッと息を飲んだ。もう何度も悩み考え、出した結果だったけれど、彼にとっては思いつきのように感じられたのかもしれない。
「浮気ぐらい許してやれっていうよ、あなたの父親なら。だいたい僕は浮気してないんだし」
「私から見たら浮気なの。何度、文彦さんは私を傷つけたら気がすむの?」
胸がぎゅっと苦しくなった。どれだけ重大な過ちをおかしたのか、信用を失ったのか、彼は何もわかってない。
「未央は勝手だよ」
「あなただって」
「あなたがそうしたいなら仕方ないのかもしれないが、僕たちはそんなにわかり合えない関係だったのか?」
文彦は、浮気してないという絶対的な自信があったのだろうか。それとも、真実は最後まで隠し通せるという自信があったのか。しぶしぶ、彼は婚約解消を受け入れたが、謝罪はなかった。
あのとき、最後のチャンスを与えるから、あの女とはもう会うなと、泣いてすがっていたら、何か違っただろうか。けれど、あまりの絶望感に涙は出なかった。つらすぎて、涙も出なかったのだ。
いや、むなしすぎたのだろうか。浮気があったかなかったかよりも、疑われるような行為をし、それに傷ついている婚約者に寄り添わない文彦との対話が、まったく成り立たないことへのむなしさ。
いま思うと、文彦はあの女の人をかばっていたのだろう。だから、のらりくらりとした返事しかしなかった。あの人のことは心配していたけれど、婚約を破棄したかったわけではない。一方、別れたがる未央を引き止める努力も放棄していた。
文彦は誰にでも優しい人でありたかった。婚約者は二の次で、他者に思いやりを持つのは、いい顔をしたかったからだろうか。それを理解してくれる未央だからこそ、婚約者としてふさわしいと思っていた。
こんなはずじゃなかった。そう思ったのは、未央だけじゃない。きっと、お互いに理想を愛していたのだろう。そう思う最後だった。
『僕に作品を作ってくれないか』
婚約破棄したあと、切り絵作家として独立すると決めた未央に、文彦は連絡を取ってきた。
せめてもの罪滅ぼしで、未央の作品を未央としてそばに置きたかったのかもしれない。結局、作品は文彦の手に渡ることはなかった。なぜ、彼が作品をキャンセルしたのか、その真実はいまだにわからないままだ。
「公平が俺の浮気を心配してるなんて、絶対何かあるって、彼女が言うんだよ」
「だから、私たちを疑ってるの?」
「僕はね、未央を信用してたんだよ。公平の方が未央と年も近いし、話も合うだろうとは思ってたけど、それは考えないようにしてた。僕たちの関係を白紙に戻したいなら、そう言ってほしかったよ」
「私が別れたがってると思ってるの?」
「最近の未央は僕に対してよそよそしいじゃないか」
それは当然だ。浮気しているとわかっているのに、何もないように振る舞う婚約者をどう扱えばいいのか、未央にはわからない。
「裏切ってる自覚はないの?」
「僕が裏切ってるって?」
あくまでも、しらを切る。
「どうして裏切ったの?」
「裏切ってないよ」
「ホテルの部屋にいたでしょう? ふたりで」
それはこの目で見た。言い逃れはできない事実だ。
「彼女が誰にも聞かれたくない相談だって言うからね。実際、業務上、あなたには話せない悩みを抱えているんだよ」
「仕事の話なら、ホテルじゃなくても」
「アドバイスしてただけだよ」
「嘘よね?」
じっと見つめると、文彦は気まずそうに目をそらした。
「実は……少しだけ話すと、彼女、付き合ってた男がいてね。その男に別れてもしつこくされるから、彼氏のふりをしてほしいって頼まれたんだ」
「それは仕事なの?」
「公私混同はしたかもしれない。ただ、重要な職務上の話の流れでそうなって、あの日はホテルへ入っていくところを、その男にわざと見せることにしたんだ」
「流れで、そんなことを引き受けるぐらいの関係だったってことでしょう?」
「少し親しくしすぎてたかもしれないね」
少し反省するような態度を見せたが、いら立ちがおさまらずに気持ちをぶつけた。
「好きなんでしょう?」
「そんなふうに考えたことはない。あの日だって、ホテルには入ったけど、何もしてない」
彼はとっさに首を振った。
「どうしてそんな言い訳が通ると思うの? あの人にそう言われたから? 何もないって言っておけば、私なんかだませるって言われた?」
「彼女はただ別れた男におびえてただけで、俺はアドバイスを……」
「あなたにできるアドバイスなんてないって、なぜ気づかないの?」
「そんなことはないよ。現に、ホテルの一件で、男はもう彼女をあきらめたそうだ」
「どんな男の人だったの?」
「それは知らない。彼女からそう聞かされただけだから」
それを聞いた瞬間、怒りが込み上げた。文彦はその男を見たことがない。最初から、そんな男は存在してないからだ。なぜ、それに気づかないのか。彼女は文彦が欲しかっただけ。自分の手でその望みを叶えるのは悔しい。だけれど、未央はもう、文彦を信じられなくなっていた。
「このことは両親に報告して、婚約は解消します」
文彦はハッと息を飲んだ。もう何度も悩み考え、出した結果だったけれど、彼にとっては思いつきのように感じられたのかもしれない。
「浮気ぐらい許してやれっていうよ、あなたの父親なら。だいたい僕は浮気してないんだし」
「私から見たら浮気なの。何度、文彦さんは私を傷つけたら気がすむの?」
胸がぎゅっと苦しくなった。どれだけ重大な過ちをおかしたのか、信用を失ったのか、彼は何もわかってない。
「未央は勝手だよ」
「あなただって」
「あなたがそうしたいなら仕方ないのかもしれないが、僕たちはそんなにわかり合えない関係だったのか?」
文彦は、浮気してないという絶対的な自信があったのだろうか。それとも、真実は最後まで隠し通せるという自信があったのか。しぶしぶ、彼は婚約解消を受け入れたが、謝罪はなかった。
あのとき、最後のチャンスを与えるから、あの女とはもう会うなと、泣いてすがっていたら、何か違っただろうか。けれど、あまりの絶望感に涙は出なかった。つらすぎて、涙も出なかったのだ。
いや、むなしすぎたのだろうか。浮気があったかなかったかよりも、疑われるような行為をし、それに傷ついている婚約者に寄り添わない文彦との対話が、まったく成り立たないことへのむなしさ。
いま思うと、文彦はあの女の人をかばっていたのだろう。だから、のらりくらりとした返事しかしなかった。あの人のことは心配していたけれど、婚約を破棄したかったわけではない。一方、別れたがる未央を引き止める努力も放棄していた。
文彦は誰にでも優しい人でありたかった。婚約者は二の次で、他者に思いやりを持つのは、いい顔をしたかったからだろうか。それを理解してくれる未央だからこそ、婚約者としてふさわしいと思っていた。
こんなはずじゃなかった。そう思ったのは、未央だけじゃない。きっと、お互いに理想を愛していたのだろう。そう思う最後だった。
『僕に作品を作ってくれないか』
婚約破棄したあと、切り絵作家として独立すると決めた未央に、文彦は連絡を取ってきた。
せめてもの罪滅ぼしで、未央の作品を未央としてそばに置きたかったのかもしれない。結局、作品は文彦の手に渡ることはなかった。なぜ、彼が作品をキャンセルしたのか、その真実はいまだにわからないままだ。
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