溺愛王子と髪結プリンセス

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セオの髪結になるということ

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 寝椅子に背もたれて、ややまぶたを落とす。真凛に触れた手のひらが熱い。

 もう二度と会えないと思っていた。まさか真凛が会いに来るなんて想像すらしていなかった。

 二度と手放さない。兄たちが反対しようが、真凛を妻にする。彼女に触れた時にはその思いを強くしていた。

 真凛はルベとともに部屋を出ていった。

 テラスから注ぐ光と、時折室内に吹き込む風が心地よく、うとうとしかける。こんな時ほど、スーッと抵抗なく分身が現れる。

 王城の様子を見に行こうか、それとも真凛か。

 迷ううちに分身が見せるのは、腰湯につかる真凛の背中。

 滑らかな曲線を描く美しい背中だ。胸元に布をあて、手のひらにすくった湯を肩にかけている。ほんのりほおを上気させ、うなじに触れるさまはあまりに綺麗で、彼女が年上の女性であることを再確認する。

 年下は頼りなく思うだろうか、と消極的な気持ちが湧いた時、真凛は前方に気になるものを見つけたのか、ふと立ち上がる。

 湯から現れた細い腰と形の良いヒップに目を奪われる。本当に綺麗だ。どこに醜いものなどあるだろう。

 真凛は湯の中を進み、ライオンの口から溢れ出る湯に手を伸ばす。

 熱くないことを確かめると、胸元に当てた布から手を離し、全身で湯を受け止めようと両腕をライオンの前で広げる。

 脇から見える胸も程よく大きく、柔らかそうに揺れている。

 抱かれないために身体を見せたくないと言ったのではないかと疑うほどに、窓から差し込む光を受けた身体はまばゆく美しい。夜まで待たずに抱いてしまいたい。

「ああ……」

 と、ため息を漏らすと同時に、真凛が湯に漂う布をすくい上げながら振り返る。彼女はハッとした後、胸元に布を素早く当てて、湯の中へあごまで沈んだ。

 湯気と水しぶきでよくは見えなかった。しかし、真凛の胸に何かあるように見えた。

 醜いと言ったのはそれのことだろうか。気にすることはない。そう言いたかったが、分身は声を発することはできず、身体の中へ戻ってきた。

「ずいぶんと怠惰そうだな。のんきな弟君が羨ましい」

 突然目の前に現れた青髪の青年に驚いて寝椅子から飛び上がる。

「あ、兄上……っ」

 そう叫ぶと、アウイがうっすらと笑む。

 どこから入ってきたのか? と尋ねる必要はない。アウイは行きたい場所へ瞬間移動できる能力を持つ。

「ほう、俺を兄と思っているのか」
「……それはそうです。母は違えど、兄上に変わりはありません」

 セオはベリルの王宮で育った。アウイと関わるのは式典の時のみ。兄弟としての交わりは一度もないが、セオの中で血のつながりだけは感じていた。

 アウイはゆっくりと寝椅子の周りを一周し、セオの前で立ち止まると、瞳を通して心を覗こうとするかのように、グッと顔を突き出してきた。

「変わりないか……。では、俺に毒をもったのはセオだろうか。国王死去の知らせを居眠りしながらのんびり待っていたのだとしたら、俺は貴様をみくびっていたのかもしれないな」
「毒……」

 何者かがアウイを殺害しようとしたのか。

 セオは絶句する。そして視線をテラスの奥へと向ける。赤鷹はいまだ王城の上空を旋回している。凶兆のお告げは正しかったようだ。

「赤鷹が何を目指してここへ来るか知っているか?」
「え?」

 アウイへ視線を戻す。彼は試すような薄笑いを浮かべている。

「赤鷹は人の死骸を好物とする鳥だ。王家の血はさぞかし美味いのだろう。俺が死んだと思っていそいそとやってきたのだろうが、当てが外れて無様に回り続けている」
「では……、陛下の代わりに誰かが亡くなったのですね」

 胸が痛む。国王を守るため命を落とすのが義務であったとしても、政治に関わりのないセオには理解できない。

「俺が死んで得をするのは、赤鷹でなければ誰だと思う?」
「得など……。アウイ国王陛下を失うことはセドニー王国の損失」
「口ではなんとでも言えるな」

 皮肉げに唇の端をあげて、アウイはそう吐き捨てる。

「本当です。俺は別に王位が欲しいわけじゃない。兄上の死など、願うはずもない」
「欲しいのが、マリンなら?」

 セオはごくりとつばを飲み込む。真凛の名を聞いたら、急激に胸がドクドクと音を立てる。

 真凛を奪われたら?
 そう考えると、兄であろうが歯向かう気持ちがないとは言えない。

「マリンを欲しいがために俺を殺そうとした。ならばベリルも殺すか。俺もベリルもいなければ、貴様はマリンを思うようにできる」
「兄上がいても、真凛は思うようにする」

 それだけは言えた。誰よりも真凛を幸せにできると信じていた。

「抱いたか。マリンの身体はいいだろう? もう一度触れたいと思っていたが、ベリルの元にいるのではなかなか手が出せぬ」

 かぁ、っと身体の内側が熱くなる。

 アウイもまた、真凛を抱いたのか。あのような美しい娘が王子の目に触れたら、すぐに求められてしまうのは当然だろうと覚悟していたが、先に出会っていたらと思うと悔しい。

 拳を握ったまま、悠然と部屋の中を歩き回るアウイを目で追う。アウイは扉の前に差し掛かると足を止め、微動だにしない扉をジッと見つめる。

 セオもまた扉へ向かった。嫌な予感がした。遠くから賑やかしい足音が聞こえてくる。それが物静かなルベのものでないことはセオが一番よくわかっている。

「兄上、俺は毒などもらない。真凛も渡さない。俺は守るべきものが何か、守るためには何が必要かわかっている」
「ガキめ」

 そうアウイが吐き出した時、扉が大きく開き、白銀のドレスを身にまとった真凛が飛び込んでくる。彼女が跳ねるさまは蝶のように美しくて目を奪われる。しかしそれはアウイも同じだった。

「セオ王子……っ! おっ、お風呂を覗くなんてーっ!」

 セオの姿を認めると真っ赤になって叫ぶ真凛の腕をつかんだアウイは、すぐさま彼女をその腕の中へ包み込んだ。

「久しぶりだな、マリン。ああ、いい香りがする」
「ア、アウイ王子っ?」

 驚く真凛の首筋に、アウイは鼻先をうずめて唇をつける。一瞬身をすくませた真凛だが、湯上がりで火照る身体にアウイの指が這うと、彼の手をぺちりとはたいて、セオの元へ逃げ出してくる。

「セオ王子っ、なんでアウイ王子がここに?」

 セオは苦笑いするアウイから目を離さず、真凛の腰に腕を回して抱き寄せる。

 アウイが本気でないから真凛は逃げられた。そこにある優しさを目にして複雑な気分になる。

「真凛、国王陛下だよ。即位式の途中で退席した俺を注意しに来ただけだ」

 とっさに思いつきの嘘をつく。アウイの命が狙われたことを話して余計な心配をかけたくない。

 何より、真凛の情がアウイに移るのを恐れた。アウイの見せた優しさは大きな器で、セオはその器の中で一喜一憂しているだけに思えた。

「途中退席したの?」
「あれを退席というならな」

 真凛は軽く驚き、アウイは揶揄するように笑う。

「どういうこと?」
「それは俺が聞きたい、真凛。なぜここにいる? ベリルの髪結になるというから、ここへ来ることを許した。セオの方が好みだったか?」

 アウイがにやりとすると、真凛は赤くなって離れようとする。そうはさせまいと、セオはますます彼女を抱き寄せる。

「セオの方はやたらとご執心だな。このことはベリルも承知なんだろうな?」
「ベリル王子は知らないわ。私のしたいようにしてるだけ。自分らしく生きる権利はあるはずよ」
「自分らしく生きる権利か。生きる権利がないならば、自分らしさを望むのは傲慢だろうがな」

 生きていられるだけ幸せと思え、そう言うのかとセオは息をつくが、真凛はムキになる。

「私はいつか王宮を出るの。一人では無理だって、そのぐらいはわかってるわ。だから……」
「セオを利用することにしたのか。それならば納得する」
「利用だなんてっ」
「なぜセオだ? セオの髪結になるということがどんなことかわかっているのか。ベリルの時とはわけが違う」

 どうわけが違うのか、セオにはわからなかった。しかし、真凛もまた言い返さない。彼女はその違いを理解しているのだ。

「……なぜベリルはすぐに来ない?」

 ふと、アウイは眉をひそめてそれを口にした。気になっていたことだ。王宮の中で起きていることをベリルが知らないはずはない。いくら真凛がこっそり抜け出してきたとしてもだ。

「ベリルのやつに会いに行くか。少々骨は折れるが、ベリルの髪結と茶会も悪くはない」
「サンに会うのっ?」

 真凛が叫んだ瞬間、うっすら笑んだアウイの身体がスッと目の前から消えた。

 真凛は不安そうにテラスへ向かって駆けていくが無駄なことだ。アウイはすでに今頃、サンを見つけているだろう。

「セオ王子っ、サンは大丈夫かしら?」

 すぐに駆け戻る真凛を抱きとめる。

「陛下はわけもなく無慈悲なことはされない。本当に茶会を楽しむだけだと思う」
「でも……っ」
「サンが心配なら、真凛は兄上のもとに戻るべきだ。髪結は孤独だ。親元から離れて一生王宮の中で生きる。それが嫌なら髪結になることを望んだらいけない」

 ハッと真凛は息を飲み、セオの袖をつかむと胸元へほおを寄せてくる。

「いつか王宮を出るときはセオ王子も一緒よ。一人では出来ないことも、二人でなら……ううん、アルマンも助けてくれる。何もやらずに諦めるのは嫌なの」
「それは俺の妻になる決意? 真凛の身体はとても綺麗だった。今夜、楽しみにしている」

 セオはわずかにかがむと、赤らむ真凛の唇にそっと口づけを落とす。恥ずかしがりはしても、嫌がることはない。

 王宮から出る日はないだろう。
 そうは思ったが、いたずらに真実を伝えて真凛の希望を奪うこともしたくなかったセオは、目の前のことしか考えられなくなるよう、次第に合わせた唇を深くしていった。
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