溺愛王子と髪結プリンセス

水城ひさぎ

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セオの髪結になるということ

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***


「……はぁ……、はぁ……っ」

 馬車を飛び降りるとすぐに、王城の門へ向かって駆け出す。

 赤く長いすそがこれほど邪魔だと思った日はない。わずかに指でつまみあげて、セットした茶色の髪が崩れるのもいとわずに門兵へ向かって走り続ける。

 門の両サイドに立つ門兵が顔を見合わせる。かまわず王城の門の中へ飛び込もうとした瞬間、門兵の持つ槍が目の前で交差する。

「何者だ」
「……あっ、……わ、私は……」

 激しく上下する胸を抑えると、かさりと音がする。震える指で胸元から、託された封書を取り出す。しかしその仕草すら許されず、門兵に腕をひねり上げられ、封書は足元に落ちていく。

「あっ、……ああっ!」
「これは何だ」

 肩を押さえ込まれ、あまりの痛みにひざをつく。目の前に落ちる封書に手を伸ばすと、槍を下げたもう一人の門兵がそれを拾い上げる。

「わ、私はベリル王子に仕える髪結、サンと申します。王子の命で、アウイ国王陛下に謁見を……」

 髪結を名乗ると、門兵たちはまたも顔を見合わせる。門兵の一人は封書を開き、ベリルのしたためた文書を読むと驚きの表情をする。

「騒がしい。何事だ」

 門の奥から近衛兵の装束を身につけた男が現れる。胸につけた勲章の数は彼が一介の近衛兵でないことを裏付けていた。

「クレーズ隊長!」

 門兵はサンを解放し、敬礼する。サンは腕を押さえながら、髪を乱したままクレーズを見上げる。

 白銀の髪がまぶしい初老の男はサンを厳しいまなざしで見下ろしていた。その瞳もグレイ。貴族にはよくある風貌だが、その風格は隊長と呼ばれるに足る威風堂々としたもの。

「あなた様が……、近衛隊長のクレーズ様」

 アウイの髪結であるアルマンの後継者の名はサンの耳にも届いていた。その姿を目にするのは初めてだったが、サンは迷わず土にひざをすり付けながら、クレーズの足元に伏した。

「クレーズ様にお願いがあります! 私はベリル王子の髪結サンと申します。どうか……、どうか陛下にお目通りの許可を……」
「陛下に何用だ」

 門兵はサンの落とした封書をクレーズに差し出す。クレーズはそれを無言で受け取り、眉をひそめる。

「ベリル王子が何ゆえに自らの髪結を陛下の髪結にと推挙を? それを陛下が認められるはずはない」

 サンは驚いて顔を上げた。封書の中身にそのようなことが書かれていたとは思いもよらない。

「ただちに立ち去りなさい」
「クレーズ様……、どうか……」

 胸が不安で押しつぶされそうだった。ベリルが決意したものが何かはわからない。

 ただ悪の道を選んだのだという事実だけはサンに伝わった。それを止める人物がいるとしたら一人しかいない。

「クレーズ様っ」

 立ち去ろうとするクレーズの足に手を伸ばすが、彼に届く前に空を切る。

「どうか……」

 ぽたぽたとこぼれ落ちる涙が地面を濡らしていく。

「……どうか……」

 地面にひたいをすりつけて、爪を立て、土を握る。

「さあ、立て」

 門兵によってサンは引きずり起こされる。クレーズの背中が門の奥へ消えていく。無力を知る。ベリルと過ごした幸せな日々を取り戻すことはもう出来ないのだと知って。

 門兵から離れ、一人王城に背を向けて歩き出す。帰る場所はない。ベリルのいない王宮に、髪結であるサンの戻る場所はない。

「ベリルさま……」

 足がもつれて倒れこむ。とめどなく溢れる涙の先に青い靴が見える。

「あなたはベリル王子の……」

 聞き覚えのある声にサンはハッとして顔を上げる。視界の先にいたのは、青と白の装束を身にまとう黒髪の男。光のさす彼の瞳は赤黒く。

「アルマン!」
 
 サンはすぐさまそう叫ぶと、アルマンへ向かって駆け出していた。





「驚きました。ベリル王子の髪結と言えば、冷静沈着な方と有名でしたから。それで、陛下にどのようなご用事が?」

 青いじゅうたんが果てしなく続く長い廊下を、アルマンとともに歩く。土で汚れたドレスと崩れた髪はさりげなくアルマンに整えられていた。

「マリン……、いえ、ベリル様が思い詰めていらして。マリンの身に何かよからぬことがあるのではないかと」
「そうですか。真凛様の身の危険を感じてこちらへいらしたのですね」
「あ、いえ。……ベリル様にこれ以上つらい思いをして欲しくなくて」

 サンはあまりにも自分本位だったと、恥じ入るようにうつむく。

「髪結はそれでなくてはなりません。あなたは忠誠心が高い。さすがティリの民ですね」
「ティリ……ですか。確かに私の家系は生粋のティリですが……」
「ティリの民は情が深い。しかしそれは血筋によるものばかりではありませんね。どのような血が身体に流れようとも、性格とは切り離して考えるべきかもしれません。どこの民だと容姿で判断して決めつけるのは、セドニーの良くない風習でしたね」
「人は区別をつけたがるものです。ベリル様も赤い髪には長く悩まれていました」

 ベリルが赤髪でなければ、ガーネに心惹かれることも、ガーネが命を落とすこともなかっただろうか。考えてもしようのないことをいつまでも繰り返し思う。

「サンは悩みに寄り添える優しさがあるから、今でもベリル王子の髪結なのでしょうね」
「え?」
「髪結というのは不便なものです。最側近でありながら、地位も権限も与えられていない。ただ主君の側にいて、その悩みを共有することしかできないのですから。ですが、それは誰にでもできるものではありません。誇りに思いましょう」
「アルマン……」

 アルマンは大きな扉の前に立ち止まると、サンを振り返り微笑む。

「あなたに初めてお会いしたのは陛下の即位式でしたね。あなたのような聡明な女性の側ならば、真凛様も安心だと思いました。今は神のお導きに感謝するとしましょう」
「アルマン、そんな……。私は非力で……」
「非力と決めつけるのは早いです。あなたが行動を起こしたことは、必ずやなんらかの形で何かに影響を与えているはずです」

 そう言って、アルマンは扉に向かい合う。その扉の先にはアウイがいる。アルマンは少しばかり厳しい面持ちで、扉をグッと押した。
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