溺愛王子と髪結プリンセス

水城ひさぎ

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愛するがゆえに

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***


「おや、珍しい。何やら外が騒がしいようですね」

 数十羽の鳥たちが一斉に屋根から飛び立つさまが窓の外に見えた。ベリルは窓を開け、辺りを覗き見る。

「来客のようです。マリンも行きましょうか」

 遠くの音を聞き分ける能力があっても、来客の存在にどうやら今まで気づかなかったらしい。インカの屋敷ではその能力は封印されているようだ。

「私も?」
「ええ、マリンに会いたくて来たのでしょうから」
「私に会いたいって、誰が?」

 真凛は首をひねりながら、微笑するベリルと目を合わせる。

「あなたも会いたい方ですよ」

 真凛は目を見開く。

「……もしかして、セオ様っ?」

 ベリルは無言で部屋を出ていく。本を読んでいた真凛は、慌てて本を閉じてテーブルに乗せると彼の背中を追った。

 セオが会いに来てくれるなんて思ってもみなかった。胸が躍る。今度こそ離れない。そんな気持ちにもなる。




 インカの部屋に到着すると、銀髪の青年と白髪混じりの赤黒い髪の女性が部屋の中央に待たされていた。

「セオさまっ、ルベ!」

 真凛は二人の名を呼んで、すぐさま駆け寄る。ルベは静かに身を引き、気配を殺すように佇んだまま、真凛へこうべを垂れた。セオはというと、真凛を認めると複雑そうに笑んだが、力強くうなずいた。

「セオ様、どうしてここに?」
「真凛を迎えに来たんだ。そうしたら、母上が会ってくれるというから」
「……インカ様がセオ様に会うと言ったの?」

 真凛はスッと笑みを消す。なぜだか不安だ。会いたいなら、とうに会っていたはずだ。母を求める子の気持ちに、インカは答える気があるのだろうか。

「俺も会いたいと思ってた。会うのは最初で最後だ」
「どういう意味?」

 ますます気色ばむ真凛が尋ねた時、部屋の奥から物音がした。衣服のすれる音。小さな足音……、インカの長い髪を持ち上げる幼い子の足音だ。

 天蓋の奥からインカが姿を現わす。セオは厳しい表情をしたまま、初めて間近で会う母を見つめている。

 インカは入り口に立つベリルへわずかに視線を向けた後、セオの目の前へ歩み寄る。

「よくぞ来た、我が息子よ。そなたの成長は遠くから見守っておった」

 インカは妖艶に髪を揺らし、その美しい唇を歪ませる。

「母上にお会いできて光栄です。早速ですが、今日はお願いがあって来ました」

 本心だろう。セオはわずかに緊張を解いて、笑みを浮かべる。母に会えた喜びが見え隠れするその表情に、真凛の胸は苦しくなる。

「ほう、願いか。そなたの願い、我が叶えるのは容易いが、我の願いとは幾分違う。聞くまでもないが、申してみよ」

 インカはそう言ってセオを促すと、不敵な笑みを浮かべた。

 セオは無邪気な子供のように見えた。王宮での平穏な生活がそうさせたのだろう。優しいセオには想像もつかない世界があることを、彼は知らない。

 真凛はセオの腕をつかんだ。インカとセオの思いは同じだ。けれど目的は違う。寸分のズレが、思い描く未来の結末を変える。

「セオ様、やめて……」

 その願いを口にしないでほしい。真凛はそう願う。

「なぜ? あなたは陛下の元へ戻ると言いながら兄上と暮らしてる。陛下がそれを許すなら俺とも暮らせるはずだ」
「違うわ、セオ様。私がここにいるのは、そういうことじゃないの」
「じゃあなんで……」

 セオが真凛をとがめるのをインカは愉快げに眺めていたが、ゆるりと口をはさむ。

「マリンはアウイの元では不安なのであろう。タンザは節操のない男であった。アウイはタンザに瓜二つ」

 セオはつらそうに眉をひそめる。

「陛下は真凛にまだ何か?」
「違う。違うわ。ベリル王子が迎えに来てくれたからここにいるだけよ。いずれ陛下のところへ帰るわ」
「どちらにしろ、俺とは暮らせないっていうんだ」

 失望する彼が悲しい。わかってほしい。好きだからこそ、一緒にはいられないのだと。

「セオよ」

 インカはそう呼びかける。真凛はセオの腕にしがみつく。何を言う気だろうと警戒する。

「セオよ、マリンは結婚前の娘。まして王女である。それなりの筋を通したいと思うのが当然。ともに暮らすのは婚礼の儀を済ませてからでも良かろうに」
「母上は知って……」

 セオは息を飲むが、インカの言葉を反すうし、ますます眉を寄せる。

「母上、真凛とは結婚できないと知っていて、なぜそのようなことを言われるのです」
「結婚できないなどと誰が申した?」
「……どういう……」
「やめてっ」

 真凛は叫び、真正面からセオに抱きついた。

「真凛?」

 と彼は戸惑いながらも、背中に腕を回してくれる。

「マリンよ、なぜ隠す。セオは汚れたギルの血を一滴も持たぬ、正当なるセドニーの後継者。そなたもセオが王になる日を待ち望んでおるのだろう?」

 真凛はぎゅっとセオを抱きしめ、彼の胸に顔をうずめた。セオの顔が見れなかった。彼の早まる鼓動だけを感じながら、ただ静かに時が過ぎるのを待つ。

「母上、今の言葉は本当ですか……?」

 セオはしがみつく真凛を後ろ手に回し、インカに詰め寄る。

「俺の身体にギルの血がないって」
「そうだ。そなたは私の可愛い息子。不思議に思ったことはないか? タンザはそれなりにベリルのことは可愛がっておった。それがなぜ、そなたには見向きもしなかったのか」
「……それはどういう」
「わからぬかそなたの父はタンザではない。そうまで言わねば、そなたはわからぬ阿呆ではあるまいに」

 真凛はセオの手を握りしめた。理解しがたい表情で沈黙する彼の横顔を見るのはつらい。

 セオはいわば、これまでずっと幽閉されてきた身。王子であるからこそ、その身を甘んじて受け入れてきたのに、真実を知った今、彼の胸を占める思いは真凛には想像がつかない。

 セオの指が真凛の手の中からするりと抜けた。振り上げられたその指は白銀の髪にうずまる。絶望するでもないその表情は、いつものセオだった。

「そうか。……そういうことか」

 セオは息をついて、苦く笑う。さまざまな疑問が彼の中で整理され、解決していくのかもしれない。それでも最後に残るのは、やはり失望だろうか。

「真凛は姉でもなんでもなかったんだ」
「セオ様……」
「話してくれたらよかったのに。……そうしたら、真凛がつらい目を見ることはなかった」

 振り返るセオは、真凛を優しく抱き寄せる。

「真凛は言えなかったんだ。俺が傷つく思って。王子でなくなったら、王女を愛する資格なんてなくなるから……」

 真凛はセオの胸に顔をうずめたまま、必死に首を横に振る。愛する資格がないなんて、考えたことはなくて。

「安心するがよい、セオ」

 インカは無遠慮に言う。セオはゆっくりとインカへ視線を向ける。その様子はどことなく落ち着きすぎている。不安に思う真凛を解放し、セオはインカへ歩み寄る。

「そう悲しい顔をする必要はない」

 インカは愛おしげにセオのほおをなでる。真っ赤な爪がセオの白い肌を滑るたびに、彼の悲しみがあふれ出るように瞳からぽろぽろと涙が落ちる。

 こんなにも無防備に泣くセオを見るのは初めてだった。幼い頃から親の愛情を受けずに育ってきたセオにとって、初めて受ける優しさだったのかもしれない。

「セオはマリンと結婚し、王となるのだ。ふたりにとってこれほど良い話はないだろう」
「俺は……、誰の子ですか。真凛との結婚を誰が許してくれるんですか」

 インカはわずかに笑むと、セオから離れる。途端、セオの身体が揺らぎ、真凛は慌てて後ろから抱き止める。

「セオ様、誰が許すも何もないのよ。私たちは……」
「そうだ、セオ。マリンの言う通り、セオの望む道を選ぶがよい。だが母は、セオが王になる日を夢見ておる。それを叶えることができるのはマリンだけだ。マリンこそがセオの伴侶にふさわしいのだ」

 真凛は言葉を遮ったインカを愕然と見上げる。

「俺は王になりたいわけじゃ……」

 セオは悲しげに息をつく。

「マリンのために王になるのだ。王にならねば、マリンはずっと肩身の狭い公妾の子として蔑まれて生きるのだ」
「……真凛はそんな風に?」
「髪結として王宮にいられるのは、アウイの気まぐれであろう。いつ追い出されるともわからぬ王宮にいるよりは、セオが王となり、守ってやればよい」
「俺が、守る。俺じゃなきゃ、守れない……」

 インカの言葉にセオの心が揺らいでいく。セオは気づかないのだろうか。王になる条件。それは真凛との結婚と、もう一つ。

「陛下がいる限り、真凛と俺は幸せになれない……」

 そうつぶやいたセオは、両手に顔をうずめた。

「セオ様、そんな風に思うのは、やめて。私、ずっと普通に暮らしてきたんだもの。王宮を追い出されたって幸せに暮らせる。セオ様だって、王にならなくても……」
「王子でなくなったら、俺に何が残る?」

 セオは顔をあげると、ぼんやりと正面を見つめる。

「陛下のような力もなく、兄上のような学もない。真凛がなぜ俺を好きでいるのかさえわからない」
「王子だからセオ様を好きになったわけじゃないの。できることなら、王宮を出て暮らしたいって思ってるわ」
「王子の冠を持たない俺が、異国で真凛と暮らせるだろうか」
「異国で?」

 セオはこくりとうなずく。その横顔はどこか思いつめている。

「セドニーでは暮らせないの?」

 そう問うと、インカがセオの顔を覗き込む。

「白銀の髪は異国では生きにくかろう。そなたはセドニーから離れてはならぬ。アウイ亡き後、セドニーを背負えるのはセオだけだ」
「陛下は若き国王。俺が必要とされる時代は来ない」
「なぜそう決めつける? アウイの命が長いなどと誰が言った。人はいつか死ぬのだ。アウイとて、いつかな」

 頼りなげにうつむくセオの耳元でインカが何事かをささやく。ハッとセオは息を飲み、インカを凝視するが、すぐにふたたびうつむいた。

「セオ様……」

 セオからインカが離れると、真凛は彼の腕を揺さぶる。インカが何を言ったのか、不安になる。

「セオさまっ」
「俺は、陛下の死を願ってなんか……」

 セオは苦しげに吐き出すと、真凛の肩にひたいを押し当てて呻いた。
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