彼女は羊の夢を見る

野兎症候群

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第一章 EIの世界 2019年

第一章 EIの世界 その6

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 家のドアを開けると目の前にはだだっ広いコンクリートの色と東京の青い空が広がっていた。それもそうだ。私の家は本社ビルの屋上にあるからだ。もともと会社の建設の際に余った屋上のスペースをどうしようかという話になったときのことだが、その時には既に私はこのビルで指揮を取る事が決まっていたようだ。
 最初、会社を建てるときは実家から1時間半ほどかかるから、その時の私は正直一人暮らしを考えていた。そんなことはメンバーの誰にも言っていないのだが、気がつけば会社の屋上に一軒家(しかも結構豪勢な)を立てることが決定していた。名目上その家は会社の設備ということにして費用は全て会社負担で建設が進んだらしい。
 まあ、そんなメンバーの取り計らいのお陰で会社まで徒歩2分という奇跡を実現したのだった。
 
 私は屋上の隅にある階段を下って一度オフィスに寄った。出勤している社員への挨拶がてらにタブレット端末にはいっているヒカリを持って行くためだ。出歩くときは常に持ち運ぶ事にしていた。今日はいつもとは少し事情が異なるが彼女を除け者にするのも可哀想だと思ったから連れて行く事にした。
 会社は土日も含め毎日やっているから仕事場にいけば必ず誰かが仕事している。ドアを開くと日曜出勤組の数人がデスクに向かっている様子が伺えた。
「ん?」よく見ると休日の筈の山本くんもいた。
「何やってるの?」声をかけるとビクリと肩を震わせてこちらを振り返った。
「あ、お、おはようございます」彼は相変わらずだ。
「ん、おはよう。今日は山本くんは休みだと思うけど、なんか用事?」
「あ、はい。今週にロボット開発部との共同実験で僕のEIを使ってロボットの試運転をするので、その事前チェックをしようと思って・・・」語尾が小さくなっているのは残業や休日出勤をあまり容認しない私に怒られると思ったからかもしれない。まあ、正直それは社員の負担を減らすための方策であって、別に私が怒ることではないのだけど。
「ふうん、なるほどね、張り切ってるじゃない!じゃあしっかり残業手当を申請しときなさい。明日承認しとくから」
 頑張ってね、と言い残して私は部屋を後にする。あんまりかまっても彼に心的不安をかけると思ったからだ。不安の種を取り除いたらさっさといなくなるに限る。
 約束の時間は11:30。まだだいぶ時間が余っていた。喫茶店トリスタンで時間を潰すのも悪くないだろう。静かに思案するのもたまには良い。

 休日とは言え、ランチメニューが特にない喫茶店トリスタンは適度に空いていて居心地がよかった。椅子に深く腰掛けて虚空を見つめているとこの前、花に言われた言葉を思い出した。
「いい歳なんだし、今後の身の振り方を考えてもいいんじゃない?」
 彼女は簡単に言うけれど、私はそんな器用な人間じゃない。恋愛もののドラマも見ないし、運命的な出会いも求めていない。そもそも安っぽく使われる「出会い」という言葉が嫌いだった。宝くじじゃあるまいし。
 Aはどう考えているだろうか?思っていることを話してみたら、いつものように何か思いもよらないブライトな回答が返ってくるかもしれない。或いは私が期待している答えも。
 カラン、と背後のドアが開く音がした。店の中に独特の雰囲気が流れ込んでくる。Aだ。見なくても分かる。彼は同じ空間に居るだけで雰囲気を変える力がある。昔からそうだった。彼と出会ってもう十年になる。
「早いね」Aが私の向かいの席に座って言う。
「まあね。考え事をしていたの」
「何の?」
「さてね。ヒカリは電気羊の夢を見るのかだとか、EI達が今後どうなっていくのかとか、そんなんだよ」私は曖昧に微笑んだ。本当の考え事は言わないでおいた。彼を困らせてしまうと思ったからだ。
「面白い。まあヒカリはアンドロイドではないが、人間のような有機生命体ではない。医学的に言われているような脳内情報を整理するという意味での夢は彼女には必要ないが、どうだろうね。高性能化していくCPUによって相対的に長い時間を過ごしている彼女にとって、人間で言う睡眠に似た時間や夢というものが必要なのか。例えば、人格や精神の安定性を保つ為に。深遠なテーマだ」
「ふふ、そうねー。EIが夢を見るのかどうかっていうのは昔のSF作家が考えたロボットのような人間と人間のようなロボットの対比みたいね。不要なものをどんどん効率化していった人類に対して、世俗的な感情を吸収して人間のようになっていくロボット。昔その話を読んだときは少し怖いような印象を受けたけど、実際EI達を見ていると結局それは杞憂だったと思うね。勿論それ以外に問題はなくもないけど」
「ああ、トモくんみたいなイレギュラーの存在とかね。Dには迷惑をかける」
「まあいいよ。各々が一番力を発揮できる仕事をする、それが効率的だし良い人事だしね。それにAの方も結構きついんじゃない?労働団体とか」
「まあな。EIの共生とは言っているが、企業からは少なからず契約料を貰っているし、その分は一般社員の給料から引かれている事も少なくない。残業代が浮いて業績が上がったとはいえ、EIの契約料でマイナスになりそうなら経営陣は一般社員の給料やボーナスを下げざるをえない」
「そう言ってるのは、労働団体ね」
「ああ。推測を述べると、労働団体にそう言わせてるのは経営陣だろうと思う。だから契約料を安くしろ、と言いたいんだろう」
「厚かましい、とは言わないけどさ、経営者のそういう駆け引きは私は嫌いだな。直接論理と論理で話し合わない感じがさ」
「同感だ。でも、世界中から上がってきている課題を野放しにしないことも我々の仕事なんだ」
「経営するのは面白いんだけどね、まあ仕方ないか」
  「僕らが始めたことだからな」
「違いない。とは言えたまには私達にもプライベートな息抜きが必要よ。頭を切り替えることもね」
「そうだった。スケジュール調整して折角一日休みを合わせたんだったな」
「久しぶりに会う為にね。でもまあ、私とDしか集まらなかったけどね」
「うん。僕の方からBとCにも聞いてみたけど、ペットを病院に連れて行くだとか、技術試験が迫ってるからとか言われて断られたんだよ。どうとでもなりそうな感じだったけど、もしかしてなんか仕組まれてるんじゃないか?」
 その問いに私は苦笑いを返した。
 私は半月ほど前に召集メールを出していた。「久しぶりに初期メンバーで遊ぼう」みたいな内容のやつだ。でも実際にメールを送ったのはAだけで、Aには電話で他の二人は来れなそうだと嘘を伝えていた。Aはその意図を何処まで察してかBとCにも連絡を取ったようだけど、察しの良い二人はメールの件には触れず丁重に断ってくれたようだ。もっと断る理由は上手くして欲しかったけれど、まあいい友を持ったものだと思う。
「まあこういう事もあるよ。お互い忙しい身だしね」
「ふむ」ひとまず納得してくれたようだ。
「みんなで行く場所は幾つか考えてたけど、二人だしねえ。若者のデートみたいに映画みたりレジャー施設にいく歳でもないのよね、悲しきかな」
「酒飲む前にドライブでもするか?」
「あれ、Aって車持ってたんだっけ?」
「この前買ったんだ。ガルウィングがカッコよくてね。日本じゃ不必要なくらいスピードが出るやつだ」
「何?カウンタック?」
「いや、童夢零」
「まったマイナーなっ。まあブレードランナーで出てくるスピナーのような未来感のあるフォルムは嫌いじゃないけどね」
「だろ?いつか改造して空を飛ばせてみたいんだ」
「お金が余ってるからってなー。でもまあドライブは良いね。海沿いをゆったりと走ってみたいかな。童夢零じゃゆったりできないかもしれないけど」
 そんな事を言った時ふと思い出した。あの車って二人乗りじゃなかったっけ?

 首都高に乗り、ひどく目立つスーパーカーでゆったりと法定速度で走る。スーパーカーのスペックを無駄遣いしてるなー、と思いつつ景色の変化を楽しむ。何処かの調査機関によると日本人は平均で一日あたり六時間以上液晶画面を見て過ごしているらしい。移りゆく風景の流れは液晶画面で見るよりも繊細で、活き活きとしている。久しぶりに仕事から離れてその事に気がついた。平均を押し上げている私が言うのも説得力のない話だけれど、人間は画面から離れるべきだと思う。外の風景は新鮮だ。
 一時間程で三浦縦貫から高速道路を降り、神奈川県の三崎口についた。以前に花に教えてもらった場所。勿論初めて来る。Aはどうだろう?
 窓を開けると漁港特有の濃い潮の香りと湿気が車内に舞い込んできた。休日とはいえ観光地としてはあまり栄えていないみたいで人影はほとんどない。
 高いところからカモメ達が鳴く声が聞こえた。空を見上げると数羽のカモメが羽をM字に広げて飛んでいるシルエットが見えた。
 長閑な風景のなかをゆっくりと走り抜けていく。平和な時間を感じた。
 少しすると城ヶ崎に続く橋に着いた。目の前に料金所がある。Aがどうする?と言うように目線を送ってきた。
「せっかくだから」そう言って私は二人分の料金を係員に渡した。係員はお返しにと二人分のパンフレットをくれた。
 橋の向こうは緑豊かなで広々とした島だった。東京から一時間も離れればまだこういう風景を見ることが出来る。どこまでも続くように思える都市構造物もここまではまだ届いていない。
 使用者の疎らな道路の周りには綺麗に草木が生え揃っている。誰かが手入れをしているのだろう。潮の香りに混じって青草の匂いが肺に広がる。
 パンフレットの案内に従って道なりに進んでいくと短いトンネルがあり、その先にいくと城ヶ崎公園に着いた。広々とした駐車場は数台の自動車が止まっている程度で閑散としていた。
 駐車場の上には広い空が広がっている。海のように深い青色の空には、疎らに雲が浮かんでいてたまに太陽を遮って地上に影を落としていた。昼下がりの穏やかな風が木々を揺らしてサーっという音を奏でた。
 私たちは童夢零を降りて公園に入った。西洋にある豪邸の庭園のように空間的開放感と手入れされた樹木の造形美が調和した道が続いている。広い公園内の人口密度は駐車場の比ではなく少ない。
 たまにすれ違う御老人達(恐らく周辺住民だろう)に挨拶しながら、他愛も無い話をしながら歩いていくと岩壁を見下ろすことのできる展望デッキを見つけた。
 休憩しようと言って背もたれのあるベンチにAを座らせた後、近くにあった自販機で飲み物を買った。渋いおっさんがパッケージされているコーヒーを二つ買った。正直、久々に出歩いて私は疲れた。一日を全力で遊べなくなったのは歳のせいだろうか。少し焦りを覚えた。
 ベンチに戻るとAは寝ていた。ウトウト、というレベルではなく眠り込んでいた。多分、今日のために結構無理してスケジュールを開けてきてくれたのだろう。申し訳なさと嬉しさに似た感情を覚えた。
 Aが倒れないように身体を隣接させて座る。彼の体温を服を通じて感じる。次いで、ほんのり漂ってくる彼の香りは昔から変わっていない。しかし、昔とは違う印象を受けるのはきっとそういうことなのだろう。
 眠りが深くなるにつれてAの身体のバランスが悪くなっていったので、彼の身体をベンチに横たえて膝枕をした。人生初体験だったけれど案外痛くなく、脚がしびれることもなさそうだった。最近の女性にしては多少太めな脚はこういう時に役立つのかと、どうでもいい感慨を覚えた。
 上から覗き込むと見慣れたAの顔がよく見えた。穏やかな寝顔からは彼の凄さや偉大さの証拠なんて欠片も見つけられないけれど、彼と一緒に歩んできた私には分かる。起業して以来、苦境ばかりだったけれど彼が一声発すれば辛い気持ちなんて湧いてこなかった。彼と歩む道はいつも先の見えない荒野だったけれど、常に希望があり成功があった。
 私は荒野を切り拓く彼と共に歩んできたし、これからも一緒にありたいと思う。これは花の言うように恋なのかも知れないし、そうではないかも知れない。結婚しなくても今と同じように彼と歩んでいくことは、きっとできるだろう。でも間違っても道を違わぬように、彼と手を結んで歩くのはきっと間違いじゃない。

 私もウトウトしてしまったのか、或いは考え過ぎてしまったのか、いつの間にか太陽は夕焼け色に変わっていた。夕日に染まる展望台には私とAの影だけが写っている。私は采配を振るう事にした。
「ねえ、A」
 私はおもむろに口を開いた。Aはまだ眠っている。でも良いのだ。言うべき言葉はよくわからなかったけれど、私は心に浮かんだ言葉を紡いだ。
 遠く下にある岩壁で少し高い波がぶつかる音がした。

 夕日が落ちてからAと私は公園を出て童夢零で城ヶ崎を後にした。
 帰りの自動車の中、なんとなく私とAは無言で過ごした。気まずいわけではなかったけれど、来た時とは違う空気が車内に満ちている気がした。暗闇に隠れてAの表情はよく見えなかった。潮の香りもいつの間にか感じなくなっていた。
 なんだか落ち着かない気分だった。その気分の名前を私は知らない。
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