65 / 75
第二章:城塞都市クレイル
冒険者(8)
しおりを挟む
「ロゼ様に社会勉強してもらおう思うてちょろっと味見を頼むだけのつもりやったんやけど、脱げない鎧にお喋りな魔導書、胸焼けするぐらいの大盛りが出てくるとは思わんかったな」
「お陰様でくたくたです」
「アンちゃんって一匹狼気取っとるのに周りはいつも賑やかでほんまに飽きひんわ。ロゼ様にもそんな雰囲気感じとるんよね」
「そんなもの欲しくはないですよ!?」
「あっはっはっはっはっ!」
「笑い事ではないですよ、もう……」
ロゼは頭を抱えて溜息を吐く。
酔いは覚めている筈なのにレネの笑いはもうしばらく収まりそうになかった。
しかし、今のクレイルでは彼女の奇行が目立つことはない。
「賑やかですね」
冒険者ギルドを出ると、外はすっかり日が暮れていた。
平時であれば見張りの衛兵を残して寝静まる頃合いだったが、【流星魔法】によってクレイルの夜は一変していた。
都市の中心部である大通りは、魔導式の街灯を惜しみもなく使用して、賑やかに行き交う冒険者達の赤ら顔を明るく照らしている。『流星事変』以前であればありえない光景だった。
金儲けあるいは未知を求めて多くの冒険者が訪れるようになり、その数は日に日に増えている。
マルクト丘陵に流星が降り注ぐ光景は、遥か遠くからでも目にできたので、これからしばらくは人の足が途絶えることはないだろう。
「流星特需やなー、多めに運び込んだお陰でウチの商会は大儲けや」
レネは商売人の顔に悪い笑みを浮かべる。
「こんな状況でも逞しいですね」
「ロゼ様も皮肉が達者になってきたようやね」
「そんなつもりはなかったのですが……本当に、そう思ったのです」
夜空を見上げれば、地上の明かりで星々の輝きは陰っていた。文明の光は遂に夜の世界すらも手中に収めようとしている。
「いつかは星々を渡るようになるかもしれませんね」
「そのためにも落っこちてきた星の謎を解き明かさんと」
ロゼはつい先程まで交渉をしていた癖の強い冒険者パーティの面々――アン、スピカ、グリム――を思い出す。
「あの方々にお願いして本当に大丈夫なのでしょうか?」
「今更やね」
「冒険者としての能力を疑うつもりはないのですが、色々と、その……」
「アンちゃんが信用しとるから大丈夫とまで言わへんけど、悪意は感じへんかった。隠し事はあるみたいやけど、そら誰だってそうやしな」
悪意を感じなかったというのはロゼも同意するところだった。
良くも悪くも素直過ぎるスピカ。
これまでに十分過ぎる実績を持つアン。
優れた知性を持ち、言えないことは言えないと誠意を示したグリム。
見た目は怪しさの塊でも言葉を交わせば見えてくるものはある。
「レネさんは、あの魔導書……グリムさんのことはどう思われますか?」
これまで饒舌だったレネが考え込む様子を見せる。
「あの魔導書の魔力、知っとるような気がするんやけど……どこの誰やったかなー?」
グリムと名乗った後、魔導書は簡単に身の上話を聞かせてくれた。
『わたしはこの通り魔導書ではあるが、自らを人間であると定義している。少なくとも人間と思われたいと考えている。そのように扱って頂けると嬉しい限りだ』
気付けば魔導書になっていた。
自らを証明する記憶も記録も何もないが、人間であるという自覚だけが残っていた。
そしてある日、グリムの居る書斎――その場所は教えられないと言われた――にやってきたスピカに拾われて、こうして自分の過去を求めて旅に同行しているのだという。
「魔導書は本当に元人間だったのですか?」
「ウチが覚えとったってことは価値があった。せやけど忘れてもうたゆうことは――もう覚えとく必要がなくなったゆうことや」
「それは……」
「ウチの人物鑑定眼は確かのつもりやけど、どれだけ実力を持った魔術師も死ぬ時は死ぬ。何からの方法で魔導書になって延命しようとしたが記憶の引き継ぎに失敗したとか、逆に何者かに魔導書の中に封じ込められたとか色々と考えられるけど、いずれにしろ知らん魔法やな」
魔術研究者として好奇心に瞳を爛々と輝かせていた。
死という言葉に、ロゼはもう一つ訊くべき話題を切り出した。
「死相について、スピカさんに訊いていましたね」
「嫌やな、盗み聞きしてたん?」
「魔導書を抱える鎧姿は他にいらっしゃるとは思えませんので」
「あっはー、それもそうやな」
交渉を終えた後、レネから先に退室するように促された。
内緒話と茶目っ気のある言い訳をされたが、残されたのがアンではなくてスピカだったので話題に察しがついたのだ。
廊下に出たアンとグリムに事情を説明すると、部屋内の様子を確かめるのに協力してくれた。これまでも振り回されてきたのか、魔導書なのに気苦労が伝わってくる様子に苦笑を浮かべるしかなかった。
グリムの施した魔法によって、ロゼは壁越しにレネとスピカを透視できた。二人のやり取りも不思議と耳元で響くように聞こえてきた。
『死相ってまだ見えたりするん?』
『うーん、さっきからルートを外すように頑張ってるんだけど、もしかして自殺志願者? それとも不治の病だったりする?』
レネは返答の代わりに、おかわりを注いだジョッキを高々と掲げた。
長生きはできそうにないが、死んだ姿を想像するのは難しかった。
『酔っ払って転んで死ぬ未来があっても、そんな強固になる筈がないんだけどね。まあオイラの視る死相ってそのままにしたら絶対だけど、知った後なら回避できないわけじゃないからさ、しばらく事故とか襲撃に気をつければ良いんじゃないかな』
『いつも通りやな、せいぜい気ぃ付けることにするで』
その後、部屋から出てきた二人と何食わぬ顔で合流して、酒場に戻るスピカ達に別れを告げて、こうしてレネと二人で冒険者ギルドを後にしたのだ。
「死相が見えるって、どんな人生を送ったらそない特異な固有魔法に目覚めるんやろうな。あーでも、もろに死に掛けたんやっけ」
「レネさんの警備を増やしましょう」
「それよりも気にするべきは、どこの誰が狙っとるかや」
「心当たりはありますか?」
「多過ぎて困ってるところや」
あっけらかんと笑うレネに、ロゼは大きな溜息を吐いた。
スピカの素直さを考えると不謹慎な冗談を口にするとは思えなかったので、本人は気にしていない様子だが、護衛の増員についてブランカと勝手に相談することにした。
*
城塞の執務室に向かっていると、王立魔法研究所に貸し出されていた簡易研究室からちょうどリーサとアルフレッドとが出てくるところだった。 ロゼが目を向けると、アルフレッドは首を横に振った。
マーテルの森で採取した植物を調べていたのだが、どうやら目ぼしい成果は得られなかったようだ。
「詳細はまとめてあるので、これから執務室で助手から報告させて頂きますが、よろしいでしょうか?」
「はい、冒険者ギルドの交渉結果を報告するので、合わせて共有してしまいましょう」
都市長の執務室に入ると、ブランカは執務机に齧り付くようにまだ仕事を続けていた。
「ここから数日は何が起こるか予想できません。今の内に事務仕事を片付けておこうかと思ったのです」
「ご自愛くださいね」
「お言葉ですが、ロゼ様もくれぐれもご無理はなさらぬように。臣を想うのであれば、どうぞご自愛くださいませ」
心配して声を掛けると、優しくも厳しい諫言が返ってきた。
「ブランカちゃんも、ロゼ様の前でも、ぼちぼち肩の力を抜いてもええんちゃう?」
「貴女は抜き過ぎですよ、レネ嬢」
レネのからかいをブランカが窘める。
気安い二人のやり取りは、やはり長年の友情を感じさせた。
「皆様、紅茶の用意ができましたので一息つきませんか」
応接間に集まってリーサの注いだ紅茶を味わいながら情報共有を行った。
冒険者との交渉結果はレネの口から報告されて、やはりスピカとグリムの存在は大きな驚きを与えることになった。ブランカとアルフレッドから大き過ぎる不確定要素に難色を示されたが、直接交渉したロゼが受け入れているので、最終的には予定通りアンのパーティに『燈火』の救出を託すことになった。
「マーテルの森の植物には【流星魔法】の影響は見られませんでした。ただそれは周辺の魔素に対する影響が小さかったことを意味しています。アルフィ主任の推測の裏付けができただけではありますが、やはり術者の魔力に大きく依存する術式の可能性が高いです」
素人のロゼには理解できない内容だったが、レネは興味深そうにリーサのまとめた報告書を読み込んでいた。
「なるほどなー、あの規模を個人で発動するからには、周囲の魔素に大きな爪痕を残すものと考えたくなるけど、術者の大き過ぎる魔力と技量で抑え込んでいると。アホらしい術式を組んどるんがますます分かる人にだけは伝わるメッセージやと考えたくなるな」
リーサの報告は、研究者にとっては興味深い内容であるが、現在の状況を打開する材料にはなりえないというものだった。
続いてブランカからは城塞都市の状況について報告された。
「治安悪化に関してです。今のところ許容範囲に収まっていますが、荒くれ者の多い冒険者に行儀の良さを期待するのは贅沢というものでしょう。またこれに乗じて良からぬ企みを持った者が侵入をされる可能性があります。監視と護衛の体制は既に組み直してありますが、どうかお気を付けください」
一通りの情報共有を終えて、明日は正念場となるため早目の就寝をしようと解散となった。
リーサが食器を片付けて、アルフレッドは広げた報告書をまとめて、ブランカは残した仕事を片付けようと執務机に向かい、レネは体の凝りを解沿うと伸びをして――ロゼはその様子を眺めてぼんやりとしていた。
何かが砕ける音がした。
カーテンが大きくはためくのを目にして、窓ガラスが割られたのだと気付いた。絨毯の上に散乱したガラス片が照明を反射してきらきらと輝いている。
違和感を覚えた。
ガラス片が薄過ぎる。
都市長の執務室にここまで安っぽい窓ガラスを使用するだろうか。
「ロゼ様っ!」
気付いた時には、ロゼはレネに突き飛ばされて床に転がっていた。
駆け抜ける突風に髪が舞い上がる。
顔を上げれば、レネの首元がぱっくりと開いて血飛沫が迸っていた。まるで目に見えない刃物で切り裂かれたようだった。
状況を理解できずに呆けている間にも容赦なく時間は流れていく。
「――構うな!」
叫んだブランカは足元に纏わり付いた水に動きを封じられており、見る見るうちに這い上がってくる水が大きな水球を作り上げて閉じ込めてしまった。
アルフレッドはロゼの元へ駆け寄る途中でリーサの肩を力強く叩いた。
「戻せ!」
「はいっ……!」
リーサの【片付け魔法】が発動する。
ブランカを包みこんでいた水球が崩れ去り、水は独りでに床を這っていきガラス片のもとに近付くと、時を遡るように砕けたガラス片が小瓶を形作り、その中に弾け飛んだ水が吸い込まれた。
更に時は戻っていくと、小瓶は窓の方に転がっていき、やがて窓の外へ飛び去った。揺らめいたカーテンは元の位置に戻り、いつの間にかに開いていた窓が音もなく閉じられた。
砕けたのは窓ガラスではなく、投げ込まれた小瓶だったのだ。
「衛兵、緊急態勢! 窓の外をすぐに確認しろ!」
ブランカは騒ぎに気付いて執務室に飛び込んできた衛兵に素早くを指示を出す。
リーサは魔法を発動したまま、部屋中を見回して次の攻撃に備えていた。
アルフレッドに肩を揺さぶられて、ロゼはようやく意識がはっきりとした。
すべては一瞬の出来事だった。
「レネさんっ!」
ソファの陰――窓から死角になる位置にレネの体は横たわっていた。
アルフレッドがすぐに応急処置を施すが、深く抉られた首元から流れ出る血は止まらない。
死相が見える、とスピカは言っていた。
今まさに目の前でレネの命が失われようとしていた。
「お陰様でくたくたです」
「アンちゃんって一匹狼気取っとるのに周りはいつも賑やかでほんまに飽きひんわ。ロゼ様にもそんな雰囲気感じとるんよね」
「そんなもの欲しくはないですよ!?」
「あっはっはっはっはっ!」
「笑い事ではないですよ、もう……」
ロゼは頭を抱えて溜息を吐く。
酔いは覚めている筈なのにレネの笑いはもうしばらく収まりそうになかった。
しかし、今のクレイルでは彼女の奇行が目立つことはない。
「賑やかですね」
冒険者ギルドを出ると、外はすっかり日が暮れていた。
平時であれば見張りの衛兵を残して寝静まる頃合いだったが、【流星魔法】によってクレイルの夜は一変していた。
都市の中心部である大通りは、魔導式の街灯を惜しみもなく使用して、賑やかに行き交う冒険者達の赤ら顔を明るく照らしている。『流星事変』以前であればありえない光景だった。
金儲けあるいは未知を求めて多くの冒険者が訪れるようになり、その数は日に日に増えている。
マルクト丘陵に流星が降り注ぐ光景は、遥か遠くからでも目にできたので、これからしばらくは人の足が途絶えることはないだろう。
「流星特需やなー、多めに運び込んだお陰でウチの商会は大儲けや」
レネは商売人の顔に悪い笑みを浮かべる。
「こんな状況でも逞しいですね」
「ロゼ様も皮肉が達者になってきたようやね」
「そんなつもりはなかったのですが……本当に、そう思ったのです」
夜空を見上げれば、地上の明かりで星々の輝きは陰っていた。文明の光は遂に夜の世界すらも手中に収めようとしている。
「いつかは星々を渡るようになるかもしれませんね」
「そのためにも落っこちてきた星の謎を解き明かさんと」
ロゼはつい先程まで交渉をしていた癖の強い冒険者パーティの面々――アン、スピカ、グリム――を思い出す。
「あの方々にお願いして本当に大丈夫なのでしょうか?」
「今更やね」
「冒険者としての能力を疑うつもりはないのですが、色々と、その……」
「アンちゃんが信用しとるから大丈夫とまで言わへんけど、悪意は感じへんかった。隠し事はあるみたいやけど、そら誰だってそうやしな」
悪意を感じなかったというのはロゼも同意するところだった。
良くも悪くも素直過ぎるスピカ。
これまでに十分過ぎる実績を持つアン。
優れた知性を持ち、言えないことは言えないと誠意を示したグリム。
見た目は怪しさの塊でも言葉を交わせば見えてくるものはある。
「レネさんは、あの魔導書……グリムさんのことはどう思われますか?」
これまで饒舌だったレネが考え込む様子を見せる。
「あの魔導書の魔力、知っとるような気がするんやけど……どこの誰やったかなー?」
グリムと名乗った後、魔導書は簡単に身の上話を聞かせてくれた。
『わたしはこの通り魔導書ではあるが、自らを人間であると定義している。少なくとも人間と思われたいと考えている。そのように扱って頂けると嬉しい限りだ』
気付けば魔導書になっていた。
自らを証明する記憶も記録も何もないが、人間であるという自覚だけが残っていた。
そしてある日、グリムの居る書斎――その場所は教えられないと言われた――にやってきたスピカに拾われて、こうして自分の過去を求めて旅に同行しているのだという。
「魔導書は本当に元人間だったのですか?」
「ウチが覚えとったってことは価値があった。せやけど忘れてもうたゆうことは――もう覚えとく必要がなくなったゆうことや」
「それは……」
「ウチの人物鑑定眼は確かのつもりやけど、どれだけ実力を持った魔術師も死ぬ時は死ぬ。何からの方法で魔導書になって延命しようとしたが記憶の引き継ぎに失敗したとか、逆に何者かに魔導書の中に封じ込められたとか色々と考えられるけど、いずれにしろ知らん魔法やな」
魔術研究者として好奇心に瞳を爛々と輝かせていた。
死という言葉に、ロゼはもう一つ訊くべき話題を切り出した。
「死相について、スピカさんに訊いていましたね」
「嫌やな、盗み聞きしてたん?」
「魔導書を抱える鎧姿は他にいらっしゃるとは思えませんので」
「あっはー、それもそうやな」
交渉を終えた後、レネから先に退室するように促された。
内緒話と茶目っ気のある言い訳をされたが、残されたのがアンではなくてスピカだったので話題に察しがついたのだ。
廊下に出たアンとグリムに事情を説明すると、部屋内の様子を確かめるのに協力してくれた。これまでも振り回されてきたのか、魔導書なのに気苦労が伝わってくる様子に苦笑を浮かべるしかなかった。
グリムの施した魔法によって、ロゼは壁越しにレネとスピカを透視できた。二人のやり取りも不思議と耳元で響くように聞こえてきた。
『死相ってまだ見えたりするん?』
『うーん、さっきからルートを外すように頑張ってるんだけど、もしかして自殺志願者? それとも不治の病だったりする?』
レネは返答の代わりに、おかわりを注いだジョッキを高々と掲げた。
長生きはできそうにないが、死んだ姿を想像するのは難しかった。
『酔っ払って転んで死ぬ未来があっても、そんな強固になる筈がないんだけどね。まあオイラの視る死相ってそのままにしたら絶対だけど、知った後なら回避できないわけじゃないからさ、しばらく事故とか襲撃に気をつければ良いんじゃないかな』
『いつも通りやな、せいぜい気ぃ付けることにするで』
その後、部屋から出てきた二人と何食わぬ顔で合流して、酒場に戻るスピカ達に別れを告げて、こうしてレネと二人で冒険者ギルドを後にしたのだ。
「死相が見えるって、どんな人生を送ったらそない特異な固有魔法に目覚めるんやろうな。あーでも、もろに死に掛けたんやっけ」
「レネさんの警備を増やしましょう」
「それよりも気にするべきは、どこの誰が狙っとるかや」
「心当たりはありますか?」
「多過ぎて困ってるところや」
あっけらかんと笑うレネに、ロゼは大きな溜息を吐いた。
スピカの素直さを考えると不謹慎な冗談を口にするとは思えなかったので、本人は気にしていない様子だが、護衛の増員についてブランカと勝手に相談することにした。
*
城塞の執務室に向かっていると、王立魔法研究所に貸し出されていた簡易研究室からちょうどリーサとアルフレッドとが出てくるところだった。 ロゼが目を向けると、アルフレッドは首を横に振った。
マーテルの森で採取した植物を調べていたのだが、どうやら目ぼしい成果は得られなかったようだ。
「詳細はまとめてあるので、これから執務室で助手から報告させて頂きますが、よろしいでしょうか?」
「はい、冒険者ギルドの交渉結果を報告するので、合わせて共有してしまいましょう」
都市長の執務室に入ると、ブランカは執務机に齧り付くようにまだ仕事を続けていた。
「ここから数日は何が起こるか予想できません。今の内に事務仕事を片付けておこうかと思ったのです」
「ご自愛くださいね」
「お言葉ですが、ロゼ様もくれぐれもご無理はなさらぬように。臣を想うのであれば、どうぞご自愛くださいませ」
心配して声を掛けると、優しくも厳しい諫言が返ってきた。
「ブランカちゃんも、ロゼ様の前でも、ぼちぼち肩の力を抜いてもええんちゃう?」
「貴女は抜き過ぎですよ、レネ嬢」
レネのからかいをブランカが窘める。
気安い二人のやり取りは、やはり長年の友情を感じさせた。
「皆様、紅茶の用意ができましたので一息つきませんか」
応接間に集まってリーサの注いだ紅茶を味わいながら情報共有を行った。
冒険者との交渉結果はレネの口から報告されて、やはりスピカとグリムの存在は大きな驚きを与えることになった。ブランカとアルフレッドから大き過ぎる不確定要素に難色を示されたが、直接交渉したロゼが受け入れているので、最終的には予定通りアンのパーティに『燈火』の救出を託すことになった。
「マーテルの森の植物には【流星魔法】の影響は見られませんでした。ただそれは周辺の魔素に対する影響が小さかったことを意味しています。アルフィ主任の推測の裏付けができただけではありますが、やはり術者の魔力に大きく依存する術式の可能性が高いです」
素人のロゼには理解できない内容だったが、レネは興味深そうにリーサのまとめた報告書を読み込んでいた。
「なるほどなー、あの規模を個人で発動するからには、周囲の魔素に大きな爪痕を残すものと考えたくなるけど、術者の大き過ぎる魔力と技量で抑え込んでいると。アホらしい術式を組んどるんがますます分かる人にだけは伝わるメッセージやと考えたくなるな」
リーサの報告は、研究者にとっては興味深い内容であるが、現在の状況を打開する材料にはなりえないというものだった。
続いてブランカからは城塞都市の状況について報告された。
「治安悪化に関してです。今のところ許容範囲に収まっていますが、荒くれ者の多い冒険者に行儀の良さを期待するのは贅沢というものでしょう。またこれに乗じて良からぬ企みを持った者が侵入をされる可能性があります。監視と護衛の体制は既に組み直してありますが、どうかお気を付けください」
一通りの情報共有を終えて、明日は正念場となるため早目の就寝をしようと解散となった。
リーサが食器を片付けて、アルフレッドは広げた報告書をまとめて、ブランカは残した仕事を片付けようと執務机に向かい、レネは体の凝りを解沿うと伸びをして――ロゼはその様子を眺めてぼんやりとしていた。
何かが砕ける音がした。
カーテンが大きくはためくのを目にして、窓ガラスが割られたのだと気付いた。絨毯の上に散乱したガラス片が照明を反射してきらきらと輝いている。
違和感を覚えた。
ガラス片が薄過ぎる。
都市長の執務室にここまで安っぽい窓ガラスを使用するだろうか。
「ロゼ様っ!」
気付いた時には、ロゼはレネに突き飛ばされて床に転がっていた。
駆け抜ける突風に髪が舞い上がる。
顔を上げれば、レネの首元がぱっくりと開いて血飛沫が迸っていた。まるで目に見えない刃物で切り裂かれたようだった。
状況を理解できずに呆けている間にも容赦なく時間は流れていく。
「――構うな!」
叫んだブランカは足元に纏わり付いた水に動きを封じられており、見る見るうちに這い上がってくる水が大きな水球を作り上げて閉じ込めてしまった。
アルフレッドはロゼの元へ駆け寄る途中でリーサの肩を力強く叩いた。
「戻せ!」
「はいっ……!」
リーサの【片付け魔法】が発動する。
ブランカを包みこんでいた水球が崩れ去り、水は独りでに床を這っていきガラス片のもとに近付くと、時を遡るように砕けたガラス片が小瓶を形作り、その中に弾け飛んだ水が吸い込まれた。
更に時は戻っていくと、小瓶は窓の方に転がっていき、やがて窓の外へ飛び去った。揺らめいたカーテンは元の位置に戻り、いつの間にかに開いていた窓が音もなく閉じられた。
砕けたのは窓ガラスではなく、投げ込まれた小瓶だったのだ。
「衛兵、緊急態勢! 窓の外をすぐに確認しろ!」
ブランカは騒ぎに気付いて執務室に飛び込んできた衛兵に素早くを指示を出す。
リーサは魔法を発動したまま、部屋中を見回して次の攻撃に備えていた。
アルフレッドに肩を揺さぶられて、ロゼはようやく意識がはっきりとした。
すべては一瞬の出来事だった。
「レネさんっ!」
ソファの陰――窓から死角になる位置にレネの体は横たわっていた。
アルフレッドがすぐに応急処置を施すが、深く抉られた首元から流れ出る血は止まらない。
死相が見える、とスピカは言っていた。
今まさに目の前でレネの命が失われようとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
セーブポイント転生 ~寿命が無い石なので千年修行したらレベル上限突破してしまった~
空色蜻蛉
ファンタジー
枢は目覚めるとクリスタルの中で魂だけの状態になっていた。どうやらダンジョンのセーブポイントに転生してしまったらしい。身動きできない状態に悲嘆に暮れた枢だが、やがて開き直ってレベルアップ作業に明け暮れることにした。百年経ち、二百年経ち……やがて国の礎である「聖なるクリスタル」として崇められるまでになる。
もう元の世界に戻れないと腹をくくって自分の国を見守る枢だが、千年経った時、衝撃のどんでん返しが待ち受けていて……。
【お知らせ】6/22 完結しました!
空手馬鹿の俺が転生したら規格外の治癒士になっていた 〜筋力Eのひ弱少年治癒士が高みを目指す!?〜
くまみ
ファンタジー
前世は空手部主将の「ゴリラ」男。転生先は……筋力Eのひ弱な少年治癒士!?
「資質がなんだ!俺の拳は魔法を超える!……と、思うけど……汗」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
俺は五里羅門(ごり・らもん) 35歳独身男だ。硬派すぎて女が寄り付かず。強すぎる空手愛と鍛え抜かれた肉体のせいで不本意ながら通称「ゴリラ」と呼ばれていた。
仕事帰りにダンプに跳ねられた俺が目覚めると、そこは異世界だった。だが転生した姿は前世とは真逆。
病弱で華奢。戦闘力最低と言われる職業の「治癒士」(ヒーラー)適正の10歳の少年・ノエル。
「俺は戦闘狂だぞ!このひ弱な体じゃ、戦えねぇ!
「華奢でひ弱な体では、空手技を繰り出すのは夢のまた夢……」
魔力と資質が全てのこの世界。努力では超えられない「資質の壁」が立ちふさがる。
だが、空手馬鹿の俺の魂は諦めることを知らなかった。
「魔法が使えなきゃ、技で制す!治癒士が最強になっちゃいけないなんて誰が決めた?」
これは魔法の常識を「空手の技」で叩き壊す、一人の少年の異世界武勇伝。
伝説の騎士、美少女魔術師、そして謎の切り株(?)を巻き込み、ノエルの規格外の挑戦が今始まる!
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
社会の底辺に落ちたオレが、国王に転生した異世界で、経済の知識を活かして富国強兵する、冒険コメディ
のらねこま(駒田 朗)
ファンタジー
リーマンショックで会社が倒産し、コンビニのバイトでなんとか今まで生きながらえてきた俺。いつものように眠りについた俺が目覚めた場所は異世界だった。俺は中世時代の若き国王アルフレッドとして目が覚めたのだ。ここは斜陽国家のアルカナ王国。産業は衰退し、国家財政は火の車。国外では敵対国家による侵略の危機にさらされ、国内では政権転覆を企む貴族から命を狙われる。
目覚めてすぐに俺の目の前に現れたのは、金髪美少女の妹姫キャサリン。天使のような姿に反して、実はとんでもなく騒がしいS属性の妹だった。やがて脳筋女戦士のレイラ、エルフ、すけべなドワーフも登場。そんな連中とバカ騒ぎしつつも、俺は魔法を習得し、内政を立て直し、徐々に無双国家への道を突き進むのだった。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる