幻の蘭室で君と憩う

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幻の蘭室

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「認知の歪み」とは、自分の持っているもともとの性格や、過去の経験に伴って形成された考え方によって、そこにあるものの解釈が一般的なものとはずれてしまっていることである。簡単な言葉で言えば「勘違い」「思い込み」とでも言うのだろうか。でも、確かに考えてみれば私とパワハラの加害者とでは一つのことに関する認識は違う。
片方は「大したことない」と思っても、片方は「重大なことだ」と思う。そういった認知の歪みがいじめやパワハラを起こしてしまうのかもしれない。もちろん、どんなことが理由であっても、いじめやパワハラは絶対に許されざる行為なのであるが・・・。
確かに、君が言う通り、人はみんなものの考え方が違うからね。合わない人もいるよね。勝手な勘違いして意味の分からないこと言ってくる人もいるし。
クレーマーってきっとその最たる例っすよ。私が食べるように勧めたチョコレート菓子をムシャムシャ食べながら、彼は言った。
勝手に、自分が何でもしてもらって当たり前、って思ってますから。自分、高校の時コンビニでバイトしてたんすけど、態度がすごく横柄な客がいて、こっちは初対面なのに、勝手に「タバコ、いつもので」って言うんすよ。初めて会う人なのに、そんなのわかんねえよって。それで「何番のですか?」って聞いたんですけど、だからいつものだって言ってるだろってキレられて。理不尽だなって思いましたよ。
そう、そういうこと。でも、教員が受ける理不尽って、職員からだけじゃないのよ。
どういうことですか?
モンスターペアレントって聞いたことある?ああ、あります。学校に変なケチつける親のことですよね。
そうそう。自分の子どもだけ特別扱いしてほしいとか、仕事で疲れていて朝起きれない。それで子どもを起こせないから、朝電話で子どもを起こしてほしいとか、色々。だけど、モンスターって親だけじゃないんだ。モンスターチルドレンって聞いたことある?
モンスターチルドレン?彼は少し考え込んで、それから口を開いた。ないですね。
そっか。要は、問題行動や問題発言をして教員を困らせる子どものこと。実は、教員が病む理由の中でもかなり大きいものでもあるの。
俺たちが先生の敵になるってこともありうるってことですか?
全員が全員ではないけど、ね。子どもの中にだって、大人にひどいこと言う子はいるよ。さっきの、私が初心者で何も分からない中手探りで授業を進めて、躓くとそれみたことかってみたいに野次飛ばしたり、わざと難しい質問したりする子ね。まあ、難しい質問は時間くれれば何とか答えられるものもあるけど、そこで私が答えられないことに被せて色々無理難題聞いてくる子とかね。というか、質問は基本的に授業中じゃなくて授業後とか放課後とかにしてほしいのが正直なところだけどね。だって、授業中は授業を聞くことがまず第一条件じゃない?私達だって授業をして教えることを仕事としてお金もらってるんだし。
それはタイミング的なものもあるんじゃないですか?授業中に「質問ある人?」って言われて質問することだってあるじゃないですか。
確かにね。まあ、授業中に「質問ある人?」って聞くこともあるけど、それは質問を公認してるわけじゃん。問題は、公認してないのにいきなり突拍子もないことを聞いてくることよ。さすがに、急に予想外な質問されたら戸惑うじゃない。だって、例えば、これまで今日の天気について話していたのに、いきなり明日明後日の気圧配置のこと聞かれたり、警報注意報で何が出るか聞かれたら戸惑うじゃない。天気のヲタクとか、もとから詳しい人ならすぐ答えられるだろうけど、素人にはパッと浮かばないから時間がかかるじゃない。それを、「答えられないのか」って野次飛ばされたら身にこたえるよ。
なるほど。
うん。生徒や親が教員に抱くイメージでよくあるのがさ、「先生は何でも完璧にこなせる、何でもやる」でも、現実世界、そんなこと全然ないから。できないことだってたくさんあるし、知らないことだってたくさんある。それは、さっきのいじめの話からも見えたかもしれないけど、現実そうだよ。
彼は、うんうん、と頷いた。
だけど、それを知らずに「先生だから何でもできるんじゃないのか」って突っかかってくる子どもの何と多いことか。先程のいじめの件以外でも、私はそういう子どもにかなり苦しめられた。それは、先程の地獄のような愛知県の工業高校を任期満了で辞めて、この目の前の教え子のいる岐阜県内の工業高校の機械科で1年、再び講師をやって、そこも任期満了で泣く泣く退職したあとに就職した、愛知県内の街中にある工業高校(初任のときとは違う学校である)の、今度は建設科に、期限付き実習助手として勤務していたときに起こったことである。
建設科、それは今まで機械系の学科や機械系の学部にしか所属してこなかった私にとって、未知の世界だった。
まるで、辞書や地図を持たずに身一つで海外に来たような、そんな感じだった。
そういえば、何か前LINEでそんなこと話してましたね。うん。
あれは無理ですよ。今までずっと機械系にしかいなかった人が、急に建設のことなんかやれないですよ。
そうなんだよね。まず基礎が違うから。それに、恥ずかしい話、私は建設科に入るまで「建築」と「土木」の定義さえ知らなかった。そんなド素人が当然建設科でやっていけるわけもなく。何の知識もないのに建築製図を見ろとか、測量をやれとか、無理にもほどがある。調べるにしたって、検索ワードや参考文献をどう集めれば良いのか、話はそこからだった。しかし、一度建設科の職員になってしまった以上、そんな話は生徒に通用することはなかった。当たり前のように製図とか土木CADの操作方法を聞かれるし、長期休暇中の課題の採点までやらされた。しかし、私はド素人。マニュアル通りにしか動くことができず、結果生徒や周りの職員のひんしゅくを買った。
さらに、不幸なことに、私の配属された部活は建設技術部という、建設科の中でも建設に対する意識が高い生徒たちの集まりだったため、当然私は部員たちから疎まれた。
「何もできないじゃん」と生徒から笑われ、そのことをバカにされた。それが私にとってどれだけの屈辱だったか、計り知れない。今まで機械系一筋、いや、当初私は数学者になりたくて高校時代は理学部を目指していたが、大学受験に失敗して、滑り止めで受かった工学部の機械学科にしか入れなかった。つまり、私は自分の夢を大いに曲げに曲げてここまで来たのだ。しかしながら、この工業科には、私と同じように畑違いに泣かされる教員が後をたたない。というのも、高校工業の教員免許は、他の普通科目が英語や数学、理科と分けられているのとは異なり、機械から電気、化学、デザインに至るまですべて統一されて「工業」の免許となっている。そのため、「工業」の免許には「機械」「電気」というようなくくりがないため、異動や非正規の配属は、人員不足なところから埋められていく。そうなると、これまで機械学科や電気学科でその勉強しかしてこなかった人たちが畑違いに泣くという事が起きるのである。また、工業科はもともと教員免許を取得しようという学生が少ない。というのも、もともと工学部の学生は「大学院や研究機関で研究をしたい」か「給料の良い会社で働きたい」の2パターンに分けられる。さらに、昨今の教員の労働環境のブラックさを受けて、仕事量の割に稼ぎにならない、と学生はますます教員を志すものが減っている。まあ。極論すれば、工業科だけでなく、他の学校種に至っては、教員を志す学生を育てる教育学部への受験さえも志願者が減っているのだから、ここまで話せば工業科教員の人手不足は容易に想像ができるだろう。しかし、その人手不足の中でさえも職員間のパワハラやいじめが起こっているのだから、教員の民度の低さが目に見えて見苦しい。しかもそこに、他学科、他専攻の職員が配属されて苦労しているのに、何のフォローやサポートもなくむしろいじめのターゲットにしているのだから、教員の精神疾患患者が増加するのは間違いない。いつから教員とはそんな心に余裕のない人間になってしまったのだろう。そして、生徒はどうして「やってもらって当たり前」「先生は何でもできて当たり前」という偏見を持つのだろう。
完璧な人間なんか、この世にはいないのに。
ついこの間まで勤めていた学校だってそうだった。

地獄のような建設科、体制の腐った愛知県に愛想を尽かした私は、岐阜県の採用試験を受けた。その結果、教諭の試験は2次試験で落ちてしまったものの、実習助手の試験は合格することができた。これまでの、地獄のような非正規から開放された喜びはひとしおだった。そして、配属された学校での配属学科は、電子機械科だった。
そのことは、建設科という畑違いで辛酸をなめまくった私にとって、大きな喜びだった。だけど、その喜びは、長くは続かなかった。
その学校、岐阜県の東の方にある小さな工業高校にはびこっていたのは、大人として信じがたいほどの自分勝手な教員たちや、体制の腐った愛知県よりはるかに質の良い教育をしているはずの岐阜県ではにわかに信じがたいほど甘やかされ、満足な教育を受けていない生徒たちだった。
もちろん、生徒全員がそういうわけではないし、ちゃんと自分で勉強できる生徒もいる。礼儀やマナーがしっかりしている子もいる。だけど・・・。
相手の抱える状況や気持ち、そういったものをまったく考えずに、自分の思うことだけ言って、あとは何もしない。そんな自己中心的な子が多い。それに、やってもらって当たり前。先生は誰にでも好意的なのが当たり前。ゴネれば何とかなる。確かに、この少子化の世の中において、子どもは最も大切にしなければならない存在である。それに、今の子どもは、表面上では平静を装っていても、その心の中では深刻な悩みを抱えていることが多い。家庭環境もそれぞれ違って、親から満足な愛情を得られず、愛情に飢えている子どもも多い。家庭だけでは解決できない問題も多い。それに甘んじ、誰彼構わず自分は無条件で愛情を受けられるものだと思う子どもが、何と多いことか。
そして、本来学校は、学びに来るための場所なはずなのに、勉強より部活に力を入れているところに、どこかの逃げや諦めを感じていた。どんなに質の良い教育を展開している県とはいえ、実はこの学校のように、過疎地域にある学校は、手厚い補助をあまり受けられずにいた。というのも、その土地の問題や地域文化の問題、生徒数の少なさ、という大きな問題がある。そして、生徒数の少なさから、クレーマーやトラブルが少ないこともあって、職員は居心地がいいらしく、異動を望まない者も多かった。そのため、やることなすことがマンネリ化しており、全てが中途半端だった。しかし、それでも教育が成り立ってしまうのだから恐ろしい。そのため、勉強より部活や暇つぶしのための学校、というのが私の感じた印象だった。
しかも、不幸なことに、私が配属された電子機械科は、実は機械系の学科ではなかった。いや、本来の定義でいけば「電子機械科」は、機械系の教員が多数いる中に電気系の教員が若干名いるというものだ。それが、私の学校では逆転していたのだ。そうなれば、実習はほとんど電子や電気系のものばかりになる。
せっかく建設科という地獄を抜け出したのに、またもや電気・電子という畑違い。いや、電気や電子は建設に比べれば100倍マシだが、それでも建設、しかも陰湿ないじめやパワハラに耐えた後で出くわした新しい畑違いに、その時の私は耐えられる力がなかった。心身ともに疲れきっており、新しいことを喜び勇んで学ぶ気力もなかった。
しかし、前述したように、生徒たちは私ができるものだと思って聞いてくる。反転電子機械科とはいえ、若干ながらも機械系の実習があったので、そこは答えられたが、電気・電子系はまるでド素人なので答えられない。そのことが、私のトラウマを呼び起こした。さらに、学科の教員たちも意地悪く、初心者であればサポートや指導が必要なことであっても、「自分でやれ」の一点張りだった。何でも、昔自分も独学でやったから、らしい。
しかし、人間は、どんなに性格が悪くても十界互具というものがある。意地悪な一面もあるだろうが、その反面、弱い立場の人や困っている人を助けたいと思う一面だってあるだろう。どんな罪人だって、自分の妻子を愛する。それと同じように、自分が味わった苦労を後継の人材にも味わわせるというのはなるべく避けたい、と思うものではないだろうか。彼らには、善良な気持ちは無いのだろうか。私は彼らの人間性を疑った。
さらに、学科を牛耳っていたのは、あの愛知の自動車科同様、勤続歴が長いだけで何をやっても許される、と思って、自分勝手な行動ばかりする実習助手だった。
しかし、彼が厄介なところは、彼は別に誰かをいじめたりハメたりしようと思って自分勝手な行動をするのではなく、全て悪気がないところである。
また、自分の気分やその時に思ったことで突発的に行動するので、急な予定変更が多い。さらにそのことに関して報連相がまったく無いため、急な予定変更に慣れていない私は彼に振り回されることが時々あった。
それに、色んなことを一緒にやろう、また声かけます、と彼に言われても、実際に彼からその「声」をかけられたことは一度もなかった。すべてのことは、いつの間にか勝手に終えられており、私はイライラが募った。もちろん、言われたことを真に受けて、「いつ頃やりますか?」と話を具体化しなかった私にも否はあるが。
でも、彼の自分勝手さに困っているのは、実は私だけではなかった。彼が受け持つ部活ー実はこれこそが私を精神疾患へと追い込んだ大きな要因となるのだが、彼はその部活でも自分勝手に色々なことを決め、本来主顧問に立つ教諭や、部員たちも振り回していた。その「部活」というのが、世の中にある部活動の中でも群を抜いてブラックな部活として名高い、吹奏楽部だった。
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