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ふたりの距離
憎たらしいのに切ない
しおりを挟む「森野さんの言うとおり、デートもパパドールも取り敢えずあとにしろ。七尾と黒崎に頼みたい案件がある」
金村チーフの声で、わたしたちは仕事モードに戻った。
「立っていないで座れ。駅前エリアの再開発プロジェクトに我が社が参画しているのは知ってるな」
「駅を含む商業施設の整備とそれに合わせた周辺の再開発ですね」
昨年末に老朽化した駅ビルを立て直した新たな商業施設がオープンした。有名なファッションブランドや海外のインテリアショップ、そしていくつものレストランが入ったモダンな外見のビルである。
「そのエリアの一角に、この春、医療モール施設がオープンする。ビルはある医療法人の持ち物で、そのモールの中に内科のクリニックと整形外科、歯科医院(デンタル)そして我が社の調剤薬局が入る。整形外科を除いたメディカル施設の開業までの整備手続きを、我が社が請け負った」
「整形外科は?」
「残念だが我が社のライバルであるウエルネス・ホールディングスが取った。クリニックとデンタルの請負契約締結までは別のセクションで済ませている。その先の仕事は俺たちの出番だ。開業までの法整備的なもの、設備や区画についてと行政への手続き届け出まで完結させる。調剤薬局については、いつものように薬剤師免許を持っている森野さんにお願いするとして…」
チーフが森野さんを見てうなずいた。彼女もうなずき返す。既に話がついているようだ。
「クリニックとデンタルについては七尾と黒崎に頼みたい。もちろんいつもどおり、俺も全力でサポートする」
わたしたちの会社の業務はメディカル関連施設のコンサルティングおよび全国に展開している調剤薬局とドラッグストアの運営である。
人にこう説明すると、全ての社員が医療関係の国家免許や何らかのメディカル資格や専門知識を持っているようなイメージを持たれることが多い。事実同じチームの森野さんは薬剤師だし他のセクションにも医療免許を持っている社員がいる。
しかし本社の業務は主として事務仕事であり、社長や専務、うちの課長も医学の知識などない。出身大学もメディカル関係の理系ではなく、わたしや黒崎くんと同じように普通の大学である。ちなみに課長の大学での専門は心理学。さすがにちょっと変わってる。
医学の知識と資格が必要なのは患者さんに接する現場であって、そこは医師や薬剤師の持ち分である。そして我が社が直営しているのは薬局とドラッグストアで、その他のクリニックなどは院長先生や医療法人所有であり、わたしたちのセクションは開業までの事務的な手続きをサポートする。
病院やクリニック、薬局を開設するまでは気の遠くなるような法手続きが必要となり、施設についても細かい規則があり勝手に作ってよいものではない。最低面積や窓の大きさ、患者さんの導線やドクターが手を洗う水場など「医療法」という法律を中心とした規則で全部決められている。
それらを管轄の保健所に相談しつつ何種類もの届け出をし、最後に厚生労働省管轄の窓口で大事な健康保険の届け出をしなければならない。全部に決められた期日があり、滞りなくそれらをクリアしないとクリニックは開業できないのだ。
責任は重い。しかしやり甲斐はある。間接的といえども病気の人たちの治療のための拠点づくりに関わるのだから。
「わかりました。クリニックとデンタル同時進行のコンサルですね?」
黒崎くんが静かな声で確認する。彼の表情は読めないが考えていることはわかる。一度に二つのメディカルをコンサルするのは初めてだから。わたしも初の体験だ。心なしか彼の表情にかすかな緊張が見えた。
「そうだ。開業予定のタイミングが同じだからな。同時に手続きを進めれば手間が省ける。と、課長は考えている」
「課長が?」
「そうだ。それに仕事に当たるのは、もちろん俺たちのチーム全体でだが、おまえ達にメインでやらせろという課長のお達しだ」
「えっ」
それは、仕事ぶりが認められたということ?
担当の割り振りまで課長が口を出すなんて初めてだ。
「課長に言われなくても二人に任せるつもりだったが。山村さんは体調不良だし、俺は自分の抱えている案件が土地の所有権の関係で予想外にトラブってすぐには動けない。今回の仕事で問題があるとすればクリニックとデンタルが別々の医療法人の経営という点だが…まあ七尾はもうベテランだから大丈夫だろう。問題が起きたらいっぺんに解決しようとはせず、一つひとつ潰していけばいい。これが資料だ。あとのデータはいつものフォルダに入ってる」
「大丈夫よ。今回も二人で共同すれば何の問題もないわ」
「ええ。よろしくお願いします」
チーフから資料を受け取り、黒崎くんと顔を見合わせる。彼の表情からはさっきまで緊張は消えていた。
大丈夫。
二人でやればオールクリアだ。
「何か質問はあるか」
「薬局の開設はいつものとおりですか?」
「ああ。薬局は先行しての開業だが、森野さんが取り仕切るので二人は心配しなくていい」
よし!
じゃあ早速…ってもうお昼だ。
腹が減っては何とやら。
「ところでみんな。今晩プライベートな予定がなければ、ちょっとワインを飲みに行かないか」
「ワイン?チーフそれは新年会的なノリで?」
「そうだ七尾。駅ビルに開店したワインバーが料理もリーズナブルで美味いと聞いた。インフルエンザで休んでる山村さんには悪いが、今日まで有効の割引券があるんだよ。どうだろう。みんなで行かないか」
「行く!行きます!」
真っ先に手を挙げたわたし。ワインは大好き。飲み過ぎるのが玉に瑕だけど。
誰も異論はなかったので急な新年会はあっさり決まった。財布を取り出しながら昼食をどうしようか考えていると、黒崎くんが話しかけてきた。
「先輩。メシに行きませんか?」
「いいよ。もちろんきみのおごりね」
「その“もちろん”の意味がよく分かりませんが」
「だって、さっきわたしに酷いことをしたじゃないか。だから…」
「ねえ七尾さん。たまには私と行かない?女同士でさ。悪いけど彼抜きで」
急に割り込んできたのは森野さんだった。この人にランチに誘われるなんて珍しいこともあるものだ。女二人の空気を読み、
「じゃあ俺は…」
彼は離れて行った。その顔にほんの一瞬だけ切ない影が走ったのを見逃さなかった。それはわたしにしか分からなかったに違いない。
たかがお昼ご飯ごときで大げさな。
でもやっぱりちょっとかわいい。
でも…こっちまで切なくなるから、あんまりそんな顔を見せないで欲しい。
「森野さん、どこに行きます?」
「私がよく行ってる自然食のお店でもいいかな。玄米ご飯とか無農薬野菜中心のお料理なんだ」
「わあ楽しみです!」
そう言いつつも、野菜中心のお昼じゃあ後でお腹減っちゃうと思うわたしだった。そう、わたしはどちらかと言えば(見かけによらず)ガッツリ肉食系。七尾の食べっぷりは男に負けないと友人に言わしめた程。でもここはせっかく目上の人に誘われたのだから森野さんを立てないとと思い、余計なことは言わずにスカートの裾を翻して笑顔で付いて行く。
お腹が減ったら黒崎くんからもらったパパドールを食べればいいもの。
「ランチでいいかな。早く出てくるから」
「お任せします」
お店はほどほどに混んでいた。お客さんは百パーセント女子。それはそうだろう。男性ではここのメニューは物足りない。そしてわたしも。
「それでさぁ。黒崎くんと付き合ってるの?」
「ぐっ!…」
きんぴらごぼうを食べている時にいきなり核心の質問をぶつけられ、喉につまらせそうになった。笑顔でも森野さんの目つきは鋭い。
「お正月明けてから急に仲が良くなったよね」
「えっ、そんなことは…」
「お正月に何かあったんだ。たとえば初詣一緒に行って告られたとか」
「がふっ…」
「あら大丈夫?しかし七尾さんて分かりやすい人ね」
今度は気を落ち着かせようと飲んだお茶にむせてしまう。
…分かりやすい女。また不名誉なことを言われた。
「どうなの?」
「そんなことどうして聞くんですか?」
「もしそうならあなたに忠告しようと思って」
「忠告?」
「彼はやめたほうがいいわよ」
「えっ?」
付き合わないほうがいいって、どういうこと?
まさか悪い噂を聞いているとか?
「何か黒崎くんのことを知ってるんですか?実は悪い男だとか」
「そうじゃないんだけど…」
森野さんは口を濁した。
…なあんだ。そうじゃないのか。
それならどういうことなのか余計に聞きたくなる。
「わたしね。バツ二なの」
「は?ばつ…」
「結婚した男二人とも黒崎くんみたいに一流大学出身の超イケメンでね。もともとわたしほら、面食いでしょ」
「はあ…」
でしょって言われてもそんなこと初めて聞いた。
でもそれが彼とどういう関係があるの?
「それでね。その男の中身をよく知らずに外見だけ気に入って突っ走って出来ちゃった婚したんだ」
「えっ!冷静クールの森野さんができちゃった婚…」
「結婚してみてわかったのは、外見に釣り合うほどの中身がある男じゃなかったということ。大失敗だったわ」
「そうだったんですか」
確かに外見に釣られてという恋はある。わたしにも身に覚えがある。でもそれが何なの?
「だから、黒崎くんのようなイケメンの外見に騙されちゃいけない。しっかり中身を見極めないととんだジョーカーを引くことになりかねないわよ」
「はは…ジョーカーですか…」
それは大丈夫。壁ドンで間近に迫られた時はあまりに綺麗な顔だからウットリしちゃったけど、クラクラきてやばかったのは、深みのあるいい声でわたしへの愛を熱く激しくキスもセットで語られたからであって、断じてイケメンだからよろめきそうになったわけじゃない。
わたしだってイケメンは好きだけど女子ならみんな好きだろうし、それにイイ男に免疫がないこともないから森野さんの心配は杞憂だと思う。
…わたしが悪い男に引っかからないように忠告してくれたんだ。
「ご忠告ありがどうございます。でもわたしたちまだ付き合ってるわけじゃないんです」
「あら、そうなの?そうは見えなかった。てっきりもう最後まで行ってるのかと思ったわ」
「最後までって…」
さらっとすごいことを言う。人は見かけによらないのね。
森野さん、口が堅そうだしちょっと意見を聞いてみようかな。
「絶対誰にも言わないって約束してくれますか」
「わたしが口が軽い女に見える?」
「いいえ。まったくぜんぜん」
「なら話してみなさいよ」
「黒崎くんに告白されたのは事実なんですけど、わたし、自分の気持ちがよく分からなくて」
「そこをもっと詳しく」
はあ、と、ため息をついてから、なめこのお味噌汁を一口飲んだ。
やっぱりお肉が食べたい。
「彼への好意はあります。でも恋愛感情的な好きというのとは違う」
「うんうんよく分かる」
「そう彼に言ったら、俺は諦めないと言われて。でもこの先も自分の気持ちが進展する気がしないんです」
「うーん。なるほど」
「わたしはどうすればいいでしょうか」
わたしを見つめてくる彼の目。その熱いまなざしはわたしを切ない気持ちにさせるのだ。するとあっけらかんとした声で森野さんが言った。
「何もしなくていいんじゃない」
「えっ?…ごふっ」
驚いた拍子に、今度はにんじんサラダが喉に詰まった。
…何もしない?
「どうすればいいかと悩んでいるのは、無意識にせよ彼のために変わりたいと思ってるんだよ」
「あ…」
「だからあとは時間が解決してくれると思う。焦らないで。あなたは大人で素敵な人だから、私に言われなくても、いつかそのことに自分で気づいたと思う」
「ああ…」
わたしの愛は焦らないと決めている。でも毎日彼の熱い視線にあぶられているとそれを忘れがちだった。
「若いのに面倒見がよくて誰に対しても同じように明るい笑顔で接して仕事ができる」
「え、誰が?」
「あなたのこと。七尾さん。それに美人だしね。仕事もそうだけど、今日の話を聞くと男の経験もそれなりにありそうだし、私、余計な心配してたらしいわね」
わあ。仕事ができるとか美人とか、褒め言葉が豪華にいっぱい散りばめられていた気がする。今までこの人とこんなに話したことないし、それにもっと怖い人だと思っていた。
「今度ふたりで飲みに行こうよ。そこでこんな場所じゃ話せない恋バナをいっぱいしない?」
「行きます!森野さんのことも、もっと教えてください」
「そうね。あ、そろそろ行こうか」
二人ともとっくに食べ終えていたので、席を立って割り勘で会計を澄ます。森野さんは奢ってくれると言ったけど、相談して気分がすっきりしたのでわたしが奢りたいと言ったら、じゃあせめて割り勘でとなったのだった。
でも野菜中心のメニューはもういいかな。確かにヘルシーかもしれないけど手ごたえがないというか…すぐにお腹が空きそう。オフィスに戻ったら歯磨きする前に、こっそりパパドールを食べよう。
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