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序話:江戸にて

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 戦国時代のいつぞや、伊賀南方の地侍に『病葉わくらば』なる姓の者がいた。当時の伊賀は地侍すなわち上忍と、しもべである下忍の厳しい上下関係のもと統治されていたが、地侍らを束ねる大名はおらぬ。

 伊賀を代表して国を守る者がいないため、地侍たちは伊賀惣国一揆いがそうこくいっきもとい伊賀十二人衆なる組合を結成し、有事の際は団結して伊賀を守る掟を主としている。

 伊賀惣国一揆は十二人の地侍が加盟しており、伊賀の国防等の協議をするにあたっては強い発言権を持っていた。

 さて、話を戻すと、その十二人の地侍に選ばれなかったものの、ひっそりと南方を治めていたのが病葉家である。

 伊賀十二人衆そのものは、織田信長による伊賀侵攻にて敗北した際に解体され、十二人衆の一人である布生大善うのうだいぜんの傘下にいた病葉家も後ろ盾を失った。

 さらに、病葉家に生まれた長女と嫡男は、生まれつき日光を受け付けぬ身体であった。日に当たれば肌が爛れ、長く日の下にいれば息すら困難となる病である。

  この病弱な姉弟のほかに跡継ぎのおらぬ病葉家は、自らが治める領地の下忍らにとって、下克上を引き起こす格好の獲物となった。

 もとより伊賀者は忠義などを美学としておらず、目先の利益を史上として生きるため、弱った主人を討ち取るのは当然であろう。

 瞬く間に病葉家は下忍たちを抑えられなくなり、唯一、生き残った嫡男だけが分家に引き取られた。
 分家の叔父が幼い嫡男の後見人として実質の当主となり、武装蜂起した下忍衆を鎮圧したため、この下克上事件は幕を閉じたという。
 
「それで、その分家の叔父とその仲間を、皆殺しにしちまったのが《保田ほだの至宝》ということよ」

 《保田の至宝》の名に相応しく、その忍びは五十年以上、保田家の忍びとして使仕えている。さらに、自らの領内から輩出した忍びも、保田家に忠誠を誓わせているという。

 さて、時は江戸へと進み、所は伊勢国津藩いせのくにつはんを治める藤堂家とうどうけの江戸屋敷となる。

 今宵は新月のため闇がいっそう深いので、同じ伊賀からやってきた忍び衆が、わずかな道の灯籠ののみを頼りに、足音を殺した。

「関ヶ原くらいの頃の話だろう。ならば、今は年寄りだ」

 まだ若く、血の気の多い忍び衆らは、噂に聞く《保田の至宝》を侮っている。天下分け目の関ヶ原合戦はすでに、遠い昔話となりつつある。それほど昔から生きている忍びならば、今頃、腰も曲がっているに違いない。

「とはいえ、奴は叔父の首を売ってまで、保田……いいや、藤堂家を後ろ盾にしてきた男だ。城代が藤堂元住であれば、間違いなく書状を持って出てくる。間違えても構わん、迷わず斬れ」

 忍び衆の懐や袖口で、暗剣が光る。杖に隠した槍を持つ者もいる。

 伊勢国津藩の藩邸から出てきた影に、忍び衆が身構えたところで、最後尾の忍びの肩が叩かれた。 

「もしもし」

 足音どころか、気配すら掴ませなかった。

 白髪の男が屈託のない微笑みを浮かべつつ、ゆらりと剣を踊らせた。
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