かくまい重蔵 《第1巻》

麦畑 錬

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⑻かくまい人、寺へゆく

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 神田・末広町に建てられた阿母寺あぼじの境内を、木枯らしが吹きぬけてゆく。

 風に弄された落ち葉が、倒壊寸前の手水舎に溜まっていた。

「ここは、本当に寺なのか」

 重蔵には、この寺が廃墟にしか見えなかった。

「なにしろ、住職の沢庵たくあんどのは、還暦をとうに過ぎておられます。ほかに僧侶や寺稚児はいないので、ひとりで寺の管理をなさっているのです」

 勝之進が言うに、沢庵の老体では、阿母寺全体の管理をするにも限界があるのだそうだ。

 寺社役同心の職務についてからは、勝之進が見廻りの折に草をむしって、定期的に境内を整えていたという。

 それでも、雑草というのは育つのが早い。地面を覆う草葉が足元を隠すので、重蔵は何度も足を取られそうになった。

「おや、これは間島さま。ようこそおいでくださいました」
 
 やってきた勝之進を迎えたのは、沢庵である。

「熊沢さまはちゃんと、間島さまのところへ来てくださったようですな」

「もしや、あなたが熊沢どのに私の話をしてくださったのですか」

「左様」

「かたじけない、沢庵どのにまで助けていただいて」

「なに、間島さまには日ごろからお世話になっておりますゆえに」

 沢庵はか細い眼孔の奥から、重蔵へ視線をくれた。

「貴殿が、かくまい稼業のかこいさまで」

「私のこともご存じだったのですか」

「熊沢さまからは、以前から囲さまの話を伺っておりました。それはそれは、たいそう褒めておられまして」

「それは、私の腕前でござりましょうか。それとも顔でござりましょうか」

「一に顔、二に腕前ですな」

「はあ……」

 重蔵は呆れ果てた。

 左近とは父同士の縁で知り合ってはいたし、同じ一刀流いっとうりゅう道場に通っていた門弟のよしみもある。

 真面目な重蔵に、放蕩な左近というちぐはぐな組み合わせながら、ふたりはそれなりに気軽な会話ができる幼馴染の関係があった。

 ところが、左近の面食いが災いして、二人の友情に裂がはいる。

 重蔵の屋敷で酒を飲み交わしていた時、酔った勢いで押し倒された。それをきっかけに絶縁したが、左近のほうはいまだ重蔵を忘れていないらしい。

「熊沢さまは少々……欲望に素直すぎるところもおありでしょうが、あのお方には嘘がございませぬ。彼の見込んだ剣士であれば、あの子を殺さずに間島さまを救えると言じており
ます」

「あの子、とは」

「討手のお鈴さまにござります」

 すでに脅威の代名詞として印象づけられた女の名に、傍で聞いていた勝之進の顔色が悪くなった。

「沢庵どのは、お鈴どのもご存じで?」

 勝之進が訊くと、沢庵はおもむろに本堂を指でさす。

 荒廃した本堂を眺めるころには、沢庵の口元から微笑みが消えている。

「五年前の麻疹流行のおり、お鈴さまはようお父上とともに参られました。可愛らしいお顔立ちに、弱きを助ける立派な志、忘れもしませぬ。お父上とともに食料や、寒さをしのぐ古着を集めてくださいました」

「……それほどまでにお鈴どのを思っておられるのなら、なぜ私に味方をしてくれたのですか。無実とはいえ、私にはお鈴どのにとって仇の疑いがあるというのに」

「かかっ」

 沢庵が急に大きな声で笑いだすので、重蔵も勝之進も肩を並べて飛び上がった。

「間島さまのようなお方が、どうやって人など斬り殺せましょうか。貴殿の手は血の汚れより、草と土の汚れがよう似合います」

 腹から笑声を絞り出す沢庵のとなりでは、勝之進がほだされたように破顔していた。

(よかった)

 重蔵の屋敷に駆け込んでからも、勝之進は常に不安げだった。

 そんな男がようやく見せた安塔の表情に、重蔵も胸をなでおろしたくなる。

「それに、熱海さまを殺したのが間島さまではないと、断言できる証拠もございます」

「どのようなもので?」

 と、重蔵。

「熱海さまは殺される前に、あの本堂の裏で人を待っておいででございました。それも、ちと剣呑なご様子で」

 沢庵によれば、死ぬ直前の熱海兵衛は、懐に書物を一冊、大切そうに抱えながら人を待っていたそうな。

「以前から何度もこの阿母寺を訪ねていらっしゃりましたゆえ、なにか調べることでもあったのかと思うておりましたが」

「ここへ来た理由について、貴殿に話してはおられませんでしたか」

「しいて言うなら、寺社奉行の同心の方々については聞かれておりました」

「彼はなんと」

「五年前、寺社で捕まえられた薬売りや医者は何人いるかとか、怪しい薬が出回っていないかとか」

 沢庵が話す横で、重蔵と勝之進は互いの顔を見合わせた。

 五年前といえば、麻疹の流行とともにの薬売りが扈した時期と一致する。

「町方は寺社内で罪人を検挙できない。それでも、兵衛どのは自分が病人のために通い詰めた場所を、自分なりのやり方で守りたかったのであろうか……」

 呟く勝之進の声に、無念が宿っていた。
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