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(28)かくまい人の崩落
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視界が薄く白んできた。
底冷えする寒さに目を覚ますと、掛布団がわりの羽織がめくれていた。
(寒いわけだ)
急いで羽織をひったくろうとした瞬間、かじかむ指の間から手紙が落ちた。
枕元に置いていたものを、寝ぼけて手に取ったのだろう。
山際から出てきた朝日が江戸を覗き込むと、朱い陽光が寝間へ差し込んでくる。
西日をしのぐ強烈な日光に目を突かれ、重蔵は部屋の奥へと首を回した。
奥側に寝ていたはずの勝之進はおらず、布団と寝間着だけが端正に折り畳まれている。
重蔵はようやく、勝之進が明け方に出て行ったのを思い出した。
夢現に、お花になにかを言われた気がしたが、おそらくは勝之進であろうと思った。
(とうとう行ってしまった)
勝之進はいまごろ、仇討試合のために延命寺へと急いでいるのだろう。
――お花を信じてやってほしい。
屋敷を去る直前、勝之進がそのような旨のことを、迷する重蔵に訴えていた。
(せめて、中身を見るくらいは、してやるべきではないか)
この手で守れなかった勝之進への、せめてもの手向けとして、重蔵はほんの少しだけ勇気を振り絞った。
こわごわと包み紙を破くと、震える指先で手紙を取り出した。
手紙の冒頭には、丸みのある筆跡で《囲重蔵さま》と綴ってある。
『どんな重さんも、可愛くて好きよ』
重蔵がかつて送った文の返事であろうか、なにかへ応えるような文面から始まっていた。
紙面へ綴られた文字がお花の声を受肉して、耳孔の奥へと流れ込んでくる。
手紙を読み終えたところで、重蔵の手が力なく床へ落ちた。
持ち上げるにも、腕に力が入らなかった。
文字のひとつひとつを頭に入れるうちに、重蔵も自分が綴った文の内容を思い出してきた。
自分は女人を外へ連れるのが初めてで、下手な付き添い方をしてお花を幻滅させるかも、などと、悲観めいた一文を書いた。
それに対するお花の手紙に、悪口など一言も書いてはいない。
『迎えに行くから待っていてね、あたしの可愛い人』
きっと、麻疹にかかる以前に書いたものなのだろう。
文面はそこで終わっている。
いつも通りの短い手紙だが、綴られた字の向こう側には、文机に姿勢よく座りながら、優雅に筆を滑らせるお花が想起された。
《あたしの可愛い人》
お花が好んで、重蔵に使った言葉だ。
人前では弱みを見せまいと努めている重蔵だが、その実、お花に甘やかされると、自分でも驚くほどに幼稚で情けない本性が出てしまう。
だが、そんな重蔵を見ても、お花は幻滅するどころか、嬉しそうな顔すら浮かべてくれた。
(花ちゃんはいつだって、私には優しかったではないか)
重蔵は己を深く恥じた。
人を殺したことさえ笑って許してくれるほど、お花は重蔵の汚点を受け入れてくれる。
それを悲観にくれるあまり、忘れていた。
再び手紙へ目を通すと、お花が重蔵を抱き寄せた感覚が、ありありと蘇ってくる。
蘇っては、お花がもうこの世にないことを実感させた。
すると、重蔵が失意の底にいるところへ、何者かが家の戸を叩いた。
(客人か、それとも駆け込みか)
助けを求める者が駆け込んできたのならば、重蔵は家業として匿わなくてはならない。
「待たれよ」
無理に背を伸ばし、武士らしく顔貌を引き締めて勝手口へ急いだ。
玄関先で待っていたのは、失踪したはずの熊沢左近である。
顔に包帯を巻いていたせいで、左近だと認識するのに時を要した。
「熊……」
「おい、重の字よ。勝之進はどうした」
左近の問いかけが、重蔵の傷口に塩を塗る。
仇討試合のことを、左近はまだ聞かされていない。
「勝之進どのは」
重蔵が事情を説明しようと息を吸った利那、
「おめぇ、大丈夫か」
左近が狼狽えた声で訊いた。
虚を突かれて顔を上げると、いつも飄々と笑みを湛えている左近の面に、露骨な懸念の色が表れていた。
「だい、じょ……」
たったひと言返すのに、声が震えた。
きゅっと唇を結んだが、目頭はみるみるうちに熱くなってゆく。
初対面の人間が来たのだと身構えていただけに、重蔵は見知った顔を前にして、不意に気が緩んだ。
「ずっ」
顔だけは厳めしく取り繕ったものの、鼻を啜った拍子に涙がこぼれた。
いちど涙が伝うと、もう目の力では抑えきれなくなった。
重蔵はその場にしゃがみ込むと、静かに泣いた。
熱い雫が肌を伝っていくと、濡れた頬が冷たく薄れた。
めっきり、武士として、男として弱くなったのを痛感しながら、重蔵はお花の前でしか見せなかった有様を晒した。
「……なんだか知らんが、辛いことを話させたな。気が済んでからでいいから、俺に話しておくれ」
左近は優しく伝えると、重蔵を屋敷の中へと導いた。
◇
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