その声で囁いて

UTAFUJI

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第一章

2話

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♪~~~~!!

「っ……うわっ!?」

 突然の爆音に、心臓が跳ねる勢いで飛び起きた。
 椅子が軋み、机の端に肘をぶつけて顔をしかめる。鈍い痛みがじん、と走り、思わず眉を寄せたまま、ぼやけた視界を乱暴にこすった。

 まだ寝ぼけた頭では、状況がうまく飲み込めない。
 だが、視線を少しずらせば、すぐ隣に座っているレイの姿が目に入った。スマホをいじりながら、悪びれた様子もなくニヤついている。

「お前、なに……マジで……」

 ぼんやりした声で睨みを利かせれば、レイは肩をすくめてへらりと笑った。

「いや、音量確認してなかった俺も悪いけどさ……よくあんな姿勢で寝られたね? 机にめり込んでたけど?」

「うるせぇ……っつーか、俺寝てたのか……」

 少し乱れた髪を手で治しながら、ぼそりと呟く。
 どうやら思っていた以上に、気が緩んでたらしい。

「うん、完全に。しかもけっこう可愛い寝顔してた。撮っとけばよかったわ~」

「死にたいか?」

「わー!シキくんこわーい」

 反省ゼロの顔が腹立たしいやら、気が抜けるやら。
 さっきまでの眠気は爆音と一緒に吹き飛んで、俺は背もたれに体を預けるように深く息を吐いた。

「ん?あー、シキくん、ちょっと顔こっち向けてー」

「は?」

 訝しんで顔をしかめる間もなく、レイの指先がするりと俺の頬を撫でた。

「ここ服の皺……くっきりついてるよ。」

「……は?」

 反射的に手で触れると、頬のあたりにざらっとした違和感。
 まさかと思いつつ指先でなぞれば、確かに、そこには無惨な跡が刻まれていた。

「……マジかよ……最悪……」

「うん。これは芸術レベルだね」

 なぜか感心したように言うレイの声に、俺は天井を仰ぎたくなった。まだ仕事なのに最悪だ。

「てかさー、シキくんほんと綺麗な顔してるよね~。寝顔見て、思わずちゅーしそうになったよ」

「……は?」

「いやー、無防備なところ見せるのが悪いね」

 ふざけた調子で続けるレイに、嫌な予感が背筋を這う。

「……おい、してないよな?」

「さて?どうだろ~!……って、そんな睨まないで!してないしてない、ほんとに!」

 両手をバタバタさせて大袈裟に否定する姿に、ますます疑わしくなってきた。

「でもさ、シキくん……キスされても、たぶん気づかないでしょ? あんな寝顔見せといて」

 低く笑うレイの声に、背筋がぞわりと粟立つ。

「……うっざ」

 呆れ混じりに睨んでも、当の本人はまるで気にしていない様子で、ケラケラと楽しげに笑っていた。

 「そんなシキくんにこれあげちゃう~」と、俺の目の前に缶コーヒーを置いたこいつ――レイは、俺がこの店で働き始める少し前に入った、ほぼ同期みたいなやつだ。

 やたらとフレンドリーで、初対面でも平気で距離を詰めてくるし、気づけばいつも輪の中心にいる。
 正直、最初は苦手だった。自分とは正反対すぎて、どう接していいかわからなかった。

 (……そういえば、こいつの印象が変わったのも、あの“コーヒーぶっかけ事件”からだったな)

 あの直後、俺は休憩室でシャツを脱ぎ、タオルに包んだ氷水を首筋に当てながら、無言で熱を持った肌を冷ましていた。

 「……肌白いから、余計に、痛そうに見える」

 不意に背後からかかった声に、びくりと肩が跳ねた。
 振り向けば、レイがいた。
 いつもは飄々として軽口ばかりの彼が――そのときだけは、違っていた。
 
 目元は笑っていなかった。いや、むしろ、怒っているようにも見えた。
 俺の頬や首筋を無遠慮に這うように、その視線はじっと赤く染まった肌を見つめていた。

「鎖骨もちょっと赤くなってるし……目に入らなくて、ほんとによかった」

 痛々しいものを見るように少し顔を歪めて、レイが手を伸ばしてくる。
 思わず身を反らせば、背中が机にぶつかってガタンと鈍い音を立てた。

 逃げ損ねた俺の頬に、彼の指先がふれる。

 彼の指先は少し冷たくて、それが火照った肌に妙に心地よくて。
 ……だからこそ、俺は反射的に動けなかった。

 「……ごめん。痛かったでしょ」

 そのときのレイの声も、表情も、どこまでも静かだった。

 誰かから一部始終を聞いたのだろう。だからわざわざ様子を見に来た――たぶん、それだけのことだ。

 それからだ。火傷の痕を確かめるみたいに、頬や首に触れられることが増えたのは。

 最初は、軽々しく伸びてくる手を何度も払いのけていた。けれどそのたびに、レイはほんの一瞬、寂しげに目を伏せる。

 嫌なことをしてくるのはあいつのほうなのに。なんで俺が、そんな顔されなきゃいけないのか。そう思っても、あの目だけは、どうしても頭から離れなかった。

 伸ばされる手を拒まなければ、あの顔はしない。だから俺は、気づけば何も言わずに、好きにさせるようになっていた。

 火傷が治った今も、レイのその癖は変わらない。
 触れられる理由なんてもうないのに、 まるでそれが当然みたいに、当たり前の顔で頬や首に触れてくる。

 そして俺も、それを拒まないことに慣れてしまった。

「てかその跡、たぶん蒸しタオルで温めれば薄くなると思うよ? ……ちょっと待ってて」

 そう言い残して、レイはさっさとどこかへ走っていった。

 数分後、小さなタオルを持って戻ってきた。

「はい、できたてほやほや。俺の私物だけど使っていいよ、感謝して?」

「……お前の?」

「うん、俺こういうとこちゃんとしてるからね~。お泊まりセットに入れてたやつ。ちゃんと洗ってあるし、清潔清潔!」

 にこにこ笑いながら差し出されたタオルに、思わず手が伸びた。
 湯気の立つ布はふわふわで、頬に当てると驚くほど気持ちよかった。

 まさか、ここまでしてくれるとは思わなかった。

「……ありがと」

 小さく呟いたその瞬間、レイの表情が、ほんの一瞬だけ驚いたように見えた。
 けれど次の瞬間には、いつものようににやけた顔が戻ってきて――

「えー、今日は珍しく素直じゃん!」

 茶化すように言いながらも、どこか嬉しそうにも見える。俺は手元のタオルを頬に当てながら、ぼんやりとその顔を見つめていた。

「お礼はまた一緒に飲み行くってのはどう?焼肉奢りとかでもいいよ?」

 擬音がつきそうな勢いで、笑顔を浮かべるレイ。その姿に、思わず口元が緩む。

「奢りは無理。普通に飲むだけなら、まあ……別にいいけど」

「やった~!今日行こ!仕事終わりさ!いいじゃん、決定~!」

 テンション高くスマホを取り出して、「どこ行く?何食べたい?」と浮かれながら喋るレイを俺はしばらく黙って眺めていた。

 そして――ふとカレンダーに目をやって、ぽつりと呟く。

「俺は別に今日でもいいけど……今日って忘年会じゃなかったか?」

「……あっっっ!!!!!」

 レイの顔から笑顔が消え、徐々に眉が下がっていった。  
 片手にスマホを持ったまま、頭を抱えてその場でしゃがみ込む。

「マジか、そうだわ、今日だったわ……しかも店長主催、さすがにぶっちできねぇ……」

 あまりにも分かりやすく絶望してるその様子に、思わず俺は口元を綻ばせた。
 普段どれだけ飄々としていても、こういうときに本音がポロッと出るあたり――こいつ、案外わかりやすい奴だよな、なんて思う。

「ドンマイ。"二人での"飲みはまた今度な」

 ぽつりと返すと、レイはほぼ反射で顔を上げた。

「シキくん、いつ空いてる!?リベンジの日決めたいから!早めに教えて!!」

「知らん。空いてる日あったら連絡する」

「それ~! 絶対来ないやつ~! 連絡待ってるからね!? 絶対だからね!」

 ぴーぴー喚いてる声をBGMに、俺は無言で温かいタオルを頬に当て、もらった缶コーヒーのプルタブを引いた。小さく響く開封音とともに、苦味のある香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
 ひと口。口に含んだ瞬間、肩の力が少しだけ抜けていくのを感じた。

 ひと口飲んで、はぁ、と長い息を吐いたところで、やっとレイの声が止む。

「……あ、そういえば」

 思い出したように言いながら、レイが俺の隣にどすんと腰を下ろした。

「後輩くんがさ、シキくんのこと怖がってたよ。話すとき、もうちょい笑ってあげなよ~」

「……人見知りなんだよ、俺。緊張ぐらいするだろ、まだ」

 そう言いながら、自分で言っててなんだかむず痒くなる。

 人見知り――。

 この歳でそれを言い訳にするのもどうなんだって思いながらも、やっぱり簡単には変われない。
 言葉にした瞬間、少しだけ心の奥をさらけ出したような気がして、缶コーヒーに口をつけて誤魔化す。

「まぁ、俺もシキくんと仲良くなるのに半年ぐらいかかったもんね。すぐ仲良くなんてなられたら、めっちゃジェラシーだし全然いいけど~」

 軽口を叩くレイに、思わず声を上げる。

「そんなにかかってねぇだろ!」

「いーや?かかったね!」
 即答だった。

「めっちゃ好きな顔面のイケメンが入ってきたからさ~、仲良くなろうとこっちは頑張ってたのに、めっちゃ塩対応されて撃沈したもん」

「別に俺そんな顔面整った方じゃねぇだろ。なに言って――」

「は?俺はシキくんの顔、めっちゃ好きなんですけど?ずっと言ってんじゃん!」

 真顔で言い切ると、レイは空いた手で、タオルを押さえていないほうの俺の頬をつまみながらぷにぷにと撫でるように触ってくる。

「だから火傷したとき、本当に気が気じゃなかったんだから~」

 その手に抗うこともなく、俺はされるがままになりながら、目の前のレイの顔をじっと見つめた。
 ――近い。

 (……こいつの方が、よっぽど綺麗な顔してんのにな。なに言ってんだか)

 その視線に気づいたのか、レイがふっと笑みをこぼす。

「ん?なに?どしたの?」

 首を傾げてのぞきこまれ、思わず視線を逸らしかけた瞬間、レイがにやにやと笑う。

「おやおや~?シキくん照れてるね~、そっかシキくんはこの顔が好きなんでしたね~」

 弾けるような笑みとともに、レイが頬をむにむにと摘んでくる。
 うっとうしい――はずなのに、その手つきはどこか、くすぐったいほどに優しかった。

「ねぇ、シキくんってさ、自分が思ってるよりも美人さんだからさ」

 レイの声が少し落ち着いたトーンに変わる。
 ふざけた調子はそのままなのに、ほんのりと優しさが滲んでいた。

 「無表情だと、ちょっと怖いんだよ。接客の時はちゃんと笑ってるのに、裏に入った瞬間、ふっと表情が消えるでしょ?」

 その言葉に、ほんの少しだけ心がざわついた。

 「で、その上で塩対応されると、あ、俺嫌われてるのかな~ってなるから。……だからさ、ちょっとだけでも笑ってあげてね。裏でも。後輩くんにも」

 しばらくふにふにと頬を弄ばれていたが、やがてレイの手がすっと離れる。
 その指先の余韻が、じんわりと肌に残った。

「……善処する」

 短くそう返すと、レイは「おっ」と目を丸くして、すぐににんまりと笑った。

「わ~! これで後輩くんもビビらずに済むね!」

 レイの無邪気な声を聞きながら、俺は手にした缶コーヒーを傾ける。わずかに残っていた冷たい液体が、喉をすべり落ちていく。

「そろそろ休憩終わるし。ホール戻るわ」

 立ち上がりながらそう告げると、レイが「えー、もう行っちゃうのー?」と間延びした声を上げる。その口調はふざけてるのに、どこか寂しそうな響きもあって、余計にタチが悪い。

「……あ、タオルありがと。洗って返すわ」

「りょーかい。またあとでね~」

 缶を軽く放り、ゴミ箱に入れて、備え付けの鏡の前に立ち、髪を指先で整える。
 寝跡の引いた頬を確認してから、制服のネクタイと袖口を軽く整える。

 深呼吸一つ。軽く息を整えてから、休憩室の扉を押し開ける。
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