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第一章
9話
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繁華街のショーウィンドウに映る自分の姿は、どう見ても出勤前のホストのようで、歩くだけで視線を感じて落ち着かない。
姉はというと、すっかり王子様気取りで、俺の隣を堂々と歩いているもんだから、余計に目立って仕方なかった。
「ねぇ、栞季。なんか欲しいものある?気になってるやつでもいいよ」
「別に、特にない」
ぶっきらぼうに返すと、姉は「つまんな~い」と肩をすくめ、今度は別の店へ足を向ける。ふらふらとウィンドウショッピングを続ける姉が、ふと立ち止まったのは、モコモコとした冬物が並んだお店。
「栞季、寒いの苦手でしょ?ほら、これとかどうよ。絶対似合うと思うけど」
「だから~そういうのはいいって。自分で買うから」
そう突っぱねると、姉は振り返ってにっこり笑う。
「お母さんにさ!栞季がお泊まりしてくれたよ~って連絡したら、あの子は連絡をくれないから~ってめっちゃ心配してたよ? それにさ、もうすぐ誕生日でしょ?」
「もうすぐって……あと2ヶ月あるから」
「いつでも会えるわけじゃないんだし、早めの誕プレってことで気にしないで。ね?」
そんな柔らかい声色に、心の奥を撫でられたみたいで、反論がうまく出てこなかった。
照れ隠しのように目線を逸らしながら、ハンガーに手を伸ばす。
ほんと、こういうとこ強引なんだよな。
結局、その店ではマフラーと手袋を買ってもらった。
タグを見れば、俺では絶対に手が出せない値段で、会計を見届ける間ずっと胃が痛かった。
次に立ち寄った別の店では、セーターやニット帽を試着させられ、またしても俺の制止を聞かずに「これください」と購入していく。案内されたソファに腰掛け、テーブルに置かれた電卓に目を落とした瞬間、思わず背筋が震えた。桁がひとつ多いんじゃないかと疑うほどの数字。
「ちょ、ちょっと待って!?やっぱり、他のにしない!?」
「なによ。うちが選んだんだから。文句言わないの!」
聞き分けのない子どもをあしらうみたいに笑い飛ばされ、返す言葉を失ってしまう。
俺、今日だけでいくら使わせてんだ?そんな疑問が頭を埋め尽くす。
なんて心臓に悪すぎる買い物なんだ……
「よし、次はあっちの店見よっか!」
軽快に歩き出す姉の背を追い、隣に並んで、指が向けられている店へ行こうとした。その時、プルル、と甲高い着信音が鳴り響いた。
姉のスマホだ。
「……ちょっと待って」
立ち止まった姉が鞄からスマホを取り出し、画面を覗き込む。すると、すぐに顔色を変えて、「ちょっと待ってて、電話してくる」と片手を振りながら、足早にどこかへ消えていった。
残された俺は紙袋を提げたまま、廊下の片隅に立ち尽くすしかない。数分後、戻ってきた姉は小さくため息を吐いた。
「ごめん、早急に確認しなきゃいけないことできちゃった。今日はここまでで、今度また埋め合わせさせて?」
「いや、もう十分だから!これ以上はいらないって」
思わず声を荒げると、姉は苦笑いを浮かべた。
「う~ん、最後は栞季を家まで送りたかったんだよなぁ……。でも、ちょっとそれも無理そうだから、せめて最寄りまでは乗っていきなさい」
「いや俺、ちょっと買いたいものあるから……ここで解散でもいいよ」
そう告げると、姉は迷う素振りをみせてから頷いた。そして、俺の手から紙袋を奪い取る。
「じゃあ、今日買ったものは今度、家まで届けるね。送るつもりで、たくさん買っちゃったんだし。紙袋がたくさんあると大変でしょ?」
そう言い残すと、慌ただしく人混みに紛れていった。
残された俺は手ぶらになったことに安堵しつつも、どこか胸の奥に空洞が残ったような気分だった。買いたいものなんて別にあるわけでもない。姉に迷惑をかけない為に咄嗟に出た言葉だった。
ちょっとお茶して帰るか、ここらへんは栄えてるから、一軒ぐらいは空いてる所はあるだろう。近くのカフェに視線を向けた。
足の向くままに中へ入り、窓際の席に腰を下ろす。
注文したコーヒーを前に、席の横にある「ご自由にどうぞ」と書かれた本棚に手を伸ばす。
ぱらぱらとめくった小説を読み進め、気がつけば夢中になっていた。
ページのキリがいいところで顔を上げ、スマホに視線を落とす。
画面に表示された時刻は、すでに19時をまわっていた。
「……もうこんな時間か」
立ち上がり、カップを片付けて店を出る。
外の空気は少し冷えていて、思わず肩をすくめながら駅へと歩いた。
横断歩道の前で赤信号に足を止める。
人の流れに混ざって待っていたそのとき
「あれ、シキ様?」
不意に背後から声をかけられ、思わず振り向く。
そこに立っていたのは、見慣れた顔――イオリだった。
(……っ、やば……)
一瞬で昼のことが脳裏をよぎり、体が勝手に身構える。けれど、当の本人はまるで気にしていない様子で、にこっと笑った。
「奇遇ですね~!シキ様、こんなところで」
その無邪気さに肩の力が抜け、ほっと息を吐く。
(……なんだ、普通じゃん)
仕事場でのやり取りをなぞるように、自然といつもの調子で返してしまう。
「……お前こそ、なんでここに」
「俺は、仕事でちょっと。……そうだ!せっかくお会いしたんですし、よかったらご飯一緒にどうですか?」
「いや」
断ろうとした瞬間、ぐぅ、と情けない音が腹から響いた。
「……」
「……」
沈黙のあと、イオリの口元が緩む。
「決まりですね!」
有無を言わせぬ笑顔に押され、結局近くの居酒屋へ足を運ぶことになった。
暖簾をくぐると、香ばしい焼き鳥の匂いとざわめきが押し寄せてくる。仕事終わりらしいサラリーマンや学生たちで賑わう店内に、自然と肩が竦む。
「空いてる席どうぞ~」という声に従い、奥のテーブルへ腰を下ろした。
「何飲みます?俺はビールでいいんですけど」
「俺は烏龍茶でいい」
「わかりました!」
嬉しそうに笑いながらメニューを広げるイオリを見て、ため息をつきたくなる。昼のことを気にしてる様子もなく、いつも通りだ。むしろ、いつも以上に距離が近い気がする。
「……そんなにじろじろ見るな」
「いや~、やっぱ今日のシキ様、なんか見慣れなくて。服装のせいかな、あとは香水……?」
ドクンと心臓が跳ねた。昼の時も言われたのに、思わず視線を逸らす。
「別に、俺がどんな服でもいいだろ」
「ふーん?」
イオリは追及せず、にやにや笑ったまま注文を済ませる。
店員がグラスを2つ置いていく。片方にはビール、片方には烏龍茶。小鉢のお通しも添えられていた。
「じゃ、とりあえず――お疲れさまです!」
「……お疲れ」
グラスを軽く合わせる。シュワッと弾ける音とともに、イオリは早速ビールをあおった。喉を鳴らして一気に飲む様子に、呆れ半分で目を細める。
「ぷはっ……最高っすね!仕事終わりの一杯ってやつ」
「俺は休みだったけどな」
「それでもいいじゃないですか!俺は、シキ様が目の前にいるだけでご褒美ですから、そんなシキ様と一緒にご飯なんて……」
「はいはい」
わざとらしく肩をすくめ、グラスの烏龍茶に口をつけた。冷たい液体が喉を流れていくうちに、少しだけ強張っていた心がほどけていく気がする。
やがて、頼んだ料理が次々と運ばれてきた。焼き鳥の香ばしい匂い、揚げ物の湯気、彩りのいいサラダがテーブルを賑わせる。
「いただきます!」
「いただきます」
箸を伸ばしながら、自然と他愛ない会話が始まる。最近見た映画の話や、流行ってるアニメ、くだらないやり取りの合間に笑いがこぼれて、自分でも驚いた。
気づけば、グラスの中はもう空に近い。
「まぁ、一杯くらいなら、いいか」
小さく呟いて、サワーとイオリのおかわりを追加で頼んだ。
「いいですね~!飲んじゃいましょ!」
イオリが嬉しそうに身を乗り出す。その声に、つい苦笑して空いたグラスを隅に寄せる。
最初は軽い気持ちだった。だが、一杯もう一杯とおかわりを喉に流し込むうちに、じわじわと熱が巡っていく。アルコールは危険だ――頭の中のブレーキを、簡単に壊してしまう。
次第に、口も滑らかになっていた。イオリに投げられる質問に、普段なら言わないことまでつい素直に答えてしまう。
「え、シキ様って犬派なんですか?猫っぽいのに」
「……いや、猫は気まぐれすぎるだろ。犬の方が可愛い。お前は大型犬みたいだよな」
「大型犬!?俺も犬好きなので嬉しいです!」
くだらないやり取りに笑いながら、グラスの氷を転がす。
けれど、ふと気づくと――俺は黙り込んでいた。
気づけば、視線がイオリに吸い寄せられている。
真っ直ぐな瞳も、笑うたびに柔らかくなる口元も、長い睫毛の影すらも。
普段は意識しないようにしていたのに、アルコールで緩んだ頭ではどうにも目が離せなかった。
(……なんでこんなに、絵になるんだこいつ)
胸の奥が妙にざわざわして、グラスを持つ手が落ち着かない。
そんな俺の様子に気づいたのか、イオリが小首を傾げる。
「……どうしました?」
言葉を探す前に、熱に浮かされたみたいにぽつりと零れていた。
「……お前、ほんとに綺麗な顔してるよな」
「えっ」
イオリが瞬きを繰り返す。思わず口角を緩め、グラスを揺らしながら続ける。
「お前の顔面、とても好み……目の保養」
自分で言っておきながら、耳まで熱くなるのがわかった。けれど、不思議と気分は悪くない。むしろアルコールのせいで、いつもよりずっと素直に言葉が出ていく。
「…………」
イオリは一瞬固まった後、ぱっと顔を赤くして俯いた。
「……っ、そ、そんな……俺……」
震えながらグラスを握るその手が視界に入る。
満足そうに口角を上げ、俺はその手をグラスから取って、見つめる。
「指も長くて綺麗だよな」
驚いたように顔を上げるイオリに、無邪気に笑みを浮かべながら自分の手のひらを合わせてみせる。
「ほら、俺の手より大きい」
そのまま指を絡ませると、イオリは喉を詰まらせたように息を呑んだ。
赤くなった顔を伏せながら、それでも繋いだ手を離そうとはしない。
「……シキ様、ほんと……あんまり煽らないでください」
掠れた声が、妙に耳に残った。
思わず笑いそうになった時、イオリがぽつりと訊ねてくる。
「……その服、オーナーさんのやつですか?」
「うん。俺の服はまだ乾いてなかったから借りた」
「なら、よく泊まるんですか?その……オーナーさんの家」
「いや、家に行ったのは初めてかな。前までは一緒に住んでたし」
そう答えると、イオリはまだ何か言いたげに俺を見つめていた。
その瞳の奥が、揺れている。酒のせいか、やけに真剣に見えた。
「……シキ様は、オーナーのこと……好きなんですか?」
一瞬、言葉が詰まる。
姉のことを「好きかどうか」なんて考えたこともなかった。まぁ家族だし、嫌いではない。そして今日の買い物の時のことも思い出して、ふと笑みを浮かべる。
ただ――酔いに滲んだ頭は妙に素直で、口を塞ぐ前に答えが零れていた。
「……うん。好きだよ。……大事にされてるなって、思う」
そう言った瞬間――イオリの表情がぐしゃりと歪んだ。
眉間に深い皺を寄せ、唇を噛んで――歪んだ表情のまま、イオリはしばし黙り込んでいた。
そのまま俯き、何かをボソボソと呟いている。声が小さすぎて聞き取れない。
「……イオリ?」
名前を呼ぶと、びくりと肩が揺れた。ゆっくり顔を上げる。
そ の表情は、さっきまでの険しいものではなかった。
にこりと笑みを浮かべて、いつもの調子で言ってくる。
「シキ様が良ければ、もう一件行きましょう!」
まるでさっきの歪んだ顔なんてなかったかのように。
その笑顔にどこか違和感を覚えながらも、俺は返事を飲み込んだ。
「……もう一件?」
思わず聞き返す俺に、イオリはにっこり笑って頷いた。
「はい!この近くに、雰囲気のいいバーがあるんです。ゆったり座れるところで。シキ様、絶対気に入りますよ」
(バー、か……普段あんまり行かないけど……まあ、まだそんなに酔ってないし)
軽くそう思いながら、俺は頷いた。
「じゃあ少しだけ……」
「やった!じゃあ行きましょう!」
イオリの声は弾んでいた。
それを見て、ただ単純に楽しそうだな、なんて思ってしまった俺は、この時まだ気づいていなかった。この選択肢が後に大きな影響を及ぼすことを。
姉はというと、すっかり王子様気取りで、俺の隣を堂々と歩いているもんだから、余計に目立って仕方なかった。
「ねぇ、栞季。なんか欲しいものある?気になってるやつでもいいよ」
「別に、特にない」
ぶっきらぼうに返すと、姉は「つまんな~い」と肩をすくめ、今度は別の店へ足を向ける。ふらふらとウィンドウショッピングを続ける姉が、ふと立ち止まったのは、モコモコとした冬物が並んだお店。
「栞季、寒いの苦手でしょ?ほら、これとかどうよ。絶対似合うと思うけど」
「だから~そういうのはいいって。自分で買うから」
そう突っぱねると、姉は振り返ってにっこり笑う。
「お母さんにさ!栞季がお泊まりしてくれたよ~って連絡したら、あの子は連絡をくれないから~ってめっちゃ心配してたよ? それにさ、もうすぐ誕生日でしょ?」
「もうすぐって……あと2ヶ月あるから」
「いつでも会えるわけじゃないんだし、早めの誕プレってことで気にしないで。ね?」
そんな柔らかい声色に、心の奥を撫でられたみたいで、反論がうまく出てこなかった。
照れ隠しのように目線を逸らしながら、ハンガーに手を伸ばす。
ほんと、こういうとこ強引なんだよな。
結局、その店ではマフラーと手袋を買ってもらった。
タグを見れば、俺では絶対に手が出せない値段で、会計を見届ける間ずっと胃が痛かった。
次に立ち寄った別の店では、セーターやニット帽を試着させられ、またしても俺の制止を聞かずに「これください」と購入していく。案内されたソファに腰掛け、テーブルに置かれた電卓に目を落とした瞬間、思わず背筋が震えた。桁がひとつ多いんじゃないかと疑うほどの数字。
「ちょ、ちょっと待って!?やっぱり、他のにしない!?」
「なによ。うちが選んだんだから。文句言わないの!」
聞き分けのない子どもをあしらうみたいに笑い飛ばされ、返す言葉を失ってしまう。
俺、今日だけでいくら使わせてんだ?そんな疑問が頭を埋め尽くす。
なんて心臓に悪すぎる買い物なんだ……
「よし、次はあっちの店見よっか!」
軽快に歩き出す姉の背を追い、隣に並んで、指が向けられている店へ行こうとした。その時、プルル、と甲高い着信音が鳴り響いた。
姉のスマホだ。
「……ちょっと待って」
立ち止まった姉が鞄からスマホを取り出し、画面を覗き込む。すると、すぐに顔色を変えて、「ちょっと待ってて、電話してくる」と片手を振りながら、足早にどこかへ消えていった。
残された俺は紙袋を提げたまま、廊下の片隅に立ち尽くすしかない。数分後、戻ってきた姉は小さくため息を吐いた。
「ごめん、早急に確認しなきゃいけないことできちゃった。今日はここまでで、今度また埋め合わせさせて?」
「いや、もう十分だから!これ以上はいらないって」
思わず声を荒げると、姉は苦笑いを浮かべた。
「う~ん、最後は栞季を家まで送りたかったんだよなぁ……。でも、ちょっとそれも無理そうだから、せめて最寄りまでは乗っていきなさい」
「いや俺、ちょっと買いたいものあるから……ここで解散でもいいよ」
そう告げると、姉は迷う素振りをみせてから頷いた。そして、俺の手から紙袋を奪い取る。
「じゃあ、今日買ったものは今度、家まで届けるね。送るつもりで、たくさん買っちゃったんだし。紙袋がたくさんあると大変でしょ?」
そう言い残すと、慌ただしく人混みに紛れていった。
残された俺は手ぶらになったことに安堵しつつも、どこか胸の奥に空洞が残ったような気分だった。買いたいものなんて別にあるわけでもない。姉に迷惑をかけない為に咄嗟に出た言葉だった。
ちょっとお茶して帰るか、ここらへんは栄えてるから、一軒ぐらいは空いてる所はあるだろう。近くのカフェに視線を向けた。
足の向くままに中へ入り、窓際の席に腰を下ろす。
注文したコーヒーを前に、席の横にある「ご自由にどうぞ」と書かれた本棚に手を伸ばす。
ぱらぱらとめくった小説を読み進め、気がつけば夢中になっていた。
ページのキリがいいところで顔を上げ、スマホに視線を落とす。
画面に表示された時刻は、すでに19時をまわっていた。
「……もうこんな時間か」
立ち上がり、カップを片付けて店を出る。
外の空気は少し冷えていて、思わず肩をすくめながら駅へと歩いた。
横断歩道の前で赤信号に足を止める。
人の流れに混ざって待っていたそのとき
「あれ、シキ様?」
不意に背後から声をかけられ、思わず振り向く。
そこに立っていたのは、見慣れた顔――イオリだった。
(……っ、やば……)
一瞬で昼のことが脳裏をよぎり、体が勝手に身構える。けれど、当の本人はまるで気にしていない様子で、にこっと笑った。
「奇遇ですね~!シキ様、こんなところで」
その無邪気さに肩の力が抜け、ほっと息を吐く。
(……なんだ、普通じゃん)
仕事場でのやり取りをなぞるように、自然といつもの調子で返してしまう。
「……お前こそ、なんでここに」
「俺は、仕事でちょっと。……そうだ!せっかくお会いしたんですし、よかったらご飯一緒にどうですか?」
「いや」
断ろうとした瞬間、ぐぅ、と情けない音が腹から響いた。
「……」
「……」
沈黙のあと、イオリの口元が緩む。
「決まりですね!」
有無を言わせぬ笑顔に押され、結局近くの居酒屋へ足を運ぶことになった。
暖簾をくぐると、香ばしい焼き鳥の匂いとざわめきが押し寄せてくる。仕事終わりらしいサラリーマンや学生たちで賑わう店内に、自然と肩が竦む。
「空いてる席どうぞ~」という声に従い、奥のテーブルへ腰を下ろした。
「何飲みます?俺はビールでいいんですけど」
「俺は烏龍茶でいい」
「わかりました!」
嬉しそうに笑いながらメニューを広げるイオリを見て、ため息をつきたくなる。昼のことを気にしてる様子もなく、いつも通りだ。むしろ、いつも以上に距離が近い気がする。
「……そんなにじろじろ見るな」
「いや~、やっぱ今日のシキ様、なんか見慣れなくて。服装のせいかな、あとは香水……?」
ドクンと心臓が跳ねた。昼の時も言われたのに、思わず視線を逸らす。
「別に、俺がどんな服でもいいだろ」
「ふーん?」
イオリは追及せず、にやにや笑ったまま注文を済ませる。
店員がグラスを2つ置いていく。片方にはビール、片方には烏龍茶。小鉢のお通しも添えられていた。
「じゃ、とりあえず――お疲れさまです!」
「……お疲れ」
グラスを軽く合わせる。シュワッと弾ける音とともに、イオリは早速ビールをあおった。喉を鳴らして一気に飲む様子に、呆れ半分で目を細める。
「ぷはっ……最高っすね!仕事終わりの一杯ってやつ」
「俺は休みだったけどな」
「それでもいいじゃないですか!俺は、シキ様が目の前にいるだけでご褒美ですから、そんなシキ様と一緒にご飯なんて……」
「はいはい」
わざとらしく肩をすくめ、グラスの烏龍茶に口をつけた。冷たい液体が喉を流れていくうちに、少しだけ強張っていた心がほどけていく気がする。
やがて、頼んだ料理が次々と運ばれてきた。焼き鳥の香ばしい匂い、揚げ物の湯気、彩りのいいサラダがテーブルを賑わせる。
「いただきます!」
「いただきます」
箸を伸ばしながら、自然と他愛ない会話が始まる。最近見た映画の話や、流行ってるアニメ、くだらないやり取りの合間に笑いがこぼれて、自分でも驚いた。
気づけば、グラスの中はもう空に近い。
「まぁ、一杯くらいなら、いいか」
小さく呟いて、サワーとイオリのおかわりを追加で頼んだ。
「いいですね~!飲んじゃいましょ!」
イオリが嬉しそうに身を乗り出す。その声に、つい苦笑して空いたグラスを隅に寄せる。
最初は軽い気持ちだった。だが、一杯もう一杯とおかわりを喉に流し込むうちに、じわじわと熱が巡っていく。アルコールは危険だ――頭の中のブレーキを、簡単に壊してしまう。
次第に、口も滑らかになっていた。イオリに投げられる質問に、普段なら言わないことまでつい素直に答えてしまう。
「え、シキ様って犬派なんですか?猫っぽいのに」
「……いや、猫は気まぐれすぎるだろ。犬の方が可愛い。お前は大型犬みたいだよな」
「大型犬!?俺も犬好きなので嬉しいです!」
くだらないやり取りに笑いながら、グラスの氷を転がす。
けれど、ふと気づくと――俺は黙り込んでいた。
気づけば、視線がイオリに吸い寄せられている。
真っ直ぐな瞳も、笑うたびに柔らかくなる口元も、長い睫毛の影すらも。
普段は意識しないようにしていたのに、アルコールで緩んだ頭ではどうにも目が離せなかった。
(……なんでこんなに、絵になるんだこいつ)
胸の奥が妙にざわざわして、グラスを持つ手が落ち着かない。
そんな俺の様子に気づいたのか、イオリが小首を傾げる。
「……どうしました?」
言葉を探す前に、熱に浮かされたみたいにぽつりと零れていた。
「……お前、ほんとに綺麗な顔してるよな」
「えっ」
イオリが瞬きを繰り返す。思わず口角を緩め、グラスを揺らしながら続ける。
「お前の顔面、とても好み……目の保養」
自分で言っておきながら、耳まで熱くなるのがわかった。けれど、不思議と気分は悪くない。むしろアルコールのせいで、いつもよりずっと素直に言葉が出ていく。
「…………」
イオリは一瞬固まった後、ぱっと顔を赤くして俯いた。
「……っ、そ、そんな……俺……」
震えながらグラスを握るその手が視界に入る。
満足そうに口角を上げ、俺はその手をグラスから取って、見つめる。
「指も長くて綺麗だよな」
驚いたように顔を上げるイオリに、無邪気に笑みを浮かべながら自分の手のひらを合わせてみせる。
「ほら、俺の手より大きい」
そのまま指を絡ませると、イオリは喉を詰まらせたように息を呑んだ。
赤くなった顔を伏せながら、それでも繋いだ手を離そうとはしない。
「……シキ様、ほんと……あんまり煽らないでください」
掠れた声が、妙に耳に残った。
思わず笑いそうになった時、イオリがぽつりと訊ねてくる。
「……その服、オーナーさんのやつですか?」
「うん。俺の服はまだ乾いてなかったから借りた」
「なら、よく泊まるんですか?その……オーナーさんの家」
「いや、家に行ったのは初めてかな。前までは一緒に住んでたし」
そう答えると、イオリはまだ何か言いたげに俺を見つめていた。
その瞳の奥が、揺れている。酒のせいか、やけに真剣に見えた。
「……シキ様は、オーナーのこと……好きなんですか?」
一瞬、言葉が詰まる。
姉のことを「好きかどうか」なんて考えたこともなかった。まぁ家族だし、嫌いではない。そして今日の買い物の時のことも思い出して、ふと笑みを浮かべる。
ただ――酔いに滲んだ頭は妙に素直で、口を塞ぐ前に答えが零れていた。
「……うん。好きだよ。……大事にされてるなって、思う」
そう言った瞬間――イオリの表情がぐしゃりと歪んだ。
眉間に深い皺を寄せ、唇を噛んで――歪んだ表情のまま、イオリはしばし黙り込んでいた。
そのまま俯き、何かをボソボソと呟いている。声が小さすぎて聞き取れない。
「……イオリ?」
名前を呼ぶと、びくりと肩が揺れた。ゆっくり顔を上げる。
そ の表情は、さっきまでの険しいものではなかった。
にこりと笑みを浮かべて、いつもの調子で言ってくる。
「シキ様が良ければ、もう一件行きましょう!」
まるでさっきの歪んだ顔なんてなかったかのように。
その笑顔にどこか違和感を覚えながらも、俺は返事を飲み込んだ。
「……もう一件?」
思わず聞き返す俺に、イオリはにっこり笑って頷いた。
「はい!この近くに、雰囲気のいいバーがあるんです。ゆったり座れるところで。シキ様、絶対気に入りますよ」
(バー、か……普段あんまり行かないけど……まあ、まだそんなに酔ってないし)
軽くそう思いながら、俺は頷いた。
「じゃあ少しだけ……」
「やった!じゃあ行きましょう!」
イオリの声は弾んでいた。
それを見て、ただ単純に楽しそうだな、なんて思ってしまった俺は、この時まだ気づいていなかった。この選択肢が後に大きな影響を及ぼすことを。
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名ばかり管理職で疲労困憊の山口は、偶然見つけたマッサージ店で、長年諦めていたどうやっても改善しない体調不良が改善した。
せっかくなので後輩を連れて行ったらどうやら様子がおかしくて、もう行くなって言ってくる。
クールだったはずがいつのまにか世話焼いてしまう年下敬語後輩Dom ×
(自分が世話を焼いてるつもりの)脳筋系天然先輩Sub がわちゃわちゃする話。
『加減を知らない初心者Domがグイグイ懐いてくる』と同じ世界で地続きのお話です。
(全く別の話なのでどちらも単体で読んでいただけます)
https://www.alphapolis.co.jp/novel/21582922/922916390
サブタイトルに◆がついているものは後輩視点です。
同人誌版と同じ表紙に差し替えました。
表紙イラスト:浴槽つぼカルビ様(X@shabuuma11 )ありがとうございます!
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