93℃の執着

UTAFUJI

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第三章

28話

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「……まぁ、いいや」

 自分に言い聞かせるみたいに呟いて、テーブルに視線を落とした。

 卓上に置かれたコースの内容が目に入る。そういえば、さっき運ばれてきた天ぷらが最後の一品だった。

 女将さんも、"こちらは、コース最後の天ぷらでございます"と言っていた。あとは甘味があるらしいが、それが本当の最後だろう。

 知らないうちに、ちゃんと終わりが見えるところまで来ていたらしい。

「もう終わりか……」

 徳利を手に取り、空になった自分のお猪口と依織のお猪口に酒を注ぐ。
 最初に頼んだ銘柄とは別に、途中で追加したのを思い出す。

 気づけば、徳利はこれで何本目だ。二人で三合か、四合くらいか。

「……結構、飲んだな」

 独り言みたいに呟くと、依織が小さく笑った。

「ですね。気づいたら、ってやつです」

 酒を注ぎ終えたお猪口に視線を落とす。波打つ日本酒が、卓の灯りを反射して揺れていた。

 いい感じに、酔いが回ってきている。酩酊するほどではないが、ほんのり体が軽く感じる。今ならなんでもできそうな、そんな気分になって、気分がいい。

 向かいに座る依織を見る。彼の仕草一つ一つが、やけに目につく。お猪口を取るときに伸ばされる指、上下する喉、時たま薄い唇から覗く舌。

 普段なら気にしないはずなのに、今は全部、妙に気にしてしまう。

「酔ってます?」

 不意に聞かれて、視線を上げる。

「まぁ、少しだけ……」

「そうですよね?ちょっと、ぼーっとしてるように見えました。気持ち悪くないですか?」

「それは大丈夫。むしろ、なんかいい感じ」

 酒とは、本来これぐらいが一番いいんだろうな。無理なちゃんぽんも、誰かのペースに合わせるのも、本当に良くない飲み方なんだなと実感した。

「それなら、いいですけど」

 そう言いながらも、依織は視線を逸らさなかった。黙って、ただ様子を窺うようなその視線に俺は眉に皺を寄せて、口を開いた。

「……なんだよ」

 問い返すと、依織は一瞬だけ目を瞬かせてから、困ったように笑う。

「あ、いえ、気にしないでください」

 そう言われると、余計に気になる。

「気になるから聞いてんだろ」

「ただ……可愛いな、って思っただけです」

「は?」

 思ってもいない言葉を言われた気がする。聞き間違いかもしれない。

「ん?もう一回言ってくれないか?」

「シキ様、可愛いです」

「な……っ」

 言葉が喉で詰まる。耳の奥がじんわり熱くなるのが、自分でもわかった。可愛い。可愛い……?

「……冗談言うな」

 やっと絞り出したそれは、我ながら情けない声だった。

「これは冗談じゃないですよ」

 言い切った依織は、俺の反応を確かめるように視線を向けてくる。そんなにまっすぐ見つめてこないで欲しい。

 言い返そうと口を開いたその瞬間だった。

「失礼いたします、甘味をお持ちしました」

 女将さんの穏やかな声に、ほんのわずかだけ跳ねた肩を見られていないことを祈る。俺は慌てて口を閉じ、襖を開けた女将さんの方を見た。

「こちらが、本日の甘味でございます。当店オリジナルのきなこアイスでございます」

 上品な皿に盛られた甘味が目の前に置かれる。

「お楽しみくださいませ」

 女将さんが静かに退室して襖が閉まるまでのあいだ、ふたりとも何も言わなかった。

「……食べるか」

 ぽつりと呟いて、俺は手元の木製スプーンを取る。向かいの依織も、少し遅れて「はい」と頷いて同じように手を伸ばした。

 一口、口に運ぶ。
 冷たくて、ふわりと香ばしい風味。甘さは控えめで、酒で火照った身体にちょうどよかった。

「……うま」

 つい声が漏れる。すると、依織が目を細めた。

「そうですね、美味しいです」

 そのあとは、食べ終わるまで何も話さなかった。いや、話せなかったというのが正解だろう。とりあえず、この火照った体を冷やさねばと、俺は黙々と目の前のアイスを口に運んだ。
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